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フルブライト語学アシスタントプログラム(FLTA)

2016年度 参加者レポート

2016年度参加者 
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1. 堀口晃代 University of Notre Dame (Notre Dame, IN)

中間レポート

 私は日本の視覚障害者として初めて、FLTAプログラムの奨学生に選んでいただきました。私の場合、派遣先決定は6月中旬、8月6日からのオリエンテーションへ合わせて渡米し、インディアナ州のノートルダム大学で日本語アシスタント(TA)の仕事をさせていただいています。本当に多くの方々が私を気にかけ私のために動いてくださっているのだといつも痛感し、感謝の思いでいっぱいです。そして、与えられている機会を最大限生かし、楽しみ、挑戦し続けようという前向きな気持ちで日々を過ごしています。本レポートでは、派遣先の簡単な紹介と、張り合いのある私のFLTA生活をお伝えします。

1 派遣先
 シカゴから車で約2時間のところに位置するノートルダム大学は、1842年、フランス出身の宣教司祭エドワード・ソリンによって創設されたカトリック系の共学名門私立校です。学部生と大学院生合わせて1万人以上が在籍しています。学生たちはそれぞれの授業で課された課題へきちんと取り組み、クラブ活動やアルバイト、就活も行い、常に忙しそうです。学内には8万人を収容できるというスタジアムがあり、フットボールの試合が開催される土曜日は大いに賑わいます。また、キャンパスでリスやウサギと良く出会い、その可愛らしさに気持ちが和みます。夏の日中は東京や埼玉と同じくらい熱い一方、冬は-20℃くらいまで冷え込む日もあり、雪も降ります。とは言え、この冬は本格的な寒さがまだあまり到来していません。

2 Summer Orientation
1)渡米後すぐのオリエンテーションで短時間とはいえ全員が模擬授業を行わなければならないと聞き、日本を発つ前の私は、心配で心配でたまりませんでした。しかし、各国から集まった同期のFLTAたちと時間を共にする中で、「模擬授業はせっかく出会えた皆さんに日本語を少し教えてあげられる好機会。」と思えるようになり、自分の番に臨みました。内容としては、挨拶をして自分の名前をいい、相手の名前を尋ねるというやり取りを口頭で練習しました。また、「点字」や「白杖」など視覚障害に関連した単語をいくつか紹介し、それらを用いて簡単な文を作るというアイディアで私らしさを加えました。

2)最終日の夜、それぞれの国の伝統的な服装で写真を撮る時間がありました。日本で視覚障害者向けの浴衣の着付け講習会へ参加し、教わったやり方を渡米直前まで何度も練習していったおかげで、スムーズに浴衣に着替えて写真に写ることができました。練習の成果をアメリカ生活数日目にして実感でき、確かな1歩となりました。

3 TAの仕事
1)日本のスポーツや日本人のスポーツに対する精神について学んだクラスでは視覚障害者のスポーツを、外国人について学習したクラスでは万人が利用しやすいユニバーサルデザイン(UD)を紹介しました。私が話すタイミングに合わせて見える先生が動画や画像を提示してくださり、学生たちにわかりやすく説明することができました。バレーでは床上を激しくボールが行き交うこと、水泳では壁の手前で頭などを軽く叩いて知らせることなどスポーツに関して一通り話してから感想を聞くと、「私もやってみたい。」といってくれた学生がいました。UD に関しては、たとえば、シャンプーとコンディショナーの容器を触って識別できるデザインが、視覚障害者だけではなく日本語を読めない外国の人たちにも便利だという話しになりました。

2)全レベルの学生たちが作っている個人ブログを一つ一つ読み、コメントを付けました。画面読み上げソフトを使用している私にはどこに何を入力するのかわかりづらかったため、視覚障害者のパソコン使用をサポートしてくださる方からやり方を教えていただいた上で渡米しました。どの投稿にも引きこまれ、目を通していると、疲れや空腹が吹き飛んでいきました。ブログのテーマはレベルごとに毎回先生方が設定され、「堀口先生へのアドバイス」としてくださったときには、私が困っていたことや心配だったことに学生たちが答えてくれました。心配するよりも今を存分に楽しむといったきわめて前向きな助言が複数あり、それが何だかすごくアメリカらしく感じられました。こういうアドバイスができるのはアメリカの、もしくはノートルダムの学生の強みなのではと思いました。

3)中・上級の学生たちは、それぞれが私とアポを取り30分話す「会話セッション」が課題となっていました。学生たちにとっても私にとっても、1対1で話せる貴重な時間でした。

4)集まった人たちで会話を楽しむ「日本語会話テーブル」を担当しました。初めは私も参加者の一人でしたが、その場をリードすること、ブログやフェイスブック(fb)にお知らせや報告をアップすることなどを任せていただけるようになりました。全員ができるだけ多く日本語を話せる場作りには何が必要なのか考えたり、見える人たちには写真もあった方が魅力的だろうと思い、毎回写真を撮ってもらってそれも合わせてfbに載せたりなど工夫しました。卒業生や学生ではない日本人の方々も毎回のように足を運んで会話を盛り上げてくださり、とてもありがたかったです。

5)まだ日本語を取っておらず日本語でのコミュニケーションが難しくても、日本に興味がある学生たちを対象に、日本の文化などについて英語で話す「ディスカッションテーブル」を設定しました。これは全く初めての試みであったため、軌道に乗せるのは難しかったです。しかし、学生たちの意見を聞き、日時や場所を見なおす中で、少しずつ来てくれるようになりました。何かをゼロから立ち上げ参加者を集めることの大変さを実感し、視野が広がりました。

6)ジャパンクラブの学生たちが主催した旅行へ同行し、回転寿司とカラオケと日系のスーパー&フードコートへ一緒に行きました。教室にいるよりも解放され思い思いに旅行を満喫していた学生たちと共に、私も笑顔で過ごしました。回転寿司で流れてきた物やスーパーの商品を教えてくれたりなど、学生たちの優しさに心が温かくなりました。

4 学生として出席した授業
 Catholics in Americaと、Topics in Linguistics: Digital Literacy in Language Learningを選びました。ここでもたくさんの学びや心に響くものがありました。長くなってしまいますので、最終レポートで具体的にご報告したいと思います。

5 Mid-Year Conference
 12月にワシントンDCで開催されたカンファレンスのタレントショーで、私たち日本からのFLTAは、渡米前から準備を進めてきたよさこいを披露しました。お揃いのティーシャツのデザインの一部に、「flta」の4文字を点字で入れました。よさこい未経験者だった上に振付を見て真似ることができない私ですが、手を取って動きを教えてもらったり踊っているところを後ろから触らせてもらいながら、限られた練習時間の中で身につけられそうな部分を覚えました。
 こうして迎えた本番、私たちの発表に400人近いFLTA仲間たちが盛大な拍手喝さいをくれ、しばらく鳴りやみませんでした。こんなにも感動的な反応をもらえたのは、見える9人のメンバーも見えない私も、「10人全員参加でよさこいを踊りたい。」という気持ちを持ち、それが形になったからだと思います。タレントショーの会場で感動を共有した方々が私たちのよさこいから感じたものをそれぞれ持ち帰り、特別なニーズがある人と関わる際に思い出していただけたらと願っています。どうしたら見えない私を含めた10人でステージに立てるのかを考え実践してくれた9人の皆さん、最後までありがとうございました。

 プログラム後半も感謝の気持ちと自分が何を求められているのかを忘れず、毎日を大切に過ごしていきたいと思います。


最終レポート

 後半も密度の濃い日々でした。振り返り、充実感に浸りながら、本レポートを書き進めます。中間レポートと合わせてご覧いただけたらと思います。

1 TAの仕事
1)秋学期初めから近隣の小学校を訪れ母国の文化を紹介していた同期のFLTAたちを見ているうちに、私もそのメンバーに加わりたいと強く思うようになりました。これをお伝えすると、私は文化紹介ではありませんでしたが、その学校に在籍する視覚障害の児童本人とクラスメートたちに点字を教える機会をいただけることとなりました。
 点字のレッスンは、1月~4月まで継続しました。部屋番号やエレベーターの点字表示、自分の名前、お手洗いの入口にあるMen・Womenなどがわかるようになると役立つと思い、それらが身に付くよう、工夫をしながら進めました。私がノートルダムでお世話になった視覚障害の専門の方はマフィンの型とテニスボールを使用して点字を導入しているとお聞きし、私も準備していったところ、子どもたちが気持ちを向けてくれました。私が作っていった点字のカードにも関心を示してくれ、それらを用いてゲームをしました。私が小学生だった頃愛読していた学習絵本は大好評でした。動き回りたい年齢の子どもたちのエネルギーに対応しきれず落ち込んだときもありましたが、子どもたちが大分点字を読めるようになり、「日本に帰らないでもっと点字を教えてほしい。」といってくれ、ある児童は点字を学んだことで他の教科での認識も上がったと伺い、小学校訪問を続けて良かったと思いました。

2)春学期の会話テーブルは、候補日を先生方にご提案するところから部屋の予約、ポスター制作の依頼なども含め、ほぼ全てを任せていただきました。春学期も日本人の方々が何度もいらしてくださり、学生たちと積極的に会話をしてくださり、私のサポートもしてくださいました。感謝の気もちでいっぱいです。
 会話テーブルの目的は参加者全員が日本語でたくさん話すことですが、その時間を十分確保した上で、新たな活動を二つ行いました。まずは、1月にカルタをやりました。私が日本から持ってきていた物で、弱視者の声を読み札にしているので、カルタそれ自体に加え、視覚障害者の生活を少し紹介することができました。もう一つは、1年間の集大成を具体的な形にできたらと考え、最後の会話テーブルでホワイトボードにメッセージを書き、絵を描き、それを写真に残しました。もう少し学生たちにわかりやすく支持をした方が良かったかもしれませんが、それでも、記念に残る作品が完成しました。
学生たちが自分たちで作り上げた日本語のパフォーマンスを披露する「さくらまつり」で、この1年間に頑張った学生や活躍した学生が表彰されたとき、会話テーブルにたくさん参加した人たちも賞状をもらっていました。1年間会話テーブルを担当させていただいた私は、その姿を目の当たりにし、自分のことであるかのように感激と喜びが込み上げてきました。

3)お餅を食べてお正月の遊びを体験するイベントで、日本のお正月について紹介しました。普段の授業よりも大人数を対象に、見える人たちにわかりやすいプレゼンテーションをするのはとても不安で、これをお引き受けするかどうか、私は何日も悩みました。しかし、日本語学科の先生が、「留学生と一緒にやってもいいですよ。」といってくださり、日本の大学から来ていた学生にお願いしたところ、すぐに了承してくれました。それで、私の気もちは固まりました。2人の留学生さんたち、協力していただけて心強かったです。ありがとうございました。これからは必要以上に心配しないことと、他の人たちともっと連携することを心がけたいと思います。

4)上記三つが秋学期から大きな変化を感じた仕事でしたが、これら以外にも日本の 視覚障害特別支援学校(盲学校)の紹介、ブログへのコメント書き、fb投稿、会話セッション、1対1での日本語学習支援、ジャパンクラブの旅行同行などをさせていただきました。

2 秋学期に学生として出席した授業
 中間レポートの長さや読みやすさなどを考慮し書いていませんでしたので、ここでご報告します。
1)Catholics in Americaでは、カトリックがアメリカの社会・政治・教育などの中でどう位置づけられ、それらとどんな風に影響し合ってきたかについて学びました。せっかくカトリック系の大学に来たのだからという気持ちで挑戦しましたが、背景知識が少なすぎた私にはかなり難しかったです。しかし、大学内のチャペルで授業が行われたり、18世紀に作られた聖書や功績をたたえて与えられたメダルなどを直接見せていただけたり(私の場合はそれら貴重な収蔵品を手に取らせていただきました)、キャンパス内にあるカトリック関係の場所や物を一つ選んでレポートにまとめたりなど、カトリックを全身で直接感じられた印象に残る授業でした。私は自分がレポートのために選んだ場所を実際に訪れたかったのでそれを伝えると、複数のクラスメートたちが私を案内してくれるとすぐに手を上げてくれました。温かさが心に染みました。

2)Topics in Linguistics: Digital Literacy in Language Learningでは、リテラシーとは何か、メール・fb・オンラインゲームなどをしようしていくためにはどんなリテラシーが必要なのかを考えました。その上で、これらを外国語教育に活用した実践報告や研究記事を読み、議論しました。自分が外国語を学び教えてきた経験と結びつけて理解を深められ、毎回の授業に引き込まれました。ここで得られたことを基に、障害のある人とない人が共に言語を学ぶ場を作っていきたいです。

3 春学期に学生として出席した授業
1)初歩の韓国語では、日本語と発音が似た単語に出会えたとき、「美味しい」・「安い」など感想をいえるようになったとき、教室の外で聞いた韓国語を理解できたときは嬉しかったです。韓国語の会話練習で自信がなかったときは、少し英語を添えてもらえると安心して取り組めました。テストへ向けて集中して学習することにより、語(句)・表現・文法が定着していくのを実感しました。言い換えると、テストは嫌な物ではなく、学習の道標なのだと改めてわかりました。教科書の文に類似した文を自分で作ることで表現力が向上していくことも感じられました。このように自分自身が新しい言語を学ぶ中で、今後の教師生活で生かせる貴重な気づきを得ることができました。
韓国語の授業では、さらに素敵な展開がありました。大学周辺のお店についてペアで会話をしたのですが、私がまだその辺りへ行っていないことを知ったクラスメートが週末に時間を作り、私をそこへ連れていってくれたのです。彼女とはこれをきっかけに友達になれ、学期末にも一緒にアイスクリームを食べに行きました。

2)Methods in Second Language Teachingでは、一つ一つの課題を仕上げるためにかなりの労力を費やしましたが、それ故に、毎回課題を提出し終えると大きな達成感がありました。中でも、指導計画と授業案作成、それに基づいた模擬授業の実施と振り返りからは、自分自身の授業をより良い物にしていくヒントを得ることができました。また、弱視生徒たちに読みやすいプリントを準備して模擬授業を行ったことにより、視覚障害者への配慮を具体的に知ってもらうことができました。

4 心からの感謝
 スーパーバイザーをはじめ私がノートルダムで出会った方々は、「見えなくてもできる。」、「見えないからこそできる。」という見方で、どうしたらできるのか、どんなことであれば私の強みが生かされるのかを共に考え歩んでくださいました。「こんにちは、堀口先生」、"Hi Akiyo,"と私の名前を覚え、擦れ違いざまに挨拶をしてくださいました。私がやれる部分は見守りながら、適切なタイミングで声をかけサポートしてくださいました。みなさんの温かさを感じる度に笑顔になれました。いつも元気をいただきました。みなさんのこと、ずっと忘れません。どれだけ感謝してもしきれません。いただいたものを持ち帰り、必要な人たちと分かち合っていきます。
日米教育委員会やIIEのみなさまをはじめ、ノートルダムの外から支えてくださったすべての方々にも心より感謝しています。ありがとうございました。

2. 石田育子 Carleton College (Northfield, MN)

中間レポート

 たくさんの期待と不安を胸に日本を飛び立って、はや5ヶ月が経ちました。気がつけば折り返し地点に立ってしまっているようですが、これまでのアメリカでの日々をじっくり振り返る間もないほど、学期中のカールトン大学での生活は慌ただしく、嵐のような毎日を送っています。
 私が派遣されたカールトン大学は、アメリカ中西部はミネソタ州の南東部、ノースフィールドという小さな町にあります。ノースフィールドはミネソタ中心部から車で小一時間の場所にあるかわいらしい田舎の町ですが、このカールトン大学にはアメリカの各地から優秀な学生たちが集います。アメリカ有数のリベラルアーツ・カレッジで素晴らしい学生や先生方に囲まれ、日々教育そのものについて考えさせられるような良い刺激を受けています。
 さて、このカールトン大学における私の役割についてですが、ここでは私のような立ち位置の人は「Language Associate」と呼ばれます。このLAは私の他にも6人いて、みな別の言語を教えています。私はそのうち3人のLAたちと同じ寮で生活しています(ちなみに部屋はみな一人部屋です)。全く違う文化で育った全く違う個性の人たちが一つ屋根の下で暮らすことで戸惑いを覚えるような経験もありましたが、今は様々な面で互いを支え合うような良い関係を築けています。特に日本語の学生とは「友達」の関係にはなりにくいことから、他のLAたちの存在はとても大きなものになっています。
 日本人LAの先輩方のレポートにもありますが、ここでは私は日本語科のアシスタントとしての役割を担っていて、3人の日本人の先生方の元で以下のような仕事をしています。まず、初級・中級クラスのアシスタントでは、会話練習のときに机間巡視をして発話を促したり、漢字の導入や漢字テストのフィードバックを行ったりします。これに加え、初級クラスでは、週に一度(2コマ)音声教材を使った「ラボ」という時間があり、学生が音声教材を聞きながらペアで練習しているところをモニターし、個人あるいはクラス全体へのフィードバックを行う役割があります。さらに、教室外では日々の漢字・単語クイズや宿題の採点、少人数グループでの会話練習を行います。また、時々補助教材を作らせていただくこともあり、秋学期には「ライトボード」を用いた漢字の解説動画の作成に携わったりしました。
 日本語の授業という枠組みの外では、週に3回、日本語科としてのイベントを運営しています。まず、木曜日の昼休みには「日本語テーブル」があり、昼ごはんを食べながら学生たちと日本語で会話する時間があります。多くの学生が参加してくれるため、日本語科の先生方も、学生が日本語で会話するのを助けて下さいます。それに加えて週1時間の「お茶の時間」と週に2時間程度の「映画の時間」があります。どのようなアクティビティーを取り入れるか、あるいはどの映画を見せるかを決めることが思いの外難しく、2学期目の今でも、よく来てくれる学生たちの様子を見ながら「手探り」でイベントを進めている感じがあります。「お茶の時間」にはこれといった決まった枠がないので、日本のお茶とお菓子を楽しみながら日本の遊びをしたり日本語の歌を紹介したり、日本のお菓子を作ったり、毎週異なる内容を取り入れています。意外なことにあんこのような日本のスイーツが好物の学生が多く、お菓子を作る週にはたくさんの学生が駆けつけてくれます。また、私は日本の社会問題や「日本で頑張っている人たち」の姿をシェアしたいという思いがあったので、supervisorの許可を得て、日本の報道番組やドキュメンタリーを見せる取り組みもしました。そういった真面目な感じのイベントのときには出席してくれる学生も少なくなってしまいますが、それでも「大事なトピックだから」といって話を聞きに来てくれる学生がいることは大変ありがたいことだと感じます。そして「映画の時間」には、アニメ映画からドキュメンタリー映画まで、図書館に入っている様々な映画を毎週1本ずつ見せます。これは全く義務ではありませんが、より映画を楽しんだり映画から一つでも多くのことを学んだりできるように、しばしば上映の前に背景知識を活性化する数分間の短いプレゼンテーションや話をしています。これも、参加してくれる学生の人数は週によりますが、日本ではあまり見ない日本の映画を学生とともに見ることで自分自身が改めて何かを発見できることもあり、学生だけでなく自分にとっても意義のある活動になっているように思います。これらの他にも、余力があるときには、週末に料理のイベントを開いたり、季節に合った大きなイベントを開いたりしています。冬学期の初めには、学生たちの助けも借りながら、お正月のパーティーを開くことができました。こういった日本語のアクティビティーを毎週メーリング・リストやフェイスブックなどで広報することも仕事の一つで、日・英語の両方で情報を発信しています。
 LAとしての仕事について、まだまだ書き足りないことがあるのですが、以下にカールトンの学生としての生活について述べていこうと思います。秋学期は、こちらの語学の授業を学生として体験してみようと思い、日本語の授業と重なっていないスペイン語の初級クラスを受講しました。「アメリカでスペイン語を学ぶ」ということの文脈は「アメリカで日本語を学ぶ」ということの文脈や「日本で英語を学ぶ」ということの文脈とは大きく異なり、教室内の雰囲気の違いや授業のスピードなど、さまざまなところで戸惑いを感じることが多々ありました。スペイン語は多くの学生が高校時代に勉強しているため、私には授業がかなりスピーディーに感じられ、日々の仕事の合間に課題をこなしたり単語を覚えたりするのに少し苦労しました。また、学生の雰囲気も日本語を取っている学生と違うところがあるように感じられ(自分の立場が違うということももちろん大きな要因ですが)、なかなか前のめりの姿勢になってクラスに参加することのできない、難しい一学期でした。ですが、週に5日のスペイン語の勉強を通して、外国語を勉強する上での頻繁なインプット・アウトプットの重要性、「実際に使う」ということの効果など、これからの日本での外国語教育を考えていくのに必要なヒントを多く得ることができたことは大きな収穫だといえます。そしてなにより、今一度学生として「語学の先生・TA」の教え方を観察・体験することができたことは、将来日本の教育現場に立ったときに必ず役に立つような良い経験だったと思います。冬学期の今は、Introduction to the Theory of Syntaxをクレジットで登録し、Working with Gender in the U.S. Historyという授業を聴講しています。仕事と自分の勉強のバランスをとって毎日予習・復習をすることは想像以上に難しいですし、アメリカの学生たちが実際に使用する英語はなかなかきちんと聞き取って理解することができません。そういった面で不完全燃焼な気持ちになって一日を終えることも多々ありますが、それでも日々少しずつでも成長を重ね、一つでも多くのことを学んでいけるよう、前向きに頑張りたいと思います。
 小さな田舎町で5ヶ月ほど暮らしてみて、時々は不便に感じることもありましたが(例えば日本食スーパーが近くになかったりします)、「State of Nice」という言葉が象徴するこの土地の人々の温かさやのんびりとした町の雰囲気が、どんどん自分にとってのhomeになってきているような気がします。今学期にはキャンパスの外に出てボランティアのコミュニティーに参加することも計画していますし、そうやって残り5ヶ月の貴重な時間を最大限に活かし切り、様々な人との輪の中で色々なことを見て、聞いて、感じて、夏に胸を張って日本に帰れるよう、これからさらに努力していきます。


最終レポート

 カールトンでの一年を終えて、一ヶ月が経ちました。日本に帰国した今、アメリカでの生活を思い出すと様々な思いが湧き上がります。今回の最終レポートでは、前回のレポートで書ききれなかったトピックや冬・春学期の様子、全体を通じて得た学びについてご報告したいと思います。
 まず、日本語の授業に関して冬・春学期に見られた変化は、自分がレッスンプランから組み立てる演習や授業の時間を頂いたことです。冬学期は、秋に引き続き週に一度の初級クラスのラボの進行の役割を担いましたが、それに加えて数回、授業担当の先生のご厚意で通常の授業の時間の一部を頂き、何度か特定の文法を習得するためのドリルを組み立てて実践することができました。春学期には、ラボの代わりに通常の授業の時間を丸々一コマ(金曜日の60分授業を午前・午後と2回)頂いて、様々な教材を用いた授業実践のチャンスを得ることが出来ました。授業後には指導教官の先生からフィードバックを頂き、次の週の授業に向けた改善点を考えることが出来ました。日本語科の先生方が私の用いる教材や授業の進め方に関して寛容な態度を示してくださったこともあり、(あまり盛り上がらず学生に申し訳なく思ったことも何度もありましたが)色々なアプローチに挑戦することが出来ました。日本における英語教育とアメリカにおける日本語教育には色々な違いがありますが、カールトンでの実践の経験は必ず将来の英語教師としてのキャリアで役に立つものと思っています。
 定期的な授業実践は基本的に初級クラスのみでしたが、春学期には中級クラスでも教科書のトピックにまつわる私自身の経験を話す機会を複数回設けて頂き、自分の考えやバックグラウンドを学生たちと共有することができました。前のめりになって真剣に耳を傾けてくれる姿に大きなやりがいを感じたことをよく覚えています。日本の中等教育の現場でも、学んだ知識や語学力を道具にして、大事なテーマについて考えたり話し合ったりすることができれば素敵だなと感じました。
 授業の外では、毎週の日本語テーブル、お茶の時間、映画の時間に加えて、何度か週末に日本語イベントを開きました。冬学期には他言語のLAと合同でLanguage Festivalを企画し、様々な国の言語や音楽、ダンス、食べ物をシェアする場を設けました。文化的背景の全く異なるLAたちが一つになってイベントを企画するのは大変でしたが、各言語を学ぶ学生たちやlanguage centerをまとめる教授の助けもあり、何とか無事に終えることが出来ました。春学期には、日本語の学生たちとアニメ鑑賞会やたこやきパーティー、カラオケのイベントを開きました。こちらは私が開催を決めた日程が悪く(春学期にはSpring concertなど、大学としてのイベントがあります)、あまり多くの学生を巻き込むことができなかったので、年間の予定をもっと早くから把握して計画しておけば良かったと思います。また、これらのイベントのためには特別な機材や場所の予約も必要だったので、次年度以降のLAさん達にもこういった情報が伝わるようにしておきたいと思います。
 そして、学生として受講した授業に関してですが、冬学期は統語論の入門科目を正式に受講し、春学期は心理学の入門科目を聴講しました。私が取った統語論の授業はクラスサイズが小さく、発言がしやすい環境でした。入門科目なので周りは1年生がほとんどでしたが、まだ専攻も決めていない学生たちが次々に質問をしたり提案をしたりする姿がとても印象的でした。春学期の心理学の授業は「講義」のスタンスでしたが、各単元に一度はグループで実験をしたりディスカッションをしたりする時間があり、理論と実践が組み合わさった楽しい授業だと感じました。最後の学期はアメリカでの生活を楽しむことやLAとしての仕事の優先度を考えて聴講という選択をしたので、アカデミックな側面での成長は少なくなってしまったかもしれません。ですが、勉強の負担が少なくなった分、仕事・勉強以外の部分にも心を開くことが出来たので、結果的には良い選択になったと感じています。
 その「仕事・勉強以外の部分」ですが、春学期にボランティアやサークル活動に参加できたことは、カールトンでのいい思い出の一つだと思います。ボランティアは週に一度、キャンパス近くのケアハウスを訪ね、入所している方と1時間ほどの交流を楽しむというものでした。さらに、動物の保護シェルターも何度か訪ね、新しい飼い主を探している猫が人に慣れるよう、ちょっとしたお手伝いをすることができました。キャンパス内では、週に2度、体育の授業の枠組みで行われる合気道部の練習に参加し、日本語の授業の外でも学生と知り合うことが出来ました。冬学期は日差しが短く、winter depressionに悩まされる2ヶ月でした。ですが、小さなキャンパスの中でもアイススケートやクロスカントリースキーやソリ(ダイニングのトレーを使います)滑りを楽しめる環境があるので、静かな白銀の世界の中にも学生たちの楽しそうな笑い声が響いていました。
 カールトンでの一年は、楽しいことだけでなく、難しいことや悩ましいことにも向き合う毎日の連続でした。ダイニングの食事が辛く感じる日もありましたし、勉強や仕事のバランスやアメリカでの生活を楽しむための肉体的・精神的な余裕の持ち方について、「一年しかない」という焦燥感の中で色々な自分の気持ちに向き合う必要もありました。ですが、後ろ向きな気持ちになった日々も今では必要な過程だったのだと捉え、前向きな気持ちでこの一年の出来事を振り返っています。一年の終わりに学生がサプライズで集まってくれたときには、このコミュニティーとの縁があったことへのありがたさが溢れ、もっとカールトンにいたいという気持ちでいっぱいになりました。State of Niceを掲げるミネソタに派遣され、カールトンで優しさと思いやりに溢れた人々に囲まれて10ヶ月を過ごせたことは、本当に幸運なことだったと思います。
 社会の構造、労働環境、食文化、全てが日本と違う環境に一定期間身を置くことが出来たことは、自分の人生に色々な収穫をもたらしたと思います。言語教育の現場を主体的な関わり方で観察できたことは最も大きな収穫の一つですし、日本でじっとしていては得られなかった考え方を学んだり自分の将来に関する新たなオプションが生まれたりしたことも、FLTAプログラムを通じて生まれた大きな変化です。大学での毎日、オリエンテーションやカンファレンス、プログラム終了後の旅行、アメリカで過ごしたあらゆる場面が、貴重な学びの場でした。この機会を下さった日米教育委員会、IIEの皆様、この一年間支えて下さった全ての方に感謝します。ありがとうございました。

3. 菊池希 Ursinus College (Collegeville, PA)

中間レポート

 憧れのアメリカ東海岸。私がいるのは、ペンシルバニア州カレッジビルという町にあるアーサイナス大学です。ペンシルバニア州の大都市「フィラデルフィア」は、1776年7月4日アメリカ独立宣言が採択されたインディペンデンス・ホール、その知らせを響かせたリバティーベルなどアメリカ建国にまつわる歴史や ロッキーやLOVE、ロダンの考える人の像があり、観光客にも人気の場所です。「フィラデルフィア」は、アメリカ5位の都市人口で、アムトラックという電車に2時間半乗って北に行けばニューヨーク、南だとワシントンD.C.にたどり着く便利なところです。ですが、車で1時間北西に行くと、私がいる「カッレッジビル」という小さな町が迎えてくれます。
 Ursinus College、Ur/Si/Nusアーサイナス大学、ちょっと難しい読み方をする小規模の私立リベラルアーツ大学です。Collegeなので大学院がなく、学部生は1600人余り。皆さんが卒業した中学校や高校を幾つか合わせた人数ですから、比較的少ないことがわかると思います。この人数が一つのキャンパスの中で生活をしているので、名前はわからずとも顔見知りがたくさんいます。リベラルアーツの特徴として、学部という概念があまりなく、幅広く学問を学んでいます。学生は自分の専攻(メジャー)、副専攻(マイナー)に誇りを持っていて、アーサイナス大学のウェブサイトを見ると多くの学生が紹介されています。教授と学生の距離感も近く、とても面倒見がよく “Ursinus makes human and humanities.”と言われるように、一人ひとりを育てる学生の満足度が高いのも特徴の一つです。しかし、1年間の授業料(寮費、食事代を含めると)が、日本の私立大学を卒業するよりも高いのには驚きました。
 アメリカの大学は、日本の大学と違って学内の寮に住むことになっています。私は一人部屋ですが、二人や三人部屋を基本として、共同生活を通し社会性を身につける場とされているそうです。学生主催のイベントが多く、そのお知らせメールが1週間に50通以上届きます。例えば、スポーツ、クッキング、卒業生や有名な方を招いての講演会、映画会、パフォーマンス、政治についての討論、文化を知ってもらうフェアなんかもあります。メールの内容は、まるでTOEICの問題を解いているようで、その中から必要な情報を見て、私も学生と同じように参加しています。イベントだけでなく、学外でなく学内でアルバイトをする学生が多く、小さいコミュニティーの中で生活し、日々社会性を身につけているんだと感じています。


<応募するまで>
 このプログラムに参加するまで、私は母校で講師をしていました。恩師とともに働き、毎日がどの研修よりも充実しており、生徒と過ごす日々は本当に楽しいものでした。ですが、私自身の英語力や経験不足からいつも「もっと学びたい」という気持ちがあり、本当の意味で実力をつけたいなと思い応募しました。8月31日消印有効で送った書類、何度も添削した志望理由書、英文推薦書を快諾してくださった教授・先生には感謝の気持ちでいっぱいです。英語のスコア(TOEFL-iBT 80 / IELTS 6.0)は、12月末まで有効とありますが、私はその12月にようやく基準に達しました。TOEFL-iBTは、1回の受験料が230ドルと高額な上、IELTSを含めたこれらのテストは青森県で受験できません。そのため受験料以上の費用、夜行バスや新幹線、前泊のホテル代などが相当かかりました。留学が推奨されているようですが、正直なところ住む地域によっては、まだまだ「大きな壁」があると感じてしまいました。そんな私が、書類を通過し、面接をし、最終候補者として連絡をいただけたことは、今でも夢のようです。

<オリエンテーション in Japan>
 最終的に、派遣先がわかったのは5月第3週。オリエンテーションは6月第2週。連絡が来るまで本当にアメリカに行けるのかどうかという見えない不安でいっぱいでした。オリエンテーションでは、帰国したばかりの先輩FLTAが駆けつけてくれ、私たちの持つ疑問一つひとつに対し丁寧に答えてくださいました。みなさんが本当に親切で、その後も渡米準備や授業といったどんな些細な内容でもたくさんのアドバイスを頂きました。こういったプログラムは、次の世代へ受け継ぐことが大切なんだと思いました。夕方からは、大使公邸に招待され、キャロライン・ケネディ駐日大使からスピーチを頂くなど夢のひとときでした。他のプログラムや以前フルブライターとして渡米したOBの方々ともお会いし、話をする中でそれぞれ夢があったり、参加された当時のお話を聞かせていただいたり、不安でいっぱいの私たちを激励していただきました。楽しみが増す一方、改めて「フルブライター」としての責任の重さも感じました。今年の選考に選ばれたFLTAの10人は、本当に心強いメンバーです。初対面と思わせない仲の良さ、今までの不安はどこへと思うほど止まない話。オリエンテーション後も、準備等でいつも情報交換をしています。

<オリエンテーション in America>
 アーサイナス大学に派遣される前、世界各国からFLTAが幾つかの大学に集まり、事前研修を行いました。研修大学によって日程が異なり、私は8月18日からの3日間「アーカンソー州」にある、「アーカンソー大学」で学びました。アーカンソー大学は、今年で70周年を記念する「フルブライトプログラム」を提案したJ.ウィリアム・フルブライトの出身大学で、彼が最年少にして学長を務めたそうです。研修では、 アイルランド、アルジェリア、エジプト、ケニア、コロンビア、スペイン、台湾、中国、ドイツ、ニジェール、フィンランド、ブラジル、フランス、ベルギー、モロッコ、南アフリカといった国々の約70名が集まり、当たり前ですが英語を共通語とし、一同に学びました。「言語を教えるという仕事」や「学生としての学び」、「日常生活」に至るまで様々な内容をグループで話し合い、解決策を考えました。模擬授業では、簡単な中国語とロシア語、フランス語を学びましたが、言語を学ぶには「ゆっくり」「何回も繰り返す」「その国にいる雰囲気づくり」が大切なんだと感じました。日本人は私一人だけで、英語を流暢に話す他国のFLTAに圧倒されましたが、研修を通し大切なのは英語を話す技能でなく自分が伝えたい思いであり、人同士の交流が平和を築くというフルブライト氏の理念に身をもって体感しました。
ここからは、大学での主な仕事についてお伝えしようと思います。

<大学での仕事①日本語のクラス>
 日本語1年生(月火水木金12:30-13:20)22人 『げんきⅠ』
 日本語2年生(月火水木金12:00-12:50)8人  『げんきⅠ』/『げんきⅡ』
 日本語3年生(月火水木金10:00-10:50)5人  『げんきⅡ』/『とびら』
 日本語4年生(月水金 14:00-15:00, 15:45-16:35, 14:00-15:30)7人 『とびら』

 毎日、教授が日本語の文法を教えます。私は週に一度(水曜日)に、習った表現を復習するクラスをします。今まで日本語を教えた経験がないため、水曜日以外にもできる限りのアシスタントとして授業に行っています。そこで、奇数の時にその学生とペアになったり、書く練習の時に「ひらがな」、「カタカナ」、「漢字」のチェックやたまに会話のお手本もします。なるべく日本の環境を作ろうと、初めて日本語を習う1年生の段階から日本語で授業を行います。例えば、「見てください。」、「聞いてください。」、「話してください。」など身振りをつけて覚えさせたり、身近な話題を用いて何度も練習します。言語を教えるのに、いろんな教え方があるんだなと日々学んでいます。

<大学での仕事②Language Table>
 寮に住んでいるので、食堂でご飯を食べます。日本食が恋しくなった時は、自炊や近くにある高めの日本食レストランに行きますが、基本はウィズマーという見た目がちょっとオシャレな食堂でごはんを食べます。
 そのウィズマーでは、毎週水曜日の17:00から2時間ほどJapanese Tableがあります。学生とごはんを食べながら、ワイワイと日本語を話します。義務ではなく、誰でも自由に来れます。5人から10人くらいの学生が来てくれますが、アーサイナス大学に留学している国際教養大学(AIU)の学生さんも来てくれるので、助かっています。

<大学での仕事③Japan Club>
 毎週木曜日の20:00から1時間ほどJapan Clubの活動があります。誰でも参加でき、様々イベントがあります。今まで、折り紙(1,000羽を目指しています)、日本語の勉強会、英語字幕付きの映画会、お茶会(お茶の先生をお呼びし、大ホールで披露)、ハロウィーン(コスプレ大賞、カラオケ、箸を使ってのマーブルチョコ運び)、ポッキーイベント(普段お世話になっている方にメッセージつきでポッキーを送ったり、ポッキーを積み上げるポッキータワー)、文化紹介(剣道型を披露しました)、トリビアクイズ(問題は、学生が考えました)など行いました。毎回、20人以上が来てくれ、日本文化を楽しんでいます。


<学生として義務:2つのクラス>
 秋学期(8月下旬?12月中旬)と春学期(1月下旬から5月中旬)それぞれ2つのクラスを取ります。今学期は、自分で選ぶというよりあらかじめオススメされた「アメリカ文化」と「教育」のクラスを取ることにしました。

「US Culture for International Students」(月火木金11:00-11:50)
 留学生向けのアメリカ文化に慣れるためのクラスです。中国、日本、フランス、モロッコからの10人の学生と一緒に学びました。教授はとても優しく、「何か新しいことはあったか」、「どんな週末を過ごしたか」、「何か困っていることはないか」、「国の違いで、どんな意識の違いがあるのか」などと質問を投げかけて、それぞれ意見を交わします。レポートやプレゼンテーションの他にも、GRIZZLYという大学新聞の記事を書き、教科書を越えて政治や文化について話す時もありました。新しい環境に馴染むためのサポートが手厚く、日本で英語のクラスをするときに、応用できそうな内容ばかりでとっても楽しかったです。

「Foundations of Education」(火木13:30-14:45)
 教育について討論するクラスです。はじめはクラスについていくのに必死で、あまり発言できませんでしたが、ある日「今日は、天気がいいから外でクラスをしましょう!」と言い、晴天の木の下でクラスをしました。そこで緊張がなくなったせいか、初めて自分の意見を話したのを今でも覚えています。それからは、少しずつ話せるようになり、100ページほどある宿題も難なく読めるようになりました。
 ライティングが苦手なのに、このクラスでは1500 words以上書くという課題があります。そのため、エッセイの得意な学生がサポートしてくれる「ライティングセンター」に必ず毎週2回行きます。課題に対しての考え方やMLAという書き方のルールなどを教えてもらい、なんとか毎回の課題を終えています。次の学期も継続して、「ライティングセンター」に通いながら、同じ教授による教育のクラスを取ろうと思います。

<カンファレンスin ワシントンD.C.>
 12月7日から11日まで、ホワイトハウスから徒歩5分のホテルで、研修がありました。夏のオリエンテーションで会った友人や新しく知り合った国の方とともに学びましたが、日本のFLTAに会えたことが大きかったです。何より、一緒によさこいを踊ったのが、一生の思い出です。
 様々な講演会やワークショップがあり、FIRST SEMETER EXPERIENCEという自分の経験を発表する機会がありました。初めてPreziという動くプレゼンテーションを使い、日本の教育と比較しながら、文化の違いを伝えました。どうしてフルブライトに申し込んだのか、今教えている大学はどうかなどシェアしてもらいました。プレゼンテーション後に、「ちょっと残ってもらえる」と言われて、文化の違いについて言い過ぎた場面があって怒られるのかなとそわそわしていたら、発表がとってもよかったと激励の言葉をいただきました。褒められると思ってもいなかったので、嬉しかったです。

<来学期に向けて>
 正直な気持ちとしては、やっと半分が過ぎたなと思います。3ヶ月を過ぎるまでは、食べ物や文化の違いから相当なストレスがありました。アメリカに来たのは4回目ですが、カルチャーショックから早く帰りたいといつも嘆いています。しかし、慣れるのに必死だった秋学期から、春学期は、学べるものをしっかりと学び、伝えれるものをしっかりと伝えていきたいなと思います。


最終レポート

<所感>
 フィラデルフィアの青い空の下、最終レポートを書いています。目の前を何便も飛行機が離発着して、これから次の目的地に行くんだ、新しいjourneyの始まりなんだと思うと胸がいっぱいです。FLTAプログラムを通して、学ぶことばかりでしたが、今は、わたしには何が残せたのか、そしてこれから何を伝えていくべきかをゆっくり考えています。アメリカの大学は、日本と比べて、制度が違えば学生の考え方も違います。文化の違いから時間や優先順位のつけ方が甘いことについてイライラすることもありました。でも、私に足りないこと、心のゆとりや持ち方在り方を知り、働きすぎないワークライフを過ごし、人生の中で9ヶ月もアメリカで生活ができて良かったです。
 夏のオリエンテーション、12月のカンファレンスでは、多くのフルブライト仲間に会いました。「時間厳守」が守れなかったりorganizedされていなかったり当たり前のことが通じないことに驚かされた一方、名前しか聞いたことのない国の方々と知り合って話ができるなんて、一生に一度の機会でした。こんなにも考え方が違うんだって想定外。彼らは、当たり前のように数カ国語を話していて、英語じゃないと通じない。スペイン語、ロシア語、ヨルバ語とか簡単な挨拶とか教えてもらって、音と意味から覚えるのは面白かったです。ですが、文化や言葉を知ることはできても、性格なのか年齢のせいなのか全てを正しいと受け入れることができなかったのが残念です。「異文化理解」って難しいですね。
 大学は、小さいですからよく学生に会います。「こんにちは」などと私から話しかけていたのが、後半は学生から声をかけてくれるようになりました。1年生の学生は「来年は日本語を取らないけど、でも、日本語を勉強できて、初めて英語とスペイン語以外の文化を知って、良かった。いつか日本に旅行に行きます。」と言っていました。アニメ好きの学生は、「ずっと先生を忘れない。私は絶対勉強を頑張ります。そして英雄になります。」とメールをくれました。最後のクラスで、賞状と写真を渡しました。「来年日本語を取れないけど、この賞状があるから大丈夫。立派な証明書だから。履歴書にも書きます。」と言われ、学生の嬉しそうな顔を見て、日本語を教えてよかったなと思いました。
  1年生のスキット&カレーパーティーでは、サプライズで大学のトレーナーを頂きました。私に見つからないように、学生一人ひとりが日本語でメッセージを書いてくれて、思い出がたくさんです。アーサイナス大学でよかったです。本当にありがとうございました。

賞状

スキット

サプライズ

<外国語のクラス>
 外国語を1年間学ぶことが必修です。どこの国、大学でも同じなんですね。アーサイナス大学では、スペイン語、フランス語、ドイツ語、アラビア語、中国語、日本語があります。アメリカでは、高校でスペイン語を取っている学生が多いですから、その学生のスペイン語は上のレベルから始まります。内容も難しいです。でも、スペイン語やフランス語、ドイツ語は専攻(メジャー)にできます。他の言語は、アルファベット以外の全く違う文字を覚える基礎から始まります。ちなみに、今年はアルゼンチン出身のスペイン語TA、モロッコ出身のアラビア語TA、フランス語TA、中国語TAがいました。

<大学での仕事①日本語のクラス>
 私は、日本語の教授が大好きです。学生も好きです。教え方が上手で、毎日クラスに行き「日本語を日本語で教える」実力を間近で見ました。 私はアシスタントなので、ALTのように毎日のクラスでサポートをしながら、TA Sessionという私の復習のクラスで真似て教えています。
TA Session
TA Session
 1年生が21人、2年生が8人、3年生が6人、4年生が6人です。人数の少なさに驚くかもしれませんが、アメリカの大学は日本と違って、人数が少ない方が望ましいとされています。その分、教授の目が学生に行き届くからです。日本の大学のような300人以上が同じクラスを受ける講義形式のクラスは、ほとんどありません。大学を選ぶ際に一つの指標となるThe U.S. Newsという大学のランキングサイトを見ると、教授一人当たりの学生の人数が確認できます。アーサイナス大学では1:12です。
 1年生は、基礎基本です。初めて日本語を学ぶ学生が、1年間で基本的な会話まで出来るようになります。学期の最後には、今まで習った表現を使って日本語で劇をします。その内容が面白くて笑ってしまいます。日常の日本語のクラスでは、英語厳禁です。日本語で使える表現をどんどん増やしていきます。また、大学生活の場面を設定して、「食堂に行きませんか」と誘った後に、「ちょっと」や「いいですね」などリアクションを大切にしています。とにかく身体を使って、表現豊かなクラスをしています。2年生は、習った文法を使ってそれが言えるようになるのか。また、日本の文化の違いについて着目しています。3年生では、日本語で自分の部屋を紹介した動画を撮ったり、ジャーナリストになりきり、私に敬語でインタビューしてレポートを書いたりしました。教科書が終わった時には、その後のストーリーを考えるエッセイコンテストもありました。4年生のクラスは、実践的な日本語で手塚治虫、カップラーメンの歴史、ポップカルチャー、能、学校教育、歴史などを学びました。学んだ後には、日本語でプレゼンテーションやディスカッションをします。フィールドトリップもあって、フィラデルフィアにある日本語補習校にも行きました。学生の中には、JET program(日本で英語を教えるALTの先生)に応募する学生もいます。

<大学での仕事②Language Table>
TA Session
Japanese Table
 春学期のJapanese Tableは、毎週木曜日17:00から2時間ほど、学生と晩ごはんを食べながらワイワイと日本語を話しています。このLanguage Tableも大学によっては、TAでなく留学生がしている場合もあるそうです。また、クラスによっては、ここに来ることがクラスの宿題だったりします。毎回話すテーマを決めたり、何か持って来たり色々な工夫をされる方もいます。ですが、広く広報しなくても学生が毎回来てくれ、話す内容も自由で、アットホームな雰囲気でした。

<大学での仕事③Japan Club>
書道
書道
 毎週木曜日の20:00から1時間ほどJapan Clubの活動があります。そのお知らせは、facebookのイベントページやメールが届きます。ほとんどが折り紙、勉強会ですが、春学期は、書き初め(習字)、カラオケ、日本食、桜まつりがありました。日本語クラブは、TAが率先して活動する大学、TAがサポートする大学、そもそもクラブがないなど様々です。アーサイナス大学は、学生主体で、会長の力量次第ですが、今年の学生はよく頑張ってくれました。

<学生として義務:2つのクラス>
 FLTAプログラムの条件として、秋学期(8〜12月)と春学期(1〜5月)に、それぞれ2つずつクラスを受けます。普通の学生は、4つのクラス(コース)を取ります。多くても5クラスが限界でしょうか。年間で8〜10クラスです。クラスによりますが、1週間に2〜5回クラスがあります。たくさん本を読んで、クラスではディスカッションばかりで、レポートも多いです。ですから、少しでもサボるとすぐに授業についていけなくなります。一方、日本の大学は1週間に1回で、1学期に10以上のクラスを取りますよね。(教職課程だと16以上取ることも。)アメリカの大学では、教授にもよりますが、答えがないことがあって、真剣に学んでも今日のクラスは何だったんだろうと本を読み返すことも多いです。自分で考える機会が多かったです。
 さて、春学期は「英語の文法」と「日本文化」のクラスを取ることにしました。

「Structure of English Language」(月水金9:00-9:50)
 英語の文法や歴史について学ぶクラスです。教科書の値段が$200ドルと高かったです。日本のように新しい教科書を購入するわけでなく、レンタルや中古の本、オンラインという選択肢がありました。初めてオンラインベースの教科書を購入しました。大学内はどこでもWifiがあるため、リュックにパソコンだけでクラスに行っていました。クラスでは、アメリカ人よりも文法ができるなと思いました。特に、SVOCの区別や形容詞と名詞の違いなどネイティブでは感覚で使っていることを図式化して学びました。他には、英語の祖先はどこか、Old English, Middle English, Modern Englishなど、日本の大学で勉強した基本的な「言語学」についても触れました。

「Japanese Visual Culture」(火木 14:50-16:30)
vidual culture
vidual culture
 日本文化について討論する私の一番好きなクラスです。教育のクラスは、時間の都合で諦めました。日本に興味のある学生が多かったです。教科書がなく、記事やテーマに関する読み物をたくさん読みました。ビジュアルカルチャーのクラスですから、絵や写真の分析もしました。例えば、「好きな広告の写真を探して、それをできるだけ文字で表現してください。」が初めての課題でした。そこから何が見えるのか、文字や人の表情、色使いから何を訴えているのか。広告以外にも、浮世絵、幕末から明治時代にかけての写真、漫画、ファッションなど、様々な日本文化について考察しました。このクラスのおかげで、日本文化に対する新しい見方と文字や写真、映像を見るたびに作成者の意図を考えるようになりました。

<FLTAプログラムに興味がある方へ>
 留学は、本当に大きな一歩です。正直なところ、参加するのが決まった後でさえ、賛否両論でした。何をするためにアメリカに行くのか。私の場合、英語を教える上で「足りない自分」を補いたかった。「アメリカに行きたい」という強い気持ちがあったからこそ、留学について本気で調べ、応募書類を準備し、TOEFL-iBTやIELTSという高額のテストを受けました。自分の人生なんだから、自分の気持ちを信じてください。留学は身勝手なことでなく、留学後に叶えたい思いがあるから留学するのだと思います。今回、名誉あるフルブライト奨学生に選ばれたことは、私の人生の中で誇りの一つです。
 このFLTAプログラムは、政府スポンサー関連のJ1ビザでアメリカに行きます。手元に残るお金はありませんが、日本での給料以上の額を負担して頂いています。例えば、往復の渡航費、フルブライトから研修3回分(日本でのオリエンテーョン1日、アメリカでのオリエンテーション4泊5日、ワシントンDCでのカンファレンス4泊5日)、月々のお小遣い550ドル、保険代、大学からは4コース分の授業料、寮費と食費など。プログラム終了後の選択肢は様々考えられます。J1ビザの決まりとして帰国後2年間の日本滞在義務があって、この体験を伝えるという当然の義務だと思います。
 日本に帰ってからは、私の卒業した大学のゼミで、この体験を英語でプレゼンテーションをします。もう一度、母校で働ける機会を頂きました。英語の新しい教え方「TANABUモデル」を通して、生徒に還元できたらなと思います。早く青森県教員採用試験に受かって、担任をしたいです。この経験から生涯を通じて、フルブライト上院議員の「人と人との交流を通して平和を築いていく」という理念に貢献できればと思います。

4. 小林礼実 Syracuse University (Syracuse, NY)

中間レポート

 私はニューヨーク州の中で北に位置するSyracuseという都市にある、Syracuse Universityに派遣されています。レポートをご覧になっている方には、FLTAへの応募を検討している方も多いと思うので、応募の段階?現在の生活までをレポートしたいと思います。
 8月末期限で応募した後、9月下旬に面接がありました。10月中旬に候補者に選ばれたと連絡がきました。4月の中旬に、派遣先候補の5つの大学のリストが届き、希望順位をつけるよう指示されました。私の留学の大きな目的は、TESOLを学んで英語教員としてのスキルを高めることでしたので、各大学のHPを訪れ、どの大学にTESOLの授業があるか調べて順位をつけました。5月中旬に派遣先を知らせるメールが届き、正式に参加できると分かりました。希望に沿う形で大学を決定して下さった事務局に感謝しています。その後、出発の8月までは、健康診断、予防接種等、留学準備がかなり忙しかったです。
 私は宮城県で正規の英語教員として働いていました。3年以上働いた教員に適用される自己研鑽制度を利用して休職したかったのですが、宮城県は学位を取れないプログラムには休職を認めないとのことで(2016年5月時点)、退職となりました。県によって対応が異なるので、公務員で参加を検討されている方は、休職か退職になるか事前に調べる必要があります。
 8月6日に渡米後は、オリエンテーション(FLTAのもの:5日間、大学のもの:2週間)に参加しました。終了後、週末を挟んですぐ、29日(月)から授業が始まりました。
 始めの6週間は、午前9時から午後6時半まで大学にいた内、お昼休憩(1時間)、学生として受ける授業(1時間半)、日本語の仕事(7時間)という生活をしていました。夕飯後から寝るまでの時間と、土日を使って、受講している授業の課題をしていました。異文化体験を積極的にする時間は全くありませんでした。7週目からは、宿題の採点の質が変わったことなどから、平日の日本語の業務は5時間くらいになりました。私は教授のアシスタントではなく、1人で授業を受け持つ教員として派遣されています。秋学期は、日本語初級クラス(週4回、55分/回)と中級会話クラス(週1回、55分)を担当しました。この役割は、大学の希望順をつけた際に、自分で希望して選んでいたので、機会を頂けたことに大変感謝しています。ただ、事前に契約書で確認していた時間より多くの時間がかかり、かなり戸惑いもしました。FLTAのプログラムは、英語教授法などを学ぶ、日本語を教える、英語を鍛えたり異文化体験をする、という3本の柱があると思いますが、それをバランスよくこなすのは中々難しいと感じました。効率よくやることは心がけているものの、日本語の授業は全く教えたことがなかったので、その未熟さを補うにはどうしても一定の時間がかかっています。
 学生として受ける授業の方に話を移します。秋学期はTESOLと言語学入門を受講しました。シラキュース大学には、The Certificate of Advanced Studies for Language Teachingというものがあります。私が秋学期受けた授業(6単位)を含め、定められた授業を12単位とると、Certificateがもらえます。FLTAの期間で取ることが可能で、現在取得を目指しています。TESOLの授業では、地元のコミュニティーセンターで、避難民の方にティームティーチングをするという教育実習がありました。毎回の授業準備は大変でしたが、貴重な機会であり、実習をさせてもらえたことに感謝しています。言語学の授業は、毎週宿題があった他、学期を通して3回のテストがありました。宿題もテストも簡単ではなく時間もかかりましたが、丁寧なフィードバックがあり、その都度理解を確かめられるのでとても有用でした。
 学期末1週間前の12月7日?11日まで、ワシントンDCでFLTAのカンファレンスがありました。アメリカ中に派遣されている各国のFLTAと会え、刺激になりました。また、久々に日本からの他のFLTAに会えて情報交換できたことで、少しリラックスすることもできました。日本人FLTA皆で、よさこいを踊ったことが一番の思い出です。
 冬休みは、2週間程メキシコとアメリカ南部(テキサス、アリゾナ)を旅行しました。また、秋学期中に終わらず、期限を延ばしてもらったレポートにも取り組みました。
 こちらでの費用に関してですが、ひと月辺りフルブライトから約1000ドル、大学から約400ドル頂いています。1つの家を4人で使っています。家賃が水道等込みで約450?500ドル、食費が400ドル(多くが自炊)、携帯で約70ドルが、毎月定番の出費です。大学まではバスで通っています。スーパーへは、車がないと行けず、同僚に週1度程、連れて行って頂いています。
 春学期は、英語を鍛える(スピーキング)こと、他の学生等と交流することに、もう少し意識的に取り組みたいと考えています。残りの半年間も充実したものになるよう、毎日を大切にして過ごしたいと思います。


最終レポート

 シラキュース大学の後期(春学期)は、1月中旬に始まりました。豪雪都市だけあって、雪はよく降りましたが、除雪車が動き、生活に大きな支障が出ることはありませんでした。例年より雪が少なめの年だったようです。(写真は5月のシラキュースのダウンタウン)

 以下、学生として取った授業、日本語の授業、その他の経験の順にレポートします。
 春学期も2つ授業をとりました。第二言語教授法の理論を学ぶ授業と、アメリカの学校という名前の授業です。後者は、アメリカの文化や歴史を学べる授業として取りました。私は英語教授法を体系的に学びたいというのが、FLTAに参加した大きな理由の1つでしたので、第二言語教授法の理論の授業には特に熱が入りました。本来、この理論の授業を履修後、上半期でとった教育実習込みの実践の授業を取るのが普通の流れなのですが、この順で取ることを教授が許してくれました。主にアメリカにおける第二言語習得理論の移り変わりと、4技能の教授法について勉強しました。教授が説明するというよりも、学生の担当者が教科書を読んできて、発表するという形式でした。最後には、15分間のミニ授業実践が各学生に課されました。今期習ったことを活かして、コミュニケーション重視の授業をすることが目標でした。指導案も事前に提出し、教授が改善点を指摘、再び練り直して15分間の実践に挑むという流れでした。事前に教授から改善点を指摘してもらえる機会を設けてくれているのは丁寧な指導だと思いました。
 アメリカの学校の授業では、アメリカの学校がどのような経緯で設立・普及したのかや、アメリカの学校をめぐる問題点などを、教授の説明半分、学生の議論半分で勉強しました。毎回読む記事や論文の量がとても多く、アメリカの歴史も知らないと意味が取りにくい文章で、なかなか大変な授業でした。各学生が学期内に2回議論をリードすることになっていました。自分の順番のときは、何も資料がないと上手く話せないと思い、資料を準備しましたが、思うようにいかないなど、苦戦しました。しかし、周りのアメリカ人の学生が議論を助けてくれたのが救いでした。
 日本語の授業は、初級を1クラス担当しました。前期の続編で、月〜木まで1日55分の授業です。前期同様、ほとんどが中国からの留学生でした。後期になると、扱う項目もかなり複雑になってきます。自分では気がつかなかった日本語のルールに触れ、改めて母語というのは何も考えずに暗記したものを使ってるんだと実感しました。学生は、日々次々と新しい項目を習うにも関わらず、がんばって食らいついてきていました。後期には、第二言語習得の授業で習ったことから自分の授業を見直し、改善していくことができました。このように理論を学ぶ機会と実践の機会が同時に与えられたことはとても幸いでした。学んだことを活かしつつ、理論の限界も感じることが出来ました。
 その他の活動ですが、春学期は2度「日本映画の夕べ」を開催し、茶道のお茶会も1度開きました。映画は「千と千尋の神隠し」と「おくりびと」を上映しました。来てくれた学生たちは楽しんでくれていたようでした。お茶会は、日本語科で3月に行う行事「春まつり」の一部として開催しました。着物を着て、お点前を披露しました。日本語科の学生のほとんどが参加した行事だったので、実際に立てたお茶を振る舞えたのは20人くらいの学生のみで、他の学生はお点前観賞後、普通のお茶とお茶菓子を食べるという形になりました。てんてこ舞いでもありましたが、日本文化を少しでも紹介することができ、よかったです。日本語関連以外のその他の体験としては、後期は、第二言語習得の授業のクラスメートと休日勉強したり、ブランチをしに公園に行ったりしました。現地の学生との触れ合いが後期は増えて、とてもうれしかったです。また、プログラムの最後の方では、シラキュースに派遣された他国からのFLTAを家に招いて、日本のカレーやお菓子を振る舞ったりしました。私を含め4人のFLTAが今年シラキュースにいました。学期中は忙しくて会える機会は少なかったのですが、機会を捉えては絆を深めることができました。友好的なFLTA仲間に恵まれ、幸いでした。その他、日本人の友人と春休みなどを利用して、フロリダやアトランタ、シカゴを旅行し、見聞を広めました。それぞれの地域で歴史が異なり、別な雰囲気が醸し出されていて、おもしろかったです。
 滞在中は、朝から晩まで、月から日まで、フルに活動しました。学業と日本語講師としての責務を果たしながら、文化体験もするという欲張りなFLTAプログラムは決して楽ではありませんが、得難い経験をし、自分を成長させることができました。フルブライト事務局の皆さんに感謝しております。今後は、この経験を、社会と自分の将来のために活かしていきたいと思います。

5. 栗尾公子 University of Wyoming (Laramie, WY)

中間レポート

 ワイオミング大学(University of Wyoming)に派遣されている栗尾公子です。FLTAへの応募を検討されている方々の参考になればと思い、1. ワイオミングの環境、2. 先生としての仕事、3. 学生としての経験の三つの観点から、以下に中間報告をさせていただきます。

1. ワイオミングの環境について
 ワイオミング大学は、ワイオミング州ララミーにあります。標高2200メートルという山岳地帯の小さな街で、夏は涼しいのですが、冬は寒さが厳しいです。初雪が降ったのが9月23日で、12月や1月の気温は?30℃になることもあります。また、標高が高いため風が強く、体感温度はさらに下がり、手元の温度計では、体感温度が?39℃を示したこともありました。また、いわゆる「ド田舎」で、電車もタクシーもなければ、大きなデパートも遊園地もありません。
 …こういうことを書くと、ワイオミング大学が候補大学に上がった際に真っ先に除外されてしまいそうですが、ぜひ最後まで読み進めてください。
 今挙げたことは全て事実ですし、インターネットなどで検索しても得られる情報です。ですが、私がララミーに来て強く実感したのは、こうして他者から得られる情報と、自分が実際に経験して感じることは全く別物だということです。ララミーは確かに寒さが厳しいですが、暖房システムがきちんと完備されていますから、室内は非常に快適です。暖房を切ることをしないので、室内で寒いと感じることがない分、日本よりも過ごしやすいかもしれません。屋外に出る際も、しっかりと着込んで、ウィンタースポーツ用のジャケットにマフラーと手袋をしっかり身につければ耐えられます。現地の人たちは、半袖シャツ一枚に厚いジャケットを着るだけで済ませています。さすがにこの気候が初めての私には無理ですが、それでもしっかりと着込めば、寒がりの私でも何とかなっています。
 また、先述の通り、ララミーは本当に小さい街で、娯楽施設といえば、小さな映画館が一つあるぐらいです。刺激を求めている人にはつまらない退屈な街だと思われてしまうかもしれませんが、実は良いところがたくさんあります。まず、とにかく自然が美しいことです。空港で飛行機を降りた瞬間に感じた空気の違いは忘れることができません。標高のせいもあって非常に澄んでいて、鋭く肌に突き刺さってくるような感じでした。空は高く青く、少し歩けば目の前に広大な大地と山脈が広がっているのを見ることができます。高い建物が少ないので、夕日も綺麗に見えますし、夜にはこぼれ落ちそうな星空とオリオン座や天の川を肉眼ではっきり見ることができます。今は、真っ白に雪化粧した山脈を臨むことができます。西部開拓時代の自然をそのまま残した、広大な大地を感じながら日々の生活ができるというのは、都会にはない良さですし、この広大さこそアメリカだ!とも感じています。
 そしてもう一つ、ララミーの良さは人との関係が密接であることです。娯楽施設が少ないですから、そして雪の季節にはウィンタースポーツを除いては外出するのが難しいこともありますので、休日には、必然的に家で過ごすことが多くなります。友達を家に呼んで一緒に料理を作り、その料理を囲んでテレビでスポーツの試合を観戦したり、DVDを見たりしています。アットホームな環境の中で、スポーツの応援に熱くなったり、映画の感想を言い合ったり。また、政治問題や世界情勢について、あるいは日本の文化について議論をしていたらいつの間にか夜が明けていたり。勉強熱心な学生が多い大学ですので、休日にはカフェで一緒に勉強をしながら英語を助けてもらうこともあります。小さな街ならではの、人とのつながりの密接さ、あたたかさを日々感じています。
 どの土地にも必ずそこでしか得られない良さがあります。そしてその良さは、決して他者の感想やインターネットの情報から得られるものではなく、自分自身で経験してこそわかるものだと思います。私はララミーが派遣先であったことを本当に心から良かったと思っています。ここでなければできない経験があって、出会えなかった人々がいて、見られなかった景色があります。この土地に引き合わせてくれたFLTAプログラムに心から感謝しています。ですから、前情報にあまり左右されすぎず、その土地との縁を大事にして欲しいと思います。苦労や不便も含めて、全ての経験が必ずこの先の人生の糧になります。

2. 先生としての仕事
 次に、日本語の授業についてです。私は、自分の教師としての経験値を高めたかったので、アシスタントではなくプライマリーで授業ができる大学を真っ先に選びました。自分一人で授業を運営するのはもちろん大変ですし、準備にものすごく時間がかかりますが、その分得るものが大きいです。英語を話す時間も増えますし、準備をすればするほど日本語の知識とともに英語の知識も増えていきます。秋学期は1クラス(週50分×4回)のみの担当でしたので、他の先生の授業を見学しながら時間をかけて準備をすることができました。受講してくれている生徒はみなさんとても意欲的で熱意があり、そして協力的です。私の英語力の足りないところをフォローしてくれたり、イディオム表現を教えてくれたりと、全員が私にとって素晴らしい英語の先生です。そしてさらに、鋭い質問をしてくれます。例えば、「公園にレストランがあります」と「公園に『は』レストランがあります」の違いは何ですか」、という質問などです。こういった質問に対しては、「なんとなく」という直観で回答するのではなく、説得力を持たせられるように、言語学の知識を用いるようにしています。大学の授業ですから、よりアカデミックなレベルになるようにということをいつも頭に置いています。小難しくなることは望ましくありませんが、かといって楽しくて簡単なだけでは言語の習得は望めないというのが私の考えだからです。

3. 学生としての経験
 また、FLTAプログラムでは、私たち自身も生徒として、二つのコースを受講することができます。私は、English Composition for International Students (ESL)とIntroduction to American Studiesを選択しました。ESLの授業では、もちろん生徒として一生懸命課題に取り組みましたが、同時に教授がどのように英作文を教えるのか、その教授法にも注目していました。授業展開の仕方を常にメモし、自分が帰国して教壇に立てたときに活かせるようにという気持ちで授業を受けていました。自分の英作文の能力の向上とともに、教授法の獲得もでき、非常に有意義な授業でした。
 Introduction to American Studiesのクラスでは、アメリカ文化や歴史を理解するために、秋学期だけで七冊の本を読みました。小説やエッセイが主で、背景知識が乏しい分、苦労することも多かったのですが、教授の講義が非常に素晴らしく、アメリカ文化や歴史において基本となる事項を理解することができました。この基礎知識を土台に、春学期はもっと発展的な内容のクラスを受講しようと思っています。このクラスは、週に三回授業があったのですが、毎回リーディングの宿題が70ページほど出され、その内容に関して授業の中でディスカッションをするので、手が抜けませんでした。加えて、毎週エッセイの提出も求められ、日本の大学との違いを目の当たりにするとともに、アメリカの大学で単位を取ることの難しさを痛感しました。もちろんしんどかったですが、その分学んだことも多かったと思います。

 このように、先生として、また生徒として、忙しくも充実した日々を送っています。ここで経験した全てのことが私の人生において宝になると確信しています。そして、日本に戻り再び何らかの形で英語教育に携われた時、私自身の目で見て耳で聞いて肌で感じた経験をもとに、より説得力を持った授業ができることを確信しています。春学期は、担当する日本語のクラスが増え、さらに忙しくなりますが、文字通り寝る間を惜しんででも、できる限りのことをしたいと思います。この貴重なプログラムの一員に選んでいただけたことを誇りに思い、またプログラムの趣旨である、「日本の英語教育に貢献する」という使命を常に心の真ん中において、引き続き全力で頑張りたいと思います。


最終レポート

FLTAの仲間たちと
FLTAの仲間たちと
 ワイオミング大学(University of Wyoming)に派遣されておりました、栗尾公子です。無事にFLTAとしての任務を終え、帰国しました。帰国して振り返ってみると、驚くほどあっという間の1年で、本当にララミーにいたのかなと思うほどです。今回は、1年間の任務を終えての最終報告をさせていただきます。

1. 日本語の先生として
  ワイオミング大学には、日本語のインストラクターが一人いらっしゃいます。その方はアメリカ人なのですが、この春学期は、日本語を勉強するために、日本の大学へ留学されました。そのため、私一人で全ての日本語のクラスを担当することになり、とても忙しかったです。1年生を2クラスと2年生を1クラスの計3クラスを担当しました(1年生のクラスは、受講人数が30人ほどいたので、2クラスに分割するのが良いだろうと判断して、分けてもらいました)。各クラスとも、週に4回授業がありますので、1週間に合わせて12クラス(×50分)を教えることになりました。毎日3クラス教え、加えて自分も授業を受講したので、とても忙しかったです。ですが、担当する授業数が多いということは、それだけたくさんの経験を積めるということですから、非常にありがたかったです。そして何より、私自身は教えるということを楽しんでいましたので、苦痛は全くなかったです。
折り紙ワークショップ
折り紙ワークショップ

 春学期は、テキストに載っている文法や語彙を教えるのはもちろん、日本の文化紹介もできる限りたくさん盛り込みました。春学期は1月から5月までなのですが、2月には節分の話、3月には東日本大震災の話と地震のこと、4月には桜の話など、時季に合わせて色々なことを話しました。東日本大震災については、津波の映像を一緒に見たり、防災のために普段私たちがどのようなことをしているかを話したりしました。アメリカは地震が少ない国ですので、生徒たちはカルチャーショックを受けているようでした。桜の話をしたときには、私たちが四季の変化を重んじていることを語り、合わせて俳句についても話をしました。それから、折り紙を一緒にしてみるということもしました。定番の折り鶴は、作った経験のある人も多いので、手裏剣を一緒に作ってみました。少し難しいかなと思っていたのですが、非常にうまく折ってくれて、こちらが感動しました。
 日本語を受講してくれた生徒たちは皆、協力的で、そして日本の文化にも興味を持ってくれているので、積極的に様々な質問をしてくれ、その質問によって私自身が日本文化について改めて気づかされることや考えさせられることも多くありました。

2. 生徒として
 春学期は、アメリカ文化の理解を深めるために、Chicano Folkloreのクラスを受講しました。Chicanoとは、メキシコからアメリカに移住してきた人々のことを指し、今日のアメリカ文化の形成に非常に深く関わっている方々の文化です。アメリカ文化の土台を持たない私には、ピンとこない部分も多くて難しい部分もありましたが、授業がユニークで非常に刺激的でした。中間試験の代わりに、地元のラジオ局で、Chicano Folkloreについてのラジオ放送をするという課題が課せられ、グループの仲間たちと放送原稿を考え、実際に放送しました。期末試験は、グループで映像作品を一つ作り上げる、というもので、これはChicano Poetryについて調べたことについてグループでディスカッションをし、映像を作りました。ネイティヴではない身としては、グループメイトとディスカッションをするのも一苦労でしたが、これをきっかけに新しい友達もでき、良い経験になりました。
 もう一つは、念願のTESOLの授業を受講しました。私がアメリカで絶対に挑戦したかったことが、TESOLについて学ぶということです。これは、英語を第二言語として教えるためのメソッドを研究する学問分野です。残念ながら、ワイオミング大学には開講されている講座が少ないのですが、この春学期は念願叶って受講することができました。教授が素晴らしい方で、ノンネイテイヴである私を快く授業に迎え入れてくれ、日本の英語教育はどのようになっているのかについて熱心に質問をしてくれましたので、私も予備校講師としての経験をクラスメイトと共有することができました。リーディング課題もたくさん課されましたが、どの論文も非常に興味深く、やらなければならない義務というよりも、楽しくのめり込んで読んでいました。最終課題も、英語を第二言語として教える授業案を4つ作るというもので、実際に授業するときに役立つような実践的な課題でした。さらに教授からフィードバックももらえて、本当に有意義な講座でした。私は、TESOLをもっと深く勉強したいと思っているので、今後も自学を続けていきたいと思います。
 生徒として受講した授業は2つのみでしたが、どちらも非常に有意義で得るものが多く、この機会をいただけたことに感謝しています。

3. アメリカ生活について
 アメリカ滞在中、できるだけたくさんの場所を見たいと思い、たくさん旅行をしました。合計15州ほど旅をしました。ニューヨーク、シカゴ、アトランタなどの有名な観光地も巡りましたが、せっかくワイオミングにいるのだからということで、ワイオミング内のロードトリップもたくさんしました。ワイオミング州の観光案内所で、ご当地ワイオミングステッカーが無料でもらえるので、友達と一緒に、そのステッカーを集めるためだけの目的で、600kmほどドライブしたりもしました。どこまでも真っ直ぐのびるハイウェイと、果てしなく広がる草原にエルクと牛と馬、朝日も夕日も心ゆくまで眺められる見渡す限りの地平線、そして雨の始まりと終わりのスポットなどなど、ワイオミングならではの豊かな自然を見ながらのドライブは、全く飽きることのない新鮮な経験でした。

ワイオミングのハイウェイ

ワイオミングの冬
 たくさんの友人にも恵まれ、一緒に日本食パーティーをしたり、ショッピングに行ったり、ドライブに行ったりと、毎日が充実していました。春学期が終わり、私のようにそれぞれの出身国に帰国する友達や、博士号を取得するためにアメリカの他の大学に進学する友達を見送り、そしてララミーに残る友達に見送られて帰国しました。お別れはとても寂しく、いつまでも離れがたかったのですが、見方を変えればそれほど素晴らしい友人に恵まれたということですから、感謝すべきことなんだと思います。また、親しい友人だけでなく、オフィスのあるビルを毎日清掃してくれる清掃員のおじさんや、バスの運転手さんとのお別れも辛かったです。お互いに名前ぐらいしか知らなくて、会うたびに少し会話をする程度の関係性であったにも関わらず、彼らが私の日常生活の一部でした。ララミーで出会った全ての人々との縁に感謝しかありません。
 このように、忙しくも、信じられないぐらい多くの経験をさせていただき、私の人生において最も輝いている1年でした。FLTAプログラムを通して、私の視野は広がり、私にとっての世界は小さくなりました。この1年で得た知識と経験を元に、帰国後はまた、英語教育に携わっていきたいと考えています。
 日米教育委員会の皆さま、ワイオミング大学の皆さま、FLTAの仲間たち、この1年の間に出会った全ての人々に心から感謝しています。ありがとうございました。

6. 大和田彩 Indiana State University (Terre Haute, IN)

中間レポート

 派遣先であるインディアナ州立大学は、インディアナ州の小さな町にあります。車がないと食料品の買い物にも行けないため、どこに行くにも車を持っている友人に頼るか、バスに乗っていかなければなりません。とはいえ、たくさんの親切な同僚や友人がいるので、2~3か月も経つとそんなに不自由は感じないと思います。住居は、学生用の家族向けアパートに一人で住んでいます。ミールプランはついていないので、食事は全て自炊です。料理があまり得意ではないので、食事にはいまだに苦労しています。

 大学では、週6コマ(各50分)の授業を一人で受け持っています。教員の確保ができず、しばらく日本語の授業が開講できなかったという経緯もあり、日本語の授業のシラバスや指導計画などのストックがないため、勤務して最初の仕事はシラバスと指導計画作りでした。指導に関して細かい決め事もないので、自由に授業ができるのは不安でもありますが、やりがいもあります。私自身は、常にこれでいいのかなと葛藤してばかりで最初の一学期が終わってしまった気がします。

 文化的行事については毎週一回、ランゲージテーブルを開いて日本や日本語に関心のある生徒と、折り紙をしたり、日本語の勉強をしたりしています。各学期に一回、日本人主催のイベントもあります。おにぎりや焼きそば、日本のお菓子をふるまい、折り紙教室や「漢字で名前を書きます」コーナーなどを設け、当日は40人以上の人が参加してくれました。各行事において、日本人留学生が主導してくれることも多く、また、授業にもアシスタントとして来てもらうこともあり、その存在は非常にありがたかったです。

 学生生活ですが、所属校ではFLTAは大学院生かつ職員という身分で、基本的に大学院の授業を受けるということになっています。私は言語習得に関する授業を2つ取りましたが、読むものや書くものが多く、毎回の宿題をこなすことと、自分の日本語の授業の準備などに追われました。とはいえ、勉強に集中する時間も仕事をしていればなかなか作れないので、久しぶりの学生生活を満喫しています。

 滞在が大統領選挙の時期と重なっているため、大統領選挙や就任式後のデモ活動など、歴史に残るであろう場面をテレビ画面上あるいは直接見る機会が多々あります。また、他の留学生やアメリカ人の学生、教授とアメリカの社会状況に関する話をすることも多くなりました。まだまだ言いたいことが英語で表現できず、もどかしい思いをすることばかりですが、日米の文化の橋渡しという役割をしっかりと意識し、残りの4か月を大切に過ごそうと改めて感じています。


最終レポート

 早いもので、帰国から2か月が経ちました。
 思い起こすと、プログラムが始まって最初の頃は知り合いもなかなかできず、大学の授業には思うようについていけませんでした。英語力が伸びているという実感も全くなく、家に帰ると日本にいてもできるオンライン英会話で会話の練習をする始末で、こんなことでいいのかと落ち込む毎日でした。ホームシックにもなりました。 今振り返って思うことは、例えそれが自分の目標とするものに直結していなくても、とにかく行動するということの大切さです。学内外の文化活動に参加し、地域の料理教室のアシスタントや大学併設の語学学校の授業見学など、授業以外の活動に活発に参加することで知り合いも増え、参加5か月ごろには毎日が充実していきました。別の学部の学生や近所で料理教室をしている方、語学学校の先生や学生、カトリック教会の方など、所属していた言語学部以外での出会いを通して学ぶことも非常に多かったです。
 勤務先のインディアナ州立大学では念願の日本語の授業が開講されたということで、学生は熱心に授業に取り組んでくれ、日本文化に関するイベントの手伝いも積極的にしてくれました。週3回の授業のあとは数名の学生が教室に残り、色々な話をしたり私の宿題を手伝ってくれたり、学内外で開催されるイベントに一緒に参加したりと、生徒であり、仲間のような存在でした。何人かは近い将来日本への留学を予定しているので、こちらでの再会を楽しみにしています。
 同僚の先生方もFLTAプログラムへの理解があり、私が英語教員としての資質向上、日米文化の架け橋としての役割を果たせるようにと色々な機会を与えて下さいました。インディアナ州で行われる学会での発表や、地域の小中学校でのボランティア活動や日本文化の紹介などをしましたが、不安で前日寝られなかったことも、うまくいかなくて終わった後にも寝られなかったことも、今となってはいい経験です。
 帰国後の様子ですが、公立高校教員として派遣というかたちで参加したため、プログラム後を終えて5月に勤務校に戻り、現在は高校一年生のホーム担任として慌ただしい毎日を送っています。7月にはアメリカでの経験についてプレゼンテーションをしました。国際交流や英語の行事に関する仕事に関わる機会も増えました。応募の際「プログラム参加後は、経験を活かし、高知の英語教育の発展に寄与したい」と書いたことを覚えています。今思うと大きなことを書いたものですが、自分の言葉の責任を取れるように、プログラム参加への機会を頂いたことへの感謝の気持ちを忘れずに精一杯やっていきます。

7. 瀬戸山貴嗣 University of Idaho (Moscow, ID)

中間レポート

 2016年8月より、アイダホ州モスコーにあるアイダホ大学(University of Idaho)にFLTAとして派遣されております、瀬戸山貴嗣と申します。この度の中間レポートでは、アイダホ大学でのFLTAとしての経験及び活動内容をご報告いたします。

アイダホ大学とモスコーについて
 アイダホ大学は、アメリカ合衆国北西部のアイダホ州モスコーにある、学生数約11500人(2014年)の州立大学です。モスコーの人口が24500人(2013年)ですので、町の人口の約半数弱がアイダホ大学の学生ということになります。留学生の数も非常に多く、大学と町全体が私の拙い英語にも寛容な態度を示してくれます。
 モスコーという町は非常に安全で、私がモスコーに着いてすぐ、「家のドアの鍵は閉めなくても平気だし、君が女性だとしても夜道を一人で歩けるよ。」と、変わった安全指導を受けました。夏は気温が高くなりますが、乾燥していて過ごしやすいです。ですが、冬になると気温が最低氷点下20度前後まで落ち込みます。夏服も必要ではありますが、冬服の準備は万全に整えておく必要があります。生活必需品は夏の間に冬の分も備えておかないと、冬は積雪と道路上の氷の影響で、自転車はおろか車での移動も困難になります。
 冬は厳しいモスコーですが、大学と町の人々が親切なため、温かく穏やかな生活を送ることができます。

FLTA1:日本語教師としての活動
 さて、ここからは最も重要なアイダホ大学での日本語教師としての活動をご報告いたします。私はこの度、Primary Teacherとして同学に派遣されております。私は秋学期、Primary Teacherとして初級と中級二つのクラスを受け持ちました。それぞれ、対応したラボ1回を含めて週に5回、1クラス50分の授業です。
 秋学期が始まった当初、私が特に力を注いだのは授業前の学生との会話でした。最初の1週間の内に全学生の日本語の学習動機と普段の趣味や好みの活動の傾向を押さえ、その後の授業には、それぞれの学生の興味に沿った活動を積極的に取り入れました。また、私が毎日始業1時間前に教室に入るようにしていると、徐々に私と同じ時間に教室に来る学生が増え、それぞれの学生との会話の時間も増加していきました。それにより、理想的な信頼関係と豊富な情報の下、学生の関心を引き出せる授業を行うことができました。
 モスコーでは日本人コミュニティがほとんど発達しておらず、学生が日本文化に触れられる機会は限られています。そのため、授業では教科書の内容に関連する日本の文化について解説し、学生に体験させる機会を多く設けました。また、学生が日本文化と触れ合える場を作るため、学生と日本クラブを設立しました。そこで私は、人員の勧誘、スポンサーとなる常勤教員への依頼、イベントの提案と進行、日本の文化や風習についての毎週のレクチャーなど、様々な方法で学生のクラブ活動を支援しています。
 学生たちが日本の言語と文化を学ぶに連れて、彼らの中で少しずつ「日本人化」が起きつつあることが嬉しく、また面白く感じられました。私とすれ違う際に挨拶をしてお辞儀をしたり、授業後、教室から出る前に大きな声で「ありがとうございました。」と言ってお辞儀をしたりする学生たちを見ると、非常に和やかな気持ちになります。

FLTA2:学生としての活動
 日本語教師として働く傍ら、学生として「スペイン語」と「アメリカの歴史」の二つの授業を秋学期に履修しました。スペイン語を履修したのは、他の言語を再び学ぶことで、自らの授業で応用できる指導法を模索するためです。また、モスコーにはアメリカの他の地方と同じように多くのスペイン語圏の出身者がおり、彼らの文化をより身近に体験したかったためでもあります。アメリカの歴史に関しては、FLTAとしてAmerican Studiesの履修が義務付けられていることもありますが、私が日本人の視点で学んできた日米関係の歴史を、アメリカ国内からの視点で学びなおしたいと強く思ったことも理由の一つです。
 結果として、どちらの授業も私に多大な恩恵をもたらしてくれました。スペイン語の授業は私自身の日本語の授業に改善策を与えてくれましたし、アメリカの歴史では、「自国の歴史」で注目する点の日本との違いに驚かされてばかりでした。特にアメリカの歴史の教授とは、教授に自由に質問できるオフィスアワーという時間を存分に活用し、毎週のようにディスカッションをさせて頂きました。その意見交換を通して、改めて私が今アメリカで学習できている状況に感謝と責任を感じました。

最後に
 私は2016年3月に大学を卒業したばかりで、教育現場での経験はほとんどありませんでした。そのため、秋学期開始直前は不安ばかりでした。ですが、アイダホ大学の教授陣や学生たち、学外で出会った友人たちに支えられ、教師としても留学生としても、充実した生活を送っています。全て挙げていると、とてもここに書ききれず困ってしまう程です。
 行動すればする程、学習と成長の機会に恵まれるこの地で、挑戦期間があと5ヶ月もあると考えると楽しみです。この先何年も私の周りの方々、特に学生たちの中に残る経験をさせてあげられるよう、気を引き締めて頑張ります。


最終レポート

春学期202授業最後の日
春学期202授業最後の日
 5月にアメリカから帰国して、はや2ヶ月が経とうとしております。2ヶ月という短い期間ではありますが、渡米前の自分と帰国後の自分の変化を、自他双方の視点から感じさせられる毎日を過ごしている最中です。ここでは、それ程に変化をもたらしてくれたFLTAとしての活動の総括を、最終レポートとして皆様にご報告いたします。

日本語クラス・日本クラブの学生たち
 アカデミックイヤーの後半となる春学期には、私も日本語指導の基礎が身に付き、学生の反応や興味に合わせて指導内容を工夫する余裕が出てきました。また、学生と授業外で出会った際の会話も段々と長くなり、学生一人一人をより知る機会も増えました。そんな中での春学期の授業は、指導しながらのコミュニケーションが主となり、学生との日本語のやり取りも更に自然なものに進歩していきました。
日本クラブの幼稚園訪問
日本クラブの幼稚園訪問
 日本語が上達した彼らにとって来日が現実的になり、より発展した学習を求める姿勢が見受けられるようになると、個別指導の時間も増えました。秋学期に指導していた学生も含め、学生たちが頻繁に私のオフィスを訪れるようになったため、その度に私自身の学習意欲も刺激され、空き時間に図書館にこもることが多くなりました。そのため、私は学習面と指導面の両方において、自分の学生から多大な良い影響を受けていることに気づき、日々の指導にも更に力が入りました。
また、秋学期に設立した日本クラブは正式にアイダホ大学の公式クラブとして認められ、学生の学外での活動も行えるようになりました。そこで、地域の幼稚園や小学校と連絡を取り、クラブメンバーと私で日本文化講習を行いました。子供たちは日本の歌や遊びを楽しみ、教えている大学生たちも、初めて学外で行う日本文化を使った交流を喜んでいました。それぞれの教育施設と私たちのクラブの間では、私が帰国した後も同じように文化交流の場を持つことが約束され、地域の子供たちの異文化理解の場とクラブの学外での活動機会が確立されました。
 幅広い活動の場を求める好奇心旺盛な学生たちの学習欲を満たすため、奔走した春学期となりました。そのため、私自身の活動の場も大きく広がり、新たな出会いや学習の機会を得ることができました。未知の可能性に飛び込む度胸を身につけさせてくれた私の学生たちには、今も大変感謝しております。

ジャズ合唱団とモスコー町民の方々
 もう一つ、モスコーでの生活で私にとって成長のきっかけになったのは、アイダホ大学ジャズ合唱団への加入でした。2016年9月に加入し、それから帰国までの2017年5月まで、毎月1~2回のコンサートを経験いたしました。その中には、グラミー賞受賞者と共演した世界的なジャズイベントもありました。歌う言語は英語に限らず、ラテン語やポルトガル語、フランス語やネパール語など多岐に渡りました。その合唱団にはアイダホ大学生のみならず、大学職員や地域の方々など、総勢200名程が参加していて、私にとっては新たな出会いの宝庫でした。特に、そこで出会った地域の方々は合唱後に私を夕食に連れ出してくれたり、合唱がない日に外でのイベントや家でのティータイムに誘ってくれたりしました。そこでは文化の違いについて話すことがほとんどで、なんてことはない日常会話の中に学ぶことが数多くありました。思い思いに楽器を演奏するホームパーティも、家でパイを焼いたのも、山火事の焼け跡が残る山をハイキングしたのも、どれもこれもが新鮮な体験で、その全てが、ジャズ合唱団がくれた繋がりでした。

お世話になったジャズ合唱団の監督(左)とテナーパートメンバーたち
お世話になったジャズ合唱団の監督(左)とテナーパートメンバーたち
 そんなジャズ合唱団に感謝するため、監督の先生にお願いして、最後のコンサートに向けて「仰げば尊し」を指導させて頂きました。英語話者であるメンバーが歌いやすいよう、歌詞をローマ字にして、実際に目の前で歌ってみせながら一つ一つのフレーズの発音を確認していきました。また、1871年のアメリカの曲を元に作られ、日本唱歌として親しまれてきた「仰げば尊し」の歴史や歌詞の意味を説明する機会もあり、多くのメンバーがその歌を気に入ってくれたようでした。中には、インターネットで見つけた英訳詞を印刷して持ち込み、私に「説明してくれた歌詞の意味が素晴らしくて感動したよ。孫にも今教えているところなんだ。」と声を掛けてくださった方もいました。実際にコンサートで歌う際には、聴衆の前で「仰げば尊し」について説明する時間を頂き、聴衆である町民の皆さんにも歌と親しんで頂きました。コンサート後には多くのメンバーや町民の方々が声を掛けてくださり、歌を通した異文化交流の絶大な可能性に感動を覚えました。監督は、今後も「仰げば尊し」を合唱団として歌っていくことを約束して下さりました。

最後に
 FLTAとしての活動を通して、私が最も大きく成長する要因となったのは、「人との出会い」の一点に尽きると言っても過言ではありません。出会いの得難さを学んだ私は、帰国してからは、見知らぬ人との会話にも全く抵抗なく臨むようになりました。同じく日本から派遣されたFLTAの方々をはじめ、フルブライトスタッフの皆様、全世界からワシントンD.C.に集まった約500名のFLTAの方々、アメリカを旅する中で出会った方々、そして、アイダホ州モスコーの大学関係者、並びに地域の方々。それぞれの出会いの中で交流を重ね、他人が持つ価値観を発見し、自分が持つ新しい価値観に気づいた9ヶ月でした。コミュニケーションが持つ、人を変える程の偉大な力を感じた私は、アメリカでそうしてきたように、人種を超えて人と人が関わる交流の場を提供できるよう活動して参ります。この度お世話になりました皆々様には心より感謝いたしております。また、このレポートが、FLTAプログラムへの参加をお考えの皆様の後押しとなるよう、祈っております。ありがとうございました。

 
お世話になった皆様とお別れ会 ありがとうございました!

8. 田上陽一 Pomona College (Claremont, CA)

中間レポート

 初めまして、2016年度FLTAでポモナ大学に派遣されている田上陽一です。8月に日本を発ってから、約半年が経ちました。このレポートを通じて、私がFLTAとして過ごした5ヶ月を振り返り、皆様と共有したく思っております。なお、前年度(2015年)同プログラムでポモナ大学に赴任された笹岡祐さんのレポートも参考に読んで頂ければ幸いです。

 8月に日本を出発してから、最初にミシガン州立大学に向かい、Summer Orientationに参加しました。このイベントでは、世界各国からのFLTAの同僚と共にアメリカにおける大学制度の仕組みや多様性、外国語教授法、クラスマネジメント、テクノロジー、教材研究、評価基準、人間関係など、幅広い領域を多面的に学びました。特に印象に残っているのは7人ほどのグループで行ったMicroteachingです。8分という与えられた持ち時間で、一人一人が模擬授業を実践しました。このSessionを通じて、自分が今まで認知していた言語に加え、さらに多くの新しい言語に触れることができました。このオリエンテーションは私たちのプログラムのスタートであり、新しくできた仲間たちと貴重な時間を築くことができました。


(Summer Orientationで知り合った世界中のFLTAの友人たちとのグループ写真です!)

 ミシガン州立大学でのオリエンテーションを終えたら、私の派遣先であるポモナ大学に向かいました。先のレポートでも述べられているように、ポモナ大学は全米でトップクラスのリベラルアーツ・カレッジです。日本ではあまり知られていませんが、アメリカで有数の経済誌ForbesやU.S. Newsを見てみても、ポモナ大学は毎年全米トップ10にランクインされるほど名の通った私立の大学です。そのため、優秀な学生が多く、一人一人がポモナ大学に対して持つ思いや誇りはとても強く感じられます。ポモナ大学はカリフォルニア州にあるロサンゼルスから東に50kmほど離れたクレアモントという小都市に位置しています。クレアモントは気候が良く、全くといっていいほど雨が降りません。青空が広がり、空気も良く、キャンパスから眺める山脈は一段と美しいです。ポモナ大学は、Claremont Collegesと呼ばれるConsortium体制の中の一つの大学であり、隣接して4つの大学、大学院と、独特なコミュニティーを形成しています。このシステムのメリットとして、クラスやダイニング、図書館、施設等、大学間で共有していることが挙げられます。そのため、多くの学生が日々キャンパスから別のキャンパスへと移動し、それぞれの大学で授業を受け、自分の好みなダイニング、カフェを利用し、生活を送っています。全体で(ポモナ大学の)生徒数は約1600人と小規模の大学ですが、その分少人数教育を重視している点がポモナ大学の特徴です。また私立の大学であることから、全米の様々な州から生徒が集まっているのも特徴のひとつです。さらに、カリフォルニアという土地柄か、留学生が全体の約10%を占めており、様々な文化が入り混じり合い、大学が成り立っているのはとても興味深い光景です。そのため、言語や文化に対して関心を持っている学生が多く、その中でも日本語&日本文化はとても人気のある領域です。

 次に、私がTA (Teaching Assistant) として働いているポモナ大学の Oldenborg Center(オールデンボーグセンター)という建物(施設)について紹介します。この建物は外国語学習を飛躍的に高めるための教育施設(Academic Facility)となっており、Language Tableや会話クラス、講演など、多様なプログラムが運営されています。私はそこのJapanese Language Residentという役職の下、働き、生活をしています。今年度のFLTAは私だけですが、6人の同僚(中国、フランス、ドイツ、スペイン、チリ、ロシア)と共に、4人の上司の指揮の下、職務に励んでいます。また、この建物自体が外国語学習者専用の寮、並びにLanguage Table専用のダイニングにもなっているのが特色のひとつです 。言語によってそれぞれのフロアが区画されているのが分かります。


(同僚、上司とCatarina Islandに行って、Zip-lineと呼ばれるアクティビティーをした時の写真です。)

 私(Language Residentとして)の具体的な役割として、4つの業務が挙げられます。
 一つ目は会話クラスの指導です。上級クラス、中級クラスと一週間に2コマずつ(計4コマ:60分×4)授業を担当します。指定されている教科書や参考書がないため、私の裁量で自由にクラスを設計することができます。秋学期は主に日本文化の紹介や生徒から会話を引き出すための活動を中心に、指導案を作成しました。この仕事が特に一番困難な業務だったと感じています。なぜならば、日々次の日のクラスのアイディアを模索するのに追われていたからです。しかし、生徒たちは私の授業を大いに気に入ってくれました。苦労が積み重なる過酷なスケジュールでしたが反面、とてもやりがいのある仕事であったとも感じています。日本の様々な視点を紹介するのと同時に、私も生徒と共に楽しむことができました。彼らの日本語によるコミュニケーション能力の向上に少しでも貢献していれば幸いです。
 二つ目の業務にLanguage Tableの運営が挙げられます。平日のお昼の時間に定められており、日々多くの学生が訪れ 、日本語で会話をしながら一緒にお昼の時間を過ごしました。日本語学科の先生方も足を運んでくださり、手厚いサポートを受けながら、授業外における生徒たちの日本語の使用、並びにコミュニケーション能力の向上に努めました。このLanguage Tableを通じて本当に多くの学生と知り合うことができたと思います。また、他の言語でも同時間に同様なことが行われているため、Oldenborg Centerのダイニングでは、お昼の時間帯に少なくとも英語を除いた6言語以上の言語が話されており、直に耳で体験することができます。それぞれの言語、文化、価値観を互いに尊重し、この多様で入り混じった一室こそ、ポモナ大学だから見られる一種の光景なのではないかと強く感じました。また、この異色の光景が実現しているのも、 Oldenborg Centerと各言語のDepartmentがしっかり連携が取れている証拠なのだと改めて垣間見ることができました。そういう観点から見てみても、アメリカの大学がどのように統率されているのか、各部署による固い結束力に加え、それを結びつける仲間意識が大学の一体感を高め、創り上げているのだと身をもって実感することができました。
 三つ目の業務は、Cultural Activityの運営です。秋学期はStudy Breakに加え、文化活動を25個企画しました。数だけで見てみると膨大な量に聞こえますが、今学期は日本からのゲストスピーカーによる講演が多かったため、私自身が1から企画したものは5-6個です。具体的な仕事としては、ポスターを作り、それをメールで生徒たちに宣伝します。定期的に生徒たちに最新のイベント(Cultural Activity)をメールで送ることもこの業務に含まれます。Off-Campus Cultural Activityで生徒たちと一緒に太鼓のコンサートを見にロサンゼルスのダウンタウンに引率として連れて行ったときのことを鮮明に覚えています。また日本から被爆者の方と核廃絶を訴えるNPO団体の方が講演のために大学を訪れ、並びにNHKが取材に来た時は本当に驚きました。
 四つ目の業務として、金曜日のElementary Japanese(初級日本語クラス)の指導が挙げられます。この業務はOldenborg Centerと日本語学科の契約の下、成り立っている職務であり、Oldenborg Centerが週に一度私を日本語学科に派遣し、初級日本語のクラスを担当するという名目で行われています。初級日本語は週5回(月曜?金曜)授業があり、その内の金曜日のコマを担当します。事前(木曜日)に日本語学科の担当の教授とミーティングがあり、金曜日の内容について、確認をします。秋学期、初級日本語は3つのクラスがあったため、同じ内容のものを3コマ続けて行いました。このクラスでは、初めて日本語を学ぶ学生が多く、最初はとても戸惑いましたが、生徒の名前もすぐに覚え、生徒が学習している文法事項を効果的に練習できるように様々な工夫を取り入れました。また、生徒たちもアクティブであったため、いろいろな局面で彼らに助けられた場面もありました。この初級日本語での指導を通じて、改めて日本語の構造や外国語としての日本語の位置づけ、そして言語教育にさらに関心を抱く契機となりました。

 上記に挙げた業務に加え、1ヶ月に2回ほどスタッフ・ミーティングがあり、上司や同僚と近況を報告し合い、大学内における最新のニュースやイベントを共有し、説明を受けます。

 ポモナ大学では、Teaching Assistant (TA)の立場に加え、学生としての身分もあるため、各学期に二つのクラスを履修しなくてはなりません。私は初級フランス語と外国語教授法のクラスを受講しました。大学時代、あまり第二外国語を勉強していなかったことから、この機会を通じてフランス語の授業を取ることを決心しました。フランス語学習歴0の中、取り始めてはみたものの、授業では先生が90%フランス語を話すため、本当に苦労しました。授業の進度が異常に早く、日々教科書を開き、予習/復習と時間を費やしていたのを覚えています。特にフランス語が持つ極めて区別しづらい発音に苦しまされたのが一番印象に残っています。秋学期を通じて、基本的な文法事項を一通り学習することができました。また、このクラスを取ったおかげで、初級日本語のクラスを受講している生徒たちの視点に歩み寄ることができたのではないかと感じています。自分にとって未知なる言語(フランス語)を勉強することによって、同様に日本語を一から勉強している生徒たちに同情することができました。この教訓を通じて、生徒が日本語に対して持つ「?」に献身的に向き合うことのできる傾聴な姿勢を身につけることができたと実感しています。もう一つの授業では、それぞれの大学で似たような役職で働いているTAの同僚と共に、外国語教授法、主に会話スキルの向上につながる活動について、多角的に学びました。クラスで生徒一人一人がアクティビティーを紹介したり、与えられたテーマから自分たちでアクティビティーを創り出したりなど、実践とDiscussionを通じて深く分析しました。映画やドラマ、音楽といった視聴覚教材を駆使した活動や、ゲーム・競争といったスポーツの要素を取り入れた活動など、様々なものが挙げられます。また、この授業では担当のInstructorを除いて、生徒全員が英語を第二言語とするノンネイティブスピーカーであったことから、リンガ・フランカとして使用される英語の役割についても改めて感銘を受けました。このクラスで学んだものは自身の会話クラスで応用できるものが多く、豊富なRecourseの倉庫として、十分に活かすことができました。

 生活面について、簡単に紹介させていただきます。ポモナ大学では大学側が提供するミールプランに加入するため、私は基本的に5大学にあるダイニングを利用して食事を済ませています。また大学から徒歩で10分程のところにClaremont Villageというダウンタウンがあり、そこには様々なレストランやショップ、カフェ、映画館、ギャラリーなどがあります。週末によく友人と足を運んでいました。交通手段に関しては、メトロリンクと呼ばれる電車が走っているため、ロサンゼルスのダウンタウンまで約1時間と、容易にアクセスすることができます。私は大学が所有するZip-carというレンタカーを利用し、休みの日など買い物に行ったり、ロサンゼルスやハリウッド、サンタモニカ、ロングビーチといった観光名所を訪れたりと、クレアモントの外にもよく出かけました。長期休暇を利用して、友人と車でサンディエゴまで日帰りで遊びに行ったこともありました。アメリカで車を運転することに最初は恐怖という気持ちで心がいっぱいでしたが、今ではようやくアメリカの交通ルールに慣れつつあります。

 このポモナ大学の恵まれた学習環境に快適な生活環境、また良好な天候に美しい自然、そして都市から少し離れた郊外という立地の良さに、日々心を揺さぶられています。

 冬休みは自由な時間が多く、まずワシントンDCで開催されたFLTAのMid-Year Conferenceに出席しました。夏のオリエンテーションから約4ヶ月が経ち、世界中のFLTA392名が一斉に集まりました。その中には一度も会ったことのなかった人もいれば、夏のオリエンテーションで知り合った友人、また日本人の同僚など、様々な出会いがありました。それぞれの大学で一人一人が経験したものを互いに共有し、振り返り、またCultural FairやTalent Showといった文化交流のイベントもあったため、とても充実した5日間を過ごすことができました。その後はアメリカを観光して回る長い旅が始まり、最初に日本から訪れた私の母と共にサンフランシスコを旅行しました。FLTAの友人と車でRoad Tripをしたり、ニューヨークで正月を過ごしたり、マイアミのビーチでゆっくり心と身体をリフレッシュしたりなど、この長期休暇を利用して、秋学期の疲れを癒し、来学期に向けて新たなエネルギーを吸収することができました。

 今回のレポートでは、あまり政治に関しては触れませんでしたが、大統領が交代するという節目にFLTAとしてアメリカにいられたのは貴重な経験です。秋学期を通じて大学内でも様々なイベントがありました。政治の話はさておき、FLTAとしてアメリカにいられるのも残り僅かです。与えられたチャンスを最大限活用し、様々なことにチャレンジしていこうと思っています。大きく成長して日本に帰国できるよう、これからも精一杯努めて参ります。春学期は、秋学期とは異なる新しいストーリーになるよう、今後励んでいきたいと思っております。


最終レポート

 カリフォルニア州のクレアモントにあるポモナ大学に派遣されておりました田上陽一です。FLTAとしての任期を終え、5月の末に日本に帰国しました。約10か月に渡る今回のアメリカ生活は、本当に有意義なものであり、一日一日を味わって送ることができたと思います。当レポートを通じて、プログラムの振り返り及び私自身の経験について、報告させて頂きたいと思っております。

 まず派遣先大学の立地に関係して、特に印象に残っていることは、クレアモントの穏やかな気候です。雨季を感じさせないほど天気が良く、朝起床して窓から浴びる太陽の光に燦々と心奮い立たせられたのを覚えています。また、乾燥していることから夏でも湿気が少なく、私にとって非常に生活しやすく、快適な気候であったと心の底から思います。一日のスタートが、このように天候によってここまで左右されるというのは私の中で初めての体験でした。気候や天候といった大気の状態が人々に与えるものはとてつもなく計り知れないものだと身を以って感じました。さらに、一面に広がる緑の芝生やその上を駆け回るリスやうさぎと言った小動物、そして大学の周りにそびえ立つ山脈など、そのような景色にも日々心を癒され、充実した時間を送ることができたと思います。

 カリフォルニアの土地柄か、多様な人種が入り混じり合い、成り立っている光景も強く印象に残っております。私は大学在学次、交換留学で一度米国での滞在経験がありますが、人との出会いという点に関して、今回の留学は全くと言っていいほど前回とは異なる体験を得ることができました。また、大統領が交代する節目でもあったことから、教育機会や経済格差といった国内の諸問題に対する理解も同時に深めることができました。

一年間共に働いた同僚との最後の集合写真

 米国において名の通った私立のリベラルアーツ大学、そして全米並びに世界中から集まる優秀な学生が様々な経歴・バックグラウンドを持った教授陣の指導の下、学業に専念している姿は私のFLTAプログラムに対する心構えを再確認することのできる大きな刺激となりました。また、クレアモントで勉強している留学生は極めて優秀であり、現地の学生にも引けをとらない能力を持っているため、授業内でのディスカッションやグループプロジェクトなど、日常のキャンパスライフに自然と溶け込めている姿を目の当たりにして、強く印象に残りました。留学生と現地の学生の間において、ここまで隔たりがなく、馴染んでいる光景にえらく心を揺さぶられ、大層寛容で穏和な大学なのだと身に染みて感じました。

 クレアモントでの生活を通して、私が持っていた「アメリカ人」という概念を、新たな視点から学び直すことができました。アジア系アメリカ人やメキシカン系アメリカ人、またヒスパニック系や中東系、そしてヨーロッパ系など様々なルーツを持った学生と直接関わりを持つことができたため、私の中にあった枠組みを一段と広げることができたのです。歴史的背景や経済的理由、教育問題など様々な事情の下、このアメリカという土地で生活してきた彼らの中に、目には見えない強い意思を感じました。また、そのような二世、三世と呼ばれる彼らには英語という外で学ぶ言語に加え、“Heritage Language”と呼ばれる内(家庭)で学ばれる言語、並びに文化に大きな意義が備わっているのだと深く感じました。

 次にポモナ大学の持つ“Consortium”体制から見られる多様な教育の在り方について、言及させていただきます。米国の大学では隣接した大学間同士で授業のコースや施設を共有しているケースがよく見られます。先のレポートでも述べたように、ポモナ大学では他に4つの同規模大学に1つの大学院を加えた“Claremont Colleges”と呼ばれる独特なコミュニティーが確立されており、約1万人を超える学生が勉強しております。一人一人の学生に多くの選択肢を与えることによって、学生が自ら興味・関心を持って自立して行動できるように促しているのが見て取れます。また、そのような機会を通じて、他大学の学生や教授陣とも交流を深め、自分自身の交友関係(コミュニティー)を広く形成していくよう動機づけている点も見受けられます。上述の例に該当している学生を、外国語を勉強している学生の中に多く発見しました。私が指導していた日本語のクラスでは、履修生は1年生から4年生と幅広く、また所属もポモナ大学だけに留まらず、隣接する他大学からの学生も数多く在籍しておりました。そして、さらに興味深いことに彼らの国籍や専攻も多様であったことが挙げられます。アメリカ出身の学生だけでなく、多くの留学生も日本語クラスを受講していたのです。加えて、数学や生物、化学、物理といった理系科目を専攻にしている学生もいれば、歴史や文学、経済、法など、文系科目を専攻にしている者も多く見かけました。このように多種多様な学生が集まることによって、教室では様々な要素が混じり合った異色な空間が形づくられておりました。日本語や日本文化といった共通な興味・関心が生徒同士の関係を深めるきっかけとなり、そのような仲間意識のあるクラスを教授が先導することによって、全員で助け合って学び合う環境が形成されていたと見受けられます。その上、スモールクラスという大学の理念も学生同士の対話やディスカッション、討論など、クラスを活気づける一要因になっていたと思われます。そのため、親身になってサポートして下さる教授との関係性も生徒たちの授業に対するモチベーションの向上に大きく貢献していたと見受けられます。このようなクラスづくりは外国語学習において極めて効果的であり、また先生と生徒たちを結びつける重要な働きを備えているのだと改めて実感しました。

 初級日本語のクラスにおいて、夜遅くに友達同士で集まり、協力してテスト対策をしていた学生を幾度も見かけました。日本でもよく見られる光景であったため、このように日本の助け合う精神をアメリカの大学で垣間見ることができて、思わず笑みがこぼれるような気分になりました。アメリカでは典型的に個人主義といった考え方が大方占めていると思い込んでいたため、日本の真髄とも呼ばれる集団主義といった一面を見られたことは、私にとって画期的な出来事でした。クレアモントでの生活を通して度々耳にした“Bubble”と呼ばれる表現は、上述の発見を補足説明しているキーワードなのかもしれません。この“Bubble”という用語は“Claremont Colleges”を一つの気泡(バブル)に喩え、バブル内における強い結束力を意味しています。つまり、人種や文化、宗教など、いかなるバックグラウンドを持った人でも、相手を尊重し、相手を傷つけないようにコミュニケーションを図ることが求められているのです。また、困っている人を見かけたら手を差し伸べ、みんなで助け合い、進んでいく方針であるとも私は捉えています。そのため、大学の授業では少人数教育を重視し、生徒たちが教授と対話を重ね、進めていくメソッドが採用されているのだと見受けられます。加えて、この政策は大学の理念として世間にも広く認知されているからこそ、毎年世界中から多くの出願者が集まるのではないでしょうか。私の経験から見てみても、ポモナ大学で勉強している学生や働いている教授陣、スタッフの間において、対立や競争といったものは全く見られませんでした。むしろそれぞれの部署が互いに手を取り合い、一体となって機能していたと見受けられます。私の上司や同僚を含め、お世話になった日本語学科の教授陣、また他部署のスタッフやコミュニティーに属していたメンバー等、本当に親しみやすく、温厚な方々に支えられて生活を送っていたのだとつくづく思います。従って、私自身が今まで実際に体験し、感じてきたアメリカとはひときわ異なる経験を、今回の留学を通じて得ることができました。そして、人間関係とは、日本のように年齢や立場によって無意識的に構築されていくものではなく、そのような垣根を超えて自分たちで自ら築き上げていくものなのだと改めて実感しました。

初級日本語Sec 2最後の授業で撮ったクラス写真
 最後にポモナ大学での日本語指導及び文化紹介の経験から得られたものを考察していきたいと思います。結論から述べると、私自身が外の視点から日本語と日本文化を学び、見つめ直すことのできる貴重な機会になったと感じております。また、日本のポップカルチャーが持つ影響は著しく、世界中の人々に好意的に思われていることを知り、日本人として心嬉しい気持ちになりました。そのため、私が担当していた会話クラスでは、授業の題材にアニメや音楽、映画、食べ物、学校行事など幅広いジャンルを取り扱い、様々なアプローチを実践することができました。生徒たちがそれぞれ期末プロジェクトで作り上げた作品は、私の一生の宝物です。初級日本語のクラスでは、最初は自身の英語力や指導経験、知識不足など、不安要素が多く、苦労しましたが、その不安は次第に自信へと変わっていきました。その背景には生徒たちの存在が大きく関わっております。秋学期が始まる8月には「ひらがな」をも知らなかった生徒たちが春学期の終わる5月には、習った文法や知識、語彙を活用し、自ら日本語で話しかけてくる姿を見て、強く心を打たれました。週5回の授業に加え、宿題やクイズ、エッセイ、テストなど、日々多くの課題を与えられている生徒に何度も同情しました。それでもなお、日本語を一生懸命学ぼうとする彼らを目の当たりにして、私も自分の職務(日本語指導)に対する意識(モチベーション)が日に日に高められていたのです。同じ教科書を読み、日本語の持つ細かいルールや文法を一つ一つ把握し、生徒が持つ疑問や質問にできる限り答えられるように努力しました。また、私の未熟な英語力も生徒たちの日本語学習において、少しは貢献していたのではないかと感じております。私の拙い英語を普段クラスで聞いているからこそ、生徒たちも日本語で話してみようという意識がより高まっていたのかもしれません。このように、私のたどたどしい英語が生徒たちの自信をつけさせるために効力を発揮していたと仮定すると、生徒はやはり教師の背中を見て成長していくものなのだと、つくづく思います。
上記に挙げたクラス指導に加えて、“Language Table”という授業外における生徒たちの日本語練習の補佐及びサポート、またその機会が毎日設けられていたことは、私にとって大きな支えでした。自分が直接教えている学生だけでなく、他のクラスの学生とも関係を深めることができたからです。“Language Table”で彼らの成長を目の当たりにすることは私の中の一つの楽しみであり、かつ生徒たちとのつながりを日々深めることができた至福のひとときでした。

 今回の留学を通して、本当に多くの人々と関わりを持つことができました。新しい考え方や価値観に遭遇し、啓発される場面も数多く経験しました。また、自分の内側にあった概念や考え、枠組みを新たな視点から見つめ直すことによって、さらに深まり、視野を広げることもできました。今回の留学で得られたものを土台にして、今後も外国語教授法について様々な観点から分析し、自身のスキルを磨いていきたいと思っております。終わりに、このFLTAプログラムを手厚くサポートして下さった日米教育委員会の皆さま、そしてIIEの関係者の方々、派遣先でお世話になった方々、このプログラムに参加して出会うことができた他国のFLTA並びに日本から共に飛び立ち同じ期間を過ごした同期のFLTAメンバー、その他アメリカで出会った多くの友人に感謝の言葉を述べさせていただきたいと思います。より多くのものを体験し、より多くの学びを得ることができた、最高の一年でした!

9. 高垣早百合 Pacific University (Forest Grove, OR)

中間レポート

 わたしはオレゴン州にある、パシフィック大学に派遣されています。学部生と大学院生を合わせて3500人ほどの小さな大学ですが、赤煉瓦の建物が並ぶキャンパスはとても美しく、アットホームな雰囲気の中で日々を過ごしています。

 オレゴンの人々はとてもフレンドリーで、電車の中では見知らぬ者同士が昔からの知り合いのように話し出すのを当たり前のように見かけます。空港からの電車の中で旅行カバンを持っていると、「welcome back!」と知らない人にも気軽に話しかけるこの気風が大好きです。

 オレゴンの州都、大学から電車とバスで1時間半のところにあるポートランドでは、日本文化が身近に感じられます。美術館に行っても日本を含めたアジアからの展示品が多く、また日本庭園も近くにあります。日本食のレストランもあり、日本の文化が当たり前のように受け入れられているのがよく分かります。

 また、州をあげて地産地消を促進しており、自分たちで社会を作っているんだという気概が感じられます。ここ、大学があるフォレストグローブシティでも、ファーマーズマーケットという、地元の人たちが作った品々を売るコミュニティ・マーケットが春夏秋と、毎週大学近くのストリートで開催されています。
 住居は、ドイツ、アルゼンチン、フランスからのFLTAとともに大学が所有している一軒家をシェアしています。食事は大学のカフェテリアか、自炊をして過ごしています。
 次に、ティーチングアシスタントとしての仕事について述べたいと思います。授業では、日本語の初級クラスを2つ、中級クラスを1つ、各授業週3コマずつアシスタントとして働いています。そして、こちらが主な活動になりますが、ジャパンナイトというカルチャーイベントと、ランチタイムのジャパンテーブルを週1回開催しています。また、ジャパンクラブの幹部の会議にも毎週参加して、クラブの活動を手伝っています。日本からの留学生も20人ほどおり、日本語を学ぶ学生にとってもとても良い機会になっています。

 ジャパンナイトでは、毎週様々な取り組みをしました。お月見団子作りから始まり、かるたや花札、書道、浴衣の着付けをしたり、たこ焼きを焼いたりしました。また、日本が題材の映画をドイツのカルチャーナイトと共同で観に行ったり、日本庭園で日本人のお茶の先生から特別にお茶室で茶道を教えてもらう企画もしたりしました。

 その中でも特に印象的だったのは、大統領選の後のジャパンナイトで、日本からの留学生と共に選挙について話し合ったことです。皆で円になって意見を言い合ってもらいましたが、各々が政治に対してしっかりとした意見を持っているのが分かり、とても有意義な時間になりました。アメリカという広い国土の中で、地域やさまざまな要因によって政治的な特色・動向は違うものの、現地の学生がどう考えているのか、また日本の学生が普段から政治についてどのように考えているのか、他の国からの留学生も含めて互いに膝を突き合わせて話せたことは、どの国の学生にとっても有意義な時間になったのではないかと思います。

 また、アシスタントをしている授業においても、先生方から学ぶことはとても多いです。このFLTAプログラムは将来英語の先生になりたい人のためのプログラムですが、日本語の授業であっても、語学の授業であることに代わりはないので、授業中のアクティビティを英語に置き換えたら、自分が将来英語の授業をする時にも応用できるのではないかなどと後から考えながらTAをしています。

また、日本語教育の勉強会にも連れて行っていただくこともあり、日本の外で日本人として仕事をされている方のお話を聞けるのはとても良い機会になっています。

 その他にも、プライベートでは、親睦を深めるために、他国からのFLTAと共に留学生を呼んで寿司を作る会を開いたりしました。日本語を学んでいる学生だけではなく、他国からの留学生にも日本のことを少しでも知ってもらえたら嬉しいなという気持ちで取り組みました。

 こちらに来て、日本の文化に興味を持ってくれる人が多いのには驚きました。私が日本人であることを言うと、いかに日本の漫画は素晴らしいかということを熱っぽく話し、漫画で学んだ日本語を披露してくれる人に良く出会いました。また、寿司も同様で、多くの人が日本と聞いてすぐにお寿司を思い浮かべることに驚かされました。

 授業は、History of Jazz and Rockの授業と、異文化コミュニケーションの授業を聴講しました。History of Jazz and Rockのクラスでは、社会と音楽は常に関係しており、切っても切り離せないものであるということを知りました。特にジャズは、奴隷として連れてこられた人々の音楽がルーツになっている、アメリカで発明されたカルチャーの一つであるということを知りました。

 異文化コミュニケーションの授業では、文化によって言語・非言語のコミュニケーション方法が異なることを確認した上で、どうやって自分と異なる文化の人と接していけば良いのかを対話形式で学びました。日本でのコミュニケーションの仕方についてクラスで発言するのは、日本人の代表として話しているようで、少し責任を感じましたが、同時に私の考え方や行動は必ずしも全員の日本人に当てはまるわけではないと話し、またアメリカ国内でも人によってコミュニケーション方法は異なることも学びました。

 また、多くの文化が当たり前のように存在するアメリカに住んでみて、それらの文化への配慮が生活の隅々で感じられ、日本から来た私としては、言葉遣いや標識への配慮などから多くの気づきを得ることができました。また、そのような社会に住んでいるアメリカの学生のほうが異文化への対処の仕方を意識的にも無意識にも習得していると思いました。

 また、アメリカという国に来たからこそ、多くの国、文化出身の人と出会いました。その中で、いかに自分が見てきた視野が狭かったか、思い知ることになりました。冬休み中の旅行先で出会った人に「どこ出身ですか?」と聞いても、聞いたことがないところや、自分が今まで全く目を向けたことのない国から来ている人に多く出会いました。自分がいかに目立つもの、経済大国や目に得ているものしか見ようとしていないのかということを心から思い知らされた数か月でした。もっと世界にいろんな意味で目を向けなければならないと思い知らされました。

 世界49か国から約400人が集まった冬のワシントンDCのカンファレンスでは、よさこいを踊りました。踊る前の緊張感と、踊った後の達成感をFLTA10人で分かち合えたのはとても貴重な体験になりました。10人で集まる機会があるのがオリエンテーションと冬のカンファレンスだけであるのは寂しいので、今後も繋がれる仲でありたいです。

 8月に来たのが信じられないほど、瞬時に日々が過ぎ去ってしまいましたが、残りの学期も、1日1日を噛み締めながら、丁寧に日々を過ごしていきたいです。


最終レポート

 オレゴンから帰って、すでに2か月近く経とうとしています。振り返ってみると、アメリカに滞在していた日々は、文字通りあっという間で、息つく間もなく様々なイベントに顔を出したり、友人たちと話したりしていた日々とは打って変わって、また以前のような、アメリカに行くまでと変わりがない生活を送っています。
 帰ってきたばかりの時は、アメリカと日本では環境が違いすぎるせいか、また20年以上住み慣れてきた場所のために体が無意識に覚えていたのか、今までの生活にスッとなじんでしまう自分がいることに驚いていました。それと合わせて、そこからしばらく時間がたつと、今となっては「非日常」となってしまった日々を折に触れて思い返し、何とも言えない懐かしい気持ちになることもこの頃は増えてきました。

パシフィック大学の風景

アルゼンチンからのFLTAと共に、校門の前で

FLTAとして
 冬休みが終わり、春学期が始まり、FLTAとして、今学期は、以下の内容を行いました。ジャパンナイト、授業のTA、週一回のジャパンテーブルに加え、チューターとジャパンデイでの活動です。
週一回のジャパンナイトでは、先学期よりより良いイベントを企画しようと、様々な企画を考えました。その中でも特に思い出深いのは、日本で流行した、映画「君の名は。」をジャパンクラブと共に企画して観に行ったことです。車で40分ほどかかる場所まで、ジャパンクラブのメンバーに運転してもらい、無事学生たちに日本の映画を映画館で見てもらうという体験をすることができました。また、その他にも、オレゴン州で唯一の日本酒の醸造所であるSake Oneに6人ほどのグループで見学に行ったり、節分のイベントを企画してみんなで豆まきをしたり、ひな祭りの日はいちご大福を作ったりして、日本の季節ごとの文化をしてもらうきっかけ作りに注力しました。

映画「君の名は。」を観に行ったときに、映画館で

 ジャパンナイトの企画と一言にいうと、楽しそうに聞こえますが、実際には、何をするにも会場の予約から告知、何人来るのか予測して材料を買いに行くこと、下準備、予算の調節における大学との交渉など、基本的に一人でしていたので、想像以上に時間がかかる大変なものでした。しかし、基本的にほとんどすべて私に内容は任されていて、なおかつジャパンナイトが終わった後の学生の表情で、今日イベントが学生の心に響いたものだったのかどうかということを知ることができたので、反省とともに次回への抱負に繋げるモチベーションにもなりました。
 ティーチングアシスタントをしている日本語の授業では、先生が学生のスピーキングのテストをしている間に、アクティビティを任されることが今学期は特に増えました。今までアシスタント側だったものが、いざ先生の立場になると、その日の自分のテンションや、学生のテンションによって、授業の出来具合が変わるということを実感しました。毎回授業前には、前回よりもより良い授業を提供できるようにしようと自分に言い聞かせて授業に臨んでいました。また、授業中に学生と一人ずつ、一対一で日常会話をする役割も任せてもらい、学生がいかに日本のことが好きで、日本に興味があるのかを会話の中で知ることができました。そのように学生と話していると、もっと日本のことを知ってもらいたい、日本を好きになってもらいたいという思いが大きくなりました。

Japan Dayで、ソーラン節を踊った後に
 ジャパンテーブルでも、日本に興味のある学生が来てくれて、様々な話をしました。日本人の同期のFLTAの方々にもアドバイスを頂き、役立てることができました。 また、今学期は、Japan Dayという、大学で最も大きな日本のお祭りがありました。Japan Dayでは、ジャパンクラブのミーティングに参加させてもらいながら、2か月ほど前から皆で構想を練って運営に携わりました。学生らは日本人留学生と共に太鼓やソーラン節、恋ダンスを披露する機会があり、私も太鼓とソーラン節に参加させてもらいました。
 FLTAとして、大学で、先生でも学生でもない立場で学生と接する中で、距離の取り方に悩むこともありました。先生でもなく、同じ立場の学生でもない、でも授業は一緒に受けることもあれば、教えることもある。とても難しい立ち位置であるとは思いましたが、常に学生主体を胸に、ジャパンクラブのミーティングなどでも運営を見守ってきました。また、日本の留学生たちがイベントを手伝ってくれたり、積極的に参加してくれたことも有り難かったです。
今後は、日本語の授業やジャパンクラブに関わった学生が、日本に留学に来ることも多く、日本で会えるのを楽しみにしています。

学生として、授業について
 今学期は、2つの授業を履修しました。一つ目は、Public Sociologyです。初めにPublic Sociologyとは何か、という枠を学んだあとに、ディスカッション形式で授業が進みました。
 この授業では、草の根から市民が社会に参加する過程と、常に社会を自分の立ち位置とは違う場所から見ることの大切さを学びました。自分と立場が違う人のことも考えられるようになりなって欲しいという教授からのメッセージが胸に響きました。
二つ目の授業は、Criminal Justiceで、アメリカ国内の犯罪について、学びました。特に印象に残っているのは、刑務所見学です。大学時代は刑法のゼミに所属していたこともあり、日本の刑務所見学に行ったことはありましたが、アメリカの刑務所は当然ですが、多くの点が異なっていました。そのような場所に行くことは、大学以外の場所を訪れる貴重な経験となりました。
どちらの授業でも、みなネイティブの中、拙い英語で発言するのはとても勇気がいりましたが、クラスメイトが助けてくれることも多々ありました。

学外の活動
国連での会議で
国連での会議で
 授業外の活動では、国連本部で教育者のための会議に参加させていただいたり、ポートランドでボランティア活動に参加したりしました。そこで感じたのは、自分と異質なものに対する受容の精神です。多くの大人たちが、異なる価値観を認める環境づくりに奔走している姿に心が打たれたのを覚えています。
 昨年アメリカに着いて間もない頃、FLTAとして、パシフィック大学でのwebページの自己紹介文に、こんなことを書きました。「文化の違いも知りたいけれど、それ以上に、文化を超えて、人は経験や感情など、多くのものを共有できると、実感できる一年にしたい。」約10か月、アメリカに滞在し、FLTAとして、また一人の人として様々な文化、価値観を持った人々と接する中で、間違いなくその経験はできたと思います。留学する前と行ってきた後では、人間的な成長は前よりはできたと思います。このような貴重な経験をさせてくれる機会を与えてくださった日米教育委員会、IIEの方々、パシフィック大学の先生方、そして日本人留学生も含めた学生たち、また行く前から応援してくださった先生方や身近な方々には、本当に感謝の言葉しかありません。貴重な経験をさせていただき、ありがとうございました。フルブライトプログラムの精神をOBとなったのちも胸に刻み、何らかの形で社会に貢献していけたらと思います。
最後のジャパンナイトで
最後のジャパンナイトで

10. 上野英理子 Spelman College (Atlanta, GA)

中間レポート

 私はジョージア州アトランタにある、スペルマン大学に派遣されています。前任のFLTAの方々も述べられているように、スペルマン大学は女子大学であり、かつアメリカで100以上あるHBCU (Historically Black Colleges and Universities)と呼ばれる大学のうちの一つです。HBCUは、抑圧の対象となっていたアフリカ系アメリカ人に高等教育の機会を設けることを目的とし、そのすべてが1964年以前に設立されています。スペルマン大学もアフリカ系アメリカ人学生が90%以上を占めています。スペルマン大学で生活をしている中で、彼女たちの強い結束、教員や卒業生を含めた同胞意識のようなものを日々感じます。先生や学生から “Sister”と呼ばれたときは、私もこのコミュニティの一員として受け入れてもらえた気がしてとても嬉しく思いました。また、スペルマン大学の近隣には同じくHBCUの男子大学であるモアハウス大学、共学のクラーク・アトランタ大学があり、これらの大学とAtlanta University Center (AUC)というコンソーシアムを形成しています。多くの学生が大学間を行き来し、授業履修やクラブ活動を通して活発な交流がなされています。

 このレポートでは、8月中旬から開始した秋学期に焦点を当て、スペルマン大学での生活を中心に述べたいと思います。まず、日本語クラスについてですが、秋学期は初級I、初級II、中級I、日本文化に焦点を当てたSpecial Topicsの計4つのクラスのアシスタントを週3日担当しました。基本的には中国出身の指導教官が授業を進め、私はパソコン操作や会話練習、日本の生活や文化に関する紹介などを行いました。授業は主に、「げんき」と題されたテキストと指導教官作成のプリントを使用しながら進められます。また、授業が単調なものにならないよう、視聴覚教材も多く用いられました。FLTAの仕事として、授業時間外には週2時間のオフィスアワーと週1時間のランゲージ・テーブルがあり、これらの活動では特に個々の学生の質問対応や宿題補助を行い、彼女/彼らにとって難しく感じる箇所がどのようなものかを把握できるようになってきました。その後、これらの活動を通してわかってきた学生の理解度を意識した上で、指導教官の文法説明に補足を加えたり、ポイントを板書したりし、できるだけ学生の立場に立ったわかりやすい授業の補助をするように心がけました。学生の「わかった!」、「なるほど!」といった喜びの表情を見ると、さらに私も彼女/彼らを応援したいという気持ちになりました。

 FLTAには、日本語クラスのほかに「AUCジャパンクラブ」のアドバイザーとしての仕事があります。「AUCジャパンクラブ」は隔週でミーティングを行い、様々な日本文化体験、イベントの企画・開催をするなど、楽しく活動しています。「AUCジャパンクラブ」はAUCの活動の一環なので、モアハウス大学の学生も数名所属しています。FLTAはミーティングへの参加と助言、また、イベントの企画・開催にあたっては大学職員との打ち合わせや準備をはじめ、率先して運営を行います。秋学期は、クラブメンバー数名とともにアトランタ郊外で行われた大規模なジャパン・フェスティバルに参加したり、アニメ鑑賞やゲームをしたりしました。また、11月には “International Education Week”というイベント週間が学内であり、ジャパンクラブもオーガナイザーとして参加しました。様々な国からの留学生とともに国旗を持ちながら学外をパレードしたり、紅茶と軽食を食べながら初歩の日本語を参加者に教えたり、書道教室を開いたり、邦画の上映をしたりしました。スペルマン大学には毎年日本からの交換留学生が一人いて、クラブ活動や前述のランゲージ・テーブルでも運営に協力していただき、いつも彼女に助けられています。

 次に、自分自身が受講している授業についてですが、秋学期は “Survey of African-American Music”、 “Orientation to Education”という二つの授業を正規の学生と同じ単位を取得する“credit”の学生として履修しました。前者は、ゴスペル、ブルース、ジャズ、ソウル、ヒップホップなどのアフリカン・アメリカン音楽がどのような時代・社会を背景にして発展してきたのか、時にはアフリカまでルーツを辿り、決して人々の生活と切り離すことのできない音楽の奥深さと美しさに触れながら、学んでいきました。教授が常におっしゃっていた、アフリカン・アメリカンの過去と現在は文化的・歴史的な「糸」(“thread”)によって固く繋がっているという言葉が印象的でした。授業はディカッションが中心でしたが、音楽を通して学生たちが現在の自分たちを取り巻く環境を語る際にも必ずといっていいほど過去への言及があり、黒人コミュニティに対する差別や抑圧と闘った自分たちのシスター、ブラザーへの敬意を感じることが多々ありました。毎週のペーパー提出やプレゼンなど、課題は大変でしたが、その分得るものも多かったように思います。後者の“Orientation to Education”という授業は教師を目指す学生が履修する授業であり、学校・教育制度、歴史、哲学などについてのディスカッションを中心としながら学んでいきました。この授業を担当する教授は私にとって理想の教師像であり、クラスの学生として様々な知識を学ぶと同時に、教師としてのあるべき姿、姿勢までをも勉強することができました。また、課題として計10時間の “Field Experience”という課外活動があり、私は近隣の公立小学校で授業見学をさせていただきました。見学に加えてクラスの中で日本の学校について紹介させてもらう機会をいただいたり、休み時間に生徒たちと思いっきり外で遊んだり、担任の先生にインタビューさせてもらったりと、様々な角度から生徒と先生、学校を拝見し、ここには書ききれないほどの新たな発見や学びをこの課外活動でも得ることができました。これら二つの授業では他の学生も教授も、クラスの中で日本人である私とも隔たりなく接してくださり、授業外でもばったり会えばいつも温かく話しかけてくれるなど、日本での生活では体験できない不思議な感覚の中で、学内生活を居心地良く過ごしています。

 秋学期のスペルマン大学でのFLTAとしての役割は上述したものが主なものでした。こちらでの生活ですが、スペルマン大学では居住や食事のすべてを大学から提供してもらえているのでこの点ではほとんどストレスなく、自分の仕事や勉学に集中することができています。また、大学はアトランタのダウンタウンからほど近く、地下鉄で主なエリアを回れるので日常生活の不便はほとんど感じていません。一方で、大学周辺の治安はあまり良いとは言えないため油断はできませんが、大学が駅や図書館までシャトルバスを提供するなど、学生の安全を第一に考えているので、比較的安心して過ごすことができています。

 春学期が始まって一週間ほどが経った今、このレポートを書いています。秋学期やワシントンD.C.で行われたFLTAカンファレンスでの学びを踏まえ、こちらの学生がさらに日本語や日本文化に対する興味を持てるように、そして、私自身もよりアメリカの多様な文化を知ることができるよう、一日一日を大切に、今学期も精一杯自分にできることに励んでいきたく思います。


最終レポート

 アメリカから帰国して約2か月もの月日が経ち、締め切り間際になって最終レポートを書いている今でも、スペルマン大学で出会った学生や先生方、友人の顔が鮮明に浮かんできます。1月下旬から始まった春学期は、秋学期にも増してあっという間に時間が過ぎていきました。このレポートでは、春学期のスペルマン大学での語学アシスタントとして、また、学生としての経験、そして、スペルマン大学という黒人コミュニティの中で10か月間を過ごして感じたことを中心に述べたいと思います。

 秋学期は、指導教官が進める4つの日本語クラスをアシスタントとしてサポートすることが主な役割でしたが、春学期は3つのクラスを引き続きサポートする傍ら、中級Iのクラスを一人で受け持たせていただきました。初めてクラスを一人で担当することで、一コマ50分の中での時間配分やすべての学生に対して気を配ることの難しさを感じました。それらはアシスタントとして補佐していたときには見えてこない部分でした。時間配分に関しては、初めは板書をしながら文法解説を行っていましたが、板書にかかる時間を節約するため、文法解説も徐々にパワーポイントに切り替えていきました。その分、事前の準備に時間を要するようにはなりましたが、50分を有効に使えるようになり、学生にとっても学習しやすくなったようでした。また、秋学期に私自身が履修していた教育の授業の中で、学生が親しみを持っている文化や事柄を教員が積極的に授業に取り入れることの大切さを学んだことを思い出し、日本語クラスの学生も意欲的に授業に取り組むことができるよう、アフリカン・アメリカンの文化を授業に取り入れ、できるだけそれを日本文化と関連させながら授業を行いました。具体的には、アフリカン・アメリカンの歌手や著名人を文法導入の際の例文に使用したり、アフリカン・アメリカン文化から影響を受けたファッションが日本女性の多様なファッションスタイルの一つとして確立されていることを紹介したり、できるだけ学生の興味に合わせた授業づくりを心掛けました。

 春学期に引き続き、秋学期も「AUCジャパンクラブ」のアドバイザーと、イベントの企画・運営が語学アシスタントとしての役割としてありました。スペルマン大学では毎年3月に “Cherry Blossom Festival” と題した日本文化を紹介、体験する一大イベントを開催していますが、今年も学内の多くの教職員に支えられながら、そして、学外からアトランタ在住の日本人会の方々、近くのインターナショナルスクールに通う子どもたちと先生方のご協力のもと、無事成功させることができました。昨年の内容を引き継ぎながら、折り紙と書道のワークショップや寿司文化のプレゼンテーション、盆踊り、歌の披露、やさしい日本語講座、邦画の上映などを実施し、指導教官と日本語クラスやジャパンクラブの学生、日本人の留学生とともに当日の運営を行いました。しかし、イベント内容の企画段階で困難に直面したこともありました。それは、ジャパンクラブ主催による活動を決める中で、学生と指導教官双方の意向に違いが生じたことです。結果的には指導教官の意向に沿う形をとりましたが、教員と学生という二つの立場を経験していた私にとって、このときは両者の気持ちが分かった分、物事を決定する際の難しさを感じました。FLTAプログラムの醍醐味である、教員と学生の二つの立場を経験するということを通し、たとえ教員として苦渋の決断を下さねばならないときであっても、少なからず学生の気持ちに寄り添える教員でありたい、と思うようになりました。
 次に、学生として履修した授業についてですが、春学期は “Introduction to Criminology”と “Making of the Modern World”の二つを履修しました。前者は、生物学的、社会学的など、あらゆる理論に基づきながら人間が犯罪行為に至る要因、また、犯罪行為に対する法と社会の反応を学んでいきました。同時に、とあるアフリカ系アメリカ人の犯罪者の生涯と彼の家族に焦点を当てたノンフィクション作品を読み進めながら、彼の犯罪行為がどういった理論から説明できるかクラスでディスカッションしたりしました。特に、統計に表れる人種間の犯罪率の違いやその要因を探ることはもともと私の興味対象だったこともあり、毎回の授業で多くのことを学び、最終的にリサーチペーパーとして自分で設定したテーマに沿って研究をまとめることができました。後者の“Making of the Modern World”は世界史の授業で、とりわけ15世紀以降の歴史がどのように20、21世紀の現代社会を形作っていったのか、読み物とディスカッションを中心に学んでいきました。例えば、スペインの支配下に置かれていたメキシコの歴史を被植民者の視点からひも解いていくなど、読む分量はいつも多くて大変だったものの、興味深く歴史を学ぶことができました。

 大統領選挙の年にスペルマン大学で10か月間過ごせたことは、とても貴重なことだったと思います。新政権が誕生し、人種間の分断がはっきりと浮かび上がってきた今、私の印象としては、スペルマン大学の学生は将来に悲観的になるというよりも、今日のアメリカ社会の実態を分析し、多くの困難が黒人コミュニティを取り巻く中で、自分たちの生き方について冷静に考えを巡らせているように見受けられました。彼女たちは多くの困難を経験してきていますが、同時に、多くの困難を乗り越えてきた強さを持ち、仲間との固い結束や豊かな音楽、ファッション、料理といった文化に矜持を持ち、 “Black woman” であることを誇りとして生きていくのだ、という強い思いをスペルマン大学というコミュニティの中で私はひしひしと感じました。

 帰国後、母校の大学にて、スペルマン大学で過ごした10か月間の経験を共有させていただく機会をいただき、私の想像以上に先生方や学生の皆さまが興味、関心を持ってくださいました。このような機会を持ち、特にHBCUというアメリカの中でもある種特殊な環境の中で過ごした私自身の経験を日本の人たちと共有していくことは、FLTAプログラムを終えた私にできる社会貢献の一つなのだと改めて実感しました。今後、この10か月間で得たものを無駄にすることなく、少しずつ社会に還元していけたらと思います。最後になりますが、このような素晴らしい機会を与えてくださいました日米教育委員会とIIEの皆さまをはじめ、いつも支えてくださるお一人おひとりに感謝申し上げたく思います。また、これからFLTAとして渡米される皆さまのアメリカ生活が素晴らしいものとなりますよう、そして、今後のFLTAプログラムの益々の発展を心よりお祈り申し上げます。