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フルブライト語学アシスタントプログラム(FLTA)

2017年度 参加者レポート

2017年度参加者 
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古田ゆかり Georgia Southern University (Statesboro, GA)

中間レポート

 ジョージアサザン大学に派遣されている古田ゆかりです。今年度が初めての日本人FLTAの受け入れということで、お互いに手探りの状態で始まったプログラムでしたが、他の言語の先生方やTAにも支えられながら、貴重な経験を数多くさせていただいています。前例がないので、このレポートでは派遣先大学のことを中心に報告したいと思います。

ジョージアサザン大学
 ジョージア州のステーツボロという小さな学園都市にある州立大学です。学生数2万人の大きな大学ですが、広大なキャンパスのおかげで混みあった印象は受けません。キャンパス内には公園や湖がたくさんあり、天気のいい日にはベンチに座って勉強する学生の姿をよく見かけます。
 一番近い都市サバンナまでは車で1時間、州都アトランタまで車で3時間。町はコットン畑に囲まれた、いわゆる田舎町で、電車はもちろんバスも走っていません。車がないとどこにも行けず不便を感じることは多々ありますが、ジムやプラネタリウム、植物園など、大学の施設が整っているので、キャンパス内でも楽しめます。
 大学周辺は学生寮やアパートに囲まれているので、比較的治安はいいですが、前学期はキャンパス付近での強盗事件が数件報告されていました。とはいえ、夜中に一人で出歩かなければ何も心配ありません。

TAの仕事
 秋学期は、初級から上級までの5クラスのうち、初級の2クラスのアシスタントをさせていただきました。主な仕事は、出欠の確認、宿題チェック、小テスト・試験等の採点、教材準備、授業内プロジェクト(プレゼン)のコンサルテーションです。また、難しい文法説明のない、ひらがな・カタカナ・漢字の練習や、解説が終わった後のアクティビティを任せてもらいました。初級クラスは一クラスに30人ほど学生がいて、名前を覚えるまでが大変でしたが、毎日のように宿題や小テストに目を通しているうちに個々の特徴が見えてきて、次第に授業もやりやすくなりました。
 また、日本語の授業を履修する学生が毎学期70人ほどいるのに対し、日本人の先生が一人しかいないため、中級・上級クラスに関わることもありました。ダイアログの暗唱確認、発音チェック、プロジェクトのコンサルテーションやリハーサル等、少人数の学生と話すチューターのような仕事でした。
 一番大変だったのが、全5クラス分の中間・期末試験の採点です。特に最初のうちは、アメリカ流の採点基準の甘さに戸惑うことが多く、これでいいのかと何度も自問自答しました。また、自分が教えていない中級・上級クラスに関しては、何が正解で何が悪いのか、自分でもあいまいな部分があり、改めて日本語の難しさを感じることもありました。

授業外の活動
・オフィスアワー
 授業のない火曜日と木曜日に90分間オフィスアワーを設けました。中級・上級レベルの生徒を中心に、プレゼンの練習や発音の確認、作文の添削を行います。担当クラスの生徒以外と関わるいい機会になりました。

・Japanese Club
 週に1時間、日本の文化を紹介・経験する活動です。学生が主体となって活動しているので、私の仕事は出席をとるぐらいでした。日本語を学んでいる学生以外も多く参加していて、毎回30~40人ほどのにぎやかな活動になっています。日本の映画やアニメを見たり、合気道クラブと合同練習をしたり、習字体験やカラオケ大会、忘年会もありました。日本人留学生6人を巻き込み、クラブ全体でとても仲の良い雰囲気ができています。

・Japanese Tea and Conversation Hour
 週に1時間、日本語の会話を練習する活動ですが、一番時間と労力を使う仕事になっています。Tea Hourという名前から、お茶を飲みながらゆっくり会話を楽しむ、というチューターのような仕事を想像していましたが、実際は毎回30人前後学生がやってくるので、そんな余裕はありません。しかも、学生のレベルは、ひらがなも読めない初心者から、日本への留学経験がある上級者まで幅広く、どんな活動なら全員に日本語を話す機会を与えられるのか、常に試行錯誤しています。幸い、日本人留学生のおかげで、小グループに分かれて活動ができるので、日本語を使ったゲームをすることが多いです。ディスカッションやディベートをしてみたいという気持ちがありつつ、インプット中心の活動が多くなってしまったので、春学期はその点に挑戦したいと思っています。毎週違うテーマとアクティビティを考えるのは大変ですが、いろいろな教授法を自由に試せるのでとても貴重な経験になっています。

・International Festival
 毎年11月に大学主催で開催されている地域のお祭りです。せっかくの機会だったので、今年初めて日本のブースを出させてもらいました。日本クラブの学生にボランティアをしてもらい、折り紙と習字の体験ブースを開き、クラブの資金集めに抹茶クッキーを販売しました。大学の外に出てみると、まだまだ日本文化は知られておらず、来年以降もぜひ続けていってほしいと思うと同時に、こういった異文化交流の機会があれば、もっと参加していきたいと思いました。

聴講クラス
 秋学期はRise of US to World PowerとMethods of ESOLの2つを聴講しました。CreditではなくAuditでの履修なので、課題や試験はありません。楽をしようとすればいくらでも楽ができるため、一緒に聴講していた他国からのFLTAは授業を聞いていなかったり、途中から授業に来なくなったりもしました。Auditの私たちへの対応も教授によって異なり、すごく歓迎して気にかけてくれる教授もいれば、深く干渉しないスタンスの教授もいました。学び方は自分の意識次第だと思います。個人的には、レクチャー型のRise of US to World Powerはノートをとる練習になり、ESOLでは様々な教授法が学べたので楽しかったです。

 春学期は初級の2クラスをほぼ一人で任せてもらえたので、さらに忙しくなりそうですが、自由度が増す分、いろいろな教授法に挑戦していきたいです。残り僅かな時間を大切に、存分に楽しみたいと思います。


最終レポート

 ジョージアサザン大学に派遣された古田ゆかりです。想像はしていましたが、10か月のプログラムは、あっという間に終わってしまいました。特に春学期は、仕事にも慣れ、学生との距離も近くなり、楽しめる時間が増えたので、時間が経つのが本当に早く感じました。同時に、新しい経験もたくさんさせていただき、秋学期とは全く違った学期になったと思います。

担当クラス
 春学期は、アシスタントという立場ながら、初級の2クラスを完全に任せてもらえたので、秋学期に見させてもらった授業をもとに、アクティビティやレビューにアレンジを加えながら授業を組み立てました。プライマリーの先生が使っている授業用パワーポイントをそのまま使わせてもらいましたが、文法の説明や練習問題など、聞いていてわかりにくいと感じたところを編集したり、学生の理解度に合わせて復習問題を加えたりしました。基本的にパワーポイントを使って授業を進めるので、スライドのアレンジを含む授業準備に一番時間がかかりました。また、小テストや宿題など、事前にアナウンスしないとやらない学生が多く、常にスケジュールを把握しておくのが大変でした。初級のクラスだったので、難しい文法はあまり出てきませんが、学生からの突然の質問に、あいまいな返答をしてしまうこともあり、日本語・英語ともに自身の未熟さを痛感することも多かったです。しかし、学生の表情を見ながら自分で授業を調整できる分、秋学期よりもやりやすく、楽しく授業ができました。オフィスアワーに質問やおしゃべりに来てくれる学生も増え、学生との距離も近くなったと感じました。

授業外の活動
 Japanese ClubとTea and Conversation Hourは、秋学期と同様の仕事を引き続き行いました。ただ、今年だけの現象かわからないのですが、春学期に一時インフルエンザが流行ったこともあり、大学全体のモチベーションが下がっていたように感じました。他の言語にも共通して、授業を遅刻・欠席する学生が多く、ClubやTea Hourの参加者も秋学期に比べると少なかったです。気温が上がってきた春学期後半は学生の動きも活発になってきましたが、毎回アクティビティを考えるのに、学生が何人来るのかが予想できず、大変でした。

・Japanese Club
 春学期が始まってすぐは、節分やバレンタイン、雛祭りなどの日本行事が立て続けにあり、充実したイベントが続きました。特にバレンタインは、女子から男子にチョコを送るという日本スタイルに従い、女子がスイーツを用意し、1か月後には男子がお返しをするホワイトデーイベントも開催し、盛り上がりました。アニメやドラマで馴染みのある学生も多かったですが、日本の独特な文化を楽しんでいました。

・Tea and Conversation Hour
 春学期は「学生同士の教え合い」をテーマにアクティビティを考えました。前学期はレベル別に分けた活動が多かったのですが、今学期は一グループに様々なレベルの学生を置き、グループ内で教え合いの活動ができるようにしました。やはり、テーマやアクティビティを考えるのは大変でしたが、日本語の授業を受講していなくても、毎週Tea Hourを楽しみにしてくれる学生や、楽しかったとわざわざ言いに来てくれる学生が、何よりも励みになりました。また、1週間かけて考え、時間をかけて準備したものを、自ら進んで取り組んでくれる学生の姿を見ると、とても達成感が得られました。今学期は、アウトプットの機会も増やし、短いプレゼンや会話、文章を言葉にする練習も取り入れました。慣れない活動で、恥ずかしそうにしている学生もいたので、これが当たり前になるくらい継続していけたらいいと感じました。
 年度末のミーティングで、外国語学部の学部長から、会話の練習は反復練習が大事で、毎回違うことをする必要はないと指摘され、なるほどと思いましたが、自分が理想と思うアクティビティを数多く試せたことは、非常に貴重な経験となりました。今後日本の英語教育にも活かせる部分が多いと感じています。

聴講クラス
 春学期はスペイン語とアラビア語を聴講しました。メキシコ系の学生が多い大学だったため、学生の影響でスペイン語を、そして共に働いていたアラビア語のFLTAの影響でアラビア語を選択しました。どちらも学生の立場から言語教育法を学べる良い機会となりました。特にアラビア語は、日本語と同様、英語とは異なるアルファベットを使うため、ひらがなやカタカナに苦労する学生の気持ちがよくわかりました。授業中にターゲットランゲージをどのくらい使っているのか、学生にどう発話させるのか、そして授業のテンポなど、実際に体験して学べることが多かったです。そのまま日本語の授業やTea Hourに活かせることも多々ありました。

最後に
 10か月間という短い期間でしたが、プログラムを通じて多くの人と出会い、たくさんの刺激を受けました。世界中から言語教育者が集まる、国際色豊かな環境の中で、視野が広く、世界が狭くなったと実感しています。特に、同じ大学に派遣された3人の個性豊かなFLTAとは、共に過ごす時間が多く、お互いに、文化や言語を含め多くのことを学び合いました。この先もずっと繋がっていたいと思える同僚ができたことは大きな財産です。
最後になりましたが、フルブライトFLTAプログラムでの貴重な経験をサポートしてくださったスタッフの皆さん、プログラムを充実なものにしてくれた仲間たち、応援・支援をしてくれた全ての方に感謝しています。ありがとうございました。

GSU FLTAs

日本人留学生の見送りに来たJapanese Club

2. 市倉充智 University of Wyoming (Lalamie, WY)

中間レポート

 ララミー空港に到着し、牧歌的な雰囲気を肌に感じてから五ヶ月が経ちます。私はワイオミング大学に派遣されていますが、大学や周辺環境に関しては2016年度FLTAの栗尾公子さんが詳述してくださっているので、そちらをご参照ください。私からは、応募のきっかけ、学生としての授業、日本語の授業、という三点についてお話をしようと思います。
 まず一点目ですが、私が何故このFLTAプログラムに申し込んだのかについてお話します。私は金銭的な都合から長期留学を経験したことがありませんでした。私は元々、英語は日本にいても十分出来るようになると息巻いていた人間ですし、今でもその考えは変わっていません。しかしながら、このグローバル化が進む昨今、英語教師に要求される「英語」は本当に多岐に渡ります。文法力だけではなく、高度なコミュニケーションスキルや実体験に基づく文化理解など、英語に関することなら何でも求められるようになってきていると感じます。英語の資格を習得したり、英語学専攻で修士課程にも通いましたが、それでもプロフェッショナルとして「英語」を扱うことに一抹の不安を感じていました。時代が要求する「英語」教師としての素養を網羅的に身につけるためにも、長期留学という英語圏滞在が常に念頭にありました。そんな折、お世話になっていた大学の先生からFLTAプログラムをご紹介いただきました。このプログラムでは渡航費や滞在費は全額Fulbrightが負担してくださいますし、海外の大学で教育に従事することが可能な点で非常に魅力的に感じました。換言しますと、金銭面で負担にならず、これからの「英語」教師として不可欠だと感じていた部分と、他国で教育に関わるという希有な経験の双方を与えてくれるプログラムだったので応募に踏み切りました。
 学生として、秋学期はIntroduction to PhilosophyとTechnical Writing for International Studentsを、それぞれAuditとCreditで受講しました。哲学の授業は扱う内容そのものが抽象的で難しく、予習・教授の解説・復習、全てがとても大変でした。基本的に、教授の許可を得て授業を録音して復習に役立てました。ライティングの授業ではCover LetterやResume、Proposalの書き方など、目的に応じたライティングを学びました。中でも印象に残っているのは英文のトーンについて学んだことです。目的や状況、読み手に依って英文の書き方を工夫するという内容ですが、コンテクストに準じて読み手側が想定するであろう英文のニュアンス、文章のformalさを考慮した単語のチョイス、企業が使用する英語表現と顧客のそれとの差異等、なかなか日本では学ぶことが出来ない内容だったので非常に有意義でした。帰国してライティング指導に当たる時にも応用できる内容だったので本当に満足しています。
 第三に日本語教師としての仕事に関して述べますが、このレポートをご覧になる方の多くが大変興味を持つ内容だと思うので、なるべく詳しくお伝えします。ワイオミング大学にはアメリカ人の日本語教師が一名いらっしゃいますが、日本語ネイティヴの教員がいないせいもあり、非常に手厚く、また絶対的な信頼と敬意を持って教職員が接してくれます。個人用の研究室が与えられ、基本的には授業内容を一人で考え、当然授業自体も一人で教壇に立ちます。秋学期の私の授業スケジュールは以下の通りでした。

1st year Japanese ① → 月曜日から水曜日まで各50分(文法、聞き取り等)
1st year Japanese ② → 木曜日の50分(文化紹介や文法演習)
2nd year Japanese → 木曜日の50分(会話練習や文法復習)
3rd year Japanese → 金曜日の50分(文法演習や読解問題解説)

 以上の計六コマを担当しました。このうち、1st year Japanese ① は私が主担当だったので、授業の構成や内容の検討だけでなく、私の授業用にシラバスの編集を手掛け、小テストや試験問題の作成、課題の確認や成績管理、Final Gradeの入力まで全て一人で行いました。学生がこれまでに学んだことを私が理解しているので、授業構成を練るのは非常に楽しいですが、やはりそれ相応の授業準備は伴います。それでも、学生が毎日休まず授業に来て忌憚なく質問をしてくれたり、悩みを打ち明けてくれたりすると、主担当で良かったな、と思います。
 授業をしていて驚いたのは、上級生ともなると時として学生の方が日本について興味関心・知識があったことです。「禅って?だけど、こういう時はどうするの?」「○○城は何県だっけ?」等々、歴史文化に関わることや、「日本と北朝鮮の外交に関してどう思う?」「日本の政党とアメリカの政党の違いは?」などの政治に関すること、自身の日本に対する浅学さを痛感しました。(それだけこちらの先生と去年度FLTAの栗尾さんが日本への関心を与えていると考えると、同時に嬉しくもあります。)

 とても閑静なララミーですが、当初感じた通り、雑踏にまぎれることもなく落ち着いた環境を楽しめています。春学期は主担当が二つになり、とても忙しくなる予感がしますが、こうした機会を提供してくださっているFulbrightへの感謝を忘れずに、自分のためにも学生のためにも尽力していきたいと思います。


最終レポート

 都会の喧騒へと飛び戻り、ワイオミングでの生活に懐かしさを覚えるようになりました。あまりに多くを学んだ留学経験でしたので、この最終レポートは二点に絞りお話していきたいと思います。
 初めに、現在アメリカへの留学経験をお持ちでない方が日本での学びとの「視点」的な差異を見つけ留学を前向きに考えていただきたいという想いから、春学期に受講した授業に関して記録していこうと思います。
 今期はIntroduction to American StudiesとIntroduction to Women’s Studiesを受講しました。American Studiesではfrontier mythに関して重点的に学びました。日本で言うところの「西部劇」が、どのような背景を経て成り立ち変化していったのか、当時支配的であったイデオロギーを含めて考察していきました。中でも興味深かったのは、アメリカにおけるmasculinityとfemininityの変遷です。不当な出来事に対して「目には目を」と復讐(revenge/vengeance)するのが「男らしさ」なのか。あるいは法的手段を講じて正義(justice)を選ぶことが「男らしさ」なのか。そして、時が経つにつれて、上述の「男らしさ」の議論に銃器を獲得した女性が介入していきます。女性が銃器を得たことで筋力をアイコンとしたmasculinityは崩壊し、精神面が色濃く反映されていく————。当時のアメリカ人を支えた観念を学び、それがジェンダー間ギャップを含む現代アメリカを形成しているという見方は非常に斬新で目を見張るものがありました。
 Women’s StudiesではThe three waves of feminismに代表される女性の権利拡大、それに付随する男女平等問題、LGBTQ+に関して学習しました。生物学上の区別と差別、メディアが「男性らしさ」「女性らしさ」をサブリミナル的に刷り込み我々が無意識のうちにそれらを享受していること、LGBTQ+の人が抱える苦悩等、非常に多くのことを学びました。授業を受ける前には考え込んでしまった、one of my dadsという表現も今ならすんなりと理解できるようになりました。このようなたった4語の解釈にさえ、如何に我々の「常識」が介在しているのかを再認識しました。日本はジェンダー後進国と言われています。The Global Gender Gap Report 2017に依れば日本は男女格差が未だ大きく、主要先進国G7の中で他の6ヶ国から大きく離され下位を低迷しています。こうした日本の現状を授業での学びを生かして深く考えることができて非常に有意義でした。
 どちらの授業にも共通することですが、アメリカで学びアメリカの視点から日本を捉え直す機会を得られたことが留学の一つの利点なのではないかと思います。これまで以上に物事を俯瞰して見ることの重要性を肌で感じました。
 さて、次に書いていきたいのは主担当の日本語教員として働くことの魅力です。これを読んでいる方には留学経験はあるが教員として仕事をするイメージが湧かない方も多いと推察します。したがって、Teaching Assistantとしてではなく主担当として勤務することの利点を詳述していきたいと思います。
 主担当の利点は授業にかなりの裁量が認められていることです。責任はそれだけ大きいですが、自分が望むように授業を考えて実施できることがほとんどです。春学期に行った試みで大変効果的だったものは日本人学生の協力を仰いだことと日本の漫画を授業に取り入れたことです。前者では週に一度、日本人留学生に2年生の授業に来てもらい会話に重きを置いた授業を実践しました。ジグゾーリーディング等のメソッドを使用し十分な数の日本人と共に学習できたことに学生は満足していました。後者の漫画は箏に関するもので、日本の文化を紹介する上で効果的だと考えました。学生には単行本の2巻分以上の範囲を読んで欲しかったのですが、「1巻まるごと」となれば公教育での使用とはいえ著作権の問題が生じますから、事前に作者に連絡をとり許可をいただきました。そして、その漫画を英訳し特定の演奏シーンまで学生に読んでもらい、その上でその演奏を再現している出版社公式動画を見てもらいました。日本語を受講している学生であっても日本の漫画を読んだことがない学生が一定数いましたし、箏そのものを知らない学生もいたので、学生達は非常に楽しんで授業を受けてくれました。特に2年生は、漫画を読んだ感想を日本語で手紙に書くことまでしました。学習した文法を使って実際に手紙を書くことに学生は関心を持って取り組んでくれました。


1st year Japanese
最後の授業で

2nd year Japanese
日本人留学生が協力してくれました。
 また、一日本語教員として様々なお仕事の依頼を受けることがあります。世界に触れることを目的としたWorld Languages Dayでは、ワイオミング大学の日本人と協力しお箸の使い方をレクチャーしました。また、ワイオミング大学は東北大学工学部と協定を結んでいるので、3月には東北大学への進学が決まっている高校生が海外研修に訪れました。こちらのプログラムにもアシスタントとして参加させていただきました。最後に、春学期が終了し次第、ワイオミング大学の希望した学生を連れて協定校である神戸女学院大学でのサマープログラムに参加しました。アメリカの大学生と一緒に日本に関して多くを学ぶ良い機会でしたし、2018年度にワイオミング大学へ留学予定の学生と交流したりと、神戸女学院大学とワイオミング大学の親交を深めることの一助となれました。上記のように、私が帰国してからも続くであろう、様々な方や機関とワイオミング大学との交流に短期間ではありますが携われたことを大変嬉しく思います。主担当として働くことは不安もたくさんあると思いますが、周りの皆さんは非常に協力的ですし、得られることもとても多いです。これからFLTAプログラムに申し込むことを検討している方も既に申し込んでいる方も、主担当での勤務のイメージを膨らませてみてください。中々得ることができない本当に貴重な経験ができますよ。

World Languages Day
日本人ボランティアと

東北大学のプログラムにて

神戸女学院大学でのサマープログラムに参加しました。
 私がワイオミングにいたのは僅か9ヶ月でしたが、それでも日本に留まっていたのでは得られないものを数多く学びました。正直なところ、初の長期留学でしたので不安も多くありましたが、今となっては笑い話にできるほどヴィヴィットで素敵な経験をさせていただきました。日米教育委員会の方のご尽力でこのプログラムに参加できたことを誇りに思い、今後の教員生活にしっかりと繋げていこうと考えています。以上で、最終レポートを締めくくりたいと思います。

3. 木村浩樹 Carleton College, (Northfield, MN)

中間レポート

 ミネソタ州ノースフィールドの霧のような雪の美しさと肌を刺すような寒さは渡米前の私の想像を大きく超えていました。厳しい寒さの中でもたくましく元気なカールトンカレッジの学生達に元気をもらいながら日々を過ごしています。この中間レポートでは、秋学期における私の仕事や生活について報告します。

LAとしての仕事
 私は、language Associate呼ばれる役職の基、日本語授業の補佐(初級クラスと中級クラスの2つ)と日本文化の紹介を目的とする課外活動の運営を担っています。日本語授業の補佐としては、主に会話練習、小テスト・ワークブックの採点と記録、試験監督、毎週金曜の授業(初級クラスのみ。Laboと呼ばれる特別教室で会話練習を主としたもの)、週3時間のオフィスアワーを担当しました。中でも最も時間を費やしたのが小テスト・ワークブックの採点と記録です。採点基準が初級と中級で違うため混合してしまったり、部分点の判断を担任の先生に逐一確認を取らなくてはならなかったり、問題数が何問であっても規定の点数を満点としたときの点数で採点をしなければならなかったり、初級・中級どちらもほぼ毎回の授業で小テストがあるため慣れないうちは圧倒されました。慣れてくると、学生の共通の間違いに気づくようになり、授業中にフィードバックができるようになりました。
 課外活動の面では、夜7時から始まるお茶の時間と映画の時間、お昼の時間に行うランゲージテーブルをそれぞれ週に一回ずつ担当しました。お茶の時間は学部の予算内で、自由に活動を行えます。今学期は例年通り日本料理や和菓子作りを行いました。文化交流の場としてだけでなく、学生同士の交流の場でもあるため、できる限り多くの学生を巻き込めるように日本語を履修していない学生にも積極的に声をかけました。10回を通して平均約12人の学生が参加してくれました。参加率の向上と維持を心がけていた私にとっては嬉しい結果でした。
 映画の時間では、日本映画や日本ドラマを映画字幕をつけて学生と鑑賞しました。授業中の学生の様子や学生のリクエストを考慮して動画を決めました。東京の乱立した高層ビルや道路を歩く群衆の様子は興味深そうな表情で見ていました。また、作中でお礼やお詫びをするたびにお辞儀をする主人公を眉をひそめながら見ている学生もいました。上映中に多くの質問を受けましたがほとんどが日本人の性格的な特徴についてでした。学生の質問に四苦八苦しながらも学生と一緒に楽しむことができる時間でした。
 ランゲージテーブルとは食堂の一角で日本語クラスを担当している先生方と学生が自由にお昼ご飯を食べながら交流するものです。毎回20人近くの学生が来るので食堂が開いてすぐ場所を取りにいかないといけません。この場では休日や空き時間の作戦会議が始まることが多く、どこに、だれと、なにをするのか等学生が日本語で話す様子が見られます。さまざまな日本語レベルの学生が集まるのですが、ときどき、上級クラスの学生からくだけた表現を教えてもらった初級クラスの学生が私にその表現を冗談っぽく言ってくることがありました。そのような表現の使い方について簡単に指摘しますが、さまざまな日本語に親しんでいる様子を見て嬉しくなりました。
 周りに娯楽が少なく、室内で過ごすことが多いカールトンカレッジの学生にとってLAが担う課外活動は学生にとって貴重なものです。お茶の時間は張り切った様子で「何か手伝えることはありませんか?」と聞いてくる学生がいました。映画の時間ではコメディ作品を見せると廊下まで笑い声が響くくらい盛り上がります。素直で真面目なカールトンの学生たちと無邪気になって楽しめるこれらの活動は私にとっても貴重で、とても大切なものです。

カールトンカレッジについて
 カールトンカレッジはアメリカの最北部に位置するミネソタ州の小さな町ノースフィールドにあります。今年の気温は例年に比べ暖かいそうですが、マイナス30度を下回る時期もあり、その時期は防寒着で顔全体が覆われた学生たちが、少しうつむきながら足早にキャンパスを移動する姿が見られ、キャンパス全体がどこか寂しい雰囲気でした。私も慣れない防寒着とブーツに窮屈さを感じることが多く、心身ともに厳しさを感じることが多かったです。
 冬は天候が厳しいですが、学生にとって勉強に没頭しやすい環境です。大きな特徴として挙げられるのはコミュニティ内のつながりの強さです。初めて図書館を歩いて見て回ったときに、一人で勉強している学生が少なかったことは印象に残っています。多くの学生がチューター制度を利用しており、クラスもグループワークが多く、総学生数約2000人と学生数が少ないためオフィスアワーでは先生に直接質問ができる確率はかなり高いです。私もライティングセンターのチューターを利用しているのですが、同じ授業を履修している学生を紹介してもらい、大変ありがたかったです。また、 学生と先生との距離はかなり近いものだと思います。私のオフィスアワーには、「ちょっと通りかかったから」と言って声をかけてくれる学生がいます。 日本語を履修している学生は私を見かけると必ず日本語で挨拶をしてくれます。最初は私に対して緊張している様子の学生もいましたが、今ではほとんどの学生に気軽に声をかけられます。最近では私を見かけると必ず質問をしてくれる学生も現れ、熱心に勉強する姿に刺激をうけています。

 カールトンカレッジでの生活が折り返し地点にきた今でも、仕事や生活への不安・ストレスは少なくありませんが、大学時代の恩師、元勤務先の先生方、そしてずっと温かく見守ってくれた家族に胸を張って報告ができるように残りの日々もより一層精進していきたいと思います。


最終レポート

 プログラムを振り返れば当時のさまざまな気持ちがこみ上げてきます。この最終レポートでは、一年を通しての最終報告をさせていただきたいと思います。
 Language Associate (LA) としての仕事について報告します。授業見学をしながら先生方の授業における技術だけでなく、学生がどのように間違い、先生方の質問に反応し、学んでいるのか気付いたことはできる限りメモしました。月曜から金曜まで毎日2コマある初級クラス全ての授業へ出席するよう求められていたので大変でした。しかし、学生の様子を近くで継続して観察できたことは教授経験が少ない私にとって非常に貴重な経験でした。LAが主導で進行させていただく授業では、学生同士でできるだけ助け合わせるように心がけました。例えば、つまずきやすい文法の導入後にはグループで文法の説明を英語で行わせ、クラス全体の理解を促してから練習に入ったり、教師からの質問に困っていたら、他の学生に手助けを促したりしました。学生同士の信頼関係に優先度を置いたつもりでしたが、授業内・外から日本語に関する質問が増えたり、文化紹介イベントへの参加人数が初級クラスから少しずつ増えたり、想定していなかったところで効果があったように感じました。会話練習を主とするラボでは学生の発音の矯正をするにつれ成績が良い学生と、低位の学生の音読の仕方に一定の共通点があることに気づき、それは日本語習得においては定説とされている現象だと知りました。日本語習得について勉強するにつれ他にどのような共通点があるのか興味がわきました。フィラーが多い、ピッチアクセントが正しくない傾向が強い、間違えやすい日本語の音(促音、長音など)を正しく音読ができない、このような特徴を持つ学生は小テストの点数が比較的低いことに気がつきました。学習者に音の違いを意識させ、矯正させることはいくら正しい発音を提示してもなかなかできない学生が一定数いました。それぞれの音がどう違うのか、自分の発音が正しい発音とどう違うのかを理解できないと直せないと考え、ただ正しい音を繰り返し示すのではなく、口の動かし方がそれぞれどう違うのかを動画を使って説明しました。
 受講した授業については、どの授業においても自分の意見をちゃんと筋道を立てて主張することに一番苦戦しました。心理学の授業の課題で、与えられたタスクをどのように解いたのかタスクを解きながら口頭で説明してもらい、その音声を録音したものを分析しレポートにまとめる、というものがありました。客観的に描写し論理的に分析するまではスムーズにできました。しかし、それらを根拠とし授業で触れたさまざまな理論を用いながら説得力のある意見としてまとめるのは想像以上に大変でした。チューターから、自分の仮説を支持する情報ばかり集めている、言いたいことが分かりづらい等たくさん指摘をもらい、何度も修正しそのレポートを提出しました。帰国後、さまざまなメディアを通してニュースを見ると、なぜそのような結論に至ったのか、恣意的な解釈なのではないか、といった疑問をこれまで以上に持つようになりました。今後も英語力の向上はもちろんのこと、批判的にさまざまな情報と向き合っていきたいです。
 プログラムを通して、カールトンカレッジの学生に伝えたいことがありました。2011年の東日本大震災後さまざな支援をしてくださったアメリカへの感謝の想いです。岩手県宮古市で育った私は震災後アメリカからの多くの支援物資を実際に目にしました。震災後、私がそのような支援に対して感じたことや7年経った今でも感謝し続けていることなどをできるだけ素直に日本語の授業の中で伝えました。私の話を聞いている学生の真剣な表情がとても嬉しく、と同時に大きな使命感のようなものを感じました。このトピックについて話すときはいつも想定していた時間を過ぎてしまい、日本語の授業中にもかかわらず英語で話してしまったのですが、学生たちの表情とその時の教室の雰囲気から確かに私の想いを受け止めようとした彼らの意志が感じられました。
 授業見学や学生との交流を通して、自分が先生としてどんな授業をしたいのかイメージが少し見えたような気がします。授業内での学生の様子を観察した中で得た疑問から、追求したい問いとの出会いもありました。この経験で得たさまざまな着想がいずれ大きな財産となるように今後も勉強していきます。帰国後、母校の大学でFLTAプログラムの体験報告をさせていただきました。友人や家族、初任校の先生方にもプログラムを通して私が見たもの、考えたことをお話ししました。プログラムを通して得たもの、学んだことをこれからも多くの人々と共有していきたいと思います。このような機会を与えて下さった日米教育委員会、IIEの皆様、本当にありがとうございました。

4. 木内美恵 Brandeis University(Waltham, MA)

中間レポート

1.派遣先大学について
 今年初めてのFLTA(日本語)としてブランダイス大学に派遣されています。大学はアメリカ東部に位置するマサチューセッツ州のボストン郊外にあります。中規模のユダヤ教系私立大学で、研究大学として知られています。全ての人に開かれた大学であること、3つの礼拝堂があることも特徴の一つです。また、ちょうど今年の話題ですと、2017年のノーベル生理学・医学賞を受賞されたことで存知の方もいらっしゃるかもしれません。

2.日本語授業と日本文化紹介の機会について

 秋学期、日本語の初級・中級クラスとTopics in Contemporary Japanese Culture and Societyクラスの3授業にアシスタントとして参加しました。その他、発音クリニック・Office hour(日本語授業を開講しているビルにオフィスをいただき、ロシアからのFLTAと共有しています。この時間は、授業の復習や、個別の質問を受けたり、会話練習やビジネスで使う日本語表現等の練習をしたり、インターンシップをしている学生や将来日本で働きたい学生等と様々な話をしたりしました)・日本語スピーチ大会の参加・テスト監督・採点・宿題(クラスに合わせてチェックの際に工夫をしました。熱心に課題をこなす学生に感心しながら、解答から間違いの傾向や理解度を知る大事な時間になっています)。授業では突然歌を歌ったり、日本の学校についての話を共有したりすることもありました。いずれにしても常に様々な形でサポートができるよう心の準備をしておく必要があります。大学には「I am global week」という約1週間にわたる行事があります。そこで、「Language Lunch、 Global Bazaar、Art of Japan」といって日本語や日本文化を紹介する機会がありました。Art of Japanでは 折り紙を始め、判子やせんす作りを一緒にしました。思った以上に興味を持って立ち止まり参加する学生がいることに嬉しくなりました。その他、JETプログラムや日本で働くにはと題して行われた講話にも学生と参加をしています。
 そして、ブランダイスには日本人学生協会があり、学生の母体がしっかりしていて活動的です。最近ではJapanese New Yearもあり、日本の正月を紹介し、お雑煮を提供したり、福笑いや年賀状作成などができたりするブースを作り、盛り上げていました。このように基本は学生主体で、私は「リソース」の立場で学生のサポートをしています。春学期のLanguage tableに関しては時間を合わせてよりサポートができるように動いています。

3.履修授業について
 EducationからThe Psychology of Love-Educating for Close Relationshipsと、American studiesからAdvertising and the Mediaのコースを受講しました。久しぶりに学生として授業を受ける楽しみと、内容の面白さが重なり、授業前に胸が躍りました。毎回、課題となるリーディングの内容についてグループディスカッションがありました。課題を読みそこからディスカッションの内容を考え出すのもグループメンバーが交代で行いました。異文化間の違いについて話すこともあり、そのような時は日本人の一人ではあるにしても、内容やことばに注意して話そうと意識を高く持つようにしていました。ただ思うように伝えることができないもどかしさに葛藤していました。しかし、お互いの話を聞こうとする姿勢や雰囲気づくりに感謝とそれがまた学びになりました。また、実際に自身が被験者になり対話をした実験や現地の方にインタビューをしたものを音声から論文にまとめたり、専門家からの講義などもあったり、特徴ある実践的な授業でした。後者は広告と近代アメリカの社会、文化、政治、経済発展との関係と、それがどのようにアメリカ人の特徴として形成されたてきたのかを理解するという内容。どちらも講義中心というよりも、参加型、対話型でした。授業の内容ももちろんですが、授業の様子や形態から、日本での経験を通して得たものと比較することができ、これも収穫できたことの一つだと考えています。

4.生活について
 家を留学生の大学院生、地元の大学生、社会人と共有しています。学校の施設とは全く別ですので、完全自炊で、掃除、ごみ出し等の細かいことは話し合って協力しています。買い物は徒歩、バス、車を乗り合わせるなどしています。家・部屋に問題があれば大家さんに、共同生活なのでハウスメート同士で助け合うこともあります。冬…先日も大寒波が到来し、やはり寒さと安全対策は大事だと痛感したところです。しかし、私には生活スタイルや風土が合っていて自然と馴染んでいます。
 その他の活動として-ボランティア活動、コミュニティー活動への参加をしています。大学での主催を含めて炊き出し、物資調達準備などに参加しました。また、キャンパスでは他の言語のTAとの出会いもあり、考えを共有できたりする機会があります。

5.世界からのFLTAと春学期について
 そして、このプログラムによって得られる50か国以上のFLTAとの出会いは素晴らしい経験でもあります。アーカンソーでのオリエンテーションとワシントンで行われた400名以上が集まったカンフェレンスも特別な数日間でした。まさに異文化コミュニケーションを肌で感じる機会でした。また、日本語FLTAと披露した舞台に様々な国のFLTAが感想を言いに来てくれるなど、アメリカの学生のみならず、このような形でも日本文化を発信できた喜びを感じました。現在の大学には私を含め2名のFLTAがいます。もう一人、FLTA(ロシア語)がいるのは心強く、手続きや日々の出来事を含めてよくコミュニケーションをとっています。また、マサチューセッツ州のFulbrightの集まりがあったり、同じ大学でFulbrightという枠でも顔を合わせたりするなどして、コミュニティー活動に参加のきっかけにもなりました。
 日米委員会の方々をはじめ、教授、先生方、私を取り巻く人のおかげで、ここでの日々を送ることができていると、このような機会に改めて感謝致します。春学期、今後の学生の日本への興味や関心をさらに高めていけるよう、また日本語学習の動機づけになるきっかけを作っていけるよう努力していきたいと思います。そして、コミュニティー活動やJSAの活動にも継続して参加し、Language table へのサポートを含めて、「リソース」という立場でも、できる限り能動的に発信できるように活動してきたいと考えています。このプログラムの理念に届く活動を目指して。そのために、今学期も学生との時間、日々の小さいことから大事にしていきたいと考えています。


最終レポート

1.春学期を中心にブランダイス大学での派遣を振り返って
 春学期は初級クラスの授業やワークショップの開催、文化行事での手伝い等、様々な活動に関わることができました。 担当させていただいた初級クラスの授業については、教授と密に指導内容を確認しながら進め、フィードバックをいただき次に活かせるように努めました。また、授業中や授業後の学生の反応からもたくさんの力をもらいました。ブランダイス大学で教壇に立たせていただいたのは貴重な経験です。その他、秋学期同様Office hourに加えて、毎週2日のチューター、毎週1回のLanguage tableに参加をしました。チューターでは、学生の声を直接聞くことができ、また理解度を確かめる一つの材料にもなるため教授としっかり共有するようにしました。Language tableでは、様々な話題について会話をし、日本料理を一緒に作って食べたりもしました。日本語や日本文化に大変興味がある学生が集まっており、その気持ちを大切にしたいと思い過ごしました。基本は学生主体で、私は「リソース」の立場で学生のサポートをしました。春学期は学生からも声をかけてくることが多く、授業外での会話も増えるようになりました。
 春学期後半には、日本語履修の学生に向けて習字ワークショップを開催しました。学生と筆を持つ喜びと、それ以上に学生の熱心に取り組む姿に大きな喜びを感じました。清書を仕上げた後にふっと緊張感から解放された笑顔がとても印象に残っています。また、Japan New Year PartyやJSAによる大イベントである春祭りが行われ、学生や訪問客に着物や浴衣の試着を手伝いました。時間のある限り様々な伝統服を着てみたいと喜び、記念写真を撮る姿を見て嬉しく思いました。

 そして、春学期に履修した授業も秋学期同様に参加型、対話型で、実践的な授業でした。アメリカの大学生の現状を知ることができ、授業の内容ももちろんですが、授業の様子や形態から、日本での経験を通して得たものと比較することができたことも収穫の一つだと考えています。お互いの話を聞こうとする姿勢や雰囲気づくりに感謝しそれがまた学びとなりました。

2.その他の活動について
 春学期は、より学生やコミュニティーに関わるような活動をしていきたいと考えていたため、できる限り早めに行事の確認をして動けるように心がけました。Language table へのサポートを含めて、コミュニティー活動やJSAの活動にも継続して参加しました。例えば、小学校やケアハウス、農場での活動、大学の行事や学生の芸術発表、他の言語のTAや学生とクラブ活動等に参加しました。また、ブランダイス大学ではFestival of the creative artsというイベントがあり、学生と盆踊りや日本の伝統焼き物作りにも参加しました。
 そして、ブランダイス大学のフルブライト生の集まりにも参加しました。集まった研究者や学生は様々な国の出身で研究分野も異なり、フルブライトの共通話題だけでなく、様々な話題で盛り上がりました。

3.最後に
 今回のように両方の役割だったからこそ、活動の幅も広がることが多く、改めて貴重な経験と時間を過ごさせていただいたと感じています。大学やマサチューセッツでの生活が自然と馴染んでいた一方で、日々異なる環境でより一層人を理解しようと努めることが大事だと思いました。また、ブランダイス大学だから学び経験できたことも多くあります。コミュニケーションも国、人によって様々であることやその大切さも分かっていたようで、やはり深いものだと、改めて実感しました。世界各国のFLTAとの出会いや、大学での環境はこのことを肌で感じさせてくれました。このような貴重な機会を与えて下さった日米委員会の方々をはじめ、教授、先生方、私を支えて下さった全ての方に、心から感謝致します。

5. 杉浦竜也 University of Arkansas (Fayetteville, AR)

中間レポート

 アーカンソー大学( University of Arkansas)に派遣されている杉浦竜也です。初めてFLTAを受け入れる大学という事を踏まえて、この中間レポートにはなるべく幅広い情報を提供できるように心がけます。具体的な内容は、派遣先、聴講クラス、仕事、FLTAとの交流についての4点を軸に、それぞれ3つの視点から報告します。

派遣先
州について:

大学から見られる夕焼け
 ①アーカンソー州はアメリカの南部にあり、 州の愛称を「The Natural State」と呼ぶことから、自然がとても豊かでDevil's DenやOzarkにある山や湖をハイキングした時の紅葉は感動を覚えるほどです。一番好きな景色は絵に描いたような真っ赤な夕焼けで、大学やアパートから頻繁に見られますが飽きが来ないほど綺麗です。②その一方で、ウォルマートという世界最大のスーパーマーケットの本部がアーカンソー州にあるため、深夜まで営業している大型のスーパーが近くにあり生活をする上での利便性も充実しています。③また、派遣先のアーカンソー大学があるフェイエットビル市(Fayetteville)は全米で行われた "Best Places to Live"のランキングで2017年は5位(U.S. News & World Report調べ)を記録しています。主な理由として自然環境、雇用率、通勤時間、土地の値段、犯罪率、気候等の項目で評価が高く、都市全体の開発が進み人口が増えている活気のある場所であることが挙げられていました。これはシアトル(6位)やボストン(8位)を上回る順位であるため、個人的にはとても驚きでした。

大学について:

アーカンソー大学
 ①アーカンソー大学は創立1871年の総合大学で、学生数はフェイエットビルの人口のおよそ4分の1にあたる2万7千人ほどであることから、町全体を大学都市と言っても過言ではありません。その恩恵もあり大学の周りを中心として無料のシャトルバスが運行しているため、車がない留学生も自由に市街を移動することが可能です。②また、大学は多様性も富んでいて現在では120カ国から1461名の留学生を受け入れています。大学の担当者から最初に頂いたメールに「You are welcome here」という動画が添付されていて、人種や国籍などを超えて受け入れてくれる大学であるということを知ることができ、また初日から多くの方々が私たち留学生に気を遣ってくれたことでとても安心しました。③もう一つの特徴として、アーカンソー大学はフルブライト奨学金の創立者であるJ・ウィリアム・フルブライト氏が大学時代学んだ場所であり、法学部で教鞭を執った場所であり、そして学長を務めた場所でもあるという事です。詳しくは最終レポートの中で書きたいと思いますが、興味のある方は『権力の驕りに抗して- 私の履歴書(日本経済新聞社)』というフルブライト氏の自伝がありますので、是非手にとって読んでみて頂ければと思います。

聴講クラス
Second Language Methodologies(水 4:30 - 7:15)について:

日中合同発表(聴講クラス)
 ①「第二言語方法論」の授業の基本的な流れは、4人1組でグループになった後それぞれのグループが教科書の各チャプターを宿題としてまとめ、それを30分程で発表するというものでした。このような授業形式は母校(都留文科大学)のゼミも同じあり慣れてはいたのですが、一回の授業で3~4チャプターも進むため毎週ついていくのに必死で、これが大学院生向けの授業の早さだと実感しました。②この授業の一番の特徴は、各グループの発表に必ず方法論で学んだ実践的な活動が10分ほどActivityとして設けられている事です。例えばSimon SaysやPicture Describing、Verb Describing、Making a story in a circle、Filling in the blank lyrics等は、そのまま日本語の授業にも応用できるものばかりでとても参考になりました。③最後の授業では、教授から文化紹介の時間を設けてもらい、そこで一緒に聴講していた中国のFLTAと協力をして、日本と中国の似ている点や異なる点に焦点を当て、日中合同での発表を行なうことができました。作成過程も含めてとても意義深い経験をさせてもらいました。

Music and the Arts of Edo Japan(火木 9:35 - 10:45)について:
 ①「江戸の音楽と芸術」の授業を取った主な理由は3つあります。日本文化をアメリカの視点から学んでみたかったことと、授業を通じてアメリカの学生に日本文化を発信したかったことと、シラバスの内容から少しズレますが江戸時代に代表される「持続可能な社会」の考え方を芸術の視点から学びたかったからです。②クラスでは江戸の大衆文化を学ぶのと同時に、葛飾北斎や歌川広重の描いた浮世絵を西洋の物と比較しながらも学びました。例えば、ゴッホが模写した浮世絵を見比べて何がどのように違うのかそして何故彼は模写したのか考え、江戸時代の人々に根付いていた質素・素朴・自然に対する美意識の違いについて比較し、その背景や原因なども考えました。同時にこのような意識の持ち方や考え方によって、人々の精神的な豊かさや幸福度も変化し得るものだと思い、それが江戸時代の循環型社会を形成できた要因の一つではないかと考えました。③授業の流れに合わせて「浴衣の着付け」と「茶道」の文化紹介の時間を設けてもらいました。なるべく学生本人が触れて体験できるようにとこれらは日本から持参したため紹介できて良かったです。

仕事
Teaching Assistantとして:
 ①日本語を受講している学生数は、初級が58名(4クラス)と中級が37名(2クラス)、上級が15名(1クラス)で、これらに加えて不定期の授業としてProfessional Japaneseが4名とSpecial Studiesが1名いました。このような100名を超える規模の学生を教授1名と講師2名、TA1名の合計4名で担当していて、そこに私がFLTAとして授業のアシスタントに加わります。②秋学期の私の担当は、授業の観察を基本としていたため合計で8時間分の授業に参加しました。どの授業も学生の興味・関心・意欲を引き出す工夫が随所にあり、とても参考になりました。例えば、初級クラスの平仮名や片仮名の導入時にも実生活で見聞きするようなもの (料理のメニュー、お菓子のパッケージ、旅行のパンフレット、映画やドラマのポスター、俳優やセレブの名前) だけでなく、日本の童謡、俳句、漫画、オノマトペ、早口言葉など様々な角度から生きた言語を紹介していました。中級や上級の授業では、毎年12月に行われるJPLT(日本語能力試験)に対応した授業を教科書(なかま)と並行しながら行う中で、私はKahoot!というアプリを利用した4択の問題作成などを担当させてもらいました。③また、ビデオの編集や写真の撮影等が得意であったため、アーカンソー大学の日本語プログラムを紹介するビデオプロジェクトにも関わりました。URL: https://www.youtube.com/watch?v=F4Qbv9_IgJU (←こちらは上級クラスの学生と作成した映像(6分程度)で、BGMは教授のバンドによるものです。)

先生方

Kahoot!

Cultural Ambassadorとして:
 ①FLTAとして文化紹介を定期的に行えるように環境や場所の確保から始めました。主にTAがチューター活動や会議などで使用しているWorld Language Centerという場所を文化紹介の場としても利用させてもらえたため、着任して1ヶ月で第1回目を始めることができました。具体的にはMovie Night、書道、茶道、折り紙、かるた、侍の甲冑作り(ハロウィン用)、ソーラン節、たこ焼きパーティーを企画しました。同時に参加率の高い時間帯や曜日、学生の興味や関心などの情報も集め春学期の方針を固めようと考えました。②加えて、大学内のサークルやイベントにもなるべく積極的に関わりました。Japanese Student Association(以下JSA)主催の秋祭りやInternational Culture Team(以下ICT)と地域の科学館に行き、そこで日本文化を紹介するなどの手伝いをしました。③また、アーカンソー大学で過去に盛んであったソーラン節を盛り上げるために毎週土曜日に学生と2時間程練習を行い、秋学期は3つのイベント(国際教育週間のイベント、フルブライトのイベント、ICTのイベント)で踊ることができました。ソーラン節を通じて、アメリカの学生は日本語を練習できるだけでなく、法被のたたみ方などの日本文化も学ぶことができるため、春学期も是非続けたいと思いました。

ハロウィン

フルブライト イベント

法被をたたむ

Tutorとして:

オンラインの会話
 ①会話ボランティアとして毎週木曜日にチューター活動を1時間行い、そこにJSAメンバー(3名)の協力と元々チューターを担当していた方(1名)が加わり合計5名で日本語学習のサポートを行いました。②直接のチューター活動に加えて、オンラインの日本語を受講している学生向けにBlackboardのアプリを使用したオンラインサポートも週に3時間担当していました。最初は発音やイントネーションに苦手意識を持っていた学生でも毎日のように教科書の会話練習を行なうことで飛躍的に上達できたという例もあり、このような環境はとても重要だと実感しました。③また、山梨県の勤務校(甲斐清和高等学校)の協力を得てSkypeやZoomなどのアプリを通じて、言語交換を目的とした会話練習を合計で3回行う事ができました。春学期からこのような会話練習を中学校にも導入できないか現在中学の先生と検討しています。

FLTAとの交流
夏のオリエンテーションにて:
 ①8月5日から9日までの期間、ノートルダム大学に約70名(内日本人4名)のFLTAが集まりオリエンテーションを受けました。宿泊先の寮には広めのラウンジがあり、そこで他国のFLTAとご飯を食べながらざっくばらんに話しができた事もありすぐに打ち解けることができました。最終日のMicro-Teachingでは挨拶、文字、歌、数、果物などを紹介していましたが、私はimmersion teachingと称して「折り紙」を日本語のみで説明しました。②派遣先のアーカンソー大学に着任してからおよそ1週間後に、次のFLTAメンバーがオリエンテーションを受けに来校していた関係で木内さんと山本さんにも再会できました。そこで日本文化の紹介として「折り鶴」のワークショップを小規模ながら3人で行いました。③これらの活動は、日本時間の8月6日に他国のFLTAと広島の原爆についてと千羽鶴の話しをする機会があり、その日からFulbrighterを含むアメリカにいる人達と平和の象徴である鶴を一緒に折るというPeace Projectの一環として行ってきました。これまでに約130名が参加してくれて、その動画を共有すると同時に他国のFLTAの人たちが考える「Peace Project」もそれぞれ実践して欲しいと問いかけました。

話し合い(ノートルダム大学)

Micro-Teaching(ノートルダム大学)

折り鶴(アーカンソー大学)

冬のカンファレンスにて:
 ①12月6日から10日までの期間、ワシントンD.C.に約400名のFLTAが集まり再開を喜ぶのと同時にお互いの体験や経験を共有しました。私はTeaching Techniqueを発表する機会を頂き「Online Language Exchange」というビデオ会話を利用した言語交換の学習方法を50名の前で実践しました。発表後には数名のFLTAが試してみたいと言ってくれたため、発表をした甲斐があったと思い安心しました。②カンファレンス中は写真撮影などを通じて多くのFLTAと交流ができ、その結果FacebookでのFLTAとのつながりは300名を超えました。これからどのような形でこの繋がりを生かし続けることが出来るのかを考えていき、具体的な内容を最終レポートに書けるようにしたいと思います。③カンファレンスが終わった後そのまま冬休みを頂けたため、8カ国(日本、フィリピン、ベトナム、ミャンマー、パキスタン、イラク、サウジアラビア、アルジェリア)のFLTA(15名)とアメリカの東海岸(フィラデルフィア、ニューヨーク、ボストン)を旅行できたことで、他国の教育や文化についてもじっくりと話をすることができました。このようなFLTAとの交流は、期間は短いものの本当に刺激的で、FLTAプログラムの醍醐味の1つであると思います。

発表後(カンファレンスにて)

最終日(カンファレンスにて)

FLTA(カンファレンス後にて)

 手帳を見返すと予定がビッシリと書き込まれていて、文字通り「濃い」時間を過ごしたのだと改めて思いました。思い返してみると成功よりも失敗の数の方が多かったと思いますが、フルブライトFLTAのプログラムに選ばれた一人として胸を張れるように、春学期も挑戦する気持ちを忘れずに大学・学生・地域と積極的に関わっていきたいと思います。

ノートルダム大学

プログラムの応募を検討している方へ
 私の場合の面接から合格までの大まかな流れをお伝えします。日程の細かな変更やズレがあるかもしれませんが、少しでもお役に立てれば幸いです。→9月6日に面接の日程が届きました ※申込書が正式に受理された事が分かり安心しました。 →9月26日に東京で面接(日本語と英語)をしました ※志願書に記入した内容全般を面接時にコンパクトに伝えられるように準備をしました。→10月11日にJUSECによって選出されたという通知が届きました ※この時点ではまだ確定とは言ってくれないので不安でした。→2月19日に英文健康診断書の準備に関する連絡が届きました ※すぐに母子手帳を確認してどの予防接種をする必要があるのか、そしてその日数は最低どれだけかかるのかをこの時点で調べるべきだったと反省しました。2本目の接種には4週間空ける必要があるなど予想以上に時間がかかりました。→3月13日にFLTAの中間レポートが掲載されました ※前任のFLTAがどんなことをされていたのか読みながら、自身の計画を具体的に用意し始めました。→3月14日に大学のマッチングシステムAIMSの通知が届きました ※一週間以内に5つ大学から順番を決めて提出しました。→5月30日に東京でのオリエンテーションの招待が届きました ※この時点でようやく身内に合格ができたことを伝えました。→6月7日にビザの申請とアメリカでのオリエンテーションの連絡が届きました ※渡米の日程がこの時点で決まるため、予定の最終調整をしました。→ 6月16日にフルブライト・ジャパンのオリエンテーションに参加しました。 ※FLTAのレポートに書かれていないような保険や銀行口座の具体的な話なども聞けるように予め質問をいくつか用意しました。


最終レポート

 自然が豊かで人が優しいアーカンソー州を出発し、6月に帰国してから早くも1ヶ月が経ちました。友人・同僚・恩師と久々に再会し、そのご縁でFLTA体験についての報告や発表の機会を頂きました。自分自身の体験を伝えることで改めてこの10か月間の経験がもたらしてくれた変化の多さに気づかされました。そこで今回のレポートにはプログラム全体を通じて学んだことを、日本人として、英語の先生として、国際人としての3つの視点から報告します。中間レポートには出来るだけ幅広くまとめましたが、最終レポートでは具体的な経緯や目的に焦点を当てながら記述します。

アーカンソー大学の桜

アーカンソーでお世話になった人
日本人として学んだこと:
 [経緯と目的] 私は大学生の時、アメリカからの留学生に対して日本文化の紹介や日本での生活を補助するチューター活動を2年間していました。その後は、専門学校でベトナムからの留学生に対して日本語の指導を1年間担当していました。それらを通じて日本語や日本文化を教える楽しさや難しさを知り、同時に将来は彼らのように学校現場で困っている外国人生徒を言語と文化の面でサポートできる教員になりたいと強く思うようになりました。そこで、来日前の学習者はどんな所で躓きを感じるのか、間接法(学習者の母語で目標言語を教える指導方法)を授業でどのように受けているのか、また日本文化がどのように受け入れられているのかなどの日本では見えない部分も学びたい目的がありました。

 日本語の指導における一番の発見は、目標言語に何度も触れさせることの重要さと、文法などの指導はビルのように高く積み上げていくだけでなく、ジャングルジムのように既習事項などと組み合わせる必要があるということでした。春学期はアシスタントとして初級集中コースという毎日授業があるクラスで15分間の帯活動を週に2回担当させてもらいました。授業での使用頻度が少なく定着がなかなか難しかった「数」に焦点を絞り、数字・時間・金額という流れで、復習を兼ねながらトレーニングのように何度も練習をさせました。その結果、典型的なミス(4時≠よんじ、6個≠ろくこ)が徐々に無くなり、答えの反応も早くなり、更に自信がついたことで積極的に発言もするようになりました。また、講師の先生方の授業を見て気づいたことは、なるべく英語は使わずに既習の文法や語彙を使いながら学生の発話を促していたことです。その手際の良さや指導方法を可能にしている授業準備やシラバス作りの入念さがどれだけ大切なのかも学ぶことができました。

 授業外で担当していた「ランゲージテーブル」では熟語トランプ、諺かるた、もじぴったん(ことばのカードゲーム)、JGO(会話のカードゲーム)や山手線ゲーム、リズムゲーム、炙りカルビゲームなどの活動を行いました。春学期は合計で15回行うことができ、平均して12名の学生と3名の日本人が集まってくれました。また、その後に行っていた「文化紹介の活動」では、Japanology Plus(NHK)という番組を15分程のビデオに編集し、内容を歴史・文化・技術の3つの要点で紹介できるようにしました。残りの45分間では、文化体験ができるように、実際の道具を使いながら学生の興味や関心を引き出す工夫をしました。このような体験型の活動は日本の文化品が手に入りにくい地域にとっては、とても有効な方法だと思いました。また、秋学期から続いていたソーラン節では、メンバーに様々な国籍が加わり「Soran Connects the World」をモットーに、大学内のイベントだけでなく地域の老人ホーム(Arkanshire)、小学校(Root Elementary School)、他大学(Hendrix CollegeやArkansas Tech University)と協同することができました。その際に、ソーラン節の歴史や振り付けの意味を紹介するだけではなく「ソーラン、ソーラン!」という掛け声を観客の方々にもしてもらいました。それらの体験を通じて、音楽と踊りが作るつながりの強さを実感することもできました。※活動の概要はiMovieというアプリを利用して作成しました。https://www.youtube.com/watch?v=C28O2q138_E

英語の先生として:
 [経緯と目的] 私はFLTAプログラムに参加する前に私立高校で3年間英語の教師をしていました。そこで第二言語習得の理論やTESOL(英語教授法)の方法論を応用し、学習者が中心となるような4技能型のタスク活動を先生方と一緒に試行錯誤しながら取り入れていました。また、同高校の通信制課程にも関わらせて頂けたことでiPadなどのタブレットを活用した教育も取り入れていました。その中で、2020年度を境に変化する大学入学テストや教育改革に対して具体的な解決案を模索していました。その手段として国外ではどのような方法で授業をしているのかを知りたいと思い、アメリカの大学で教授法を学ぶだけでなく、50カ国以上の先生とも意見交換ができることに魅力を感じフルブライトFLTAプログラムに応募を決意しました。

 授業を見学・受講する中で感じた一番の発見は、授業内で与えられた課題が最終的に何らかの形で地域などと繋がりを持ったり、作品になったりするようなプロジェクト型に発展していくことが多いということでした。例えば、日本語課程では秋学期に作成したビデオが日本語プログラムのプロモーションとして利用されたり、春学期に行われた上級日本語会話の授業では場面や状況を想定したスキットをグループで発表したり、聴講した英語教授法の授業では地域の小中学校などと連携を取ることで1学期間を通して教育実習を行っていました。また高校を見学させてもらった時は、リサイクルをテーマに学習していたため、ある生徒はゴミの分別から焼却場までの実況ビデオを宿題として提出していました。このような課題や宿題の評価方法にはルーブリック(学習到達度)評価が徹底されていました。その結果、各生徒のパフォーマンスに対して何がどの程度できているかを明確にできるだけでなく、評価される側はその評価範囲に沿った上で自由に課題に取り組むことができるため、個性も伸長できる教育の形も学ぶことができました。

 個々の学習を最大限に引き延ばす目的でICT(情報通信技術)を積極的に活用している学校現場を見ることができました。例えば、アプリの「Quizlet」と「Quizizz」は、中間レポートに紹介した「Kahoot!」と同じクイズ作成用のアプリですが、クラス全体の正答率を表示するだけでなく生徒個人の答えを保存できたり、生徒は自分のペースで解答ができるため正確さに加えてその速さでも競えたり、作成したクイズを教員同士で共有できたりと状況に合わせて幅広く活用ができると感じました。また、「Padlet」というクラス専用の掲示板を作成するアプリを利用することで、予め準備したい内容(宿題のブレインストーミングや読解のリアクション等)を事前に集めて共有することができるため、反転授業への応用ができると感じました。最後に「ThingLink」というアプリを活用し、生徒がSNSなどで共有した作品のリンクを提出し、先生がそれらを1ヶ所にまとめて共有していました。具体例としては、クラス写真のデータを利用することで、そこに写っている生徒にカーソルを合わせると、その生徒が制作した作品のリンクが表示される仕組みです。これを活用することで次年度の生徒でも先輩の課題作品を自由に閲覧することができ、縦の生徒間でもアイデアの共有ができるなどICT活用の可能性を見学することができました。私は常に、スマートフォンやタブレットの危険性をどのように排除するのかを考えていましたが、その危険性を学習者に十分に理解させた上で活用するという学校教育の姿勢も学ぶことができました。

国際人として学んだこと:
 [経緯と目的] 主に3点あります。出身の愛知県では比較的に外国人の割合が多く多文化共生という言葉をよく耳にしたことから、多民族、多人種、多文化が入り混じるアメリカに長期間滞在しその多様性を体験することと、50カ国の人々と意見交換ができるフルブライトのオリエンテーションやカンファレンスを通じて平和についての交流がしたかったことと、地方や地元の文化を発信することでアメリカではまだ知られていない地域の情報も共有したかったことです。

 派遣先のアーカンソー州に加えて、3週間ほどの旅行で西海岸と東海岸にも訪れましたが、その地域性は予想していたより遥かに異なると感じました。アメリカと言っても、人々の生活や習慣が坩堝(るつぼ)のように混ざり合う形や、サラダボールの野菜のようにそれぞれの文化がお互いに表現し合う形など多種多様で、一言では言い表せないと感じました。しかし、その環境を生み出した風土、慣習、歴史などを現地の人々やタクシー運転手の方々から聞けたことで、「みんな違うけど、みんな同じ」という基本的な考え方に辿り着くことができました。どのような形であっても共生するためにはお互いが相違点を認め合う事が重要で、その相互理解は実際に人同士が交流する事によって深まるという事も学びました。


リズムゲーム
 フルブライト上院議員は著書の中で「各国ともお互いの国民が対立しあうことのないよう、心の結びつきをつくり、育てていかなければならない。世界中の人たちがお互いをもっとよく知り合えば、敵対して殺し合う事も、原爆まで使って相手を壊滅させようなどと思う事もなくなるのではないかというのが発想の起点だった。」と現在のフルブライトプログラムの原形である交換留学生計画の直接の原因となった経緯について述べられていました。このような出来事に対して私にもできることはないかと考えた結果、折り紙で鶴を一緒に折る活動を始めました。フルブライトプログラムや千羽鶴に込められた想いをアメリカで出会った1人1人に説明をしながら共有することはとても地道で時間のかかる事かもしれませんが、参加してくれた方々の反応を見る中で、その1つ1つの過程や対話があるからこそ理解につながる大きな価値を生むのだと学ぶことができました。

 地元の文化紹介に関しては2点行うことができました。本證寺(ほんしょうじ)という1206年建立のお寺で行われた「納棺体験」のイベントにテレビ会話を使うことによってアーカンソー州から参加できました。学生に対して納棺の儀式(模擬的なもの)を見せてもらったり、読経をあげてもらったり、お坊さんや納棺師と話をする機会を設けて頂きました。その中で私は通訳を担当しましたが、専門用語や道具(白装束、袈裟、六文銭など)の意味や使い方を事前に打ち合わせしました。もう1つの文化紹介は、カリフォルニア州のハンチントンビーチ市で毎年3月に行われる桜祭りに、姉妹都市親善交流派遣団として「桜井凧」を紹介させてもらえました。出国前に地元の桜井凧保存会に参加をし、その独特な凧の作り方やその結び方を学んでいたため、別の日に凧専門店で小規模ながら実演やワークショップも行わせてもらいました。このようなチャンスを掴む事ができたのは、その地域やグループ内で自分にしかないできない特別な「何か」を持っていたからだと思い、地方の魅力を自分自身が発信する価値に気づくことができました。

納棺体験

桜祭りで桜井凧

姉妹都市交流

 プログラム全体を通して1番変化したことは、世界の国々をより身近に感じるようになったことです。実際に人との交流をしたことで、その国や地域の名前を聞くと知り合った友人の顔が思い浮かぶようになり、今までの遠い異国という見方が大きく変わる貴重な体験をしました。これからは各国の英語の先生などと協力をして、お互いの英語のクラスをテレビ会話などで繋ぐことできるようになったら、画面越しであっても私たちが体験したこの「人と人との交流」を生徒にも共有できるのではないかと思っています。

 最後に、フルブライトのオリエンテーションやカンファレンスを通じて一番印象に残っている言葉は「Once a Fulbrighter, Always a Fulbrighter」です。プログラムが終わってもフルブライターとしての使命を果たしていくことが、お世話になった方々への一番の恩返しになると信じて、学ばせてもらえたことを十分に生かし地域や社会に還元したいと思います。

6. 得田真実子 University of Notre Dame (Notre Dame,IN)

中間レポート

 2017年度FLTAとしてインディアナ州のノートルダム大学に派遣されております、得田真実子と申します。今回の中間レポートではプログラムの前半を振り返り報告させていただきたいと思います。

1.派遣先大学に到着するまで
 応募から派遣先大学でプログラムが始まるまでの流れをざっくりとまとめておきます。アメリカで母国語を教える立場と、学生として学ぶ立場の両方を体験できるところに私は魅力を感じFLTAプログラムへの応募を決意いたしました。8月末に応募書類を提出し9月に面接を受けました。日米教育委員会からの推薦をいただけることが決まったのが10月、最終選考を通り派遣先の大学が確定したのは4月という、今思えば長いスパンでの選考です。ただ、決まってからは渡米まで時間もないうえに、ビザなどの手続きなどで準備に追われたので、振り返ってみるとあっという間にアメリカに来たなという印象です。6月には日本で事前オリエンテーションがあり、昨年度派遣された先輩方から直接お話を聞けたので、大きな不安感もなく、むしろ期待でいっぱいでした。
 アメリカに着いてから派遣先大学に向かう前に、サマーオリエンテーションがいくつかの大学で行われます。私の場合は派遣先とオリエンテーション先が同じ大学だったのですが、多くのFLTAはサマーオリエンテーションの大学から派遣先へと各々旅立っていきます。FLTAとしてプログラムに参加するうえで、知っておくべきこと(特にアメリカの大学での文化・多様性、ポリシーなど)、言語を教えることの意義や教授法など様々な講義を受けながら、他国のFLTAと交流できたのは貴重な経験の一つです。FLTAは出身国の文化や言語を教えることへの熱意に溢れた人たちばかりなので、大きな刺激を受けた5日間でした。
 簡単に派遣先の大学について紹介いたします。シカゴから2時間半ほど離れたノートルダム大学は、学生数1,2000人ほどのカトリック系の共学私立校です。アメリカンフットボールが特に有名で、シーズン中のゲームデイはアメリカ全土から観戦に訪れた人達でキャンパスが賑わいます。勉学以外にも学生クラブやスポーツ、コミュニティサービスなどに携わっている学生が多く、大量にある日々の課題とのバランスを上手にとりながら学生生活を送っている印象です。
 ノートルダム大学は私を含め11名のFLTAを受け入れています。ノートルダム大学に派遣されるFLTAの活動の大きな特徴の一つとして、ノートルダムの学生だけでなく、定期的にそれぞれの国の文化や言語を地域の小学生に教える機会があります。

2.FLTA・日本語プログラムの一員として
 私は大学を卒業してからすぐにFLTAに参加する形だったので教授経験が全くなく、できることが他のFLTAの方より限られていました。そのため授業を担当することはなく、代わりに授業外の活動を担当させていただきました。私の秋学期の仕事は1)会話テーブル・映画ナイトの運営、2)毎日の宿題の採点補助、3)イベント運営の手伝いでした。空いた時間はできるだけ授業の見学などに入るようになっていました。特に会話テーブルと映画ナイトは内容から全て任せていただいたので、自分の裁量で一回一回の運営をすることができたのは楽しい経験でした。会話テーブルは自由会話の時間と、回によっては日本の生活を紹介したり、日本語を使うゲームを取り入れたりして、日本のことを知りつつ学生に楽しく日本語を使ってもらえるように工夫しました。会話テーブルは毎週、映画ナイトは隔週であったので、毎回の準備をするのがとても楽しかったです。また、後半になるとロースクールに派遣されている検察官と検事の方々が来て下さるようになりました。学生が日本人と話す機会をより多く持てるようになったので、とても助かりました。
 宿題の採点補助も初めのころは全然慣れなくて、間違いや不自然な答えをどう直したらいいのか担当の先生に聞きながら行っていたので、今思えば逆に先生の負担だったのではと申しわけない気持ちになります。それでも、宿題を通して学生をみることを体験できたのはとても勉強になりました。授業内の発話だけでは測れない、各学生の強みや弱点を見ることができるんだなと気付くことができました。
 自分に教師としての下地が全くないので、全体のコースをどう組み立てていくのか、コースプランに沿って一つ一つの授業はどう進めていくのか、授業内でどのように学生にキューを出すのか、などの「言語を教える/授業をもつこと」の基礎を、見学や業務を手伝う中で学ぶことがとても多かったです。特に授業を実際に行う時にどういうことに気を付けなければいけないのかは大変勉強になりました。学期終わりに指導員の先生の授業を一部やらせてもらいましたが、見るのとやるのでは大違いで、終わった時には反省点ばかりで少し落ち込みました。「経験を積むこと」「準備を入念にすること」など基本的なことがどれだけ難しく大切か学ばせていただきました。
 今学期は文化イベントとしてキャラ弁作りがあったので、メインの先生の補助もさせていただきました。宣伝用のポスターやインストラクションの作成に加え、当日は日本のお弁当文化についてのプレゼンテーションもさせていただきました。初めて企画されたイベントだったので、イベントを一から作ることの大変さや、どういうところに気を配らないといけないのかなど、今後自分で企画を立てるときにも役立つような経験でした。他にも学生が運営しているジャパンクラブに教職員として泊まりのイベントに参加したりしました。
 最初は学生とほとんど交流できず不甲斐なさを感じました。でも授業見学やイベントを通して徐々に名前を憶えてもらうと、授業の前や後などに話しかけてくれた時や、キャンパスで偶然すれ違った時にも「得田先生、こんにちは」と挨拶してくれた時は心が温かくなります。学生にとっては私も先生の一人なんだなと実感すると同時に、経験がないことを言い訳にしてはいけないと気が引き締まる瞬間でもありました。

3.受講した授業
 自分が学生として、"Methods in Second Language Teaching"と"U.S. Foreign Policy"を受講しました。国際関係学を大学で専攻していたので、政治に興味をもちForeign Policyを選択しましたが、授業についていくのは本当に大変でつらかったです。クラスメートのほぼ全員が英語ネイティブの学部生だったからか、教授も話に熱が入るとどんどんスピードアップするので、その結果、教授の話すスピードに全く追いつけませんでした。ディスカッションの時には話の流れを追うのに精一杯でした。もう一つのMethodsの授業では第二言語教授法について学び、実際に教案を書いたり、スピーキングなど4技能のアクティビティを考えたりと、将来自分が教壇に立つ際に必要になるだろう実践的なことを多く学べたと思います。特に学期末にあった模擬授業はSelf-Reflectionの為に録画されている自分の授業を見る機会があったので、客観的に自分の授業を振り返ることができ、これから身に着けていかなければいかないことを分析することことにつながりました。

 この半年で経験したことを踏まえて、何か自分の中で一つなり二つなりステップアップすることが今学期の目標です。長いようであっという間に時間が過ぎることは先学期に身をもって体験したので、毎日何かを学ぶ姿勢でいることを心がけようと思います。


最終レポート

 FLTAのプログラムを終え日本に帰国してから1カ月が経ちました。中間レポートを書き終えたのがついこの間のような気がしているのに、もう終わってしまったのかと信じられない気持ちです。このプログラムを通して様々なことを体験し、多くの人と出会うことができました。人と出会い多種多様な考え方に触れることで、気付かされたことも多く、この10カ月間は本当に豊かな期間だったとしみじみと実感しております。
 この度の最終レポートでは春学期に新たにしたことを中心に報告させていただきます。

1.地域の小学校への文化紹介
 中間レポートでも少し紹介しましたが、春学期から一か月に一週間ずつ地域のPerley Fine Arts Academyという小学校に訪問して児童に日本文化や日本語について紹介する機会をいただけました。担当させていただいた1年生のクラスは、担任の先生がとてもしっかりされていたので、小さい児童との接し方が掴めなかった初めのうちはたくさん助けていただきました。大学で日本語を学んでいる学生たちとは異なり、そもそも日本がどこにあるのか、どんな国なのかも分からない子供たちに日本について紹介するのは大変でしたがやりがいもありました。何を紹介するのかも全部自分で決められたので、「日本に興味をもってもらう」ことを目標にしました。時間が限られていたので、ひらがななどは省き、音を中心に日本語を紹介したり、写真を多く使って3月のひな祭りや5月のこどもの日、日本の小学生・小学校について紹介したりしました。悩むことも多々ありましたが、子供たちが「おはよう」「さようなら」とあいさつしてくれたり、教えた数字や色を自分から言ってくれたりしたのはとても嬉しかったです。しかし、子供たちに要求しすぎてしまったことを反省することも多かったです。5月には子供たちが大学内の美術館に来て、それぞれ学んだ言語・文化について発表しました。私が担当していたクラスでは、きらきら星と色の歌を歌いました。ほかに7名のFLTAがこの小学校のプログラムに参加していたので、それぞれの担当した子供たちが歌や演劇、遊びの紹介などをしていました。
 このプログラムの時間を通して、アメリカの小学校についても色々発見がありました。もっと個人主義で自由なのかと想像していましたが、先生は子どもたちに対してかなり強い印象を受けました。日本の小学校以上に、先生の指示にはしっかり従うことを1年生から強く教えられていると感じました。発言をするときもざっくばらんにではなく、手を挙げて答えさせたり、口ごもる子どもには大きな声でしっかり発言することを求めたりと、集団の中で自分の意見を出す時に大事なことをしっかり教えているようでした。
 ほんの数カ月でしたが、教える体験をさせていただけたことに感謝しています。あのクラスの子供たちが少しでも日本について知り、いつか日本を訪れてみたいと思ってくれていたらと願うばかりです。

2.FLTAとして/日本語プログラムの一人として
 FLTAとして同僚のFLTAからはたくさん刺激を受けました。特に学習機会の少ない言語とされている母語のFLTAは精力的に文化発信に努めていました。その中で、インド出身のベンガル語話者のFLTAの活動によく関わらせてもらいました。国際母語デーの日には、FLTAを中心に様々な言語で書いた言葉を言語センターに貼る際に、折り紙を使って飾り付けの手伝いをしました。また五月にはPedagogy Across Bordersというシンポジウムをノートルダム大学で彼が主催したときには、発表者として誘ってもらったので、ノートルダムでの経験を通して考えた日本語教授時のアニメ等の活用について発表しました。そういう活動に関われたことはFLTAとして貴重な体験でした。  日本語のTAとしての仕事に先学期から大きく変化はありませんでしたが、初級のクラスが1つ増えた影響で、任せてもらった宿題の添削数が増えたり、個々の生徒へのチューターの機会が先学期より増えたりしました。初級のクラスは春学期の一年生の授業内容と同じなので、学生がどういうところにつまずきやすいのかを把握でき、個別に聞かれるときなどは先学期よりも自信をもって答えることができました。また、担当の先生の協力もあり、授業時間外にひらがなやカタカナの練習をテスト前にする時間を作らせてもらいました。一点悔やまれるのが、関わる学生が初級レベルのクラスだったので、今学期はもう中級クラスにも頻繁に見学に行き、日本語学習者の初級と中級を比較してみればよかったことです。今学期は日本語プログラムの全学生が各クラスで出し物をする「さくら祭り」があり、グラデーションのように学生たちの習熟度を一度に見る機会がありました。中級クラスにもっと関わっていれば、より深く日本語習得の比較ができたのかなと思います。
 今学期は最も大きなイベントにとして日本から紙切り師の方に来ていただき紙切り公演があったので、当日の運営を中心に手伝いをさせていただきました。日本語を取っていない一般の人にも開放したイベントでしたが、想像以上に多くの人が来てくれて、日本文化について興味をもっていただけたようでした。文化大使としての役割もあるFLTAとして、会話テーブルや映画なども行っていましたが、実演にまさる文化紹介はないんだなということを肌で感じました。
 全体を通して先学期よりも一人一人の学生についてより知ることができたので、日本語授業以外の時間に会った学生と日本語で話すことも多かったです。習ったばかりの文法や単語を頑張って使って話そうとしてくれる学生は話し終わった後いつも満足気だったのが印象的です。言語を学ぶ上で一番の醍醐味は自分で話したいことを学習中の言語で話せることなのだと改めて気付かされました。自由に話したいことが話せる相手として学生たちが接してくれていたとしたら、FLTAとしての役割の一つを果たせていたのかなと思います。

 最後に、この10カ月を通して言語教師としても、一日本人としても考え学ぶことができました。まず、言語教師として、小学校での文化紹介や会話テーブルなど主体的にかかわらせていただいた体験を通し、やっぱり私は教えることが好きだということを再確認しました。そのうえで、言語を教えるうえで大切なことを日本語プログラムの先生方から学ばせていただきました。個々の先生によって教え方や信念は異なっていたので、様々なスタンスに触れていく中で、教師として必要な芯の部分である「なぜ言語を教えたいのか」について改めて考えさせられました。先生方によって重視することは違いましたが、どれも重要な観点であり、中には今まで自身が気を配っていなかった点もあり学ぶことが多かったです。
 また、日本人として自分が日本の窓口になっていることを痛感しました。多かれ少なかれ、アメリカ人もそのほかの国の人も、日本や日本人に対するイメージを持っていました。そして、その人たちと関わっていく中で、自分の言動がその人たちの日本観を強くしたり変えてしまったりしました。日本について知ってもらいたいけど、日本のどんなところを知ってもらいたいのか何度も考えていると、自分の中の日本に対する考えも幾度となく変化しました。そういった自己の中の変化も含めて異文化交流であり、そういったお互いのイメージの変化が重要なのではないかと今は思います。
 アメリカという国にTAとして、学生として、日本人として生活できたこの10カ月は、私自身に大きな変化をもたらしてくれました。このプログラムを通じてお世話になった日米教育委員会の方々、IIEのスタッフの方、スーパーバイザーの先生方、特に日本語プログラムの先生方には心から感謝しています。そして、世界中にできた新しい友達と、日本語の生徒たちとの出会いはかけがえのないものです。帰国してまだ一か月と少しですが、日本を訪れた2人のFLTAに再会しました。そうした再会がこれからも起こるのだと思うとワクワクします。TAとしても文化大使としても未熟だった私ですが、出会った人たちに少しでも何か残せていれば幸いです。そして、これからどういう道を進んだにしても、得てきたことを活かし、繋げていきたいと思います。本当にありがとうございました。


ルームメイト(真ん中)と共通の友人(左)

日本語プログラムの卒業生(左)とCSLCの学生スタッフ(右)

7. 山本智之 Pacific University (Forest Grove, OR)

中間レポート

初めに
 オレゴン州のパシフィック大学にティーチングアシスタント(TA)として派遣されている山本智之です。24歳、佐賀県出身、佐賀大学卒業で、佐賀で高校の英語の教師になることを目標にしています。実は大学在学中(3年生~4年生)にこのパシフィック大学に交換留学生として留学した経験があり、留学中にFLTAとして働いていらっしゃった畠山さん(2013年度参加)とお会いしてこの仕事に興味を持ったというのが応募のきっかけです。ご縁と機会に恵まれてこういう経験をさせていただいていることを本当にありがたく思っています。この中間レポートでは項目に分けて、新しく発見したことや、自分がこちらに来る前に気になっていたことを中心に、書きとめていきたいと思います。

オレゴンについて、ポートランド、雰囲気、パシフィックについて
 私が住んでいるForest Groveという町は、田舎の雰囲気があって、自然が豊かでキャンパスにはリスがたくさんいます。車を持っていないので、都会と比べると不便があるかもしれませんが、バスは頻繁に通っていますし、キャンパスの周りには、スーパー、銀行、バー、ピザ屋、タイ料理屋、中華料理屋、コンビニなど生活には困らないくらいのものは揃っています。バスと電車で1時間半ほどかけるとポートランドという大きい街に行くことができます。ポートランドは世界一住みたい街に選ばれたことがあるらしいです。私が感じる限りでは、治安もよく、危ない目にあったなんてことは一度もありません。一方、マリファナが合法であり、街中でよく匂いをかいだりすることはあります。
 パシフィック大学は3500人ほどの大学で、日本語の授業を取っている生徒は大体70人前後くらいだと思います。ハワイアンの生徒が多く、黒人の生徒が比較的少ないようです。小さい学校ではありますが、図書館、ジム、プール、体育館、音楽ホール、ピアノ練習室などの様々な施設が無料で使えて、どの施設もきれいです。日本人留学生も10人~20人くらいが毎年来ていて、日本語学習者との交流も盛んです。
消費税が0パーセントであったり、ビールが有名であったりと素晴らしいことはまだまだありますが、全て紹介するときりがないので、ここでは割愛します。田舎出身の私にとってはとても居心地のいいところでとても気に入っています。

TAの仕事
 パシフィック大学でのTAの仕事は主にクラスに出て、先生の補佐をすることと、クラス外でのアクティビティを担当することです。他にもTAが3人いて、彼らとともに生活しています。オーストリア人、ベルギー人、コロンビア人がそれぞれドイツ語、フランス語、スペイン語を担当していて、それぞれ似たような仕事をしているため、お互いにアドバイスを共有したりしています。仕事内容はわかりやすいように項目に分けました。
(1)クラス
 クラスでは基本的にメインの先生を補佐するアシスタントをしています。会話のモデルを示すためにクラスの前でデモンストレーションをしたり、教室を歩いて生徒の様子をうかがったり、クラス内でゲームがあるときはその進行をしたりしています。メインの先生よりは生徒たちと年も近いので、質問されることは多いと思います。たまに思いもよらないような質問が飛び出してくることもあり、困ったりすることもありますが、クラスはとても楽しく、充実感を得られています。
(2)Japan Night
 パシフィック大学では毎週木曜日19時から1時間から2時間ほど"Japan Night"というイベントをしていて、TAがそれを運営することになっています。参加者は毎週だいたい15人から20人くらいで、毎週ひとつ日本の文化に関するテーマを決めてアクティビティをするようにしています。日本からの留学生もよく来てくれて、日本人とこちらの学生の交流の場のような感じになっています。先学期は書道、消しゴムハンコ、お月見、歌舞伎、年賀状、漫画、J-POP、浴衣、飲み会(アルコールは無し)など様々なテーマで活動をしました。生徒に喜んでもらったり、日本人と生徒が交流していたりするととてもうれしくなります。
(3)Japan Table
 Japan Tableはお昼の時間を使って、週に2回会話の練習をしたり、ゲームをしたりするイベントです。50分ほど食堂の横の広場で大きなテーブルをみんなで囲んで日本語で会話をします。初級の生徒から上級の生徒まで来るので、会話をうまく回すのが難しかったりしますが、困ったときはひらがなかるたを出して難を逃れています。生徒が授業で練習した表現を実際に使ったりできる場なので生徒にとってもいい機会になっていると思います。
(4)Tutoring
 Tutorの時間はある決められた場所に午後7時から9時の間座っていて、日本語について質問がある生徒を待つという仕事です。だいたい毎回1人か2人ほどしか来てくれますが、誰も来なかった週も1.2回ありました。誰もいない時間は課題をしたり、音楽を聞いたり、インターネットをみたりしています。生徒の中にも、他の人より学習が早い人やそうでない人もいるので、こういった場所で補ったりできるのは生徒にとってとてもいいことだと思います。

サマーオリエンテーション・中間カンファレンス
 派遣先に配属される前にオリエンテーションがあり、12月の中旬に中間カンファレンスがありました。どちらも、世界各国からFLTAプログラムの参加者が集まってたくさんの出会いがあります。オリエンテーションでも中間カンファレンスでも、言語の教授法や異文化間交流などについての講義やアクティビティがたくさんありました。私はそこで出会ったインドネシア人ととても仲良くなって、彼ら4人と旅行に行くまでの仲になりました。そこではいろんな国のいろんな考え方の人たちと出会えたのでとてもいい経験になりましたし、数日間で世界一周旅行をしたような感じがしました。

感じたこと
 全体を通してこの4,5か月間で新たな発見をたくさんしました。アメリカ人が日本語を学習することの難しさに触れたり、外から日本がどのようにみられているのかを知ったり、地球のいろんなところから来た人たちと生活したり仲良くなれたりできたことは素晴らしいことだと思います。最初に来たときは英語力も不安でしたが、徐々に向上してきている感じはします。私は佐賀で英語の教師になりたいと思っているので、将来の生徒のためにもっといろんな体験をして、英語力も向上させて、将来の生徒とたくさん共有できるように残りの日々を送りたいと考えています。


最終レポート

 およそ九か月のプログラムを終え、無事に佐賀に帰ってくることができました。滞在中は大きな事故や病気等もなく、本当に充実したプログラムになったと思います。今は佐賀で教員になるために教員採用試験に取り組んでいるところです。まだ教師になる道の途中ですが、このプログラムから得た経験は必ず将来の自分を助けてくれると確信しています。中間レポートではオレゴンという土地の情報や仕事内容やイベントごとなどの情報を中心に書いていたので、今回は私個人の経験や感想などを思い出しながら書いていきたいと思います。
 まずこのプログラムを通して一番強く感じることは、人に恵まれたということでした。私の周りには素敵な人が多く、そういった人たちから学ぶことがたくさんあったように感じます。同期生として私を含め8人の日本人がアメリカへ派遣されました。アメリカの各地へ散り散りになったので8人全員で集まったのは出発前オリエンテーションと冬のカンファレンスの2回だけだったのですが、たくさんの話を聞いたり様々な刺激を受けたりして、本当にいい出会いだったと思います。カンファレンスにて8人全員で踊ったソーラン節は他の国から来たFLTAからもとても好評で、大きな達成感を味わうことができました。パシフィック大学で、Japan Nightのアイディアに行き詰った時なども、お互いに意見交換などできたことによって乗り越えることができました。
 派遣先であるパシフィック大学では、日本語の先生方が3人いらっしゃったのですが、その先生方が三人とも素敵な方々で私が佐賀で教師をする時には必ずお手本にしたいと思っています。授業に出るときはいつも先生方の視線に立って、授業のスタイルや信仰の仕方などを盗めるように心がけていました。三人とも授業のスタイルが異なっていて、様々なクラスで生徒の反応を見ることができたことがとても貴重な経験になりました。また、クラス外でもよくしていただいて、また必ず何年後かにご挨拶に行きたいなと思っています。
 日本語をとっている生徒も非常に熱心でまじめな生徒が多かったように感じました。ティーチングアシスタントと言う立場ではありながら、生徒と近い立場で接することができて、多くの生徒と非常に仲が良くなりました。最初は言語や文化のせいでコミュニケーションがうまくいかなかったこともありましたが、自信を持って接することで生徒との間にも信頼関係が生まれていき、学期が進むにつれてチューターの時間に私をたずねてくる人が増えていくようになりました。プログラムが終わるころには感謝の言葉やちょっとしたプレゼントなどももらってしまい、本当にうれしい気持ちでいっぱいになりました。初級の生徒のうち10人くらいが交流プログラムで日本に来てくれて、そのうち3人が先日まで佐賀に来てくれました。少しでも日本の文化や魅力を発信できたのかなと思うと本当に頑張ってよかったなと思います。
 どんな人と出会ったかについて書いてきていますが、一番の出会いは三人のルームメイトでした。コロンビア人、ベルギー人、オーストリア人の三人で、それぞれスペイン語、フランス語、ドイツ語のティーチングアシスタントをしていました。それぞれ国も違うし、文化も違ったので貴重な体験ができました。一緒に旅行したり、街に出かけたり、イベントに参加したりなど思い出もたくさんありますが、遅くまでいろんなことについて話したり、支え合ったりけなし合ったりしながら、私はいろんなことを学ばせてもらいました。各国の文化や考え方についてもたくさんの知識を得ましたし、日本が外からどういう風にみられているのかという自分が持っていたイメージも大きく変わったと思います。先日行われたワールドカップでは、日本がコロンビアを下しベルギーに敗れましたが、お互いにメッセージを送りあったりして一緒に楽しみました。  たくさんの素敵な人たちに恵まれてもったいないほどのいい経験をさせていただいたのですが、ほかの日本人のFLTAから話を聞くと人間関係でトラブルがあったという話もありましたし、全員が同じ経験をしたのではないのだなと改めて思いました。これからFLTAプログラムに応募する方や、これからFLTAになる方も読んでいらっしゃると思うので、うまくいったことやいかなかったことを最後にまとめたいと思います。
 自分の中で一番うまくいったことは背伸びをしないことです。日本人として日本の文化の中で生まれ育ったというだけで、日本語を学ぶ生徒にとっては貴重な資源になります。インターネット検索でたくさんの情報を集めることができる時代ですので、私はただ日本人としてなるべくたくさん生徒とコミュニケーションをとることを心がけました。そして日本からの留学生もいたので、なるべく多くお互いに交流できる場や活動を作ることも意識してやりました。慣れない環境や母語ではない言語で思い通りにいかない時もありましたが、自分に自信を持って素直で正直であることが大切だったと思います。
 うまくいかなかったことは、食事系のイベントを多くできなかったことです。他のFLTAの話を聞くと、巻きずしをみんなで作ったり団子やもちを作ったりしていたようですが、やはり食べ物系のイベントは参加率がとてもいいらしく生徒が一番喜ぶようです。私は週に一回のJapan Nightがあったのですが、一回お月見ダンゴを作っただけでした。手間や予算もかかるイベントということで少し敬遠していたのを今では少し後悔しています。
 9か月の貴重な体験を思い出すように書いてきましたが、私の場合、一番心に残るのはやはり人です。たくさんの人からたくさんの話を聞いて自分を成長させることができたような気がします。これまで縁が遠かったキリスト教やイスラム教などの宗教、LGBT、人種問題など人から話を聞くことによって理解も深まりました。出会いひとつひとつが本当に貴重な栄養となって自分を成長させてくれました。これから教師を目指しますが、なるべく多くの人に自分の体験を発信していい影響力を持つ人間になれたらと思います。

8. 横山素子 Spelman College (Atlanta, GA)

中間レポート

 Georgia州AtlantaにあるSpelman大学に派遣されている横山素子です。Spelman大学には2011年から毎年、日本人のFLTAが派遣されており、私で7人目になります。渡米前は6年分のプレッシャーを感じていましたが、歴代の先輩方が大学に残して下さった記録を参考にさせていただき、時にはお忙しい中相談に乗っていただき、今ではその歴史を心強く感じています。中間レポートでは応募からサマーオリエンテーションまでとTAの仕事内容、受講した授業、そしてイベントについて書きます。

応募からサマーオリエンテーションまで
 大学院を修了後、高校の常勤講師をしておりました。在学中は英米文学を専攻していましたが、留学経験がありませんでした。国際交流にて英語でコミュニケーションする楽しさを知り、自信をもって英語から世界が広がる面白さを生徒に伝えたい思いが募り、教員経験が生かせる本プログラムに応募しました。5月末にSpelman大学に派遣されることが決定されると、渡米直前まで健康診断と予防接種に追われていました。事前に提出した健康診断書とは別に大学独自の書類を提出しなければならず、また予防接種の内容も異なっていたためです。間に合わない場合も医師にその旨を書いてもらい、現地で残りの予防接種を受けることも可能です。
 その後、8月にSpelman大学に派遣される前にIndiana州のNotre Dame大学で5日間のオリエンテーションに参加しました。そこではアメリカでの過ごし方、注意事項や10カ月間をFLTAとしてどのように過ごせばよいか、などのレクチャーを受けました。最終日には複数のグループに分かれて全員が短い模擬授業を行いました。私のグループは全て母国語で行うよう指示があったため、言葉で多くを説明するよりも視覚教材やジェスチャーを交えて分かりやすい指示を行うことの大切さを学びました。オリエンテーションを通じて世界中からの仲間に出会い、交流し、刺激を受けることで、渡米したことに浮かれていた私もFLTAとしての自覚が芽生えました。

TAについて

おにぎり&お寿司パーティにて
 前期は初級、中級Ⅰ、Ⅱ、上級の1コマ50分の4つのクラスにティーチングアシスタントとして週3日参加しました。授業は日本語のテキスト「げんき」を元に進められます。私は、主にアシスタントとしてクラス内でコンピュータを操作したり、時に発音の見本となったり、オーラルテストの際は相手役を勤めることもありました。授業外では、週2回のオフィスアワーと週1回あるLanguage Tableにて個別に学生の質問に答えたり、課題の補佐を行ったりしました。
 また、授業以外にもJapan ClubではKomon(アドバイザー)として所属しています。2週間に一度授業を越えて日本に興味のある学生が集まり、日本文化に関するクイズを出し合ったり、「だるまさんが転んだ」などのゲームを行ったりと、学生と一緒に企画・運営しています。前期の締めくくりには、おにぎり&お寿司パーティを開催しました。おにぎりの具の梅干に挑戦する学生がいたり、一度見本を見せただけで綺麗な手巻き寿司を作る学生がいたりと私自身も楽しみながら参加できました。冬休みに学生からおにぎりを家で作ったという写真とメッセージが送られてきた時は自分の活動が少しでも学生に伝わっていることが実感でき、嬉しかったです。

授業について
 秋学期に私は二つの授業をAudit(聴講)にて受講しました。1つ目はOrientation to Educationで、主にアメリカの教育制度、歴史などについて学びました。Spelman大学はHBCU(Historical Black Colleges and Universities)であり、女子大でもあります。黒人女子大学ならではの黒人として、また女性として教育を受けることの意義を学びました。人種、性別による教育の不平等を意識しながらも、将来、子どもたちにどのような教育ができるのかディスカッションやプレゼンテーションをしました。
 2つ目はTopic: Literature, Gender, Power and Raceという授業で、黒人作家の作品から人種についてだけでなく、性差別、社会の権力構造などを作品から学びました。日本で米文学作品を読んでいた時には分からなかったBlack Cultureの文化的、歴史的背景を学生たちの実体験を交えたディスカッションから知り、作品をより深く読み取ることができました。
 また、上記の授業の他にGlobal Educationの授業にて私の教員経験と日本の学校制度についてプレゼンする機会をいただきました。この授業は世界各国の教育を学内にいる各国の先生方や留学生の話を聞いたり、自分たちでリサーチしたりする授業でした。授業内に学生から日本とアメリカの受験制度や教職課程の違いについて質問を受け、今まで意識していなかった日本の教育や学校制度について改めて考えるきっかけとなりました。

イベントにてついて
 前期にはIEW(International Education Week)という留学生がそれぞれの国の文化などを紹介するイベントがありました。日本のブースではJapan ClubとJapanese Classの学生たちも参加し、折り紙や書道をしました。中でも一番印象に残ったのは披露した盆踊りです。盆踊りを練習する中で、学生から曲を変えようと提案がありました。J-Popを想定していたら、学生が選曲したのはBlack Musicだったので、驚きましたが、実際踊ってみると曲と振付が合い、学生も私も楽しんで踊ることができました。当日、会場も盛り上がり、文化の融合を目の当たりにしました。

IEWにて:浴衣と法被を着て踊りました。
 プログラムに参加して良かったと思う点はアメリカ全土に同士がいるという心強さです。12月のカンファレンスで出会った約400人のFLTAたちはもちろんこと、他のフルブライトプログラムに参加しているフルブライタ―とも交流があります。冬休みにはSalt Lake Cityに遊びに行き、ブラジル人のFLTAを訪ねました。そこで他国のFLTAやその友人たちと交流の輪が広がりました。Atlantaには、Fulbright GA(Georgia)という支部があり、そこでの企画に参加したことで大学を越えて友人ができました。また、学期の途中では、同期の日本人FLTAたちと連絡を取り合い、近況報告をし合うことで安心感を得るとともに刺激を受けました。
 初めての留学であり、ホームシックにもなり、授業についていけず、授業とTAの両立が上手くいかない時もあり、とても落ち込んでいた時期もありました。しかし、先生方や友人に支えられ乗り越えることができました。辛い時は我慢せず素直につらい時期だと認めて無理をせずに過ごすことの大切さを実感しました。仲間、先生方、スタッフの方々の支えがあってこそ今の私がいるのだと実感しています。
後期は前期の反省を踏まえつつ、残りの日々を悔いなく過ごせるようにしたいです。


最終レポート

 去年の夏、私は新たな土地での生活に不安を持ちながらも大きな期待に胸を膨らませていましたことを思い出します。私はHBCU(Historical Black Colleges and Universities)の一つであるSpelman大学に派遣されたことで、最初は戸惑いの連続でした。しかし、Atlantaでの生活や大学の授業、そしてアメリカ国内旅行を通じて、人種とは何か、アメリカとは何かを常に考えるようになりました。プログラムを無事に終えて帰国した今、未来のFLTAたちの少しでも参考になれればと願いながら最終レポートを書いています。このレポートでは、日本語クラス、イベント、ティーチングアシスタントの仕事、そして受講した授業について書きます。

日本語クラス
 後期から初級Ⅰの日本語クラスを一人で担当しました。まず、「おはよう」などの簡単なあいさつを覚える事から始めました。新しい言語を話す楽しさがあったためか、学生たちは比較的早く覚える事ができました。しかしその後、学生たちはひらがなの形に苦戦し、やっと覚えたと思えばカタカナの形に苦戦し、母語話者として当たり前に思っていることが、彼らにとって苦痛の毎日でした。また、文章を使って文法説明を始めると、やっと覚えたひらがなの「は(ha)」は主語の後に付くと「○○は(wa)」の音になることも学生たちにとっては混乱の元でした。文字を覚えやすいようにと補助線を使ったシートを作ったり、補助プリントを使ったりして説明しましたが、限られた授業の中であれもこれもと焦って詰め込み過ぎたのは反省点です。しかし、授業内に節分などの季節のイベントを取り入れたり、日本の雑誌やおもちゃを使ってゲームを行ったりと日本の文化を少しずつ紹介できて良かったです。

イベントについて
 日本語コースにとって後期最大のイベントはCherry Blossom Festival(桜祭)です。今年は新たにAtlantaに住む日本人が運営する「こんにちはクラブ」と沖縄県人会の協力を得ることができました。午前中は教室を使って書道と折り紙のセミナーを行いました。お昼は大学構内にある壁がガラス張りの大きなイベントホールを借り、日本の桜の写真や造花、屏風や小物を飾って日本らしさ表しました。校内にあるお寿司屋さんが作るお寿司やアジアンマーケットで手に入れた日本のお菓子を振る舞い、より日本を身近に感じてもらえるよう準備しました。ボランティアの方々が書道、折り紙、浴衣の着付けコーナーを担当してくださり、沖縄県人会のみなさまには沖縄太鼓を披露していただきました。私は盆踊りとソーラン節を学生たちと共に発表しました。その後、日本語セミナーを行い、夜に日本のムービーナイトをするという過密スケジュールでした。Spelman大学に学部留学している日本人学生にも授業の合間を縫って手伝ってもらい、大変助かりました。
 私自身は準備と当日運営することに必死になっていましたが、参加者の楽しんでいる様子を見て、日本文化紹介の役割を果たせたと実感しました。


(Cherry Blossom Festivalにて:書道セミナー中)

(Cherry Blossom Festivalにて:参加してくれたインターナショナルスクールの生徒も一緒にソーラン節を踊りました。)
ティーチングアシスタント(TA)の仕事
 TAとしては日本語初級Ⅱと中級Ⅱ、そして日中ビジネス文化比較クラスのアシスタントをしました。Language Tableの日数を前期の週1回から週2回に増やし、その内1回はカフェテリアの隣にあるオープンスペースで行いました。教室棟で行われるよりも気軽に立ち寄れるらしく、前期よりも学生が質問にくる回数が増えました。雑談を通して日米の文化の違いを話す事もでき、仕事量は増えましたが、学生と接する時間が増え、彼らのとの距離がより近くなりました。文化比較のクラスでは、指導教官が中国出身ということもあり、中国の文化を学ぶこともでき、また日本の文化について学生からの率直な意見を聞くことで私も日本を外側から見ることができました。

(The Talent Showにて:発表した学生たちと共に)
 また、Spelman大学ではTAに学会参加のためにフルブライト奨学金とは別の補助金が出ており、私はAsian Network Conferenceへ参加するためにPhiladelphiaを訪れました。日本語教育、日本文化についての発表を聞き、授業へ役立てることができました。
 Japan Clubでは前期から引き続き学生主体にて活動しました。後期はソーラン節の練習が加わり、その他にも豆を箸でつまむお箸大会やお団子づくりに挑戦しました。学期の締めくくりに今年は新たな試みとして、Japan Club主催のThe Talent Showを開催しました。クラブに所属している学生以外も参加でき、日本文化のみならず、韓国などのアジアの文化を歌や舞踏にて披露しました。私もソーラン節を再び踊り、日本の歌を歌いました。Cherry Blossom Festivalとは違い、学生のみでイベントを運営する難しさを痛感しました。当日に発覚した機材トラブルにも指導教官や職員の方が対応してくださり、無事終えることができて良かったです。

 
受講した授業について
 授業は前期と同じくAudit(聴講)にて2つのクラスを取りました。Image of Woman in Mediaのクラスでは、白人と黒人の女性著名人を取扱い、映像や資料を通してそれぞれのメディアでの扱われ方をディスカッションしました。最初に取り上げられたのはマリリン・モンローとローザ・パークスです。当時ハリウッドでの理想の女性像を具現化したようなマリリン・モンローは果たして私生活でもそうであったのか。ローザ・パークスは公民権運動の始まりとされる勇敢なる女性ですが、実は彼女より前に黒人差別に抵抗した女性はいました。なぜ彼女は「初の」黒人差別に立ち上がった女性として扱われたのか。など、二人の比較から見える相違点を挙げ、人種の違いだけでなく、女性が置かれている現状や自分たちを取り巻く環境などディスカッションを通じて学びました。
 Black Cinemaのクラスでは、毎週、黒人に関するドキュメンタリーを視聴し、ディスカッションを行いました。ドキュメンタリーは映画館で公開された映画から動画投稿サイトで誰もが見えるものまでプロアマ問わず取り扱われました。映像を通して地域による黒人の生活の違い、差別の中で自分たちが描く自由を手に入れようとする姿を見ることができました。学期の中間と最後に学生たちはショートドキュメンタリーを撮り、私も自分の大学生活を題材に初めて映像作品を製作しました。ただ撮影し編集するだけでなく、映像から伝えたいメッセージを明確にすること、映像を観ている側を意識する事の大切さを学びました。後期になると自分の意見も臆することなく言えるようになり、気づいたことや分からなかった箇所は積極的に質問するようになりました。

最後に
 日米両国のみならず出会った世界中の人々に支えられ、恵まれた日々を過ごすことができました。
失敗したり、辛くなったりしてもいつでも誰かが相談に乗ってくれる。楽しいことは自分のことのように共有してくれる。Spelman大学に派遣されAtlantaで生活できたことで、アメリカの人種差別の実情、地域格差、人々の温かさを生活の中で感じられることができ、特別な機会を得ることができました。この素晴らしい経験を糧に私はこれからも成長し続け、世界に恩返しできるようになりたいです。
ありがとうございました。