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フルブライト語学アシスタントプログラム(FLTA)

2018年度 参加者レポート

2018年度参加者 
1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12  13  14 

1. 八海洋太 Ursinus College, Collegeville, PA

中間レポート


アーサイナス大学のシンボル熊の像にて
スペイン語とフランス語のTAとの写真
 フィラデルフィア中心部からバスと電車を乗り継いで50分のところに位置するアーサイナス大学に派遣されている八海と申します。1500人という小さな大学で1年生25人、2年生7人、3年生3人、4年生4人に日本語をTAとして教えています。

TAの仕事
 1つは、普段の授業のサポートです。ペアの足りないところに入ったり、オーラルインタビューのお手伝いをしたりします。日本語の先生は本当にコミュニケーションとしての言語を教える達人だなと日々感じているので、第二言語指導を学ぶという点で本当にアーサイナス大学は来るべき大学だと思っています。今後そういった方針で英語教育をよくしていきたいと思っている人はぜひ応募してほしいです。2つ目は、復習授業です。週に通常の授業が4日分あり、残りの水曜日に1週間にやった分の復習の授業を一人で行います。授業のやる内容は復習なので決まっていますが、それをもとに自分で授業をしていきます。3つ目は、チューターとしての仕事です。授業に遅れてしまった学生のサポートです。週に1度1時間から2時間ほどマンツーマンで授業の補習を行います。テスト前などは週に2度行ったりもします。僅かな額ではありますが時給も発生します。4つ目は、日本語テーブルの運営です。水曜日の18:00から19:00まで、日本語をとっている学生や日本語に興味のある学生と夕ご飯を食べながら、日本語をはなしたり日本の文化について話をしたりします。他の言語テーブルに比べ、日本の言語や文化に興味を持ってくれている学生も多く毎週大変賑わっています。5つ目は、生徒主体で運営しているジャパンクラブのイベントへの参加です。決して自ら運営するわけではありませんが、基本毎週木曜日に、日本文化にまつわるゲームやイベントを学生みんなでします。希望があれば比較的予算もおりやすいので、自分かが伝えたい文化紹介イベントも自ら企画できます。私はラーメン二郎好きなジロリアンなため、ラーメン二郎にインスパイアされたラーメンを学生50人ほどに振る舞う二郎イベントも行いました。来学期もいくつかのイベントを提案していきたいと思います。


派遣先大学への派遣前オリエンテーションにて
文化交流イベント
授業
 授業はEducation InnovationとJapanese animeという授業を前期は取りました。どちらの授業も20人以下の人数で構成されています。正直、授業の種類はたくさんあり、ここで私が話してもあまり参考にならないと思うので、アーサイナス大学での授業全般について話をします。まずほぼすべての授業で、毎回文献を読み、それに関連するペーパーを書くことになります。IELTS6.5以上の力があれば、そのペースについて行くことはできると思います。フルブライトの規定で、仕事に関わることは20時間以内と決められているので時間は十分にとれます。また成績のつけ方で感じている印象として、自らの考えた過程を評価するという方針が私や同僚のとった授業で共通しているなと感じています。なので、正直言って成績は甘いと感じるかもしれませんが、教育が生徒に対し一番評価をしてあげるべき観点だなあと日々実感しています。

 アーサイナス大学では普段の生活を通じて日本文化や言語を伝えていくことが要求されているため、学生と同じ寮に暮らします。部屋は自分1人の部屋がちゃんとあります。寮は大学から徒歩1分のところに立地しているので、毎朝非常に助かっています。寮に関して伝えたいことは3点あります。1つは、学生が集まる共有スペースについてです。ここでは、みんなで話をしたり、キッチンで作ったご飯をみんなで食べたり、勉強したりします。日本に興味を持っている学生も多く、彼らと話をしたり、自らが取っている授業について(特に英語について)質問したりしてみんなで時間を過ごします。2つ目は、定期的に開催されるインターナショナルイベントについてです。自分自身は寿司を200貫握ったり、たい焼きの機械を買ってみんなに振る舞いました。同僚のフランス語のTAはフランスのクレープを振る舞っていました。3つ目は、生活に必要なモノコトへのアクセスについてです。スーパー、美容院、薬局、バー、レストランなどはすべて徒歩圏内に位置しています。大きなスーパーや家具をそろえたりする場合でも、バスやウーバーで10分程度でアクセスできます。ただ、フィラデルフィアの中心地で観光やショッピングをする場合はバスと電車を乗り継いで、50分ほどになります。学生は大体車を持っているので、おいしいレストランや徒歩ではアクセスできない場所に向かう場合は彼らが連れてってくれるのもアーサイナスの日常です。

その他
 毎食の食事、寮、渡航費はすべて大学とフルブライトで負担になり、それプラスで毎月550ドル支給されるので、かなり金銭的には余裕があると思います。そのため、残ったお金でアメリカ中を旅行することができます。秋休み(1週間)、冬休み(50日)、サンクスギビングブレイク(1週間)、春休み(1週間)あるので、アメリカでの時間を有意義に使ってもらえると思います。



最終レポート

初めに
 FLTAとしての任期を終え現在はこの最終レポートを日本のマクドナルドで書いています。日本に帰ってきて一番思うのは、いかに私が日本食を恋しく思っていたかということです。気付かないうちにアメリカでの食事の量が減っていたこと、いかに日本では大食漢であったのかということを実感しています。なぜ今私がこんな変なことを書いているのかと思うかもしれませんが、異国の地で暮らすということはこのことにすべてが凝縮されているように感じます。アメリカに行っていろんなことを経験しているにもかかわらず、その経験を日本の子どもたちに伝えられるのにもかかわらず、比較対象に出会わない限り新たな学びをしていることに気付けません。帰りの飛行機でアメリカで何を学んだのか考えていましたが、正直ポンポンと思い浮かびませんでした。FLTAとして頑張るのはアメリカにいた時のみではなく、今いる日本での日々に対しても全力でぶつかっていくことによってアメリカと日本の違いに気付き、アメリカでの経験を日本にさらに還元できるのかなあと日本の柔らかいマックのハンバーガーのバンズを噛みながら思っています。英語力がアップしたとかありきたりなことはいくらでも言えるのかなあと思うので思いのままにこの最終レポートを書きたいと思います。

日本語のクラス(TAとして)
 1年間の学習でこんなにも日本語1年生が日本語を話せるようになるのかというのが私の1番の気づきです。1年生の学生がやったことは、1年を通して単語文法を学びそれを実際に使って話してみる、書いてみる、読んでみる、聞いてみることです。日本の高校入試のような文法問題をガリガリ解くだけではなく、実際に日本語をContent baseで使ってみた結果日本語である程度コミュニケーションがとれるようになりました。中学1年生の期末テストでどれだけ私が英語を話せるようになったかを考えると、本当に教え方1つで語学学習の楽しさや効果は倍増するのだと感じました。日本人が英語を外国で教えるチャンスはなかなかありません。そのため、日本の外国語教育で何が欠けているのか気付くチャンスや比較対象もあまりありません。FLTAとして日本語を外国語として指導する現場でお手伝いさせていただいた経験は、日本の言語教育で何が欠けているのかに気付くいい経験になると実感しました。英語の教師になりたいのにどうして日本語なのかと思っている方はぜひもう一度FLTAで何を学べるのか、そしてそれがいかに将来の英語教育のキャリアに有益になるのか、分かってもらえたら幸いです。

わたしが取っていたクラス
 今学期はEducation psychologyとMeaning of lifeという授業2つを取りました。Education psychology の中で最も印象的だった‘ほめる’ということの教育的効用について書きたいと思います。日本に帰りフジテレビのホンマでっかTVという番組を見ていました。するとそこで語られていたのは‘ほめる’ということの有効性についてです。日本では褒めると人は育つ、褒めたらいい子になるという風潮が最近はあるように感じます。私の母もそう思って私を育ててきたそうです。Education psychology で学んだのは、学習意欲を長期的に育てるという観点において褒めるという行為は、テストのためとか親が喜ぶからといった短期的な意欲を形成し、学習対象そのものに継続的に興味を示しそれを掘り下げて学習していくという姿勢は形成しないということです。私は塾に勤めていたこともあり、マニュアルで生徒を褒めて育てましょうということを長いこと実践していました。ただ塾というのは目の前のテストや大学に入ることを目的とし生徒が生涯にわたって学習していくことを目的としません。これからの時代に必要なのは、日々変わる時代の中でその変化に対応していけるよう好奇心を持ち続けて学習していく姿勢なのではないかと考えています。Education psychology のクラスでは、そうした子供たちを育てるためには、生徒が100点を取ったなどの目先のことを褒めるのではなく、どのように学んだのか、生徒の興味の対象に教師側も興味をもってあげることで好奇心を持って学習できる子どもを育てることができると教育心理学の観点から学びました。日本にいると日本で当然と考えられている常識に疑問を持つことはなかなかないでしょう。アメリカでの授業は、日本では当たり前と思っている様々な事象に待ったをかけてくれます。日本の大学で取った授業と同じような名前の授業をとったとしても学べることはそれ以外にもある、そんなことを学びました。

アーサイナス大学でのイベントの数々
 1つは桜フェスティバルです。日本クラブが手配してくれるバスで学生たちと一緒にフィラデルフィア市内の公園で行われる桜フェスティバルに参加します。2つ目は多摩川大学の太鼓チームとの交流です。多摩川大学から太鼓チームが大学にきて公演と学生との交流をします。3つ目はメジャーリーグやNBAの試合にたった5ドル程度で行けることです。4つ目は日本語一年生による日本語劇です。たった一年間の日本語学習であんなにも日本語を習得した学生と上司の田中先生の指導力の凄みに感動します。

最後に
 最初にも書きましたが、たくさんのことをアメリカで学んだのは事実でも何を学んだのかありきたりではないことはいくつも思いつくわけではありません。アメリカでの毎日はもちろん全力でした。日本でも全力で取り組むことで、たくさんの日米の違いに気付き、それを日本の英語教育に還元していきたいと思います。それが一番のフルブライトに対する恩返しだと思っています。それでも、本当にこんな充実した機会を与えていただいたフルブライトに関わる全ての人に心から感謝しています。本当にありがとうございました。

日本語のHonor societyの学生2人と先生たち

寮の前にてコロンビアとフランスのTAとの別れの時

2. 早川裕 Georgia Southern University, Statesboro, GA

中間レポート


派遣先大学について
 ジョージア・サザン大学(以下GSU)はサバンナ空港から約1時間、州都アトランタからは約4時間離れたところにあります。ステーツボロ市にあり、典型的な学園都市で、市の大半は大学生で占められています。公共交通機関については皆無ですが、平日のみ運行のスクールバスや、友人や先生方の車移動など交通手段は最低限確保できます。自転車を買ったり借りたりすると個人の行動範囲は広がるでしょう。

現地の生活
 -普段の生活:平日は毎日大学に行くようにしました。仕事や授業がない日でもスケジュールの異なる同僚や上司とコミュニケーションをとり情報を交換するためです。本校は一部のアパートのみスクールバスが運行しているため、私の場合は朝それを利用して大学に行き、夕方か夜には帰宅する毎日です。私は週末に友人か知り合いに食材の買い出しに同行させてもらいました。1週間~2週間分の食材をまとめ買いし、その中で平日用のお昼ご飯を作り持っていきました。この生活をすれば貯金が計画的にできるでしょう。(ミールプランも有)
 アパートについてですが、個人で探して契約することになります。私はお金の節約や他の契約特典、スクールバスの有無などを考慮して決定しました。私のアパートは3人用で、ベッド・バスはそれぞれ個人の部屋にあります。相性の良いルームメイトだと付き合いも深まるのでその点は良かったです。
 -聴講授業:私は中国語基礎とアメリカ国際関係史を聴講しました。前者の目的は、担当者がフルブライトFLTAの経験者であり、外国語をアメリカ人の生徒にどうやって教えているのかをじっくり学びたかったからです。結果として、本校の方針としてスピーキング重視の教育だったため、ライティングの宿題はほぼさせず、スピーキングを録音してチェックを受ける形式が多かったです。後者の狙いは、本プログラムの規則上アメリカ関連の講義を講義最低1講義聴講しなければならなかったのと、アメリカ人的視点でアメリカの歴史、外交史はどのように教授されているのか知りたかったからです。興味深いことに、本講師は中国人だったため、米中の視点を同時に学べました。太平洋戦争の開戦理由についてどこに焦点を置くかは国家により異なること、また、太平洋戦争から第二次世界大戦開戦、そして終結に至るまでの経緯と情勢が国家により違うため、視点や捉え方には国家間で大きな隔たりがあること、それらは衝撃的とも言えるほどの強い差異として認識できた授業でした。最終的にアメリカ国際関係史を中国人講師から学ぶことで、歴史教育は国家それぞれの指導方針や背景により大きく異なることが再確認できました。

主な仕事
 -日本語クラス:秋学期、私は中級クラスを2つメインに補助し、上級クラスもお手伝いしました。今年、来年は他のプログラムから日本人大学院生がTAとして初級クラスを担当しているので、私は初級クラスの生徒たちとほとんど関わりがありませんでした。ですが、その分彼らとは友人として接することができるため気が楽でした。主な仕事は授業中の全アクティビティの実施、小テストの採点、補習の準備・実施、期末プロジェクト発表に向けた添削発音指導などです。春学期は中級2クラスとも私が文法指導を含めすべてプライマリーとして担当する予定なので彼らの学力、クラスの雰囲気にあった指導法を検討している段階です。
 -オフィスアワー:週2に90分オフィスアワーを設けました。その時間に中上級の生徒たちが添削や質問をしに訪ねてきます。雑談で来る生徒も中にはいますが、ずっとオフィスに引きこもりの私にとってはフリーで談話・議論できる有意義な時間でした。
 -ティーアワー(カンバセーショナル・アワー):個人的には秋学期で最も骨の折れる仕事でした。当プログラムの目的は学生たちの日本語発話量を少しでも多く確保するというものです。そのためレベル別に毎回異なる内容を構成するのが最も難しかったです。毎週20人から30人以上来る日本語のティーアワーはGSUで人気の時間だからです。日本語履修者以外にも遊びに来る学生がたまにいるので彼らのことも考えて構成しました。具体的なアクティビティ例はリズム4、動詞活用すごろく、ラジオ体操、オノマトペクイズなどです。幸いにももう一人TAがいたので隔週で担当することができ負担は半減しました。

その他のプログラム
 GSUは留学生のためにGlobal Ambassador Program(GAP、国代表となって地域の学校で文化紹介をする), Cultural Friendship Program(CFP、アメリカ人学部生とペアを作って交流を深める), International Extended Family Program(IEFP、大学が探したホストファミリーと交流する)の3つをFLTAも活用することができました。私はGAPとIEFPに応募しました。GAPではある中学校まで行き、日本の概要、ビジネス文化、お笑いをプレゼンしました。IEFPでは1つのホストファミリーが割り当てられましたが、あるイベントでもう一つのファミリーと出会い、結果2つになりました。春学期にはGAPのようなコミュニティ・サービスをもっと継続的に行いたいため、他の学校でもできるかどうか大学関係者や知人に交渉中です。あと1セメスターを最大限に活かせるよう過ごしていきたいです。


最終レポート

 ジョージア・サザン大学に派遣された早川裕です。気が付けば4か月という春学期があっという間に過ぎていました。今回は中間で述べたアシスタントとしての立場と比較しながら、プライマリーティーチャーとして2クラス担当したかなり密度の濃い期間を振り返ってみたいと思います。

①指導クラスについて
 秋学期でアシスタントとして研修した指導ノウハウやスキルを活かして、春学期は中級クラス2クラスをメインに担当し、上級クラスも間接的に担当しました。基本的には上司のシラバスやスライド、メソッドに沿って授業を進めていきますが、授業に関するすべてのことは私に一任されたため、学生やクラスのレベル、雰囲気、リクエストに応じて柔軟に授業内容を変更しました。例えば、私は男子が大半のクラス(2001)と女子が大半のクラス(2002)を持ちましたが、男子クラスの方はよりインタラクティブで雰囲気も和気あいあいとしており、質問や冗談も多かったので、進行もスムーズで、練習問題を多く取り入れることができ、授業前は日本文化に関する短い動画をシェアしました。宿題は人数が少なかったため毎度添削し、フィードバックも頻繁に行いました。学期末にはここの多くの学生は「この日本語のクラス(2001)が他の履修科目よりも一番楽しいし、好きだ」という最高の褒め言葉を頂きました。一方の女子クラスはスローラーナーが多かったので、毎度レッスンプラン通りに進めることが難しかったです。文法のスピーキング・アクティビティの時間も他クラスよりの2倍時間がかかり、静かな学生が多かったため、能動的な学習雰囲気を醸成するのに苦労しました。本クラスでは学習動機付けの高いリーダー的存在の学生がグループ学習を積極的に行い、そのせいか学生間の距離も一気に縮まりました。また本クラスでは秋学期の授業姿勢が前向きでなくTAに頼りがちだったため、春学期は毎回学生1人が30分から60分私に代わり責任感を持ちながら文法項目をクラスメイトに講義する新しいスタイルを採用しました。彼らは担当文法項目のレクチャー前日まで私とマンツーマンで何度もミーティングをすることができ、そこでどこをどう教えるのか徹底的に話し合い、過去の取りこぼした文法項目も一緒に再発見して復習できる機会も確保できました。結果彼らの意識は少し変わり、テスト前には担当者同士がクラス外にスタディ・セッションを組んで相互的に情報交換をしていました。
②オフィスアワーについて
 今回は規定上の火曜・木曜の各90分オフィスアワー以外にも平日10時から5時まで私がオフィスにいたので個別指導を希望する学生には1時間たっぷり毎日確保し、他の時間には不定期に質問しに来る学生、他クラスのライティング課題の添削、劇のスクリプト添削、雑談しに来る学生など多様な生徒が毎日訪ねてくれました。クラスで成績最下位の学生には個別指導を提案し1か月毎日文法項目一つずつ一緒に復習する機会を設けました。その時間内で逆に私がアメリカのこと、個人的な疑問、その学生の近況報告など雑談も増えたため私と学生間の距離も近くなり一石二鳥でした。留学を控えた学生には一か月毎日漢字テスト、留学先で使える必須文法表現、若者スラング、日本の動画を一緒に視聴するなど学生個人のニーズに合ったサポートを心掛けました。

③聴講クラスについて
 聴講クラスは中国語初級ⅡとTeaching Writingを選択しました。オーディットなので出席できる日に多く学ぶよう心掛けました。

④コミュニティ・サービス
 秋学期にGSU(ジョージアサザン大学)のグローバルアンバサダープログラムで中学校へ出向いて日本文化をプレゼンしましたが、12月のFLTA中間カンファレンスにて他大学で働く他国のTAたちが数多くのコミュニティ・サービスを定期的に行っているのを聞き、私ももっとステーツボロの方たちに日本文化を広めたいという気持ちが強くなっていました。ですが、GSUはこれ以上の機会の提供は皆無だったので、ホストファミリーの教会経由のコネクションを利用して小学校3年生に対してプレゼンする機会を1度頂きました。日本文化の人気度や浸透率の高さには毎度驚かされますが、アメリカの小中学校の児童生徒が英語のどの単語・表現や文法ならわかるのか全く見当もつかなかったので私の学生に協力してもらってなんとかプレゼンすることができました。質問もたくさん飛び出し、時間の関係で途中で切るのが心苦しかったですが楽しんでもらえてよかったです。

⑤学生同士の交流機会の提供
 今期は私が担当する2つの中級クラスと上級クラスの学生を対象に和食を一緒に作り、数多くの品を堪能するフードパーティーを実施しました。和食例はざるそば、ざるうどん、ざる茶そば、親子丼、唐揚げ、焼きそば、たこやき、たいやき、和風ドレッシングサラダ、手作り味噌汁、巻きずし、日本茶数種類でした。この中で巻きずし、たこ焼き、たい焼きは学生が実際に作って、和食調理を体験しました。なかには羊羹を手作りで持参する学生もいました。この機会にクラス間で交流のなかった3クラスの学生が日本語を使ったゲームや自己紹介を通じて仲良くなり、のちにはスタディ・セッションや留学プログラムの情報交換など仲を深めていました。

⑥ティーアワー(カンバセーション・会話の時間)
 今期は別のTAと隔週で担当したので4回個人としては企画しました。とにかく学生には60分日本語をできるだけ多く使ってもらい、日本文化や表現も数多く知ってもらうため、私が一方的にプレゼンするのではなく5分ほどのショートビデオの視聴とスピーキング中心のアクティビティがメインでした。例えば表現では若者スラング(ググる、ドキドキするなど)を紹介し、活用の仕方、使用例も示しました。アクティビティでは「日本の県大使になろう!」企画では自分が選んだ県の名前、県シンボル、有名な食べ物、観光地など特定の表現を使って調べながら発表する形式です。初級の学生のために各班に上級クラスの学生を1人配置し、相互に手助けできるよう工夫しました。他のアクティビティ例は、オリジナル扇子づくり、合コンという文化的側面を混ぜた王様ゲーム、運動会を紹介した借り物競争、日中韓の箸文化を比較・学習した後、箸のご飯粒掴みゲームなど行いました。
⑦プライベートの過ごし方
 私のプライベートの週末は自宅での英語学習のほか、同僚との交流とホストファミリーとの交流がメインでした。同僚がアラビア語担当だったので彼らのソウルフードを食べる機会もあり、食わず嫌いだった私の食の世界観が一気に広がりました。ホストファミリーとはサバンナで聖パトリックデー、銃のシューティング体験、メーコンでの桜祭り、ステーツボロでのイースター、テネシーへの電車旅行、友人とはセイントオガスティーンへの旅行、春休みにはボストン・ニューヨーク旅行など満喫しました。アメリカならではの経験が豊富だったため、毎週刺激的でリフレッシュして過ごすことができました。

最後に
 10か月間という短い期間でしたが、プログラムを通じて素敵な同僚・上司・ホストファミリー・友人・素晴らしい学生など多くの人と出会い、たくさんの刺激を受けました。世界中から外国語の教育者が集まる、国際色豊かな環境の中で、私の狭い視野が一気に広くなりました。特に、同じ大学に派遣された3人の個性豊かなFLTAとは、共に過ごす時間が多く、お互いに、文化や言語を含め多くのことを学び合いました。最後になりましたが、フルブライトFLTAプログラムでの貴重な経験をサポートしてくださったスタッフの皆さん、プログラムを充実なものにしてくれた仲間たち、応援・支援をしてくれた全ての方に感謝しています。ありがとうございました。 

3. 平川新 University of North Georgia, Dahlonega, GA

中間レポート

 私の派遣先大学は日本人のFLTAが初めてということなので、大学とその地域を概観した上で、実際に私が学校内外でどのような生活を送っているのか、私の授業と仕事について報告いたします。

 ノースジョージア大学は名前の通りジョージア州の北部に位置しており、5つのキャンパスを持っています。私の所属するキャンパスは州都アトランタから1時間半ほど北東に離れたダロネガという町にあります。人口6千人ほどの小さな町ですが、アメリカ史上初めてゴールドラッシュに沸いた町としても知られており、週末になるとゴールド・ミュージアムを中心にアンティークショップが立ち並ぶ小さな町が観光客で賑います。(大学のランドマークであるプライスメモリアルホールの尖塔は当時発掘された金で覆われているそうです。)また、アパラチア山脈のふもとにあるので、町は豊かな自然に囲まれています。ハイキングやラフティングを楽しむこともできます。



 本大学は1873年、1964年に創立された二つの州立大学が合併することによって2013年につくられた新しい大学です。しかし規模は小さくなく、全キャンパスを合わせると2万人近くの生徒が通っています。先学期の日本語の学生は私の予想よりもはるかに多く、私の所属するキャンパスだけで80人以上いました。本校の大きな特徴はアメリカに6つしかない上級軍事大学のひとつであることで、カデットと呼ばれる士官候補生たちが一般の学生に交じって授業を受けています。軍事訓練の様子をよく目にしますが、大学に到着後間もなくして見た飛行訓練は迫力がありました。
 そんなダロネガキャンパスでの生活で一番困ったことは交通手段がないということです。電車はもちろんバスもありません。遠出をするにもウーバーもなかなか見つかりません。徒歩圏内には観光客向けのお土産屋さんやアンティークショップなどがあるダウンタウンを除けば、徒歩20分のところに大手のスーパーがひとつあるだけです。学食でのミールプランもいただいていますし、エジプトからのFLTAと共有しているアパートの家賃も払う必要はないので、生活するのに苦労するということはないのですが、やはり初めのうちは退屈していました。しかし徐々に友達ができてくると色々なところに車で連れていってもらえるようになり、仕事と学業以外にも充実した時間を過ごせるようになってきました。アメリカ、日本に関わらず、自分がいかに人に恵まれて支えられているのかを改めて気づかされました。

キャバレーナイトで踊る日本語の学生たち
 先学期は教育学とスペイン語の授業を履修しました。教育学の授業では主にアメリカの教育制度の下で公教育がどのような問題に直面しているのかといった話題が中心でした。それだけでも私には十分学ぶ価値のある内容だったのですが、日本の教育の視点からの意見が教授から毎回のように求められ、アメリカの教育が直面している問題を日本の状況下でとらえ直して考え発言する機会を持つことができました。アメリカの大学で日本人として学ぶことの意義の一つなのかもしれません。
 スペイン語を履修したのは、全く習ったことのない言語を学習することによって、言語学習に対する新しいあるいは忘れてしまっていた視点が手に入るかもしれないと思ったからです。紙面の関係上中間レポートでは割愛しますが、語彙学習や音声面の指導など、自分の学習経験とのアプローチの違いなどから、スペイン語を話せるようになること以上の収穫がありそうです。もちろん言うまでもありませんが、スペイン語を習得するということも目標にしています。
 さて、私の仕事ですが、主にTAとしての授業補佐、生徒一人ひとりとのミーティング、そしてイベント時のお手伝いの3つを行っております。日本語のクラスは初級から上級まで開講されており、先学期はすべてのレベルに授業観察も含めTAとして入りました。また、定期的に代講を任せていただいているので自分の挑戦してみたい実践等も踏まえて授業をデザインする貴重な経験ができています。
 授業以外ではランゲージラボとよばれる視聴覚室にいることが多いです。言語の授業を履修している生徒は定期的に課題を行いに来ます。初級と中級の日本語の生徒は私やその他のチューターとの面談がレッスンごとに課されており、そのレッスンで学んだ文法や語彙を一緒に復習することになっています。生徒一人当たり20分のミーティングを週に20人分ほど行うので大変ですが、生徒一人ひとりと密接にかかわることのできる貴重な機会でもあります。生徒も自分のわからないところや興味のあることをチューターに自由に聞くことができる有意義な時間になっているようです。上級の生徒たちにも私とのミーティングの時間が設けてあり、内容は宿題の復習、作文の添削、日本語会話練習など多岐にわたります。上級クラスでは8人の生徒全員と長く関わっているので、それぞれのクセや弱点や強みなどがわかってきて、それらに合わせたサポートを心掛けるようにしています。
 余談になりますが、ランゲージラボにはもちろん他の言語のチューターたちが多く働いています。スペイン語のチューターが一番多く、フランス語、イタリア語、ポルトガル語、ドイツ語、中国語、韓国語のチューター、そしてアラビア語、ロシア語のFLTAがいます。チューター同士の横のつながりが非常に強く、常に活気のあるフレンドリーな職場となっています。彼彼女らの言語学習への貪欲さにはいつも刺激をもらっています。
 先学期は様々なイベントが行われ、幸運にもそれらに携わる機会をたくさんいただきました。たとえば留学説明会を行いに他キャンパスまで出張したり、アトランタにある日本総領事館での天皇誕生日祝賀レセプションに教授と一緒に招待していただいたりしました。大学内ではジャパニーズテーブルを開催し、日本語の生徒はもちろん、それ以外の生徒たちにも日本文化を楽しんでもらおうと着物、日本のお菓子、習字、折り紙、けん玉、ヨーヨーすくいを体験してもらいました。なかでも最も印象深かったのはキャバレーナイトと呼ばれる言語学部全体で行われるイベントでした。それぞれの言語のクラスがボランティアの生徒たちを募ってその言語文化にちなんだ歌や踊りなどの出し物を行うもので、日本語の生徒たちはドレミの歌を日本語で歌いながら踊りました。日本語チームは私に一任していただき、選曲から振り付け、演出なども生徒たちと一から考え何度も練習を行っていたので、当日のパフォーマンスが終わったあとは学生時代にもどったような感動を覚えました。教授でもなく生徒でもないTAという立場からの生徒とのいわば斜めの関係性は私にとっても、そして生徒たちにとっても新鮮なものなのではないかと考えています。
 春には南山大学から10名の学生さんを迎えます。本校とのプロジェクトの一環で2週間の滞在となりますが、その短い間にもたくさんの行事をお手伝いさせていただくことになっています。FLTAとして日本とアメリカの学生同士の、そして学生と先生との間の橋になれるよう、残りの期間も全力で楽しみたいと思います。


最終レポート

 「英語を学ぶことの意義とは何だろう。」これは、一英語学習者として、また、英語教育に携わる者として、常に抱いている疑問です。一見哲学的な問いに思えますが、英語を教えていると必ず生徒に聞かれる純粋な、それでいて鋭い質問でもあります。私は、「外国語を学ぶこと、教えることとはいったいどのような行為なのか」という問いに対する私なりの答えを見つけるヒントになるのではないかと思い、日本語を外国語として教える機会を頂けるFLTAプログラムに参加することを決めました。本最終レポートでは、言語を学習することとはどのような行為かという問いに対する私なりの見解を踏まえて、アメリカでFLTAとして経験したことについて考察を深めたいと思います。

 私たちはなぜ英語を学ぶ必要があるのでしょうか。多くの人は、英語を話せるようになればグローバルに活躍するチャンスが広がるからだと答えるかも知れません。確かに、TOEICをはじめとする英語の資格が当たり前のように就職の条件に課されていることからもわかるように、英語を習得した人材は多くの企業に求められていることでしょう。実際に、学校教育において「英語コミュニケーション能力の育成」が叫ばれるようになったのも、経済界からの要請が大きいと考えられます。しかし、英語を学ぶことの意義はそのような実用的な側面だけなのでしょうか。経済的な価値が高いという理由のみで英語学習を生徒に強いるのであれば、それはとても悲しい教育であると言わざるを得ません。私には英語を学ぶという営みそれ自体に、「ワクワクさせてくれる何か」があるように思えてなりませんでした。FLTAとしてアメリカの大学に派遣され、外国語を習得していく学生たちを目の当たりにするとともに、自分も一人の学習者として成長していく機会を得たことで、外国語を学ぶという行為は新しい自己の創造過程に他ならないのだということを実感しました。
 人はコミュニケーションを図ることを通して人間関係を築いていきます。そしてその人間関係の中で、自分がどのようにふるまうべきかを学んでいき、自分らしさというものを少しずつ作っていくのだと思います。例えば、ある中学生は教室の中での自分と、地元の野球のクラブチームの中での自分、さらには家族の中での自分がそれぞれまるで別人であるかのように感じるかもしれません。彼はそれぞれの人間関係の中で別々のアイデンティティを構築しているのです。つまり、どのような人間関係の中で、どのようなコミュニケーションをとるかが、その人のアイデンティティを形成するうえで非常に重要になってくると言うことができます。外国語を学ぶということはまさに、新しい言語で、したがって新しい人間関係の中で、新しい自分を作っていくことなのだと思います。

 外国語学習と人間関係という観点から後期のFLTAの生活を振り返ったとき、UNG(University of North Georgia)で行われた日本の大学の学生との協同プロジェクトのお手伝いと、私がFulbrightのつながりをはじめとするアメリカで知り合った人々と関係の中での自分自身の言語習得の経験が思いだされます。以下ではその二点についてそれぞれもう少し詳しく述べていきます。

 3月にUNGの日本語上級クラスが日本の学生10名を迎え入れ、小チームに分かれてアメリカと日本の文化の違いについてビデオプレゼンを行うという協同プロジェクトが行われました。私は大学-空港間の送迎から、オリエンテーション、フィールドトリップ、その他イベントなどのお手伝い等、授業以外でも学生たちと関わる機会を多く持つことができました。特に、日本人の学生はUNGの学生寮に宿泊していたので、授業外でも学生同士が交流できるように夕食会を開いたり放課後には遊びに出かける企画を立てたりと、アメリカ・日本の学生の橋渡し的な役割を行っていました。初めは英語でのコミュニケーションに苦労していて、なかなか打ち解けられなかった日本の学生たちも、徐々にアメリカの学生たちと仲良くなっていきました。
 アメリカに到着して学校が始まった初日の朝、日本人の学生たちが何人かで固まって食事をする中で、一人でご飯を食べているある学生がいました。マイペースでおとなしい学生のように私には思えたので、これから2週間どのように過ごすのか少し気にかけていました。しかし、数日後にアメリカ人の学生数人と盛り上がって話をしているその学生を見て私の心配は無用であったことに気づかされました。あれほどおとなしそうに見えた子がアメリカの学生と意気投合し、生き生きと自信に満ちた表情で話している姿にむしろ感動さえ覚えました。英語のレベルは決して高い方ではありませんでしたが、本人なりのコミュニケーションを英語でとりながら、周りの人たちとの人間関係の中で、いつもの自分とは違う、新しい自己を形成していったのだと思います。
 学生たちはみんな2週間のアメリカ生活を楽しんだようでした。これをきっかけに大学在学中に留学をすることを決めた生徒も何人かいるほどでした。そのような彼・彼女らにとって貴重な時間を(裏方ではありますが)共に過ごせたことは何よりも幸せであると感じました。

 私の個人的な話をすれば、今回のアメリカ生活は人間関係に非常に恵まれていました。中間レポートではお話しできませんでしたが、私のいたジョージア州にはFulbright Georgia ChapterというFulbrightのつながりがありました。レセプションパーティーやフィールドトリップなどに参加する中で気の合う仲間ができ、長期休みなどがあるとよく集まって旅行をしたりしました。彼らは非常にバイタリティーにあふれていて、一緒にいるだけで元気をもらえるような人たちでした。そんな彼らに囲まれて過ごしている時間はやはりとても楽しく、英語でコミュニケーションをとっている自分が好きになるほど、自分自身でも知らない自分の一面が現れているように感じられました。今思うと、もちろん状況には依りますが、日本語と英語を話すときの自分は根本的に違う気がしていて、それは日々のそれぞれの言語でのコミュニケーションの積み重ねなのではないかと思っています。そう考えると、やはり、どのような人たちと、どのようにコミュニケーションをとっていくかが、言語を習得する上ではかなり重要な要素となるのだと思います。
 もちろん言うまでもありませんが、FLTAのフェローやUNGの友達との出会いも大変貴重なものでした。様々な人たちとの出会いの中での膨大なコミュケーションの海にさらされることによって、今の自分がつくられているのだと実感しています。言語を習得している身として、言語学習とは奥が深いなあとつくづく感じます。

 言語学習にとってアイデンティティ形成の視点が欠かせないという考え方を、私は今後言語教育の実践において大切にしたいと思います。具体的にどのような手法がどういう生徒に対して有効であるなどのノウハウはわかりませんし、あるとも思いませんが、教師自身がそのことに対して自覚的であることは必要不可欠であると思います。そうすれば、「コミュニケーション能力を育成する」といった場合に、形式にとらわれた表面的な会話練習をやらせるだけでは十分でないことは明らかで、生徒の感情面まで考慮した授業デザインが求められることが分かります。なによりも、英語学習が生徒にとって「ワクワクする何か」になってくれるはずだと私は信じているのです。

4. 角川由美子 U of Arkansas, Fayetteville, AR

中間レポート

 アーカンソー州フェイエットビルにあるアーカンソー大学に派遣されている角川由美子です。アーカンソー大学2人目のFLTAで、ティーチングアシスタント(TA)として日本語の授業の補佐、文化紹介のイベントの仕事を中心に行っています。私は、FLTAプログラムに応募するとき、そしてFLTAに決まってから、先輩方のレポート(体験談)を何度も読み、このプログラム参加への気持ちを高めました。なので、このレポートが未来のFLTAプログラム参加者のみなさんの参考になったら嬉しいです。この中間レポートでは、大きく3つのポイントにまとめたいと思います。1つ目は、プログラム応募や派遣が決まってからのこと、2つ目は先生としての経験、3つ目は学生としての経験についてです。(アーカンソー大学については、2017年度に派遣された杉浦竜也さんの中間報告に詳しく書かれているのでそちらを参考にしてください。)

1.応募の段階、派遣が決まってからについて
 3年ほど前、インターネットでこのプログラムを知りました。当時、公立中学校で英語の常勤講師をしていましたが、自分の英語力に不安があったこと、そして、海外での経験がほとんどなかったことが講師として働いている中で不安要素になっていました。そこで、英語力を高めるためにも、経験を積むためにも留学をしたいと考えていましたが、費用面の問題から自費で留学するというのが厳しい状況であったため、いい方法がないかとインターネットで情報を探していた時に、このプログラムを見つけました。とても魅力的なプログラム内容でしたが、自分の英語力、アメリカでの活動内容、先輩方の体験談を読んで私には難しそうだな、と自信がないために諦めてしまいました。それから3年、当時の思いが捨てられず、再び先輩方の体験談を読み、そこに書かれていた先輩方の前向きな言葉に励まされ、応募することにしました。8月末に書類を提出、9月7日に面接の案内がメールで届き、9月25日に東京で面接がありました。そして、10月16日に日米教育委員会に推薦されたというメールが届きました。年が明け1月以降、パスポートのコピーの提出が求められたり、健康診断書の提出に向けての準備が始まったりと少しずつ動きがあり、最終的に派遣先が決まったのは5月一週目でした。派遣先が決まってからは、健康診断、東京でのオリエンテーション、ビザの申請と出発までとても忙しくあっという間に出発の日を迎えました。(私は、アメリカでのオリエンテーションの日程が早かったため、7月31日に出国しました。)

 健康診断に関して、思っていたより時間と費用がかかってしまいました。子どもの頃に打つべき予防接種を打っておらず、打たなければならない予防接種が多かったため最初に通院してからすべての予防接種が完了し、健康診断書を受け取るまでに結構な時間と費用がかかりました。

2.先生としての経験
 アーカンソー大学には日本語の専攻がありませんが、学生は別の分野に専攻を持ち、日本語を副専攻、もしくは日本の文化や日本語に興味があるからなど様々な理由で日本語を学んでいます。初級、中級、上級すべての学生を合わせると130人ほどの学生が日本語の授業を履修しています。日本の文化(アニメ、音楽、和食など)に興味関心がある学生が多く、とても熱心に日本語を勉強しているのが印象的です。私は、初級、中級、上級すべてのクラスに入り、先生のアシスタント、学生をサポートしながら、それぞれのクラスの先生の授業の仕方を学ばせていただきました。教科書以外にも日常生活で目にする広告や新聞、コンビニ商品などの写真が授業に取り入れられていたり、歌や動画を扱ったりと先生方の日本語の教え方が様々でとても勉強になりました。日本に帰って英語を教える立場として働いたら、この教え方、このアクティビティを英語の授業で取り入れたい、そんな風に考えながらアシスタントをさせていただいています。

 授業の他での取り組みとしては、週に1、2回、日本語テーブル(Japanese Language Table)を行いました。カードゲームを使ったり、日本人学生の協力を得て日本語でテーマを自由に決め、会話をしたりして日本語の練習をしました。また、折り紙、お箸の使い方(お箸のタブー)、おにぎりや手巻き寿司作りなど、日本ならではの文化を紹介し、実際に体験をしてもらいました。学生は、日本の文化一つ一つにとても興味をもって、話を真剣に聞いてくれました。この日本語テーブルでの活動を通して、私自身、日本人であるにも関わらず知らなかった一つ一つの文化や習慣の本当の意味を学ことができ、そして、日本には日本独自のたくさんの文化があるのだと実感することができました。そして、学生たちが日本語や日本の文化に興味をもって学ぼうとしてくれていることにとても嬉しく思ったのと同時に感謝の気持ちでいっぱいになりました。

3.学生としての経験
 アーカンソー大学には、ICT(International Cultural Team)というグループがあります。留学生や海外留学経験のあるアメリカ人学生がキャンパスや地域に自分の国の文化や、海外での経験を共有し、お互いに学びを得るという目的で様々な国イベントを主催しています。私はICTに所属し、様々なイベントに参加して日本文化を紹介しました。現地の小学校を訪れ、日本の学校について話をしたり、折り紙を使ったアートを体験してもらったりしました。日本の多くの学校ではアメリカの学校とは違い、給食の配膳、教室やトイレの掃除を生徒が行うということを伝えるととても驚いていました。

 秋学期は、小学校3校、大学で行われた高校生向けのイベント、募金活動のイベント、アニメフェスティバルなど様々なところで日本文化を紹介することができました。
 日本のことを伝えるだけではなく、自分自身、アメリカの文化をたくさん経験することができました。
大学のイベントで出会ったアメリカ人のホストファミリーがThanksgiving day(感謝祭)やハロウィーンなど、イベントがある度に自宅に招待してくださり、話を聞かせてくれたり、アメリカならではの料理をふるまってくれたりしたので様々な経験をすることができました。

 アメリカに来て、5ヵ月がたちました。毎日が充実しているのであっという間に時間が過ぎてしまったように感じます。この5ヵ月間、母国である日本について考え、知らなかったことを知ることができ、それと同時にアメリカの文化を知り、体験することができました。残されたアメリカでの4ヵ月、学生がたくさんの日本文化について学び、実際に体験ができるよう日本語テーブルに力を入れ、そして自分自身も日本に帰国してからアメリカで学んだことや経験したことを伝えられるよう様々なことにチャレンジをしてたくさんの経験を得たいと思います。


最終レポート

 アーカンソー大学のティーチングアシスタント(TA)としての任務を終え、5月中旬に帰国しました。この最終レポートでは、①聴講した授業(秋学期・春学期) ②TAとしての仕事 ③日本語テーブル ④自分の中で変わったこと、について報告したいと思います。

①聴講した授業
 私は、派遣先の大学を決める際に、先輩方のレポートからこんなことが学べるんだ、ということを参考にさせてもらいました。なので、私も聴講した授業について書こうと思います。アーカンソー大学では、単位取得を目的としないaudit(聴講)で授業を受講します。秋学期(8月~12月)、春学期(1月~5月)に各2つのクラス、計4つのクラスを聴講することができます(他の国から来たFLTAは、オンラインの授業も受講し、合計6つの授業を受講していました)。自分の興味のある授業を選ぶことができるので、私は外国語教授法など、以下4つのクラスを聴講することにしました。

秋学期
1. The Methods of Teaching Foreign Language K-12
 アメリカでは、幼稚園年長から高校卒業までの13年間をK-12と呼び、この期間は無償教育が行われます。私が聴講したこの授業では、K-12の子どもたちを対象とした外国語教授法について学びました。授業で扱った理論を使って、授業を組み立てる、外国語の絵本(私は日本の昔話、アメリカ人の学生はスペイン語の絵本)を使ってミニレッスンをするなど、学んだことをすぐに実践する授業でした。

2. Seminar in United States Culture, Communication, and Institutions
 アメリカでの生活、アメリカ文化、コミュニケーションの方法などを学びました。留学生を対象とした授業であったため、教授が毎回の授業で学生がもっているアメリカに関する疑問にこたえてくれたり、関係する写真や動画を見せてくれたり、とアメリカの様々なことについての知識を得ることができました。アメリカ人学生へのインタビューをする、近所の小学校を訪問し交流する、などクラス外での学びもあり、日本では経験したことがないことが経験できました。

春学期
3. Acquiring a Second Language
 第二言語習得の授業で、教科書の章ごとに学生の分担を決め、学生が教科書で取り扱う内容の説明をするという授業形式でした。担当者は、ただ説明するのではなく、必ず毎回の授業で教科書に出てきた内容を扱ったアクテビティを取り入れ、理論と実践の学びが同時に行われるような授業にしていました。また、毎回、言語習得に関する記事を読む課題が出され、たくさんの記事を読み、それをもとに授業内でディスカッションをしました。

4. Instructional Practices in Teaching Foreign Language
 秋学期に受講した外国語教授法のクラスの発展クラスです。アメリカ人の学生は、日本の教育実習と同じように毎日小学校で実習をしていました。私は、聴講だったので実習はできませんでしたが、授業内でアメリカ人の学生が実習で上手くいったこと、困ったことなどを共有してくれたので、そこから学びを得ようとしました。

 どの授業もreading課題が多く、毎日教科書と向き合っていました。読むだけでなく、読んで自分の考えを述べられなければならず、英語力に加えて、自分の考えを表現する力が求められました。周りの考えや意見を気にしてしまい自分の言いたいことが言えない、そもそも自分の考えや意見がない、ということが多々あり、積極的にディスカッションに参加できず、何度も悔しい思いをしました。しかし、悔しい思いをした一方で、新たな目標を見つけることができました。日本で先生として働く際には、生徒に表現する力を身に着けさせることができるように、生徒に考えさせ、考えや意見を他の生徒と共有し、話し合う、そんな授業や取り組み、環境作りをしたい、と自身の苦い経験から強く思うようになりました。

②TAとしての仕事
 春学期も初級、中級、上級の授業全てにアシスタントとして入らせていただきました。私は、ティーチングアシスタントだったので、教科書の内容を教えることはありませんでしたが、今学期は初級の授業では週に2回、習った文法を練習するためのアクテビティをする時間をもらいました。毎週、アクテビティを考えるのはとても大変でしたが、習った文法を楽しく、グループで、できるだけ実生活で使う場面を想定したアクテビティを考えるのは楽しく、とてもいい経験になりました。学生の反応が良くなかったり、思わぬトラブルがあったりと、上手くいかないときもありましたが、学生が楽しそうにアクテビティに取り組んでいるときは、何とも言えない充実感がありました。言語が違えど、この経験はこれから先生となり、英語の授業をする際にも役立つ貴重な経験となりました。中級、上級の授業では、学生とペアワークをしたり、学生からの質問に答えたり、学生のサポートをしました。
 また、週に3回、チュータリングもしました。学生との日本語の会話練習や日本語に関する質問にこたえる時間です。日本語学習に意欲的な学生が毎回、チュータリングに来て、一生懸命日本語の練習をしていました。
 授業とは違った雰囲気で、面白い動画や音楽など学生の興味のあることを取り上げて日本語練習をしていたので、学生はとても楽しそうでした。

 日本語の先生方の授業を見ていて、学習内容を実生活に関連させ、どんな場面で使うのかをイメージさせることに重きを置いていた授業をされていたことがとても印象的でした。私が以前、中学校の英語の講師として働いていた時は、文法を説明し、単語を暗記させることばかりにとらわれていましたが、習った文法や単語の使い方をイメージすることで、楽しく学ぶことができ、定着しやすいということを身をもって学ぶことができました。今後、学校の先生になり授業を行う際には、英語を身近なものに感じられる、習った文法や単語を使ってみたくなるような授業を展開していけるよう工夫をしていこうと思います。

③日本語テーブル
 日本文化紹介を目的として、週に1回、日本語テーブルを行いました。日本語の先生方やたくさんの日本人留学生の協力を得て、「体験しながら日本文化を学ぶ」を目標に内容を考え、実行しました。1月にはもち米からもちを作る体験(臼と杵がなかったので、すりこ木とボウルで代用しました)、2月には節分を取り上げ、恵方巻を作って食べる体験、など学生と作り上げる会にすることができたと思います。内容を考えること、材料の買い出し、食材の下準備など、事前の準備が多く毎週毎週大変でしたが、秋学期に比べて、学生の参加数も増え、初級、中級、上級の学生同士が交流できる場になったので最後の日本語テーブルが終わったときには、準備など本当に大変だったけれど最後までがんばってよかったと達成感を味わうことができました。

もち作り

恵方巻き作り

浴衣の試着

漢字カルタ

書道

最後の日本語テーブル(カラオケ)

④FLTAプログラム参加を通して感じたこと
 FLTAプログラムに参加し、世界中の国の人と出会い、様々な経験をし、【人と人との直接の交流がいかに大切か】ということを実感しました。今までは、メディアからの情報や関りをほとんどもったことのない周りにいるごく一部の海外の人を見て、自分の中で海外の人々、その人たちの国のイメージをもってしまっていました。その中には、ネガティブなイメージもありました。しかし、プログラムを通して、たくさんの国の人に実際に会って話をする中で、自分のもつイメージと異なるところが多々でてきて、よく知らないにも関わらず、勝手なイメージをもっていた自分がとても恥ずかしくなりました。この経験から、実際に話してみないとわからない、相手を知ろう、そして、自分のことも知ってもらおう、と人との出会いや交流を大切にする気持ちが強まりました。どうしてもっと早く気づけなかったのか、そんな自分に悔しさがありますが、これからは自ら人と人との交流を大切にしていこうと思います。

最後に…
 アーカンソー大学でお世話になった先生方や職員の方々、学生、日米教育委員会やIIEの皆様、応援してくださった方々、たくさんの人に支えられ、このような貴重な体験をすることができました。心からお礼申し上げます。9月から中学校の講師として働くことが決まりましたので、アメリカで学んだことを生かした授業を行えるよう努力していきたいと思います。本当にありがとうございました。

5. 梶玲菜 Casper College, Casper, WY

中間レポート

 2018年8月より、ワイオミング州キャスパーにある、Casper Collegeに派遣されています、梶玲菜です。FLTAとして渡米して、早5か月。講師として日本語、日本文化をアメリカの学生に教え、学生として教育知識を深めています。また、ここでしか体験できないようなイベントやカンファレンス、アクティビティに参加することができ、とても充実したアメリカ生活を満喫しています。今回は、キャスパーの街やキャスパーカレッジ、学校生活、これまで経験したことについてまとめたいと思います。 

 キャスパーの街は、ワイオミング州で2番目に大きい街です。(1番は州都のシャイアン、3番目はワイオミング大学のあるララミーです。)2番目に大きな街とは言え、アメリカ人からも「ド田舎」と言われる街なので、東京と比べるとかなり小さい街です。公共交通機関はなく、車がないとキャンパス外に出るのは難しいです。しかし、スーパーや映画館、レストランなどはもちろんありますし、学校の先生方や友人が快く車を出してくれるので、実際の生活で不便になっていることはほとんどありません。また、街中やキャンパス内でも野生のアンテロープやウサギに出会うことがよくあり、自然があふれています。(ワイオミング州については、過去のキャスパーカレッジに派遣された先輩方のレポートをご参照ください。) キャスパーの街には日本人が4名ほどしかおらず、キャンパス内には日本人の先生、学生は一人もいません。アメリカ人以外の学生もほとんどいないような環境なので、出会った人はすぐに私のことを覚えてくれます。人種差別のようなことは全く経験したことがなく、とにかく優しい人だらけです。すれ違うだけであいさつや世間話をし、アジアや日本に興味をもって話しかけてきてくれる人が多くいます。他の国からのFLTAの同僚もいない中で働いていますが、親切な人が多く、友人や家族を紹介してもらえる機会も多いので、キャスパーでの輪が広がって楽しく過ごせています。

 キャスパーカレッジは、2年制のコミュニティカレッジです。ワイオミング州は、アメリカで最も人口の少ない州で、州内には4年制大学が1つしかありません。広大な土地にもかかわらず、その4年制大学までキャスパーから車で2時間かかるという地域柄、キャスパー周辺に住む多くの学生は、高校卒業後、キャスパーカレッジに入学しています。キャスパーカレッジは4年制大学の最初の2年間の役割を担っており、多くの学生は大学3年生時から4年制大学に編入します(そのためBridging Collegeとも呼ばれています)。学べる分野の多さと質の高い教育で、アメリカ国内のコミュニティカレッジの中でトップ25位に選出されたこともあるほど高い評価を受けています。また、コミュニティカレッジであるということから、地域の方(30代~60代くらいまでの方)が興味に応じて授業を受講しています。それだけでなく、市内の高校との連携で、高校卒業年の学生が先に大学で授業を受講しています。日本ではなかなか味わえない、ユニークな環境にいることを日々実感しています。

 キャスパーカレッジでは、Primary Teacherとして、秋学期は日本語の初級と中級の授業を、1週間に8コマ教えました。シラバス作成から授業プラン、宿題やテスト作り、成績付けまで全てを一任されています。日々の授業では、学生の興味を高めながら、日本語での表現を少しでも多く含むことができるように工夫しました。何もかもが初めての経験だったため試行錯誤の連続で、うまくいかなかった…と落ち込むこともありましたが、同じ学部の他言語の同僚や、教育学の先生方にも恵まれ、解決策や次に活かすためのアドバイスをもらうことができました。学生たちは皆、日本語学習に熱意を持っているため、とても楽しく授業をすることができました。アジア人さえもなかなか見ないような土地柄のため、日本人である私から、できる限りの情報と経験を得たいと思っている学生もたくさんいます。オフィスアワーに毎回来てくれる学生や、授業前に日本語の会話を練習する学生など、たくさんの嬉しい光景を見るたびに、より良い授業に向けたモチベーションにつながりました。 

 大学卒業後、民間企業で働き、アメリカに来るまで教員として教壇に立った経験はありませんでした。そのため、経験や知識を補うため、渡航後に様々なカンファレンスに参加しました。ニューオーリンズで行われた、全米外国語教育者向けのカンファレンス(ACTFL)や、キャスパーで行われたワイオミング州外国語教育者向けのカンファレンス(WFLTA)、コロラド州で行われた日本語教育者向けの講演会に参加し、知識を深め、他校の日本語の先生方との情報交換も積極的に行いました。そして、参加したイベントを通じて得た知識を直ちに授業に取り入れるように心がけました。キャスパーカレッジでは、日本語授業を一任されているため、このような場で学んだことをすぐ実践できる環境があります。責任はかなり大きいですが、これ以上ない貴重な場をいただき、経験をさせていただいていると実感しています。 

 学生として秋学期はFoundations of Educationと、Educational Psychologyのクラスを履修しました。これらのクラスでは、アメリカの教育制度や仕組み、効果的な教授法などかなり実践的に学ぶことができました。先生方がフレンドリーで、オフィスアワー以外にも気軽に質問し、普段の日本語の授業に関しての相談もできるくらいの間柄になることができました。授業内の学生はどちらも10名未満だったので、授業中に毎回1回は必ず発言していました。グループやペアでの作業、ディスカッションも多く、活気のある授業ばかりでした。大規模な大学でよくある、教授が一方的に講義をするような授業スタイルではないので、楽しみながら学問の理解を深めることができました。英語を使いたい、学生参加型な授業を楽しみたい、という方にはお勧めです。少人数の授業がこの大学の強みでもあると思います。

 世界各国からのFLTAと交流できることも、本プログラムの魅力の一つです。秋学期開始前にはノートルダム大学でオリエンテーションに、12月にはワシントン D.Cでのカンファレンスに参加しました。オリエンテーションではアメリカでの生活や母国語を教えるための教授法についての講義を受け、プログラム開始の準備をしました。様々な国のFLTA生と交流できただけでなく、教授法についても意見交換をでき、キャスパーでの実践で役立ちました。冬のカンファレンスでは、FLTAに向けてプレゼンをする機会をいただき、私自身が秋学期に日本語の授業で取り入れた授業内活動について発表しました。発表後に感想や質問だけでなく、新学期から取り入れてみる、という意見もいただき、嬉しさと共に自信につながりました。 

 大学卒業後、教育現場に携わりたいと心に抱いていました。その目標をフルブライトの一員として実現することができ、日々充実を感じています。しかしその一方で、FLTAとしての生活も折り返し地点にきていることを改めて振り返ると、毎日を大切に、学びを実感しながら過ごさなければならないなと改めて感じています。残りの生活では、自分自身の経験だけに重きを置くのではなく、どれだけキャスパーの学生やコミュニティにも貢献できるかも考えていきたいと思っています。残りの期間も、様々なことに挑戦・経験し、学んで成長して帰国できるように、残りの時間を全力で過ごしたいと思います。


最終レポート


冬のキャンパスの様子
 キャスパーカレッジでのFLTAとしての任期を終え、日本に帰国して1か月が経とうとしています。誰も知らない土地に、他国からのFLTAもいない中で派遣されるというプレッシャーと不安がありましたが、思い返すとたくさんの思い出がよみがえり、今すぐにでもキャスパーに戻りたい、という思いがこみ上げてきます。

 約1月のクリスマス休暇を終え、春学期は始まりました。環境にも慣れ、秋学期で得た知識、経験をもって日本語の指導方法や教材作成をより工夫しようと、新たな意気込みで臨みました。春学期は秋学期から継続して日本語を受講した学生の初級2、また初めて日本語を受講する初級1の2コースを教えました。秋学期で学生の反応が良く、学習に結び付いたフラッシュカードや歌、ダンスを使ったアクティビティは継続しつつ、新たに文化を交えた読解・会話練習などの教材を作成し、学習の幅を広げられるよう努力しました。加えて、YouTubeやNHK Worldの映像教材を用いて、教科書にはないナチュラルな日本語の表現も学習できるようにしました。春学期はお正月、節分、ひなまつり、こどもの日と行事尽くしだったので、授業内でも取り上げて、一緒に折り紙や食べ物を楽しみました。学生のリクエストも聞きながら、自由に授業構成や内容を変え、授業を展開できることは、FLTAだからこそできる経験と楽しさだと改めて感じました。

 日本語を教える中で自分の国や出身地のことも知ってほしいと思っていたので、春学期は文化・国比較の時間も取り入れるよう工夫しました。私自身キャスパーに住んでみて、日本に住んでいるときに気づけなかった日本の面白さや他国との違いを知ることが多くありました。そのため、学生たちには自分の国や文化に誇りをもって、比較・紹介できる人になってほしいと思いました。日本のお花見文化を学んだ日には、お花見の概要、歴史だけでなく、桜は日本の国花であることも紹介しました。そのあと、比較文化の時間として“アメリカの国花は何?アメリカにお花見のような行事はある?歴史は長い?”と質問し、自国の文化を答えることができるように練習しました。このとき、アメリカの国花を知っている学生がひとりもいなかったことが驚きでした。学生自身も今まで知らなかったことに驚き、一緒に検索をして、アメリカ文化を知ることから始めました。比較文化をする時間は英語でのディスカッションになってしまうこともありますが、外国語の授業だからこそできる学びであり、将来の糧になるものだと思ったので、この時間を大切にしました。楽しく学び、日本語練習もしてくれていたので、とても嬉しく感じました。

習字で漢字で名前を書いてみたアクティビティ

折り紙でひな人形をつくった、ひなまつり

新聞紙でかぶとをつくった、こどもの日
 学生として春学期はTeaching with Technologyと、Women’s Studiesのクラスを受講しました。Teaching with Technologyのクラスでは、教室で使えるIT機器やウェブサイト、無料ツールを一通り学び、レッスンプランを考えると同時に実際にIT機器を使ってみる授業でした。かなり実践的な授業で、ツール使用によってどう効果的な授業が作れるのか、また欠点はどこなのか等、ディスカッションをして分析し合いました。この授業で「使える!」と思ったツールや、作成したYouTube動画を実際の授業で教材として使ってみました。トライ&エラーができる環境だったので、この授業で学んだことをすぐに活かすことができました。この授業のおかげもあり、春学期は秋学期とは異なる授業展開ができました。

 Women’s Studiesのクラスでは、アメリカの女性解放運動の歴史から現代のLGBT問題まで幅広いトピックを学びました。ディスカッション中心の授業だったため、日本の女性問題、LGBTについて学生から質問されることが多かったです。そのため、ある日1コマ90分を丸ごと使用して、日本の教育やLGBT、アメリカ社会で大きな問題となっている10代の妊娠等について話し、質問を受ける機会が設けられました。Women’s Studiesを受講する学生は、外国語の授業を取らず、教養科目の一つとして必須だからと授業を受講している学生が多くいました。また、キャスパーという土地柄、アジア人と接したことがない、ワイオミング州から出たことがない学生も多くいました。そのため、私がこの授業のひとりとして参加したことで、視野が広がり他国について興味を持った、アメリカ以外の視点を聞けたことが面白かった、などのコメントが授業後に聞こえてきました。自らが展開する授業だけでなく、FLTA の学生として授業に貢献できたと感じた瞬間でした。

 授業外で、春学期は「キャスパーにいる日本人」として活動の幅を広げました。キャスパーカレッジ Humanities Festivalの一環であった、Living Libraryというイベントにプレゼンターとして参加しました。プレゼンターが“本”となり、話しを聞く人が“読者”となる「生きる図書館」というイベントでした。“本”の話を聞いたり、“本”に質問したりして自分と異なる価値観や経験、多様性を知ろうという目的のものでした。学生はもちろん、地域向けのイベントでもあったため、普段お話できない方々に日本だけでなく、フルブライトを紹介することができました。日本の生活や自然災害、貧富の差や現代問題など、様々な質問を受け、私自身も日本の良さやアメリカとの違い、新たな気づきも多いイベントになりました。このイベントは大成功を修め、ネットニュースやテレビニュースにも載るほどで、大変貴重な経験をさせていただきました。 ほかにも、市内の高校の日本語受講学生の引率として、コロラド州で行われたJapan Cup(日本の言語・文化・歴史等の知識を問うクイズ大会)や、キャスパー市内の高校主催のCultural Festivalにも参加しました。キャスパーカレッジの大学生だけでなく高校生と触れ合うことで、いい刺激がもらえました。キャスパーは小さな街ですが、本当に多くの人が日本に興味を持っていることを改めて感じました。

Living Libraryイベント時の様子

Cultural Festivalイベント時の様子
 様々な体験ができた10か月間でしたが、現地の方々とのふれあいは忘れられない時間となりました。外国語学部の先生方をはじめ、教育学部の先生方、カレッジ職員、地域の方、多くの方と出会いました。いつも気にかけて声をかけてくれて、相談に乗ってくれた先生方、ホームパーティやBBQ、映画などプライベートでも仲良くしてくださった方もいました。私を娘のように可愛がってくれて、毎週末お邪魔して、何度も一緒に旅行をしたご夫婦は私のキャスパーの両親になりました。日本語クラスを受講してくれた学生たちは、いつも素直で目を見開いて私の話を聞いてくれました。最後の授業ではやはり思い入れがありすぎて、感極まり泣いてしまうほどでした。この出会いだけとっても、FLTAに参加した価値があったと思っています。

Casper College Commencementに参加したときの写真
 中間レポートにも記載しましたが、教員免許、教授経験ともにない、民間企業務めだった私がPrimary teacherとして採用され、FLTAプログラムに参加しました。今振り返ると、FLTAに参加してよかった、と心から思えますが、応募時、渡米時の心境は今とは大きく異なりました。FLTAに参加するためには仕事を辞めなければなりませんでした。参加したらキャリアにどう影響するのか、帰国後の就職先はあるのかなど、FLTAはキャリアのゴールではなく通過点にしか過ぎないので、FLTA参加後の将来への不安がありました。ですが、教育に貢献できる人材になりたいと強く思い、アメリカの教育現場を経験すべく渡米しました。実際のところ、教員免許を持つ方、現役の英語の先生方の参加が多いのは事実です。しかし、民間の企業出身の参加者にも有意義な機会になると私は思いました。FLTAを通じて、私は多角的な視点、多様性を持つ、視野を広げるスキルを養うことができたと思っています。教員免許を持っていないけれど教育業界に転職したい、日本の英語教育に携わりたい、そんな思いをお持ちの方も是非挑戦していただきたい、自身を高められる機会、それがFLTAだと痛感しました。

 帰国後は、自信をもって経歴にFLTAを書くことができました。どのような経験を経て、どのような考えを持つようになったのか、それを言語化することで就職活動もスムーズに進みました。渡米前の心配は嘘のように、帰国後に始めた転職活動では、3週間以内で就職先が決定し、7月から渡米前目標であった英語教育に携わる職場で働くことになりました。これまでの経験を活かし、これからは日本の「英語」に対する見方を変えられる人になりたいと考えています。英語は受験科目の一つである前に言語ツールであること、自分自身を表現できる言語、相手、幅が増える楽しさが英語にはあること、それを学生に伝える仕事をします。この考えに至ったのも、この仕事に就くと決心できたのもFLTAの経験があるからこそです。この機会を与えていただいた日米教育委員会の皆様をはじめ、2018年度一緒にFLTAを全うした皆様、応援してくれた家族、友人、すべての方に感謝しています。この場を借りてお礼申し上げます。

 最後に、ご自身のキャリアや将来を見据えて、これから応募を考えていらっしゃる方がいらっしゃいましたら、ぜひチャレンジしてみてください。素晴らしい出会いと経験が待っています。かけがえのない思い出ができます。全力で応援しています。

6. 片桐隆裕 Pacific University, Forest Grove, OR

中間レポート

初めに
 オレゴン州のパシフィック大学にティーチングアシスタント(TA)として派遣されている片桐隆裕です。今回は、私がこの土地でどのように生活をしているのか、どういったことをしているのかについて感じたことや学んだことをもとにまとめていきたいと思います。また2017年、2016年、2013年にも同じように派遣されているFLTAがいますので、併せてご参照いただけたらと思います。

住んでいる環境について
・オレゴン
 オレゴン州はアメリカの北西部に属する、森林や農場に囲まれた素晴らしい土地です。太平洋にも面しているため海も近く、“Green State”と呼ばれるほど非常に環境に優しい土地です。買い物時にはビニール袋やプラスチック製品などをなるべく減らそうと紙袋が使われるケースがあります。また消費税がかかりません。北にはワシントン州、南にはカリフォルニア州とまた少し違った環境がすぐ近くにあるところが魅力です。気候は比較的温暖で、夏は平均24度と温かく、秋から冬にかけては平均気温が11度で雨が沢山降ります。しかしオレゴンの人はプライドがあり傘を使いません。個人的に一日の気温差が大きいと感じる為、朝や夜は外出時にいつも上着を常備しています。オレゴンはナイキやコロンビアスポーツウェアなど本社がある土地でもあり、今私がいる大学出身者も沢山いると聞きました。

ハイキング

オレゴンの湖
・ポートランド
 私が住むフォレストグローブからはバスと電車を使って2時間ほどの距離にあるオレゴン最大の都市です。ポートランドは「アメリカ人が住みたい町」の1位に選ばれる都市でもあり、住民にとっても良い町のようです。オレゴンの中でも多くのビール醸造所があり、その数は世界最大とも言われています。今までビールが苦手でしたが、オレゴンに来てハウスメイトや友人の影響で地ビールを飲み比べたら、その味の違いに奥深さを感じ好きになりました。交通機関に関してはMAXと呼ばれる路面電車やバスなどが発達しています。住んでいる日本人の方も多く、日本庭園や日本のお菓子、日本舞踊のイベントなど日本の文化に親しみを感じる人が多い雰囲気があります。

地ビールが楽しめるバー

街の中にあるアート
・キャンパス
 大学はポートランド郊外のフォレストグローブ市に位置しています。フォレストグローブは小さな田舎町で、正直車や自転車が無いと少し不便ですが、小さい町だからこそ互いに助け合う雰囲気がありアットホームな環境です。キャンパスも小さく3500人ほどの学生数なので知り合いが増えます。驚いたのはアジア系のアメリカ人が非常に多く、ミドルネームか苗字に英語と日本語の名前を持っている学生が沢山います。そんな環境だからこそ、親しく話しかけてくれる人が沢山いて、アメリカに住んでいる人の本当の意見や思いが聞けます。時間がある時はジムや体育館で汗を流し、疲れた時はスターバックスでコーヒー飲み、図書館で読書や勉強をするのが私の一番好きなところです。TEDトークや講演、パーティーなど大学でのイベントも盛んに行われます。大学のサイトや掲示板、張り紙がされるので友人と足を運びアメリカ文化を日々感じています。

パシフィック大学の正門

図書館
・家
 現在住んでいる所はキャンパス外の一軒家です。ドイツ人、フランス人、アルゼンチン人の3人と家を共有して暮らしています。自炊とカフェテリアでの食事を並行しています。家具などもきちんとあるので、今のところ全く不便は感じていませんし、人間関係に支障もありません。しかしみんなの性格や個性は全く違います。「ではなぜ?」と感じる方もいるかもしれませんが、具体的に言うと入居してすぐ、みんなで会議を開いてルールを決めたからだと思います。そして自分がオープンになって相手を認める姿勢を持ち、互いに尊敬し合い、支え合える環境があるからだと思います。そんな家がとても心地良いです。

ハウスメイト(左から順に日本、アルゼンチン、ドイツ、フランス)

住んでいる家

大学での活動
・日本語授業
 日本語クラスは初級、中級、上級と分かれています。その中で私は主に初級を2クラス、中級を1クラス、そして稀に上級クラスで日本語指導のサポートをしています。1コマ1時間です。生徒数は1クラスで10人から20人弱で全ての生徒を合わせると約80人です。自分の言語を今まで教えた経験はありません。その為、日本語の先生がどのようなフレーズや言葉遣いで授業を回しているのか、分かりやすく教え生徒がそれを身につける為の技術を学んでいます。今まで先生が会議や出張で不在の時が何度かありました。その時は自分もプライマリーティーチャーとして教壇に立ち日本語の授業を教えます。教具準備や指導案の計画などを通して準備の大変さが分かり、改めて学びたいという気持ちになります。

・ランゲージテーブル
 お昼の11時45分から12時45分にかけてカフェテリアで学生と日本語でお話しするという仕事です。週に2回行っています。学生にとって授業で学んだことを口に出してアウトプットできる機会はすごく貴重で毎回来てくれる学生もいます。

・ジャパンナイト
 週に一回2時間で自分が計画した日本文化を生徒に体験してもらうというイベントです。今までやった内容は、折り紙、おにぎり作り、J-pop、歌舞伎、芸者、伝承遊び、オノマトペ、日本のハロウィン、祭り、ジブリ映画鑑賞、カラオケ、ソーラン節などです。何をやろうかと生徒の興味を考え、ホットな情報収集が必要になります。常に教えるだけではなく自分も学び直しができ、日本語授業で学んでいることを試せるため、生徒と共に成長できます。

おにぎり作り

日本語のオノマトペ

・チュータリング
 週に一回2時間で日本語学習のサポートをしています。強制ではなく個人的に質問がある生徒が図書館に来て私に尋ねます。今年から大学のパソコンで生徒があらかじめ予約を入れられるシステムができました。私は生徒の学習状況やアドバイスを記入したレポートを指導後に提出しますが、このシステムからも生徒を考えた大学の良さがうかがえます。

・ボランティア
 オレゴンのフォレストグローブは富山県の入善町と姉妹都市で、日本の高校生が短期の研修で大学に訪問しました。そこでは高校生がハロウィンイベントのパンプキンカービングを通してカボチャの置物を作るお手伝いをしました。文化交流に興味がある私にとってアメリカでの生活について彼らと話し、自分の国を客観的に見ることができたのは良い機会でした。高校生も私の背景や生活に興味があったようで、1人の人生モデルに慣れたのは嬉しく思いました。その他秋祭りというイベントでは、ジャパンクラブのメンバーと希望者で共にソーラン節を踊りました。

秋祭りでのソーラン節

日本語初級クラスの生徒と入善町からの高校生
春セメスターに向けて
 秋セメスターの反省点は主に3つあります。①履修授業と日本語授業、他の活動との両立 ②英語学習機会を習慣にできなかったこと ③ジャパンナイトの外部からの呼び込みが盛んにできなかったことです。
 日本語授業や自分の仕事以外にも、2つの履修科目の大量の宿題、授業内ではディスカッションやプレゼンテーションなどがあります。すべてを完璧にやろうとして一度おかしくなりそうでした。本当に今まで見たことの無い専門用語や感じたことの無いアウェイ感は凄くストレスになりました。しかし、目標があって自分は来たのだともう一度改めて考え直し、来学期は良い意味で頑張りすぎないこと、そして習慣化を心がけたいです。2つ目についてですが、日本に興味がある学生やもともと親の一方が日本人で日本語を話したい学生が居たため、相手の為にと仕事以外でも日本語を話してあげていました。そういった学生がいることは嬉しいことですが、いつの間にか英語より日本語の使用が増えていきました。英語力向上の為、友人とその点についても話し合い英語と日本語のバランスが取れた生活をしたいと思います。最後の3つ目は、現在のジャパンナイトのイベント参加者がほとんど日本語授業の履修者で、1人の学生から外部からもっと人を呼んだらどうかと提案がありました。確かに、より多くの人を呼び込み、より多くの人に日本の良さを知ってもらうには良いアイディアだと思い、呼び込みの活発化を促したいです。この半年は本当にあっという間でした。毎日生活の中でも授業の中でも新しいことを学び、非常に刺激的でした。残り半年も貴重な機会を使って多くの事を吸収し、思う存分残りの生活を楽しく過ごしたいと思います。


最終レポート

 オレゴンのPacific Universityに派遣されていました片桐です。とうとう9か月間のプログラムを終え、無事日本に帰国しました。この9カ月間は自分に大きな変化と成長をもたらしてくれた貴重な時間でした。以前の中間レポートではオレゴンや大学の環境、自分の仕事と生活についてまとめました。この最終レポートではFLTAの経験を通して感じた、自分の成長・変化について述べていこうと思います。

成長・変化
 フルブライト留学が決まるまでの自分といえば、大学で英語教育や国際学を学んでいた、ごく普通の学生でした。大学1年時に短期でアメリカへ留学した経験がありながらも、思い通りに話せない自分の英語力に挫折感を感じ、大学3年時には模擬国連を経験しながらも周りの学生に圧倒され、大学4年時には教育自習を経験し、自分の教育に対する知識不足、指導力の低さを目の当たりにしました。思い返せば挫折ばかりでした。この留学を知らなければ、自分の経験やスキルに「もやもや」したまま教師を目指していたかもしれません。そして、その時考えた教育問題や社会問題に対する強い貢献意識は「今の自分には無理だ」と諦めていたかもしれません。しかし、日本語教師かつ生徒としてアメリカの大学で沢山学び、経験した今、スキルを生かして自分にもできることがあると言えます。では具体的に、どのような成長や変化があったのかを12の能力ごとに箇条書きにし、詳しい説明をしていきます。また、あくまで主観的な分析ですので参考にならないと思う方は読み飛ばしても構いません。
・英語力
 日本では知り得ない、使わないであろうスラングや表現が学べました。インターネットで調べればある程度の事は分かる時代ですが、現地で知るからこそ適切なコンテキストで言葉を吸収できます。そういった点が英語力の向上に役立ったと思います。専門的なアカデミックな内容と、その国にまつわる情報が含まれると、内容が自分の知識量を超えたことになり、聞いても理解できないといったことはよく起きます。大学ではそういった知識の蓄積と歴史など、背景が分かるきっかけがある為、そういった意味では英語力向上に効果があったと思います。

・リーダーシップ能力
 Japan NightやJapan Tableなどアメリカに滞在中は、自分に裁量権がある仕事が沢山ありました。その中で企画と運営があり、学生のことをまとめなければいけないことが沢山あります。こうした経験は周りを上手くどう使うのか、伸ばしていくのかなどリーダーシップ能力を高められた気がします。観察能力が高まったともいえるかもしれません。

・指導力
 リーダーシップ能力とは別で、専門的な知識を用いて指導する能力が身に付いたと思います。状況を考え、AとBがあればどっちが効果的なのか考え、行動に移す。結果を見て改めて考えるなど、こういった経験が普段の仕事や生活の中で学べた気がします。

・パブリックスピーキング能力
 FLTAとして留学している際にTEDトークというイベントの依頼を受けました。私はチームでソーラン節を踊りたいと依頼者にお願いし、学生を集めソーラン節を踊りました。他にもJapan Nightの時間で福島県について、2時間のプレゼンを行い、人の前で話す経験が沢山できました。みんなの前で何かを発表するのは勇気がいることで、失敗すると落ち込むこともあります。ですが、回を重ねるごとに自信を持つようになったことは感覚として気づきました。英語が上手か下手かの問題以前に、態度や考え方、パッションが大事な要素だったのだと一生懸命聴いている学生を見て思いました。

・異文化コミュニケーション能力
 大学にはアメリカ人のみならず、ヨーロッパ系の人やアフリカ系の人、アジア系の人などいわゆる「人種のるつぼ」と言われる環境があります。しばらく環境を共にすれば相手がどういった人なのか、背景や考えを共有して分かり合えます。大学時代に異文化コミュニケーション論という授業を受けましたが、実際に多くの国の人とボディーランゲージや各違いについて話すのは興味深いものでした。思い込みに囚われず、1つのパーソナリティーとして相手を受け入れる尊重も大切だと思います。

・問題解決能力
 アメリカに飛び立ち、すぐにフライトに遅れが生じ、乗り換えができませんでした。カウンターで新しい席を手配してもらうよう交渉し、サマーオリエンテーション会場のホテルに着いたのは、深夜過ぎだったのを覚えています。また、空港で自分のスーツケースが破損し、アメリカに着いて間もなく電話で新しいものを頼みました。今では笑い話ですが、他にも問題は沢山ありました。誰しも新しい問題には少なくとも抵抗と辛さを感じます。しかしそれを解決しようと行動するうちに、それを仕方のないこと、起こり得ることとして考えることができ、また上手く対処できるようになりました。別の言い方をすれば問題に直面し、今何をするのがより良いのか合理的に考える力がついたのだと思います。

・柔軟性と適応能力
 問題解決能力でも述べましたが、問題に対して柔軟に対応する能力がつきました。しかしここで言いたいのはそれだけではなく、新しい環境にどう適応するかです。私はアメリカ滞在中、ハワイに行く機会がありました。温かいリゾート地であるのにもかかわらず、友人3人と車をレンタルし、1週間車中泊をしました。食に関して譲れないという皆のポリシーで朝食は基本スーパーで買ったパンや果物を食べ、昼と夜は現地のレストランで外食をしました。しかし、シャワーやトイレは探さなければありませんでした。肌寒い気温の夜に、冷水シャワーを振るえながら浴びているシーンを想像すると、今でも可笑しいですが、こういった生活レベルを下げた経験は多くの気づきをもたらしました。他にもカリフォルニアやニューヨークなど各地域によってホームレスの方を見て格差社会の現実と本当の幸せを学びました。日本は凄く豊かな国だと思います。食べ物も美味しく、あらゆる面で不自由なく生活できます。しかし国を出て初めて気づくことがあります。アメリカでは多くの事が違い、最初は慣れないこともありました。しかし人間とは面白いもので、次第にそれに慣れていきます。こうした新しい環境や文化に柔軟に適応することに抵抗がなくなったのも、この留学のおかげだと思います。

・自己肯定力
 日本では「周りと比べて自分はできない」と、周りとどうしても比較してしまう自分がいました。スポーツ選手や料理家などプロフェッショナルと呼ばれるレベルに達しなければ「できる」とは言えないのだと思い込み、自分を卑下していました。自分がそういった思い込みに囚われていたことに、アメリカで気づきました。英語ができないと思っていた自分でも、英語でプレゼンテーションをしたり、他人の悩みを聞いて解決できたりすることができるのだと現地で分かることや、水彩画を描いて周りに喜んでもらえることに気づいたり、料理を予想以上に褒めてもらえたりと今の自分にもすでにできることがあり、そんな自分でも良いのだと思えるようになりました。

・他人の価値観に振り回されない力
 人は欲望を持っています。物を買いたいという衝動や、憧れている将来の夢など、すでにあるものを度外視して欲します。いったいその欲は自分の内側から来るものなのか、いったん客観的に深く考えてみると、たいてい周りの意見や価値観に振り回されていることに気づきます。例えば「周りの人がこの商品を買っているから」や「この仕事はよりお金がもらえるから」など自分に本当に必要なものではなく、他人が価値を置いたものに自分の価値観を置いているだけ、または手に入れようという人が多いように感じます。自分もそうでした。アメリカ留学では日本から持っていけるものや、お金は限られます。勿論、金銭的に余裕があり現地で購入すればその条件は関係ありませんが、新しく限られた環境に身を投じると、考え方が一気に変わりました。今では、ある何かが自分に本当に必要なものかどうかを考える時の判断基準ができ、決断のスムーズ化と自分に素直になれることができました。
・専門的知識
 私は秋学期にラテンアメリカのポップカルチャーに関する授業を履修しました。そこではヒップホップの歴史的背景やラテンアメリカの今まで受けてきた差別や思い込みについて学んだりしました。特に興味深かったのは壁絵(murals)の教育における効果でした。荒れた学生がいる学校での壁絵プロジェクトは生徒を大麻や暴力の改善、社会復帰、そして様々なスキル向上に役立つことが学べました。その後ワシントンDCの美術館で、自分が授業で学んだことと照らし合わせながら実物を見ることができたのは大変嬉しく思いました。

・リサーチ能力
 アメリカにいる間、大学の図書館には沢山の本がありました。本が好きな私にとっては大変居心地が良いものでした。コーヒーを片手に本を読み、時には興味のある論文を読める時間は至福でした。今でも、ネイティブレベルで英語の論文をスラスラと読めるわけではありませんが、以前よりは読めるようになりました。そもそも以前は英語で読もうとは思わなかったと思います。その習慣を作れたのはアメリカにいることができたからだと思います。また、Japan Night やTutoringなどを通して、教材づくりをしている時はいつも学び直しができました。言葉の意味に戸惑い、英語では何といえば伝わるのかなど、色々調べながら試行錯誤していたことは、今のリサーチ能力の向上に繋がったと思います。

・向上心
 目の前の新しいことや困難に逃げることなく、問題解決を試みると達成できた時の感覚は自己肯定感を上げ、「できる」というマインドセットを作ってくれます。挑戦してもそれは失敗ではなく、成功の途上にあるということをフルブライト留学に申し込んだときから、日本に帰国するまで身をもって経験できた気がします。次の目標にも弱気にならず、果敢に挑戦したいと思うようになりました。

最後に
 素晴らしい友達、先生、同僚、生徒に囲まれ、充実した9か月間を過ごせました。上記した沢山の成長と変化は、周りの環境とサポートがあってこそだと思います。困難にぶつかりながらも、納得のいくように留学ができたのもそのおかげです。今後は、この経験を通して学んだことと、身につけたスキルを生かし、少しでも社会に還元していこうと思います。フルブライト奨学金に申し込む際に3つの自己目標を掲げていました。①英語力向上、②指導力向上、③日本語と日本文化をアメリカの学生、または一般の人にも教えることを通し、彼らの興味を広げたい。現地の人から頂いた感謝の気持ちや有難い言葉から、少しでも日本とアメリカの「橋渡し」になれたのではないかと自分勝手ながら満足しています。先程も触れましたが、自分の力だけではそれらの目標達成は無かったと思います。友人や先生方のみならず、9か月間支えてくださった日米教育委員会の方々には心から感謝しています。本当にありがとうございました。

7. 木村俊 Brandeis University, Waltham, MA

中間レポート


サマーオリエンテーションの様子
フルブライト像前にて
応募からサマーオリエンテーションまで
 大学卒業後英語教員として勤め始めて4年目の初夏、FLTAの案内がたまたま目に留まりました。英語教員として働きながら、自身の英語能力を磨く必要性を常々感じていた中で、このチャンスを逃す手はないと、すぐに応募に向けて各所に相談・準備を進めたことを今も鮮明に覚えております。
 さて、応募者の皆さんはわからないことだらけで気が気ではないと思いますので、応募から合格までの流れをお伝えしたいと思います。8月末に応募書類をすべて提出した後、9月下旬に面接を受けました。面接官の方々はリラックスした雰囲気でできるように気を遣ってくださっていましたが、私は面接官の人数の多さに終始圧倒されていました。10月中旬にNominationをもらったという連絡が来ましたが、それはまだ確定ではないということで、職場のみなさまや家族友人にも結果が報告できずやきもきしていました。3月になり受け入れ大学・志望者のマッチングに関する手続きを経て、新年度が始まり、ようやく結果がわかり周囲に報告できたのは5月中旬になってからでした。そこからは準備がとても大変でした。受け入れ大学についての情報と、FLTAオリエンテーションについてのメールが届いたので、勤め先の管理職の先生方にご報告と、今後の処遇についての相談をする傍らで、英文健康診断や必要書類の準備などに追われました。準備と通常の業務をこなすことに夢中で、このあたりの記憶はあまりありませんが、あっという間に8月になり、私のオリエンテーションの場所であるアーカンソーへと旅立ちました。時差の影響で体調はあまり優れませんでしたが、アメリカでの生活での注意点や、FLTAとしての役割や授業の方法論など学ぶことができ、とても有意義なオリエンテーションでした。世界中のFLTAとコミュニケーションをとることもでき、良い刺激になりました。

派遣先大学について
 今年日本人として2人目のFLTAとしてブランダイス大学に派遣されています。大学はマサチューセッツ州のボストン郊外にあり、市街地までは無料シャトルバス(長期休暇中は出ていません)で30分の位置です。敷地は基本的に小さな山の中で、毎日がちょっとした登山でよい運動になります。ユダヤ教系の大学であり、かのアルバート・アインシュタインが創設に関わっていたそうです。もともとは「アインシュタイン大学」と命名される予定でしたが、本人が拒否したために、法律家として著名なユダヤ教徒のルイス・ブランダイスの名前を大学名にしたという逸話があります。

FLTAとしての役割

Language Tableの様子
 秋学期、日本語の初級・中級クラスにTAとして参加しました。日本語を履修している生徒は非常に多く、初級クラスの生徒数は1セクションおよそ20人で4セクションもありました。中級でも2セクションあり、慣れない日本語の宿題の採点に追われる日々でした。母語として当たり前にネイティブに身についている知識を、言語習得者に定着させることが難しいことを改めて認識しました。その他、Tutoring・Office hour・Language Table・習字体験会・日本語スピーチ大会に同伴・テスト監督など、TAとして大学に貢献できることはたくさんありました。Language Tableは、学生たちで集まり日本についていろいろなトピックで話し合うのを聞いたり、話を進めるのを手伝ったりとしました。学生が主体ですべて進めているのが印象深かったです。

I Am Global Week のFulbright紹介テーブル
 また、大学のイベントの1つとして、「I Am Global Week」というものも開かれました。1週間世界中のさまざまな言語や文化に触れることを趣旨としたイベントで、フルブライトの留学についてアメリカの学生に周知する機会がありました。日本の文化紹介のテーブルも、大学内の日本人学生協会と連携して展示しました。

履修授業について
 American studiesからIntroduction of Asian American Studiesと、言語教育の一環としてGermanのコースを聴講として受講しました。こちらの大学の授業を受けて驚いたことは、基本的に多くの授業がInteractiveに進められていくことと宿題の多さです。Introduction of Asian American Studiesでは、毎回宿題となったReadingの題材について、必ずディスカッションをしました。最初は学生と先生の話すスピードに全くついていけず完全に自信をなくしましたが、担当の先生のOffice Hourに通ったり、意味はわからなくても何かしら発言してみたりしていくうちに、少しずつディスカッションにも混ざれるようになったことがとても嬉しかったです。Germanは、外国語がこちらでどのように教えられているか、日本語だけでなくその他の言語の教え方に興味があったので、軽い気持ちで履修したのですが非常に大変でした。こちらの言語の授業は一週間ほぼ毎日あるため、毎日宿題に追われ、新しい語彙と文法の暗記を繰り返していくだけであっという間に秋学期が終わりました。こちらの授業も、習った語彙や文法を用いた会話の練習が授業内でも大半を占めており、宿題をやれなかった日などはとても居心地が悪くなりました。ReadingやTranslationを重視していないことも印象的でした。ただ、学期の終わりにはクラスのメンバーはかなり流暢に話せており、日本の英語教育との違いを痛感しました。

おわりに
 紆余曲折はありましたが、なんとか秋学期を終えることができて安心しております。ここまでやってこられたのは、日米教育委員会、IIEの方々をはじめ、推薦書を書いてくださった先生方、ブランダイス大学の先生方の支えがあってのことですので、感謝申し上げます。また、教員としての身分を保ったまま海外で勉強する機会をいただけているのは、ひとえにあたたかい職場のみなさまのおかげです。ご迷惑をおかけしておりますが、さらなる成長をして戻る所存ですので、この場を借りてお礼を申し上げます。本当にありがとうございます。冬休み・春学期はより一層励み、帰国後学校に還元できるように尽力してまいります。


最終レポート


Brandeis Fulbright Chapter最後の集合写真
 9ヶ月間、非常に多くの学びがありました。およそ5年の教員経験の中で、言語教育のあり方について、教育全体としての問題について、そして何よりも自分の英語能力について常に葛藤があったように思います。そんな中、このようなプログラムに参加する機会に恵まれたことをとても幸運に思っております。  私にとってこの9ヶ月間の一番の目標は、自身の英語の能力を可能な限り向上させることでした。そのため、出国前から自身の能力について分析し、どうすれば向上していけるか具体的に月ごとの計画を立てました。TAとしての仕事や、普段の授業の宿題をこなしながら自身の勉強を進めていくことは非常に大変で、毎日深夜まで図書館にこもって作業・勉強をしていました。毎週の課題のエッセイ・毎日の作業の採点・隙間を縫っての読書。。。それらの苦労が実ったのか、今ではまだまだ改善の余地はありますが、到着前とは比較にならないほど英語の能力はつけられたように思います。

 英語の能力だけでなく、言語教授法についても学ぶことの多かった9ヶ月でした。前期はTAとしての授業見学の他にドイツ語初級を聴講しました。後期はTAの見学に加えて、近隣のWeston Middle / High Schoolのスペイン語 / 社会科 / 英語 (こちらの国語) の授業を週に一度見学する機会をいただけました。これはExploring Teachingという授業のCourse Requirementだったので見学ができたのですが、普通は無関係の人間が学校に来て授業見学をするのはとても難しいことだそうなので、いい機会に恵まれたものだと感じております。この見学で驚いたことは、少なくとも私の見学していた中学校と高校では、既にPowerPointで授業をするのが普通になっていることでした。言語の授業では特に、PowerPointを用いたVisual Aidsを利用しての対話活動は、中学校から大学レベルまで既に一般的になっているようで、日本の教育設備との違いに驚きを隠しきれませんでした。その他にも面白そうなアクティビティやデジタル機器の活用法などを勉強することができたので、言語教授法についても大きな学びのある9ヶ月間でした。

 言語教育に限らず、一般的なプレゼンテーション能力も向上させることができたと思います。特にPowerPointを用いたプレゼンテーションの機会を多くいただけたのが春学期でした。履修した授業の一つがTeaching and Presenting in EnglishというESLの学生のための授業で、ほぼ毎週テーマに沿ったPowerPointを作り5分~10分程度のプレゼンテーションをするといった内容でした。英語の発音や流暢さだけでなく、プレゼンテーションの主張や構成、話者の姿勢や話し方、口癖まで指摘をいただけたので、自分の話し方の何が問題なのか、ネイティブスピーカーの目線から教えてもらい、公的な場で発表する能力、ひいては授業をする力も向上させることができたと思います。

 私にとって一番辛かったことは、ハウスメイトたちとのやり取りでした。全員で7人いる家だったのですが、家事の割り振りやキッチンの使い方などでもめることがたくさんあり、仲裁や後処理などが本当に大変でした。深夜に帰宅して疲れている日に汚れ切ったキッチンを見ると、何かこみ上げるものをふつふつと感じましたが、ハウスメイトが多く誰が犯人か全くわからないので何も言えないという状態が続きました。数年その家に住んでいるハウスメイトによると、”It was never like this until this year.” とのことでした。最後の1ヶ月間はようやく少し落ち着いた生活環境になり、期末試験にも集中できましたが、とても辛い住宅環境でした。こればかりは運の要素なのでどうしようもありませんが、顔を合わせてのコミュニケーションをハウスメイト間で増やし、仲良くしつつも釘をさしていくことが重要だと感じました。

 日本語教育プログラムの先生方からも、たくさん勉強させていただきました。普段の授業見学はもちろん、時折機会をいただいた授業実践での経験や、その際いただいたご指摘を糧に今後も教員としてのキャリアを進んでいこうと考えております。先生方と言語教育とITについて試行錯誤したことは、自分にとっても非常にプラスになることがたくさんありましたので、この場を借りてお礼を申し上げます。

 学ぶことの多く充実した1年間でありましたが、その経験を今後にどのように日本の教育現場に活用するかが今後の課題です。アメリカの教育のいい点、日本の教育のいい点、二つをうまく統合してよりよい教育をできるよう尽力していきたいと思います。9ヶ月間、留学前・留学中・留学後、お世話になったすべての人にこの場を借りてお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。

8. 小林匠 University of Notre Dame, Notre Dame, IN

中間レポート

 インディアナ州、ノートルダム大学(University of Notre Dame)に派遣されている小林匠です。この中間レポートでは大きく分けて3点(①出発前の準備、②プログラム・学校の紹介、③ノートルダム大学での役割)について報告します。

①出発前の準備について
 まず、私の背景ですが、大学(国際学部)で第二言語習得について学びましたが今まで留学の経験はありませんでした。大学卒業後は神奈川県内の私立高校にて常勤講師として2年間勤めていました。外国語が上手くなるということに関して言えば日本国内でも全く問題ないと感じていましたし、現在もそう考えている私がプログラムに応募した理由は、現場で生徒と触れる中でもっと生徒の可能性を引き出せる面白い教師になりたいと感じたこと、自分が本当にやりたいと思えるプログラム内容に加えて財政的・機会的なサポートが手厚いことがあります。
 2017年の応募締め切り(8月末)に向けて4月頃からエッセイなどを仕事の後にコツコツ書き進めていましたが、提出したのは締め切り2日前くらい(ギリギリ)でした。自己分析に付き合ってくれた友達、そして推薦状を書いてくださった大学時代そして勤務校の恩師たちには本当に感謝しています。
 内定後は健康診断・ワクチン、派遣先を考えることに悩み時間を取られました。まず、健康診断・ワクチンについてですが、複数回接種しなければならないものもあり時間がかかるので指示が来てからすぐに取り掛かることをお勧めします。
 次に派遣先についてですが、FLTAとしての時間のほとんどを派遣先で過ごすので、自分の希望を明確にする必要があります。私の場合は日本語ティーチングの経験や知識は全くなく、留学も初めてだったのでprimary teacherとして授業をするということよりもteaching assistantとして文化交流やアメリカの大学でのL2教育がどのようなものかを学ぶということに重きをおいて希望を提出しました。ノートルダム大学では学外活動として小学校に訪問し文化交流をする機会があり私のやりたいことができそうだと考えました。全ての希望が通るわけではありませんが、「こんなはずではなかった」と言うことにならないように特に内定者には過去の先輩方のレポートを読むことを勧めます。

②FLTAプログラム・学校の紹介
 まず、私の考えるFLTAプログラムの最大の魅力は、50カ国以上の国から来ている様々なバックボーンを持つ人と直接会って話ができることだと思います。自分の頭の中の先入観が無くなり、国や人をリアルに感じることが出来ました。このプログラムに参加していなければ一生行くことのなかったであろう国、一生話すことがなかった人と出会うことができ、友達になれたことがとてもうれしいです。

 次に、私が派遣されているノートルダム大学の紹介ですが、ノートルダム大学はアメリカの中西部、インディアナ州にあるカトリック系私立大学です。Hidden Iviesにも数えられる名門大学でアメリカを中心に全世界から熱意とスキルを備えた学生が集まってくる非常に学術レベルの高い大学です。また、アカデミック分野以外ではアメリカンフットボールも有名でキャンパス内に8万人以上を収容するスタジアムがあり、シーズン中は毎週末とても盛り上がります。

 また、FLTAに関係することとしていくつか特徴があります。その一つが環境面で、例えば図書館は13階建で平日は24時間営業など非常に恵まれています。また、総合大学なので様々な講義があり、FLTAとして授業を取る際も自分の興味に合わせたものが取れる可能性も高いと思います。他には、比較的大勢のFLTAを受け入れることも特徴で、今年度は世界各国から12人のFLTAが来ています。仲間の存在は頼りになりますし、グループで何かを企画したりすることもできます。

③ノートルダム大学での役割
 ノートルダム大学で私はFLTAとして仕事と学業を両立しています。まず仕事についてですがアシスタントとしての宿題の添削やチューター、そしてイベントの企画運営が主な仕事になります。イベントは定期的に行うMovie Night、Language Tableと、単発で行うイベントがあります。このセメスターの単発イベントは、ドラえもんとどら焼きを題材に行いました。またノートルダム大学でのFLTAの仕事としてNuner Projectというものがあります。近隣の小学校(Nuner Fine Arts Academy)に毎月一週間に渡り訪問し、文化紹介をします。一人一人のFLTAが事前に相談し決めた学級に入り、各々言語や文化についてのアクティビティを子ども達と行います。これだけ定期で、まとまった時間を地元の小学生と過ごす機会がある派遣大学はノートルダム大学以外無いのではと思います。私は4、5年生のクラスの担当をしていますが、今学期行ったアクティビティーの一つで日本語の漢字を用いてアートピースを作るということに取り組みました。子ども達は絵と漢字を使い自分の作品を作りました。日本語教育からは少しそれた内容ですが、子ども達にとって日本語は初めて見る記号であり、私が意味を伝えることでそれを自分のイメージに落とし込んで楽しんで使っていたのでやってよかったなあと思いました。日本語って、日本って面白いなと感覚的に思ってもらえたかなと思います。また、今年はFLTA全員でcultural tableを行い小学生達が様々な文化に触れる機会も持つことができました。
 大学でのイベント企画や、Nuner Projectに携わる中で外から見る日本文化やニーズの違いのようなものを強く感じました。例えば多くの学生が日本のポップカルチャーがきっかけで日本語を履修しますが、アニメ一つとっても実はドラえもんは日本ほど認知度が高くなく、逆に90年代の他のアニメ(日本ではアニメ好き以外は知らないと思われる)が人気だったりします。自分が派遣されてここに来ている理由はこのギャップに入り込んで行くことかなと最近は思っています。残りの時間はアメリカの学生のニーズと日本人の持つ日本文化観の間をとって、学生が面白いと思うような企画を打っていきたいと考えています。

 次に学生としての生活についてですが、今学期はBeginning FrenchとIntroduction to Linguisticsという二つの授業をcreditで履修しました。フランス語はずっとやりたいとは思っていたものの、これまで学んだことは一度もありませんでした。しかし、日本よりも進んでいると言われるアメリカの第二言語教育を体験したかったこともあり履修しました。実際、反転授業やeラーニングなどが授業内で自然に扱われており、良くも悪くも今後の日本の外国語教育について考える機会となりました。これからFLTAプログラムを検討される方にもアメリカの大学の第二言語教育を体験することは勧めたいと思います。今学期履修したもう一つの講義がIntroduction to Linguisticsです。”Introduction”で、且つUndergrad向けの授業にも関わらずレベルの高さに驚きました。私自身学部生の頃にリーディングの研究をしていて、それなりに言語学についての知識もあるつもりでしたが、蓋を開けてみると英語力、知識ともにクラスメートに劣っており悔しい思いもしました。アメリカの大学の課題(リーディング)量や授業内のディスカッションにも最初は圧倒されました。結果的に、今では今後の自分の伸び代を増やしてくれる刺激的な体験になったと感じています。

 以上を中間報告とさせていただきますが残りの時間もお世話になった大学時代、勤務校の恩師、ノートルダムの同僚そしてFulbrightへの感謝を忘れずに過ごしていきたいと思います。


最終レポート

 インディアナ州、ノートルダム大学(University of Notre Dame)に派遣されていた小林匠です。この最終レポートでは春学期を中心に大きく分けて3点(①TAとして、②学生として、③その他の活動、)について報告します。

①TAとして
 春学期も日本語アシスタントとしての業務(採点、チューター、イベントの企画運営など)とノートルダム大学のFLTAとしての仕事(Nuner Fine Arts Academyという小学校に定期的に訪問する)に従事しました。
特に春学期には「さくらまつり」というノートルダム大学、日本語プログラムの一大イベントがあり学生たちが1年間の集大成をクラスごとにパフォーマンスで表現するというものがありました。日本の英語教育では受験システムや授業の内容などからよく「学生は英語をわかるけれど、自分の言語としては使えない」などと批判されます。私自身高校で英語教師として働いていた際そのことについて悩みました。しかし、「さくらまつり」でのパフォーマンスやチューターをしている際に、ノートルダム大学では1年間を通して学生が日本語を自分の言葉として使えるようになっていることに気づきました。やはり、授業のデザインや授業外の環境などで学生が変わることを確信し帰国した際には学生が自分のことばとして英語を使えるような教育を行える言語教師になりたいと感じました。

②学生として
 学生として春学期も2つの授業を履修しました。履修した授業はIntroduction to Second Language AcquisitionとGender and Popular Cultureの2つです。特にGender and Popular Cultureの授業はこれまで日本でしか教育を受けて来なかった私にとってはとても新鮮で、刺激的な体験となりました。授業内容はアメリカのポップカルチャーを通してジェンダー、人種、宗教、国籍などについて考えるというものでした。日本では最近ジェンダーなどについて扱うテレビドラマやニュースなどが増えてきましたがやはりまだまだこういった事柄について考えている人の割合は少ないと思います。私自身もmelting pot、アメリカで生活する中でよりこういったことを自分の問題として考えるようになっていました。
留学生がこの授業には基本的にいなかったのでスピーディーに進んでいく英語でのディスカッションには少し苦労しました。しかし、日本のポップカルチャーを用いて関連するような問題をクラスメイトにシェアすることができ、多少なりともクラスを面白くすることに貢献できたのではないかと思います。

③その他の活動
 ノートルダム大学に実際に派遣される前から私はアメリカの日本語教育に関する学会やイベントに参加したいと考えていました。アメリカにいるからこその貴重な体験になると考えたからです。幸運なことに春学期にはノートルダム大学での上司である纐纈先生とともにPrinceton Japanese Pedagogy Forumに参加し、多読・多聴活動について発表をさせていただきました。アメリカの学会や教育についてのイベントなどに積極的に参加するのもアメリカにまとまった期間いるからこそできることだと思うので今後FLTAとしてアメリカに派遣される方でそういったことに興味のある場合には事前にチェックしておくことをおすすめします。

最後に
 プログラムを通して様々な人、文化に触れることができました。FLTAだからこその経験だと思います。教師として又一人の人として考え方が広がりました。プログラムで出会ったかけがえのない仲間、サポートしてくださったスタッフの方々、ノートルダム大学でお世話になった先生方、応募にあたり協力をしてくれた恩師、すべての人に感謝しています。本当にありがとうございました。

9. 古峨美法 University of Scranton, Scranton, PA

中間レポート

 コンビニも地下鉄もないこの町に到着し、アパートに向かう車中から景色を眺めながら、東京との環境の違いに気が遠くなりかけたことをよく覚えています。しかし不思議なことに、5ヶ月が経ち、この町の面白さに惹かれている自分がいるのです。FLTAになるまで、私は名前すら聞いたことがなかったですが、アメリカ人の多くは(The Officeというドラマシリーズによって)スクラントンを知っているようです。「スクラントニアン」と呼ばれる町の人々は、全米1「醜い」とも揶揄されるそのアクセントを含め、この町を誇りに思い、そして愛してやまない様子です。車を少し走らせれば大自然がある一方で、ニューヨーク・シティやフィラデルフィアまでも車で2時間という場所にあり、アメリカの「自然」と「文明」のどちらをも感じることができます。私はその町の名を冠したスクラントン大学に派遣されています。キャンパスはダウンタウンに隣接しており、スクラントンの教育・文化の中心地になっています。ペンシルバニア州の他地域や、ニューヨーク州、ニュージャージー州からの学生もたくさん在学していますが、生粋のスクラントンっ子たちが一定数いることは、特徴のひとつだと思います。
 秋学期は、初級と中級のクラスを週に3回50分ずつの6コマ、上級をすでに終えた学生向けにインデペンデント・スタディという75分の授業を1コマ教えました。日本語教員は私だけなので、シラバス作りから成績づけまでを1人でこなさなければならず、時間に追われる毎日を繰り返しているうちに学期が終わっていた、というのが正直なところです。ただ、学生はとても意欲的で、好奇心旺盛で、真面目で、そしてとびきり面白い子ばかりだったので、授業に向かうことが楽しみでした。また所属している学部は、コロンビア、アルジェリア、イタリア、スペイン、中国、アメリカ出身の先生方、コロンビア、バーレーン、フランスからのFLTA、メキシコ、台湾、ベルギーからのTAが所属しており、多国籍多文化の中で、様々な視点から相談に乗ってもらうことができます。
 学生としては、外国語教授法(FLTAは義務づけられている)と社会学(人種とエスニシティ)を受講しました。教授法のクラスの初回は「教科書を飛びだせ」という先生の言葉から始まり、様々な言語の教員(志望も含む)とマイクロティーチングとフィードバックを何度も繰り返しました。地図、新聞・雑誌、YouTube、Kahoot! などを効果的に使いながら、学生の好奇心を刺激し、学習言語を通してその外へも興味が広がって行くような授業プランを考えるよう求められました。また、興味深かったことは、このクラスでは教師が「私」をさらけ出すことが良しとされていた点です。教科書には載っていない、「私」にしか話せないことを学生にすることで、授業をオリジナルのものにするのです。日本の高校で教えていたときは、試験までの範囲に追われ、パターン化された授業をしがちだった私にとって、このクラスでの学びは大きかったです。社会学の授業では、文献を読み進めながら、現代アメリカ社会における人種・エスニシティの問題を検討しました。「ある公立高校でネイティヴ・アメリカンを彷彿させるマスコット・キャラクターが使われていることに学生グループが反対声明を出した」という設定で、様々な立場になりきってロール・プレイングをする回や、自身の経験を話す回などがあり、解決が不可能にも思われる大きな社会問題を自分自身のこととして考えてみられるようなプロセスが取られていました。学生として受講することができた、これら2つのコースでの学びを、自分自身の授業にも還元できるようにしたいです。
 中級の授業で「どんな子どもでしたか」という質問をしたことがあります。「本やマンガやゲームが好きだった」と全員が答え、「しずかだった」と7割が答え、「友だちがいませんでした」と半数以上の学生が答えました。どれも特に悪いことであるとは思いません。ただ、彼らがアメリカ社会に大なり小なり「生きにくさ」を感じていたことは確かであるように思います。私にとって「英語」や「アメリカ文化」がそうであったように、「日本語」や「日本文化」との出会いを通して、彼らの生きる世界がぐんぐん広がって行くような授業ができるよう、春学期も頑張りたいと思います。


最終レポート

 1月下旬から始まった春学期は、初級・中級に加えて、新たに上級クラスも教えることになりました。想像以上に大変な毎日でしたが、無事にコースを終えた今となっては、初級から上級クラスのそれぞれの言語習得の過程を観察することができる貴重な経験になったと思います。8月下旬に「あいうえお」を習った初級の学生たちが、次の学期では「週末何をしたか」をクラスメイトの前で説明し、中級では「日本昔ばなし」を読んで理解することができ、上級では敬語を使い分けられるようになりました。

 こちらの学生たちは、奨学金や就職活動などのために、成績をすごく気にします。私は日本語教育経験ゼロのTAという身分であったことから、少々気が引けましたが、レッスンごとのペーパー試験、プレゼンテーション試験、オーラル試験、授業参加の4項目をそれぞれ25パーセントずつで成績評価を行いました。興味深かったことは、試験時間の延長や別室での受験を希望する学生が少なからずいたことです。大学発行の許可書が提出されれば、学生の希望通りの環境を整える必要がありました。日本の学校ではあまり聞いたことのない状況だったので最初は驚きましたが、学生の平等性よりも、それぞれが出来る限りの力を尽くせる環境づくりが重視されていることがわかりました。

 スクラントン大学の日本語クラスは全体で25人ほどと、それほど大きなコミュニティではありませんが、JETプログラムに4年生1人が合格し、夏には姉妹校の上智大学へ3人が短期留学しました。将来は日本の会社で働きたいと考えている学生もたくさんいます。真冬、マイナス20度の寒さの中であっても、遅刻することなく朝9時のクラスにやってくる彼らはたくましく、母国語でない言語を学ぼうとするその熱意と気迫に、私自身学ぶところが大いにありました。
 また、春学期は、授業以外でも、日本について紹介する機会を何度か持つことができました。TA Talkというイベントでは、スクラントン大学のFLTA4人(コロンビア、バーレーン、フランス、日本)が15分程度のプレゼンテーションをそれぞれ行いました。このイベントは学内・学外向けに2回あり、学外向けの回では地元の中学・高校生など、普段接することのない人々と交流することができました。また、アジアン・スタディーズ・プログラムの先生からの依頼で、“Women in Japan”というタイトルで1時間の講演をする機会も得ました。これは、ジェンダー・スタディーズとアジアン・スタディーズが共同で企画した“Women in Asia”(インド、中国・台湾、日本)という連続シリーズの1回で、当日は120人以上の学生・教職員が集まりました。私のプレゼンテーションは、先進国である日本のジェンダー・ギャップ指数がなぜ149カ国中110位(世界経済フォーラム、2018年)であるのかを考えてみようと試みたものでした。日本における#metoo運動や、2018年の医学部不正入試問題については、アメリカでも関心が高く、トーク後には質問やコメントをたくさんいただくことができました。FLTAのサマー・オリエンテーションや大学でのハラスメント講座(必須でした)、フェミニストの先生たちとの出会い、ワシントンDCのウィメンズ・マーチに友人たちと参加したことを通じて、さまざまに学ぶことができました。なかでも、女性や有色人種だけでなく、様々に差別を受けているマイノリティの人々が、日常レベルでいかにプロテストしているか、またそのような主体的な活動がいかに大切なことであるかを知りました。ある先生から、「日本に帰るのが怖いでしょう?日本で女の人として生きるのは大変でしょう?」と言われたことがあります。確かに、日本に帰国してから、以前は気にしていなかった日本社会で「当たり前だとされていること」のおかしさをより意識するようになったことは事実です。とりわけ日本で女性であることの生きづらさは依然として強く、ジェンダー教育の必要性をますます強く認識するようになりました。

 スクラントンでは、教えるだけでなく、学ぶ機会も充実していました。春学期、私は20世紀アメリカ美術史とクリエイティヴ・ライティング(演劇)の2つを受講しました。特に、ライティングの授業では、“The Porches Project”というコミュニティベースの演劇プロジェクトに脚本家として参加することになり、数週間に渡って地域住民へのインタヴューを行い、それをもとに脚本を書き、実際にその劇を3日間上演するという面白い経験をしました。
インタヴューでは、アイリッシュ系バーのオーナー、正統派ユダヤ教徒のおじいさん、ネパールからの難民夫婦、家族を自死で失くした芸術家、私の家の隣に住んでいたイスラム教徒の学生など、多様なバックグラウンドを持つ人たちのお話を聞くことができました。大学と家を往復するだけでは気づかなかったことですが、スクラントンには実に多様な人々が住んでいて、その各々が、自身の属するコミュニティに愛着を持っていました。スクラントンの家の多くには、プロジェクトの名前にもなっている「ポーチ」があり、ディレクターの先生はその場所を「公(public)」と「私(private)」をつなぐ空間であると定義しました。本番の3日間は、6軒の家のポーチを借りて6本の劇を上演したのですが、まさに「私」の物語が数百人の観客にシェアされて「公」のものとなりました。

 昨今、様々な面で「分断」が進んでいると伝えられているアメリカですが、そのような状況の弊害を認識し、なんとかして社会を良くしようと努力を続けている人々がいることを、今回の滞在で知りました。多様性こそがアメリカ社会の原動力とはしばしば言われることですが、他者を思いやることがやはりその根底にしっかりと根付いていると実感しました。日本語・日本文化をより深く理解してもらうことで、日米をつなぐ橋渡しのひとつになればいいと思って向かったスクラントンでの生活ですが、むしろ、他者への寛容性を失いつつある日本社会で、私が何ができるかをあらためて考えさせられる経験となりました。 

10. 小野史子 University of Wyoming, Laramie, WY

中間レポート

 2018年度ワイオミング大学に派遣をされている小野史子と申します。応募から派遣まで何度も読み込んだレポートに私の体験を掲載させていただけること、とても光栄に思います。本レポートでは主に、応募までの経緯、日本語の授業、受講した授業、そしてララミーでの生活について報告をしたいと思います。

      

1. 応募までの経緯
 私はワイオミング大学に派遣されるまで、神奈川県の公立高校の教員として勤務をしていました。生徒に分かりやすい授業を目指して、本や研修で勉強をし、そしてそれを実践し生徒に理解してもらえた時はなににも代えがたい喜びがありましたし、充実感をもって授業をしていました。一方で、授業や分掌や部活動などの校務の中で、中々自分自身の英語を勉強する時間が確保できずにいました。学生時代のように、英語を勉強するまとまった時間がほしいと常に感じていました。そして2018年7月、英語科の教員内での回覧の中で本プログラムのことを改めて知りました。この文書は文部科学省から神奈川県教育委員会を通じて、私の勤務校へ回ってきたものでした。そこでは、「公立学校の教員が派遣される場合には、『外国の地方公共団体の機関等に派遣される一般職の地方公務員の処遇等に関する法律』(以下『派遣法』という。)に基づき、地方公務員の身分を保持したまま、米国の大学で日本語教育に従事できることを申し添えます。」とあり、身分保障がされたまま本プログラムに参加ができると書いてありました。
 勤務校の管理職にはサポートしていただきましたが、私の場合、結果的には派遣法が適用されず退職することになり大変残念でした。それでも、毎日大好きな英語に触れられていること、そして英語を使って日本語を教えられていること、前勤務校では得られない経験ができていますし本プログラムに参加してよかったと思っています。

2.日本語の授業について
(授業スケジュールに関しては、昨年度の市倉さんと同じものになりますので、そちらをご参照ください。) 
 私は3月に候補先の大学のリストが届いた時、ワイオミング大学を1番に希望をしました。理由はいくつかあるのですが、1番の決め手となったのは、日本語を担当しているノア先生というアメリカ人の先生がいらっしゃったことです。もちろん授業の時は、私1人だけで教えなければならないのですが、ノア先生と進度や教える項目や教え方等の相談をしながら授業を進めています。 一方で、日本語を担当している先生が他にいるがゆえの難しさもありました。初級の日本語のクラス(週4時間)では、ノア先生が主担当の午前のクラス、私が主担当の午後クラスがありました。最初の頃は、午前のクラスに必ず行き、どのように教えるのか見学させていただいていました。そして、午後の自分のクラスで同じように教えようと努めましたが、私の英語ではなかなか同じように伝えられず思うように授業をすることができず、進度も遅れてしまいがちでした。徐々にノア先生の授業を参考にしすぎずに、自分なりに考えて授業を作り上げていこうと考え、私が高校で教えていたときのようなペアワークやグループワークやゲームを取り入れた授業スタイルに切り替え、授業がうまくいくようになりました。
 それぞれ週に1回ずつ担当した中級、上級の授業では主に会話と日本文化について授業をしました。書道・すごろく・ポッキータワー・折り紙などの活動や、着物・お箸の使い方・芸能などの日本文化についてパワーポイントを用いて説明をしました。また、応募書類に日本語を教える際はCLIL(Content and Language Integrated Learning、内容言語統合型学習)を行いたいと書いたのですが、日本語と料理を組み合わせた授業をすることができました。味噌汁とお好み焼きのレシピを平易な日本語に書き直し、学生にレシピを読んで理解をしてもらい、実際に作りました。言語を学ぶ上で、言語と文化は切り離せないものであるにもかかわらず、授業ではただその言語を教えるということにフォーカスしてしまいがちです。しかしCLILは、共同してコミュニケーションをとりながらその言語と文化を学ぶことができる有効な学習方法だと思いました。  

3. 秋学期に受講した授業について
 秋学期にはSociological principlesとFood, Culture, Languageという授業を受講しました。Sociological principlesは基本的な社会学の理論や方法を学び、宗教や教育やジェンダーといったものが現代アメリカにおいてどのような役割を果たしているのか、社会学の理論に当てはめながら考えていきました。構造機能主義やシンボリック相互作用論といったようなアメリカならではの社会学の理論も学ぶことできました。受講者は150人いたものの、日本の講義形式のような一方的に教授が喋るという授業ではなく、毎回近くの学生とのディスカッションの後全体でディスカッションがあるなど、インタラクティブな授業でした。また、教科書を読んできちんと予習し、パワーポイントの助けを借りながら授業に臨むと完ぺきではないとはいえ大部分の内容を理解ができ、私の自信につながりました。
 Food, Culture, Languageの授業では、まず形態論、意味論、語用論、音声学、音韻学などの言語学のそれぞれの分野を概括的に学びました。この中で特に印象的だったことは、日本で演繹的に学んだ言語学が、アメリカでは帰納的にアプローチをして学んだことです。例えば、日本の音声学では、発音記号を学んだあと実際にその発音記号通りに単語を発音するという流れだったのに対し、アメリカではまずその単語を発音して、発音記号に直していきました。また、授業のタイトル通り、言語学の観点から食べ物と文化について学びました。例えば、なぜ「乾杯」のことを“‘Toast”と言うのかというような話など、日本で教壇に立つ機会があれば、ぜひ生徒と共有していきたいような内容ばかりでした。

4. ララミーでの生活
 恐れていた寒さですが、こんなに過ごしやすい冬は初めてというほど快適です。廊下やトイレにまで暖房がついており、部屋の中は大体20℃ほどあります。乾燥しているので体感温度はそれほど寒くないように思いますし、12月にワシントンD.Cに行った時、外の寒さは変わらないように感じました。むしろ、部屋の設定温度が低いため、より寒く感じました。
 ララミーでは、大学からバスで10分ほど離れた大学が所有するアパートに1人で住んでいます。徒歩3分ほどのところにスーパーがあり、そこで食材を買って自炊をしています。驚くことに、ララミーでは醤油や味噌やみりんや日本酒といった日本の調味料が手に入るので、食のストレスは少ないです。また1カ月に1回ほどデンバーに行き、アジア系スーパーで買い物をしています。1人で住んでいるものの、ファミリーフレンドシップという制度を利用してホストファミリーを大学から紹介していただき、ホストファミリーのご自宅でご飯を食べたり買い物をしたりして、リアルなアメリカの生活を楽しんでいます。
 ワイオミング大学では大きな大学ということもあり、留学生向けの活動が充実しています。週に3回ほど、留学生やアメリカ人の学生と交流する機会があります。またグローバルバディという制度を利用して、自分との興味が似ているアメリカ人学生を紹介していただき、その学生とご飯を食べに行ったり、スポーツを観戦したりイベントに参加するなどしました。

 気づけばワイオミング大学での日々も半分以上が過ぎています。残りの3カ月半の授業では伝えきれないほど、学生たちに伝えたいことがたくさんあります。だからこそ、きちんと授業を練り上げて、充実した授業を行っていきたいと考えています。


最終レポート

 2018年8月から2019年5月までワイオミング大学に派遣されていた小野史子です。本レポートで.春学期の授業(日本語の授業と学生として受けていた授業)、そして、本プログラムに応募を検討されている方へ私の考えを書きたいと思います。また最後に、本プログラム全体のまとめとしてお話をしたいと思います。

1.春学期の授業について
 日本語の授業は、秋学期は週に6時間教えていましたが、春学期は週に4時間(初級と中級をそれぞれ2時間ずつ)になりました。冬休み中に前もって、予定を立てて準備していたこともあり、春学期は余裕をもって授業することができました。春学期の取り組みの中で特によかったことは、日本人の学生にボランティアとして授業に来ていただき、スピーチコンテストの審査員、ロールプレイで店員役、茶道の先生をお願いしました。私がつける成績とは別に、スピーチコンテストの審査委員として印象的だった学生を何人か表彰していただきました。日本語の教員の私が表彰するのであれば、難しい言葉や文法を使った学生に表彰したくなるものですが、表彰された学生は共通して簡単な語彙や文法を使って間違いなくスラスラ話しており、教員としての印象と聞き手としての印象は改めて違うのだなと考えさせられました。また、学生も「審査員として日本人学生がスピーチコンテストに来る」と予告することで、いい意味で緊張感を与えしっかりと準備に取り組んでくれました。
 ロールプレイに関しては、日本の実在するレストランとコーヒーショップのメニューをそのまま印刷し、日本人学生と私で店員役をし、学生にオーダーしてもらいました。当然、メニューには学生の分からない日本語や漢字も含まれていますし、オーダー内容によって「ステーキの焼き加減はいかがなさいますか」「デザートは食後にお持ちしますか」というような質問がされます。完璧に理解することが難しい中で、自分の知っている言葉を使って聞き取って、どのようにオーダーをするのか練習することは、彼らが実際に日本に来た時にどのように対応をする練習になり、大変有用でした。
 また茶道部に所属されていた交換留学生に、一度茶道の先生として授業にきていただきました。学生は茶道体験に感銘を受けていたのですが、その後学生たちは彼女に茶道や日本文化、日本人のパーソナリティ、アメリカの印象といった多岐にわたる質問をしていました。私と彼女の持つ日本文化やアメリカの印象は当然ながら違っており、学生にとっては少ないながらも他の日本人と関わることのできるいい機会でした。
 春学期は学生としての授業は、American&Wyoming Government、English Composition for International Studentsを取りました。前者は、本プログラム参加の必須条件であるアメリカ研究の授業としてとりました。授業のタイトルにAmerican studyといった文言がなくとも、IIEのアドバイザーにシラバスとともにメールを送り、許可がでれば、アメリカ研究の授業として認められます。この授業はパワーポイントを使って授業が進められるのですが、スライドの事前、事後配布はなく、すべて講義中に書き取らなければならず、1時間(75分)の授業が終わるころには、ノート4枚分ほどスライドの内容を書き取らなければなりませんでした。ノートを取りながら先生の話も聞かなければならず、さらにアメリカの政治システム等の基礎的な知識があることが前提で授業が進められるのでついていくことが大変でした。またこの授業は聴講としてとっていたので、モチベーションの維持が難しかったです。もう一つの授業は、ESLのライティングのクラスで、秋学期に受講したかったのですが時間の関係でとれず、春学期での受講となりました。日本で英語を教え、ワイオミングで日本語を教えていた私にとって、エッセイの書き方だけではなく先生がどのように教えるか見ることは大変参考になりました。

2.本プログラム応募を検討されている方へ
 本プログラムのことは学生時代から知っていたのですが、「どうせ私なんかじゃ受からない」「英語の検定スコアが高くなければ、受からない」「特別な体験をしていなければ受からない」と思い込んで応募に踏み切ることはありませんでした。しかし、英語教員として勤務していくなかで、20年後、30年後も胸を張って教壇に立てる教員でありたい、そのためには若いうちに夢だったアメリカ留学にチャレンジしたいという強い思いから、応募をしました。本プログラムに参加している同期のフルブライターも口をそろえて「まさか受かるとは思わなかった」と言っていました。また英語の検定スコアに関して同期と話をした際も、特別高いスコアをもっている方だけでなく、求められている最低限のスコアで受かっている方もいました。そして、2年前のFLTAプログラムの説明会で、日米教育委員会の事務局長のサスマンさんが「書類をそろえることが第一の関門」というようなことをおっしゃっていましたが、まさにその通りで書類をそろえて応募することができれば、面接に呼ばれる可能性と本プログラムに参加できる可能性はかなり高いのではないかと思います。ぜひ、応募前の私のように「私なんかじゃ、、」と思う方にこそ、応募をしていただきたいと思っています。 

3.おわりに
 私にとって、神奈川県の職員を辞めて、本プログラムに参加することは大きな決断でした。辞めて本プログラムに参加すると同僚に報告した際は、文字通り賛否両論でした。どちらかと「否」のほうが多かったと思います。それは「留学なんて、、、」という意見より、「若いうちにしか築けない生徒との距離感があり、そういった貴重な時期にアメリカに行くのはもったいない」「わざわざ辞めてまで行く必要はない。似たような機会はこれからもある」「日本でも英語は勉強できる」といったような意見でした。そういった意見がありながらも退職をしたからこそ、アメリカ生活を充実したものにしなければという思いで日々を過ごしていましたし、日本では決して得られない体験をし、その体験をこれからの教員生活に活かしていくという強い思いをもっています。また、日本に帰国後、就職活動をしましたが、退職をして本プログラムに参加したことを否定的にとらえられることは全くなく、常に評価をしていただき、最終的には満足いく形で教員としてまた採用していただけましたことをうれしく思います。
 アメリカ生活を通じて一番変わったと思うことは、差別やマイノリティに対する意識です。ワイオミングはアメリカの中でも白人が多く、アジア人など見たことも話したこともないという学生も多くいました。学生として受ける授業はESL以外の授業ではアジア人は私一人でした。日本以外で生活したことがなかった私にとって、初めてマイノリティとして生きることで、今まで感じたことのない孤独を感じました。そして多様性を受け入れようとする人々によって支えられました。日本でもマイノリティの人に目を向けながら、私の体験を生徒に共有をすることで、マイノリティの人が生きやすい世の中になるように貢献していければと思っています。
 日本語をとりながらも、「日本人に会うのは初めて」という学生も多くいた日本語クラスでは、最後の授業に広島の原爆の犠牲者に向けて、折り鶴を折り広島に贈りました。74年前には戦争していた私たちがお互いの言語を学び、過去を振り返り、過去の戦争の犠牲者を追悼することで、「世界平和を達成するためには人物の交流が最も有効である」というフルブライト奨学金の理念を体現できたように思っています。
 本プログラムに参加するにあたり支えてくださったすべての人に感謝をし、本レポートを終わりにさせていただきます。本当にありがとうございました。

11. 斎藤真知 Spelman College, Atlanta, GA

中間レポート


日本語クラス
 ジョージア州アトランタのスペルマン大学に派遣されている斎藤真知です。スペルマン大学はHBCU(Historically Black Colleges and Universities)と呼ばれる大学の一つで、アフリカンアメリカンの学生が大多数を占める女子大学です。このレポートではFLTA応募から渡米後のオリエンテーション、TAの仕事、学生として受講した授業とスペルマン大学での生活について書きます。

応募からサマーオリエンテーション
 私はこのプログラムの先生として日本語を教える立場と、学生として勉強する立場の両方を経験できる点に魅力を感じました。また、中国の大学で学部生として留学をしていたのですが、その時に中国人に日本語を教えていたことがあり、その経験も活かせるかなと思い、応募を決めました。プログラムの選考過程をざっくり書きますので、応募を検討されている方、または結果待ちの方のご参考になればと思います。私は8月末に応募書類を提出しました。願書、TOEFLのスコアや推薦状など多くの書類を準備する必要があったため、作成から提出までとても時間がかかりました。そして9月中旬に面接の通知が入り、9月末に面接を受けました。10月中旬に日米教育委員会から米国側に推薦をしていただけるとの連絡が入り、翌年の4-5月に最終結果が出るとも伝えられました。翌年の三月中旬に候補者と派遣先大学がお互いに希望を出し合うマッチングシステムについての案内が届き、5月の中旬に派遣先大学と渡米後のオリエンテーション先が決定したとの連絡がありました。約8か月間の選考期間を経て、この時点でようやくFLTAとして渡米できると分かりました。しかし、最終結果が出てから渡米するまでの時間は短く、必要な書類作成や渡米の準備に追われていました。そして6月中旬には壮行会が行われ、一緒に渡米する他のFLTAの皆さんと、アメリカから帰国したばかりのFLTAの先輩たちにお会いすることができました。
 渡米後、まず向かったのは派遣先のスペルマン大学ではなく、サマーオリエンテーション先のノートルダム大学です。アメリカで生活・仕事するうえで注意すべきこと、大学のシステムや教授方法等についての講義があり、とても充実した5日間でした。世界各国からFLTAとして集まった人たちと出会い、様々な経験と目標を持つ人たちと交流することで、大きな刺激を受けました。

TAの仕事について
 私は授業を進める教授をアシストするアシスタントとして派遣されました。前期の秋学期は初級クラス101-01(50分x週3回)、初級クラス101-02(75分x週2回)、中級クラス202 (50分x週3回)、上級クラス303 (50分x週3回)の4コースに参加しました。テキストは「げんき」を使用しており、そのほかに教授が作成したプリントも使用しています。授業内では、私は主にコンピューターの操作や、発音の指導、学生の会話練習の指導をしたりしています。授業外では、週二回のTutoring Hourにオフィスで学生の日本語学習の指導や宿題の質疑応答をしています。そのほかには、学生が提出した宿題やテストの採点、授業で使用する資料を集めたりしています。英語を母国語とする人に、文字も文法も全く異なる日本語を教える難しさと、彼らにとっての日本語を学ぶ難しさを知りました。苦労しながらも、あきらめずに日本語を頑張って勉強してくれている学生にはいつも感謝をしています。

受講した授業について
 秋学期はInternational StudiesとAsian Studiesの2コースをAuditしました。Auditの場合は授業に参加するだけで、課題等はやらないでもよいというのが一般だそうですが、International Studiesの教授には宿題やプレゼンテーション、論文を提出することを要求されたため、この授業にはかなりの時間をかけなくてはいけませんでした。ディスカッションが多い授業だったので、授業中はよく日本人として、またアジア人としての意見を求められました。そのため自分の発言には大きな責任を感じ、常に慎重に話すように心がけていました。また、アメリカの学生が世界で起きていることについてどのような考えを持っているのかなど、異なる視点を知ることができてとても新鮮でした。Asian Studiesの授業では日本、中国、インドの三か国の歴史、政治、社会などの面が紹介・比較されました。この授業もディスカッションが中心の授業だったため、アメリカの学生が日本や中国に対して持っている理解、時にはびっくりさせられるイメージを知ることができて面白かったです。

アメリカでの生活について
 スペルマン大学は住む所と一日三食の食事を全て提供してくれるので、基本生活上で困ることは全くありません。自由に利用できるwellness centerもあり、私はできるだけ毎日ジムや水泳に通うようにしています。また、キャンパス内にはセキュリティーオフィサーが常にパトロールしており、学生の安全を確保してくれています。しかし、キャンパス外は治安があまり良くないので、一人で外に出かけることはできません。ショッピングモールなどへ行きたい場合は、キャンパスから歩いて10分程度のところから電車に乗っていくことができますが、外を歩くのは危険なので、いつも友人と大学のシャトルバスを利用したり、Uberを利用しています。

 このレポートを書いている今、春学期が始まってからすでに1週間が経ちました。秋学期の経験やワシントンDCで行われたFLTAカンファレンスで受けた刺激をもとに、秋学期よりもさらに頑張りたいと思います。


最終レポート

 ジョージア州アトランタのスペルマン大学に派遣された斎藤真知です。スペルマンでの一日一日は濃密で、あっと言う間に終わってしまいました。帰国から数か月間経った今、アトランタでの経験を振り返ると、本当にFLTAプログラムに参加できてよかったな、と思います。このレポートでは春学期のTAとしての仕事、文化イベントと、学生として受講した授業について書きたいと思います。

TAとしての仕事
 前期に続き、日本語初級クラス102-01、日中ビジネス文化比較クラス202、と日本文化研究クラス402のTAとして、劉先生をサポートしました。日本語初級クラスには、お隣の男子校モアハウス大学から来ている学生も合わせると35名近くの学生が集まり、とても賑やかなクラスとなりました。ただ、人数が多いと、遅刻をしてきたり、授業に来なかったりする学生も増え、一人一人の学生に対するフォローを徹底する必要がありました。文法や単語の授業に加え、初級の後期クラスでは漢字を本格的に勉強する必要が高まったので、習字セットを用意し、授業中に筆を使って漢字を書く練習をさせるなど、勉強がつまらなくならないように工夫をしました。自分が書いた字を撮影したりなど、学生はとても楽しむことができたようです。

日本文化クラス
 中国出身の劉先生は日本で博士号を取得されており、そして私は中国で大学を卒業したため、日中ビジネス文化比較の授業では、日本と中国についてとても活発な意見交換を授業で繰り広げることができました。劉先生の経験談から、中国について、同時に日本についても新しく学ぶことがたくさんありました。学生とのディスカッションからは、日本でも中国でもアジアでない、外部の角度からの日本と中国、そしてアジアに対する率直な意見を聞くことができ、とても有意義でした。
 日本文化のクラスでは、津田塾大学の交換生の方に授業に応援参加をしていただきました。大企業での職務経験がある方なので、貴重なリソースパーソンとして授業で意見発表やプレゼンテーションをしていただきました。スペルマンが女子大学ということもあり、学生は社会の中での女性の地位にとても興味があり、それについては特に活発で興味深い議論をすることができました。
 クラス以外の仕事としては、夏のサマープログラムで日本へ4週間短期留学する学生の日本語特別指導を週に1回していました。

イベントについて

桜まつり
 日本語プラグラムで最大のイベント、Cherry Blossom Festival(桜まつり)が三月末に開催されました。イベント当日の午前中には津田塾大学の交換生に加え、福岡女子大学から交換留学として来ている方のサポートも得ながら、書道体験セッションを開きました。昼にはホールでお寿司と日本のお菓子を提供し、参加者に日本の食も楽しんでもらうことができました。午後には校外から招いたゲストに沖縄太鼓や剣道、ソーラン節を演出していただきました。ジャパンクラブの学生には盆踊りの披露、夜のムービーナイトを企画・実施してもらい、その日丸一日、日本語プログラム関係者はイベントで大忙しでした。しかし、桜まつりは大盛況で、事前の準備と当日の運営は大変でしたが、とてもやりがいのあるものでした。

受講した授業について
 春学期はComparative Political SystemとNew Mediaの2コースをAuditしました。Comparative Political Systemの授業は世界各国の異なる政治体制について理解を深めながら比較を行う、ディスカッションがメインの授業でした。自国の政治体制や社会の普遍的な意見にとらわれず、様々な政治の在り方や強み、そして問題点について自由な議論が行えるように授業が進められていました。New Mediaは撮影・録音機器、画像や動画の編集ソフトの使用を学習する授業で、私は写真を撮るのが好きだったので、この機に画像編集について学ぶことができました。

FLTAプログラムを振り返って

劉先生
 スペルマン大学には素晴らしい学生と先生方がおり、困ったときにはいつも必ず誰かが助けてくれました。私がアシストした劉先生も、常に私を自分の娘のように学業面、そして生活面で面倒を見てくれました。中国人・ブラジル人FLTAと津田塾大学、福岡女子大学からの交換留学生とは共にディナーパーティをしたり、旅行へ行ったり、たくさんの思い出を共に作ることができました。とにかくとても幸せで恵まれた時間を送れたと思います。FLTAプログラムは貴重な経験をさせてくれた本当に素晴らしいプログラムで、参加する機会をいただけたことに感謝をしております。フルブライトの皆様、スペルマンで出会った方々、そして私を応援してくれたすべての方々、本当にありがとうございました。得られた経験をしっかりと今後活かしていきたいと思います。

12. 嶋田純也 Carleton College, Northfield, MN

中間レポート


共有スペースにて、中国語オフィスの飾りつけを
手伝いました。
左から:嶋田、日本語受講学生のローゼンバーグさん
(2年生)とドラックマンさん(4年生)。
 ミネソタ州カールトンカレッジに勤務しております嶋田純也と申します。今回の中間レポートでは、カールトンカレッジの様子、業務内容、学生として受講した授業について述べたいと思います。
 カールトンカレッジは、コーン畑と自然に囲まれ、一歩外にでれば野生のリスを至る所に見つけることができる大学です。歩いて15分下った場所にダウンタウンがありますが、端から端まで歩いても15分とかからない小さな町です。都心のミネアポリスへは、キャンパスからバスがでていますが、片道1時間30分で往復30ドルの費用が必要なため、ほとんどの学生はキャンパスに留まっています。大学周辺には若者の興味を引くような施設は何もなく勉強するには最高の環境といえます。そのためか、勉強が大好きな学生が集まっており、皆、心から勉強を楽しんでいる印象を受けます。3学期制で1学期10週間と短いですが、学生の勉強に対する意識は日本の大学と比べ物にならないくらいと高いと感じています。まず驚いたのは、1学期に3つの科目を受講し、少人数クラスで集中的に学ぶことです。言語の60分授業を受講すると週5日ありますが、それ以外は週2日あるいは、3日です。1教科につき毎日授業外で2時間以上の宿題が課されます。アメリカ人学生にとって、2時間ですから私はその倍の時間が必要となります。学期が終了した頃には、受講した科目について30分程度話し続ける知識を獲得することができます。リベラルアーツの教養大学でもともと教養の高い学生が、互いに切磋琢磨しながら自身の教養の幅を広げていく姿には感銘を受けます。また、学生はGPAの成績について意識が高いのも特徴の一つだと思います。10週間の間に7週目の終わりまでGPAが付与されないドロップ制度が設けられていることに驚きました。このように勉強に対する意識が高く、勉強第一の学生は、例え部活動のためにキャンパス外で週末に試合があっても10週間の間は真っすぐ帰省し、宿題をこなしている印象です。
 次に私の業務内容ですが、先に述べた学生の生活に負けない忙しい生活を過ごしています。午前中は授業観察、午後は課題の採点、文化イベントにオフィスアワー、ランチテーブル、日本の映画鑑賞と仕事が次々から次へとあります。空いている時間に学生として授業を受講し、その科目の宿題をこなすため夕食時には、朝おこなったことが遠い昔のように感じます。学生は、私のことをアシスタントというよりも先生と見なしているために、常に背筋が伸びた状態で学生に接しています。授業観察では、1年生のクラスを全て観察しました。私にとって母語である日本語を第二言語学習者がどのように頭の中で単語と単語を組み合わせ、文章にしているか理解できたことは大変勉強になりました。冬学期は、毎週金曜日におこなっていた音声教材を使用しての会話練習に加え、新規の文法事項を使用したアクティビティも自分で考え、行うことができますので、指導していただける先生の指示を参考にしながら積極的に学びたいと思います。
 学生として受講した授業は、言語学コースの第一言語習得です。2-5歳児までの赤ちゃんのお宅に毎週1時間訪問し、言葉を身に付ける過程や発話を観察しました。観察や毎週の授業で得た知識をもとに私の訪問先であった5歳児の赤ちゃんに予備実験をおこない、その結果得られた情報をもとに仮説を立て最終実験の枠組みを論文形式でレポートにするのが最終課題でした。毎回の宿題は、参考書と論文合わせ80ページ程度の読書量が求められました。私が日本で言語学を勉強していた時は、英語の論文を正確に論理立てて読めることが能力の一つと理解していましたが、英語が母語であるアメリカの学生は、当たり前のことかもしれませんが専門的な用語さえ辞書やインターネットで調べれば、文章の内容は大まかに把握できることを改めて目のあたりにし、彼/彼女らへある種の嫉妬を感じました。しかし、第一言語習得の授業を通し、乳児や幼児がどの年齢や環境下で母語である言語や構文を習得、獲得するか理解できたことは、裏を返せば、成人の大人が母語以外の第二言語、例えば日本人が英語の発音や音声を正確に習得するのは大変時間がかかることを科学的に学ぶことができました。このことは、私が将来、対面することになるであろう英語の習得が思うようにはかどらず苦手意識を持っている学生の何故?日本人は英語の習得に時間がかかるのかという漠然とした問いに自らの実体験だけではなく、論理的に説明することができるようになったという点で、大変有益であったと思います。
 最後に、忙しくあっという間に終わった秋学期が終了し、冬休みはワシントンDCでのフルブライト会議やその後のアメリカ旅行と心身ともにリフレッシュすることができました。各地を巡り多くの人々に出会い、アメリカの多様性や人々の開かれた心を感じることができたのは、このプログラムの目的の一つだと改めて感じました。残された冬学期、春学期もカールトン大学の日本語教育に貢献し、自分自身の能力も一層伸長できるよう研鑽に励みます。


最終レポート

 現在、ミネソタの空港にて帰国の飛行機を待っています。ミネソタから離れるのが寂しい気持ちと10ヵ月振りの日本にワクワクする気持ち両方が入り混じっています。フルブライトJapanにご採用いただき金銭面や食事などの生活を心配することなくアメリカに滞在できたことは私の人生において財産となりました。本当にありがとうございました。

 仕事についてですが、春学期は1週間に2コマの授業任せていただきました。日本の大学で学んできたことや秋学期、冬学期と授業観察を通して学んだことを実践の形で生かす機会をいただき大変勉強になりました。教科書の会話の導入から、長文や文法と一通り全ておこなうことができました。指導案を見ながらの指導教授とのミーティング、1回目の授業、指導教授からのフィードバック、2回目の授業といった順序でおこないました。カールトンは、少人数制で学生の勉強に対する意識が非常に高いために授業準備はいつも完璧を目指していましたが、授業後にはいつも至らない点が浮き彫りになりました。学生の実力がつく授業を目指し奮闘し続けた期間となりました。また、学生とのイベントやアクティビティを一週間に一回開催することも私の仕事でした。対象が大学生ということもあり、私が強引に誘って参加してもらうよりも自主的な参加を期待していました。前学期に日本語が上手な上級生がいると委縮してしまうのか1年生の参加率が低いことに気づきましたので、春学期に催される大学主催のインターナショナルフェスティバルには、1年生をこのときばかりは少し強引に勧誘し日本のコメディショーを一緒におこないました。初めは勉強が忙しいと言っていた学生達ですが、実際にショーをおこなった学生や見に来た1年生の中に来年はフェスティバル全体の実行委員に興味を持った学生や、日本語サークルへ入ることを決意した学生、日本語専攻を考え始めた学生などがいました。フェスティバルへの参加が直接の要因ではないかもしれませんが、強制的にでも日本語に触れさせる機会を増やすことによって学生の意識が変わり、日本語をもっと好きになってくれることを知り私自身も勉強になりました。


スイカ割り&流しそうめんをしました。
 学生として受講した授業に関しては、冬学期に受講したthe cost of conflictsというpolitical scienceの授業が印象的です。最終レポートは現在起こっている紛争に焦点を当て、その背景や理由、その国の国防費や平和に向けての解決策をまとめました。学術論文を読み、今まさに起こっている紛争についてクラスメイトとディスカッションを通して考えを深めていきました。日本で生まれ育つと平和が当たり前のように感じますが、世界では温暖化や貧困の問題、テロ行為から暴動や紛争が生じていると知り、世界平和への根本的な解決策を本気で考える素晴らしい機会となりました。

 最後に仕事と学業以外の活動ですが、カールトンに勤務し始め時から、“カールトンの春学期は最高、冬は耐え忍ぶ期間”と上級生から聞いていました。冬学期の寒さは予想以上に厳しくマイナス30度の日もありました。毎日顔を防寒着で覆って、滑らないように細心の注意を払いながら一歩ずつ歩いた日々を忘れることはありません。この時期、仕事と勉強以外にも自分の趣味としてサッカークラブに入れさせてもらい、室内でボールを蹴っていたところ足の骨にひびが入ってしまいました。3週間の松葉杖生活は、冬の寒さと足の痛み、自分の好きなことができない悔しさが重なり、夜寝る前に習慣となっている日本のラーメン屋検索にますます拍車がかかりました。お陰で今は頭の中にラーメンマップが完成されています。

 冬の寒さが過ぎ、春学期は青い空と広大な自然が広がり、私も学生も冬を耐え忍んだ蕾が開花したかのように様々な活動を楽しみました。仕事、勉強、学内活動とキラキラとした日々はあっという間に過ぎ「カールトンで出会った学生達が大好き」という気持ちで帰国できることを指導教員の先生方やスタッフに心から感謝しています。今後は、10ヵ月間で学んだことを日本の教育現場に還元できるように努力する所存です。

13. 高田安希子 Elms College, Chicopee, MA

中間レポート


アーカンソー大学でのオリエンテーション
1. Elms Collegeについて
 派遣先であるElms Collegeはマサチューセッツ州の南西部にある生徒数1300人ほどのカトリック系リベラル・アーツ大学です。大学自体は大きくありませんが、少人数制のきめ細やかな授業を行なっており、学生同士または学生と教授がすぐに親しくなれる環境が整っていることがこの大学の魅力です。Elms CollegeのあるChicopee市は人口約55000人の落ち着いた町で、レストランや娯楽施設は少ないですが、車で10分ほどのSpringfieldまで行けば、高速バスを使いボストンまで2時間、ニューヨークまで3時間ほどで行くことができます。私の他にアイルランドからのFLTAが派遣されており、2人でオフィスをシェアしています(彼女は私のハウスメイトでもあります)。同じ立場のFLTAがいることは心強く、いつも助け合いながらFLTAとしての活動に取り組んでいます。

 Elms Collegeでは、2年に1度、高知県立大学への短期留学プログラムがあり、それに合わせて日本語クラスが開講されています。2010年度から2014年度まで、隔年でFLTAが派遣され、2016年度はアメリカ人の方が日本語を教えていました。また、毎年2〜3月にかけて、高知県立大学の学生が短期留学して来ることもあり、Elms Collegeにアジア系の学生はほとんどいないにも関わらず、多くの学生・教授が日本に興味を持ってくれています。日本語クラスの学生の中には、日本語の授業と留学プログラムがあるからElms Collegeを選んだという学生もいて、授業を任される身としては責任を感じますが、その分とてもやりがいがあります。

2. 日本語クラスやprimary teacherの役割に関して
 Elms Collegeに派遣されるFLTAは、アシスタントではなく、primary teacherとして授業を担当することになります。他に日本語を担当する教員はおらず、授業の進度や成績など、日本語クラスに関することはほぼ全てFLTAに一任されています。私は日本語教育について学び、日本と海外で日本語教育に携わった経験がありましたので、primary teacherとして授業を担当し、生徒と密に接する機会がいただけたことを非常に嬉しく思っています。


日本語クラスでのオノマトペと習字の授業
 秋学期は、初級クラスを2コマ、オフィスアワーを2コマ受け持っています。授業の中で力を入れていたことは、文字・語彙学習と会話練習です。文字・語彙学習となると、自力で覚えるしかない、というイメージですが、それを楽しく活動的なものにするため、絵や写真を活用する、語呂合わせを作る、歌を歌う、カルタや習字などの日本文化を取り入れる、パソコンや携帯のアプリ・ゲームを活用するなど、基本的なことばかりかもしれませんが、学生が新しい文字・語彙を学ぶことを苦痛に感じないように努めました。会話練習の面では、このクラスには、日本人留学生2名が参加してくれているので、日本語ネイティブとの会話の機会を多く設けるようにしました。ただ、今まで1人で授業をしたり、アシスタントをしたりという経験はありましたが、授業を手伝ってもらうという経験は初めてで、何を2人にお願いすればいいか戸惑うところもありました。今後は、2人をうまく巻き込んで、いかに活発な授業を展開していくかが、私の教師としての成長ポイントだと感じています。また、オフィスアワーでは、他の授業の関係で日本語クラスに来ることができない学生に対しての個人授業と、日本語学習に苦手意識のある学生に対しての補習を行なっています。テスト前になると、自主的に補習を希望する生徒がほぼ毎日オフィスに来るようになるのでとても忙しかったですが、分からなかったことが分かった!と喜んでいる顔を見ていると、ここで日本語を教えることができて本当に良かったと感じました。

 授業外では、2人の教授から依頼があり、gender & diversityという経済学のクラスと、教育実習生向けの教育学のクラスでプレゼンテーションをしました。私は日本での教員の経験もあるので、前者では日本の文化や学校生活について、後者では日本の教育システムについて話をしました。日本語クラス以外で話すのは緊張しましたが、学生たちが日本とアメリカの違いについて活発に発言してくれたおかげで、私もアメリカの文化を学ぶことができ、非常に有意義な時間でした。また、オープンキャンパスや奨学金に関するミーティングに出席したり、教授の一員として大学の行事に参加したりと、この半年の間でElms Collegeの教職員の一員としてたくさんのことを経験させてもらいました。

3. 履修した授業に関して
 Elms Collegeでは、担当している日本語クラスを最優先にするため、それ以外の時間の授業の中から、自分の興味があるものを履修・聴講することになります。  ①Writing Workshopは、学校(主に幼稚園〜小学校)でのwritingの指導方法(how to write like a writer)を考えるクラスでした。本、詩、絵本を読んでwritingの技法を学び、それをどう授業に取り入れるかを考えました。また、rhymeやmetaphorなどの技法を使って文を書く時間がありましたが、私にとっては非常に難しかったため、教授や他の学生にサポートしてもらいながら課題に取り組みました。
 ②Middle/Secondary Curriculum and Cultureのクラスでは、アメリカやChicopee周辺の教育制度、カリキュラムや授業プランの組み立て方を学びました。地域の学校で教員として働かれている方が多く受講していたため、生徒や教育現場の話になると討論がとても活発になり、それに着いて行くのに精一杯でなかなか発言ができなかったことが反省点です。しかし、今現在のアメリカの教育現場で奮闘している人たちの話が聞け、授業プランを学ぶことができ、非常に勉強になりました。

4. 派遣までの流れ
 私自身、先輩方が書いてくださっていた派遣までの流れを参考にしながら、このプログラムに応募したので、私も2018年度派遣までの流れをお伝えします。
 【9月上旬】面接の日程が届きました。面接は平日でした。【9月下旬】東京で面接(日本語と英語)がありました。【10月中旬】候補者として選ばれたとメールが届きました。この時点ではまだ確定ではありません。【12月】IELTSを海外で受けていたためスコアの発送がうまくいかず、IIEに発送できたのは12月でした。【3月下旬】候補大学(1〜5校)とのマッチング、健康診断・予防接種の準備の連絡が来ました。予防接種にかかる日数を早めに病院に確認しておくことをおすすめします。【5月上旬】派遣大学、アメリカでのオリエンテーション先、渡米の日にちが決まりました。この時点から30日以内に健康診断・予防接種の書類を提出します。supervisorの先生とも連絡を取り始めました。【6月中旬】渡米前オリエンテーションが東京でありました。【6月下旬】ビザの申請に関する書類が届きました。【8月中旬】アメリカでのオリエンテーションに参加するため渡米しました。(Fulbrightに提出する健康診断書とは別に、大学用の健康診断書の提出を求められましたが、実際にこちらに来てみるとその必要はないようでした。送られてくる書類が全てではない場合があるので、自身のsupervisorにしっかりと確認することをおすすめします。)

5. 最後に
 秋学期の締めくくりとして、12月にワシントンDCでのカンファレンスに参加しました。日本人FLTAでソーラン節を踊る予定でしたが、抽選に落選してしまい、Culture Fairで習字コーナーを設けることになりました。しかし、そのおかげで多くのFLTAとコミュニケーションが取れ、FLTAの中にも日本や日本語に興味を持っている人がたくさんいることに驚かされました。このカンファレンスで最も良かった点は、他のFLTAと今までの活動内容をシェアできたことです。他の人と比べて私は何もできていない…という気持ちにもなりましたが、現状に満足するのではなく、もっと積極的に動こう!と、自分を鼓舞する貴重な機会になりました。秋学期は新しい環境に慣れることで精一杯、日本語クラスとその生徒に関わることで精一杯になっていましたが、春学期はElms College全体、または大学外にも関わっていけるように精進していきたいと思います。


最終レポート

1. 担当した授業について
・日本語クラス
 秋学期と同様に、日本語初級のクラスを担当しました。引き続き日本人留学生の2人も授業に参加してくれ、受講している学生もほとんど変わらない顔ぶれだったため、アットホームな雰囲気で授業を進めることができました。
 新しい挑戦としては、日本語クラスのFacebookを作り、それを活用した課題を多く出しました。普段は学校共通のMoodleを使っていたのですが、音声や動画をアップロードすることができなかった点と、日本語を使った「日常的なやりとり」の練習には向いていないと感じていました。そのため、Facebookにその日の出来事を日本語で書いてもらい、それにコメントしたり、日本語でのスピーチ動画をアップロードしてもらったりと、大学生の実際の生活に近い形で日本語学習ができるように心がけました。
 また、平成から令和に変わる記念すべき瞬間を迎えるということで、日本の元号や歴史についての調べ学習を多く取り入れました。日本のアニメや若者文化に詳しい学生たちも、日本の元号や歴史については知らないことが多かったようで、熱心に課題に取り組んでくれました。特に、漢字学習の一貫として、新しい元号に使われる漢字(一字)を予想した際には、見事「和」の漢字を的中した学生がおり、4月1日(新元号発表日)のクラスは非常に盛り上がりました。
 反省点としては、もう少しゆとりのあるスケジュールを組むべきだったと感じました。雪で休講になることや、日本文化に関する授業に切り替えることも多くあったので、シラバス通りに授業を行うことができませんでした。秋学期も春学期も、前任者のシラバスを参考にしましたが、自分が学生に伝えたいことは何なのかをしっかりと考え、自分に合ったものを作成すべきでした。

・日本文化のクラス
 春学期は、日本語初級のクラスに加えて、短期留学を予定している生徒向けの日本文化の授業のアシスタントも行いました。この授業は私のスーパーバイザーであるJoyce Hampton先生がメインで担当しており、日本人とアメリカ人の考え方の違いや、日本でのマナーや立ち振る舞いを学ぶものでした。受講している学生は、全員日本へ短期留学を予定しているため、強い関心を持って授業に参加しており、授業後も私のもとに多くの学生が質問に来てくれました。

・高知県立大学生との交流

高知県立大学の学生と
 大きなイベントとして、2月末から3月にかけて、高知県立大学の学生9名がElms Collegeを来訪する短期留学プログラムがありました。2月上旬には、Elms Collegeの生徒に対して事前オリエンテーションを行ったり、プログラム中も歓迎・ダンスパーティー・送別会の準備があったりと、2月は慌ただしく過ぎて行きましたが、Elms Collegeと日本との交流を手助けすることができ、とても充実した一ヶ月間となりました。
 高知県立大学の学生は、日本語クラスにも参加してくれ、単語当てゲーム(日本人学生が英語で単語を説明し、アメリカ人学生がその単語を日本語で答える)や、日本語でのスキット発表(チームごとに「お疲れ様でした」などの、日本語特有の表現を使う場面を演じる)などを行いました。英語と日本語の両方の勉強になるように授業を組み立てることに苦労しましたが、高知県立大学の学生さんたちのお陰で、普段はできないような楽しく実践的な授業ができました。また、日本で2年間ALTとして働いたElms Collegeの卒業生や、約6年間日本語を勉強している高校生(来年からElms Collegeに入学予定)も授業に参加してくれ、人脈の広がりのおかげで、秋学期以上に充実した授業を展開できました。

2. 履修した授業について
 Fulbrightの規定としてアメリカの文化や歴史に関する授業を受けることは必須でしたので、春学期はModern American History と East / West Collaboration という授業を履修しました。
 Modern American Historyの授業では、多様性豊かなアメリカに過去何があったのか、どのような運動が起こったのかを学んでいく中で、自分とは異なる文化・人への理解の大切さに再度気づかされました。また、歴史の授業と言えば、教師が一方的に話をしているイメージがあったのですが、この授業では学生に考え、話をさせる機会がとても多く、インタラクティブな授業の進め方の勉強になりました。毎回多くのリーディングが必要でしたが、一番おもしろいと感じた授業でした。
 East / West Collaborationの授業は、日本の映画やアニメを鑑賞し、日本文化とアメリカ文化を比較するものでした。非常に古い白黒映画から、Amazon primeで配信されている新しいアニメまで、様々な種類の映画を使い、日本とアメリカの文化比較を行いました。アメリカの人たちはどのように日本を捉えているのか、また日本文化を外から客観的に分析する貴重な経験ができました。

3. 授業外での活動について
 中間レポートにも書きましたが、12月のワシントンDCでのカンファレンスにて、他のFLTAと活動をシェアする中で、「春学期は日本語の授業以外にも力を入れよう」という意欲が芽生えていましたので、Sushi & Setsubun Festival、Japan Talk、Japan Picnicの3つのイベントを主催しました。
 まず初めにSushi & Setsubun Festivalを主催したときは、アジアに関係するイベントが開かれること自体が珍しかったようで、数日前から多くの学生に「楽しみにしてるよ!」と声をかけてもらいました。当日は、節分の説明をした後、巻き寿司作りと箸で豆を運ぶゲームをしました。参加者全員で黙って巻き寿司を食べ、鬼に向かって豆を撒くなど、学生たちは今まで体験したことがない行事をとても楽しんでいました。Japan Talkでは、日英の通訳・翻訳家であるアレックスさんをお招きし、言語・文化の違いについて話をしていただきました。私は花見の説明をし、白玉団子とあんこと食べてもらいましたが、どちらもあまり人気がなく、味覚の違いも学んだイベントになりました。Japan Picnicでは、おにぎり、だし巻き卵、抹茶パウンドケーキなどを提供し、学生たちも地域の伝統的なケーキなどを作って来てくれました。桜はありませんでしたが、花見のような雰囲気で学生たちと一緒に春の訪れを味合うことができました。これら授業外のイベントは、日本人留学生の山本さんと喜屋武さんの助けがなければ成功できませんでした。本当にありがとうございました。
 また、学外では、ひょんなご縁からBoston Japan Festivalにて、京都国際マンガミュージアムさん主催のマンガワークショップのお手伝いをしました。マンガ風に自画像を描くコツを教えるワークショップで、私は主に質問の通訳をしましたが、日本のマンガ・アニメに興味を持っている人の多さに驚かされるとともに、こんなにも日本文化に興味を持ってくれている人がいるのであれば、今後も私にできる形で、日本文化の発信を手助けしたいと強く感じました。

初めての巻き寿司作り

Japan Talk

日本語クラスの生徒たちとピクニック
4. 最後に
 日本に帰国後、短期留学プログラム(京都・高知)に参加する学生たちと京都で再会し、引率をしました。アメリカで出会った学生たちと日本で再会し、彼らが学んだ日本語を使い、コミュニケーションを取っている姿を見る喜びはとても大きいものでした。この一年間で初級の内容しか教えることはできませんでしたが、「Sensei, all of the Japanese you taught me is so helpful!」と笑顔で言ってくれたときは、嬉しくて涙が出そうになりました。
 このFLTAプログラムに応募するかどうか悩んだこともありましたが、日本にいては出会えなかった人々、見ることのできなかった景色、経験できなかった苦労や喜びが、私を成長させ、視野を大きく広げてくれました。日米教育委員会をはじめ、アメリカそして日本で私を支えてくださった全ての方々への感謝を忘れることなく、FLTAの一員として学んだことを活かして、日本の国際化に貢献できる人物になれるよう努めていきたいと思います。

短期留学に向けたポスター発表

短期留学メンバーと日本で再開

14. 田邊こころ University of Miami, Miami, FL

中間レポート

 わたしが派遣されているマイアミ大学は、今回が初めての日本人FLTAの受け入れということで、出発前は色々と不安もありましたが、他の日本語の先生方や、同僚たち、他のFLTAや友人たちなど、たくさんの温かく素敵な方々に支えられながら、非常に良い時間を過ごさせていただいています。初めての派遣先大学ということなので、今回のレポートでは大学や街の雰囲気などを中心に報告したいと思います。

フロリダ州 マイアミについて
 マイアミ大学は名前の通り、フロリダ州マイアミに位置しており、1月という真冬にもかかわらず、現在の外気温は23℃と、まさに今が一年で一番涼しく、気持ちの良い季節です。マイアミと聞くと、よく映画やドラマで出てくるリゾート地のイメージが強いかと思いますが、実際に日本人は非常に少なく、わたしが”日本から来た”と言うと、毎回とても珍しがられます。マイアミに来て一番はじめに驚いたことは、街を歩くと英語よりスペイン語のほうがよく耳に入ってくるということです。というのも、マイアミという土地柄、キューバやメキシコ、ペルー、コロンビア、プエルトリコ、ブラジルなど南米出身の人が多くいます。日本では出会うことのなかった色々な地域や国の人たちと出会えるのがわたしにとってはとても刺激的で楽しいです。Uberのドライバーなどはだいたいスペイン語話者のため、徐々にスペイン語での挨拶も覚えてきました。また、それぞれの国の本格的な料理が安く食べられるのも、マイアミにいる中での楽しみのひとつです。

マイアミ大学について
 大学のキャンパスは、マイアミらしく、あちこちに綺麗なヤシの木が生えており、大学とは思えないほどとても美しいキャンパスです。緑が多く、たまにキャンパス内でイグアナに遭遇することもあり、まさに植物園や国立公園にいるような感覚です。また、キャンパス内にハンモックがかかっていることもあり、そこで本を読んだり、のんびりとくつろいでいる学生が見られるのも、暖かいマイアミならではの光景だと感じます。

TAとして
 秋学期はTAとして初級の4クラスを見学しながら、学期の後半は実際にクラスを教える経験もさせてもらいました。クラスでは、会話のやり取りの例として学生の前でデモンストレーションをしたり、アクティビティの際には教室を歩きながら学生の質問等に答えたりしていました。日本語を教えるということ自体が初めての経験であるため、クラスを見学しているだけでも「なるほど!」と思うことがとても多く、新鮮で面白いです。特に学生からの質問では、自分では意識したことや、考えたこともなかったようなことを聞かれることもあり、その度に私自身も学生と同様に新鮮な気持ちで、日本語について学んでいます。また、同じレベルのクラスの授業であっても、それぞれの先生によって教え方のスタイルも全く違うため、限られた授業時間をどのように使って進めていくのかという点でも学ぶことが非常に多いです。
 マイアミ大学の日本語学科は、言語の中でも比較的新しい学科ではありますが、日本語の人気が高まっているようで、クラスの数や履修する学生の数も多いです。特に小さい頃からアニメや漫画などを通して日本や日本文化に興味を持つ学生も多く、日本への関心の高さを肌で感じます。
 秋学期はTAとして、週3回のTutoringと週1回のLanguage Table、2か月に1回のMovie Nightも担当しました。Language Tableというのは、日本語で会話の練習をするイベントです。回ごとにTopicを決め、そこに集まった学生同士で、習った日本語や新しく学んだフレーズなどを使って日本語の会話を練習するというものです。日本語を履修している学生の参加は自由ですが、毎回20人近くの学生が来てくれたりと、賑やかな雰囲気で開催されています。学生にとって、週3回の1回50分の日本語クラスではどうしても実際の会話の時間が限られてしまうため、学生の日本語を話す機会を増やすためにどうしたら良いかと考えながら、毎回工夫をしたり、試行錯誤をしながら進めています。Movie nightは先学期に2回開催しましたが、それぞれ70人ほどが参加してくださり、大きなイベントとなりました。特に1回目は『となりのトトロ』を上映しましたが、比較的簡単な会話も出てくるため、習ったことのある単語やフレーズを映画に続いてリピートしている学生も見られました。わたし自身も子どもの時に観た以来でしたが、今改めて観てみると、随所に日本の古き良き時代の家や家族形態、慣習等の描写もあり、日本文化を学ぶという観点からもとても良い映画だと思いました。

Cultural Ambassadorとして
 マイアミ大学にはJapanese Cultural Circleというサークルがあり、私もその一員として参加しています。毎月テーマを決め、日本文化に関するイベントを開催しています。例えば先学期は、ラーメンやおにぎりといった食べ物の歴史や、由来、作り方などを紹介し、その後実際に作り・試食するイベントを開催したり、折り紙の回では、最初に折り方を教えたあと、一緒に難易度の高いものに取り組んだりもしました。特に折り紙は、鶴をその場で折って渡すだけでもとても喜ばれ、こちらに来てから何羽の鶴を折ったかわからないぐらいです。特に和柄など、日本らしい柄付きの折り紙を持っていくと喜ばれると思います。

履修した授業について
 秋学期は第二言語習得論と教授法に関するクラスを2つ履修しました。
マイアミ大学では聴講という形が取れないため、すべてCreditでの履修となります。また、大学院生レベル以上の授業を履修しなくてはならないため、授業自体のレベルが非常に高く、また、予習のreadingや宿題の量もとても多いため、非常に苦労しました。ですが、このプログラムに応募した理由のひとつに、アカデミックの面から第二言語習得論やTESOL、言語学・教育学を学びたいという想いがあったため、自分の興味のある分野をアメリカの大学で専門的に、かつ現地の大学院生と共に学べたことは非常に貴重なものでした。特に、他のクラスメイトは実際にマイアミ大学でスペイン語や、ポルトガル語、フランス語、中国語など、他の言語を教えているプロフェッショナルな先生方であったため、授業はセミナーのような形で、それぞれ自分のクラスで教えている際に抱える問題や、困っている点、効果のあった教授法など、クラス内での実体験をシェアするような形式で進みました。まだ経験の浅いわたしにとって、毎回の授業では目から鱗が落ちるような話ばかりで、学ぶことが非常に多かったです。そしてこのクラスで学んだことを実際の日本語のクラスでも取り入れてみたりと、学んだ理論をすぐに実践に移すことが出来るのも、このプログラムの醍醐味だと感じました。
 わたしはこのプログラムに参加する前に日本で数年英語教育に携わっていましたが、他のFLTAのように教育学や言語学等を専門的に学んだ経験がありませんでした。そのため、今後も言語教育に携わり続ける上で、一度アカデミックの観点から、そういった分野の知識や理論をきちんと学びたいと思ったのが、このプログラムへの想いのひとつでした。その点で、秋学期は期待以上の形でその目的が達成されたと感じています。

その他の活動
1.ボストンキャリアフォーラムと他大学への見学
 11月にはボストンのボストンキャリアフォーラムに行ってきました。日本の友人たちが採用側としてこのフォーラムに来ていたため、会いに行きがてらという形でしたが、私自身も前職で採用関連に携わっていたため、海外の学生がどのように就職活動を行っているのかを実際に自分の目で見られる良い機会となりました。 また、せっかくボストンまで足を運ぶのだからと思い、同じFLTAの木村さんに連絡を取り、彼が派遣されているブランダイス大学の日本語クラスを見学させてもらう機会を頂きました。同じアメリカであっても、日本語の授業の進め方から、週のクラスの回数や時間量、また、学生の雰囲気も全く違ったので、非常に興味深く、新たな発見も多くありました。なかなか他の大学の日本語クラスを見学する機会はないと思うので、もし機会があればぜひ訪れてみると面白いと思います。
2.マイアミ大学での落語公演
 年明けの新学期の初日には、マイアミ大学の日本語学科に落語家の柳家東三楼さんが来てくださり、日本語と英語で落語公演をしてくださいました。日本語クラスを履修している学生を中心に70人以上が集まり、大変盛り上がった会となりました。私自身も日本で何度か落語を聞きに足を運んだことがありましたが、英語での落語は初めてだったので、非常に面白く、貴重な機会でした。また、この公演の話を他の大学に派遣されている台湾のFLTAにしたところ、とても興味を持たれ、ぜひ師匠をうちの大学にもお呼びしたいということで、そちらの大学の日本語学科の先生に、柳家師匠をおつなぎすることも出来ました。早速そちらの大学でも、来年の公演実現に向けて動いているところだそうです。
3.マイアミマラソン出場
 つい先日は地元の”マイアミマラソン”に出場してきました。地元と言いながらも、2万人以上が走る大きなイベントで、出場者もアメリカ全土や南米の国々からなど、国際色豊かで非常に賑やかでした。海外の大会らしく、他のランナーたちも非常に陽気で、まさにお祭りのような雰囲気の中で走ることができ、とても楽しい経験となりました。わたしは日本人として登録したため、ナンバーにも日本の国旗がついており、まさに日本人として日の丸を背負って走っている気分になりました。スタートが早朝6:00だったため、2:30起きでしたが、幸い天気にも恵まれ、20℃前後と走りやすい気温の中、マイアミのダウンタウンやビーチ沿いを走るのは最高に気持ち良かったです。完走のメダルもマイアミらしくカラフルなデザインで気に入っています。

後期に向けて
 春学期はわたしの希望で、すべてのレベルの日本語クラスをまんべんなく見学しながら、初級向けのクラスで何度か教える機会も作っていただく予定です。英語で他の言語を教える様子を見ることが出来るのはアメリカにいるからそこの機会なので、今学期は日本語クラスに限らず、他の言語のクラスも見学し、色々な先生の良い所を吸収出来たらと考えています。また、後期はよりフットワーク軽く、色々なところに積極的に顔を出し、一日一日を大切にしながら、日々新しいことを学んでいきたいと思います。


最終レポート


アーカンソー大学でのオリエンテーション
 FLTAとして、初めてマイアミの地に降り立ったのがつい昨日のことのように、この10ヶ月は本当にあっという間に過ぎていきました。まだ帰国して間もない中、このレポートを書いています。自分でもまだきちんと振り返りが出来ていないのが正直なところですが、人生で一番濃く、たくさんのことを考え、学んだ期間であったと感じています。ここには書ききれない程たくさんのことがありましたが、この最終レポートでは特に春学期の活動を中心に、出来る限り多くのことをご報告できればと思います。 

TAとして
 春学期はわたしたっての希望で、TAとしてすべてのレベルの日本語クラスを満遍なく見学し、それぞれの先生方の教授法を学びながら、初級向けのクラスでは何度か教える機会も作っていただきました。同じレベルのクラスであっても、先生によって教え方やティーチングスタイル、時間の割き方、重要視する点などがそれぞれ違うため、様々なスタイルに触れることができたのは大きな収穫でした。また、それぞれの先生の良い点や、学生の反応が良いアクティビティなどをその都度メモに取り、実際に自分が教える際に取り入れていくようにしました。
 また、春学期もTAとして、チュータリングやランゲージテーブル、Movie nightも担当しました。ランゲージテーブルでは毎回20人近くの学生が来てくれたりと、秋学期に引き続き賑やかな会になりました。普段からすべてのレベルのクラス見学をしていたことが功を奏し、春学期はほぼ全員の顔と名前が把握でき、より学生との距離が縮まったように感じました。また、春学期は、より日本の”リアル”な文化や生活を伝えられるよう、私自身が実際に国内旅行の際に撮った写真を見せたり、夏祭りで金魚すくいやヨーヨー釣りをした際の動画などを見せたりもしました。ランゲージテーブルの最終回では、すべてのレベルの学生が参加できるようにし、初級から上級までの学生を4つのグループに分け、チーム対抗戦で日本語を使ってのゲーム大会を開催しました。特に初級レベルの学生は理解できる文法や語彙が限られるため、全員が楽しめるようなゲームを企画するのは苦労しました。最終的には、日本語のみを使うことをルールにし、”四択クイズ”、”福笑い”、”伝言ゲーム”の3つに絞り実施しました。初めての試みだったため、始めはどうなるかと不安もありましたが、結果的に会はとても盛り上がり、学生の楽しんでいる様子が見られほっとしました。たまたまこの日が、わたしの誕生日と同じタイミングということもあり、会の最後には先生方と学生たちがサプライズバースデーをしてくださいました。心のこもった手紙やプレゼント、そして学生たちからのメッセージが書かれた色紙をもらったときは思わず涙腺が緩みました。彼らにとっては書き慣れないであろうひらがなと漢字で、一生懸命メッセージを書いてくれたことを想像すると、嬉しさと愛おしさと、別れる寂しさとで胸がいっぱいになりました。一年間、本当にたくさんの良い方々に囲まれていたことを実感した瞬間でした。

学生からもらった色紙・手紙・プレゼント

ゲームのために準備したマテリアル
2. 地域コミュニティでのボランティア
 春学期に履修していた授業がきっかけで、アフリカ系アメリカ人の子どもたちが多く通うアフタースクールでボランティアもしました。初日に、わたしが日本から来たと話すと、彼らにとってはまさに初めて会う"リアル日本人"として、『Japan!! Japan!!』と大騒ぎになるほどでした。それほどマイアミにおいて、日本人は珍しいようでした。最初は宿題を手伝ったり、一緒に外で遊んだりしていましたが、子どもたちが日本や日本語にとても興味を持ち、たくさん質問をしてきてくれたため、徐々に日本語や日本文化を共有する時間が増えていきました。特に、折り紙は大人気で、わたしが折り紙を折っていると、多くの子どもたちが周りに集まってきて、行列が出来るほどでした。彼らにとっては初めて触れる言語や文化だったと思いますが、それらをすんなりと受け入れられる、彼らのまっさらで柔軟な姿勢から学ぶことがたくさんありました。

ボランティアをしたアフタースクールの子どもたちと


3. 日本カルチャーメンター
 マイアミ大学大学院のビジネス学部の授業で、あるグループが日本の労働環境や文化について調査、プレゼンをするということで、そのメンターとしてお手伝いをする機会もいただきました。私自身の日本企業で働いた経験に基づき、日本の労働環境や現状、日本人の働き方や特徴などを共有しました。それ以外にも日本の伝統文化や食などを一緒に体験したり、マイアミにある日本の焼肉店や日本食レストランにいったりと、メンターとして一緒に活動をしました。また、実際のプレゼン当日も特別に授業に参加させていただけることになり、私自身日本でビジネスのフィールドにいたこともあり、授業自体の内容も大変興味深く、貴重な機会となりました。
わたしがカルチャーメンターを務めたグループメンバーと
4. 世界のFLTAたちとの出会い

同期のFLTAとFLTAスーパーバイザー
 プログラム終了後、帰国まで1ヶ月時間があったため、日本から友人たちが代わる代わる遊びに来てくれ、マイアミを案内したり、他の国のFLTAと一緒に旅行をしたりしました。特に夏のオリエンテーションで出会い、数回しか会っていないにも関わらず、何人かのFLTAはマイアミに遊びに来てくれたり、一緒に旅行をするまで仲良くなったりと、世界中に友人が出来たことはかけがえのない出会いです。またマイアミ大学で一緒だった他の2人のFLTAとは、たくさんの時間を一緒に過ごし、色々な話をたくさんしました。時には一緒に喜んだり、泣いたり、笑ったり、色々な瞬間を共に共有しました。2人の優秀さに、学ぶべきことが本当に多く、いつも刺激を受けていました。帰国後も連絡を取り合い、今度互いの国を訪れる予定でいます。
 また、FLTA以外にも、マイアミ大学で日本語を勉強している学生の中には夏休みに日本を訪れ、つい先日わたしの地元を訪ねてきてくれたり、学生だった何人かはこの夏から日本で働き始めたりと、日本から遠く離れたマイアミで新たに出会った人たちと、これからも関係が続いていくことは非常に嬉しいことです。

今年までマイアミ大学で日本語を学び、この夏から日本で働き始めるふたり

マイアミ大学で日本語を学んでいる学生。夏休みを利用し、日本に旅行に来た際に、わたしの地元を案内
最後に
 このプログラムを通して、アメリカだけでなく、世界中の人たちと新たに出会い、話をし、ときには議論もし、多くのことを共有し・吸収した10ヶ月でした。日本人として、日本に対する世界からのイメージを肌で感じ、自分の育ってきた国を外から客観的に見られたことは、私自身の考え方や、物事の捉え方に多大な影響を与えました。それと同時に、世界中の言語や文化、習慣、宗教、アイデンティティなど、今までは考える機会もなかったような事柄について、真剣に深く考える時間を持てたこと、そしてそれを真剣に話せる仲間たちに出会えたことはわたしの一生の財産となりました。時には、自分の知識不足や無知であることにもどかしさや悔しさを感じることもありましたが、それもこうして一歩外の世界に出たからこそ気づけたことだと感じています。貴重な機会を頂けたことに感謝しかありません。プログラム前から長きにわたって、心強いサポートをしてくださった、日米教育委員会皆さまとIIEの皆さま、受け入れ先のマイアミ大学の先生方、スタッフ、そしてプログラムを通して出会ったすべての皆さまに心より感謝申し上げます。このプログラムを通して学んだことを今度は次の世代に返していけるよう、今後も学び・成長を止めず、少しでも還元していけたらと思います。本当にありがとうございました。