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フルブライト語学アシスタントプログラム(FLTA)

2019年度 参加者レポート

2019年度参加者 
1  2  3  4  5  6

1. 青木麻由美 Carleton College, Northfield, MN

中間レポート

派遣先大学について

夏のカールトン

冬のカールトン
 私はミネソタの「ノースフィールド」という小さな町にある、カールトン大学に派遣されています。カールトン大学はリベラルアーツの大学として有名で、アメリカのランキングでは7位にランクインされています。どの生徒もとても勉強熱心で、休日も関係なく勉強している姿にとても驚かされます。また、ミネソタはとても寒い地域であるため、12月の上旬あたりから-20度、ひどい時には-30度まで気温が下がります。

LAの仕事について
 私はカールトン大学でLA(言語アシスタント)として働いています。担当しているクラスは、初級クラスと中級クラスです。それに加えお茶の時間、映画鑑賞会、会話練習、オフィスアワーなどを毎週行っています。では、それぞれの内容などを説明していきます。
①初級クラス(毎日 午前と午後)
 初級クラスは毎日午前と午後の2クラスがあり、扱う内容は同じです。私は授業中に生徒のサポートなどを行っています。毎週木曜日にあるラボの授業では、メインの教員としてパソコン室を利用し授業を行っています。ラボの授業では教科書のドリルを行ったり、単元に関係している日本の文化などを教えたりなど、生徒の日本に対する関心を高められるよう工夫しています。また生徒の小テストやワークブックの採点も行っており、どこまで厳しく採点するのか、自分の採点は優しすぎるのではないかなど、日々苦戦しています。
②中級クラス(毎日 午前)
 中級のクラスになると生徒の理解度も高く、授業は日本語と英語が9:1の割合で使用されています。私は主に漢字の指導や、会話のモデル提示などを行っています。
➂日本語のお茶の時間(毎週火曜日)
 多くの生徒が足を運んでくれるのが、このお茶の時間です。毎週火曜日に生徒と一緒に日本料理を作ったり、歌を歌ったりなど、教科書からは学ぶことができない日本の文化を知ることができます。またお茶の時間に来てくれる生徒は、学年や日本語のレベルがバラバラです。そのため初級クラスの生徒がクラスメートに日本語を教えたり、上級クラスの生徒が初級クラスの生徒に日本語の表現を教えたりなど、互いに成長しあうことができるとてもいい機会です。そして日本食を作って食べられるので、私自身も毎回楽しみにしています。

履修した授業
① Samurai Ethics of Death and Loyalty(秋学期)
 カールトン大学は3学期制なので、Fulbrightの規定により、学期に履修できる授業は1つまでと決まっています。秋学期に私が履修したクラスは、“Samurai Ethics of Death and Loyalty”という授業です。この授業は日本人の先生が教えられている授業で、毎週月曜日、水曜日、金曜日の週3回ありました。この授業を履修したのは、日本がどういう国なのか、様々な視点から考えてみたいと思ったからです。LAとして仕事をしていると、生徒から日本の歴史や社会問題などについて質問を受ける機会が多々あります。ですがどれも私には「あたりまえ」になってしまっていて、はっきりと答えることができませんでした。この授業を通して、日本人の倫理観や何百年も前からある忠誠心、過労死の問題など様々な視点で「日本」を学び直すことができました。また授業の一環として、毎週水曜日に地元の弓道団体の方と一緒に弓道練習を行いました。私は弓道を中学校で習っていたため、懐かしさと新鮮な気持ちでいっぱいでした。クラスの雰囲気はとてもよく、授業後に一緒にランチをしたり、休日にカフェに行ったりなど、たくさんの友達ができました。
②Black Revolution on Campus
 今学期私は、“Black Revolution on Campus”という授業を履修しています。毎週火曜日と木曜日にあり、毎回の授業は105分です。毎回の読み物やレポートの量が多く、日本の大学とアメリカの大学の違いを改めて思い知らされています。

生活面
 ノースフィールドは田舎町ですが、スーパーや薬局があるので日用品はそろえることができます。また大学から毎日市内へのバスが出ているので、20ドルほどでミネアポリスまで行くことができます。私はショッピングが好きなので、週末はバスに乗って「モールオブアメリカ」という巨大ショッピングモールに行きます。このショッピングモールは全米一位の広さで、中に遊園地や水族館もあります。溜まったストレスを発散するのに最適です。私は田舎出身なので、野生動物との遭遇や自然の多さには慣れていますが、都会育ちの方は必ず自然の豊かさに驚かれると思います。

最後に...
 私は大学を卒業後このプログラムに参加したため、自分の経験値の少なさや指導力の低さから何度も苦しみました。また、長期の海外留学経験もなかったため、改めて自分の英語力の低さを思い知らされました。残りの6か月はより一層成長できるように、自分のできることを全力で取り組んでいきたいと思います。  


最終レポート

 カールトン大学にLA(Language Assistant)として派遣されていました、青木麻由美です。「カールトンで過ごす最後の学期、どんな新しい発見があるのだろうか?」雪がまだキャンパスに残る2月、私はこんなことを考えていました。ですが、カールトン大学での残りのLA生活は、自分の想像を超えるほど過酷なものとなりました。

春学期
新型コロナウイルスの流行
 3学期制をとるカールトン大学では、春学期が最後の学期です。春学期開始前の3月、コロナウイルスがアメリカでも流行し始めました。カールトン大学の初めの方針は、春休みを一週間延長し、春学期の前半はオンラインにて授業を行うということでした。しかしコロナウイルスの終息は見られず、最終的には春学期すべての授業がオンラインになりました。予想外の事態であり、残りのFLTA生活はどうなってしまうのだろうかという不安と恐怖でいっぱいでした。春休みにアメリカ国内旅行を考えていた私は、もちろんすべての予定をキャンセルし、ほぼ毎日のようにオンライン授業の準備を進めていました。

学生をどう引き付けるか
1 日本語の授業
 私はカールトン大学で言語アシスタントとして活動をしていましたが、週に一度、2つの日本語初級クラスの授業も行っていました。授業がオンラインになったことにより、今まで以上に不安やプレッシャーを感じました。まずテクノロジーの問題です。私のパソコンの接続が悪く、初回の授業では授業中に画面が止まってしまい、たった20分間しか授業を行えませんでした。それ以降もインターネットの状況により、つながりが悪くなってしまうなど、自分ではどうしようもできないことへのむずがゆさを覚えました。またZOOMを使ったオンライン授業では、学生一人一人の顔がパソコンの画面に映し出されます。そのため、対面の授業以上に学生の表情や行動を見ることができ、学生を飽きさせず、そして引き付ける授業を何度も考えました。それに加え、どの学生が授業を理解しているのか、授業についていけない学生はいないかを確認するのも、とても容易ではありませんでした。授業中はなるべくペアワークの時間を増やし、学生同士で授業の理解度を高められるよう工夫しました。

2 会話練習
 カールトンでは週ごとに初級クラスの会話練習、中級クラスの会話練習がありました。会話練習では主に授業で扱った内容の復習を行っていました。授業で扱った文法を使用した歌を歌ったり、日本で話題のものを既存の文法を使用して話し合ったりなど、今までと同じように実施することができました。

オンラインの可能性
 LAの仕事として、週に1回のお茶の時間と映画ナイトがありました。すべてがオンラインになった春学期、もちろん対面での活動はできなくなりましたが、学生の息抜きとしてこれらの活動は継続しました。想像以上に大変だったのがお茶の時間です。今までのお茶の時間では、私があらかじめアジアンマーケットで購入した食材を利用し、日本料理を作っていました。ですが、学生たちの家庭事情は様々であり、もちろんすべての学生が米や日本の調味料を持っているわけではありません。そのため、日本の食材を持っていなくても作れる料理を考えるのは骨を折る作業でした。ですが活動を通して、オンラインの良さを見つけることもできました。それは家族との交流です。今までは、学生は家族に写真や動画でしか自分たちの活動を伝えることができませんでした。オンラインになったことにより、学生は自分たちの家で画面を通じて私と一緒に料理を作るため、家族も一緒に活動に参加できます。そのため学生の家族も子どもたちの成長を見ることができ、さらに日本の文化もより多くの人に伝えることもできたと思います。

ハンバーグを作成中

ラピュタの目玉焼パン
履修した授業
 日本語の授業やアクティビティーを行う傍ら、もちろん私自身も授業を履修する必要がありました。最後の学期はHistory of Modern Koreaという授業を履修しました。この授業は主に韓国の歴史や政治等を学ぶのですが、それらと切っても切れない関係があるのは日本です。今まで日本社会で生きてきて、日韓関係のことや過去の歴史的事件を学ぶことは多々ありました。もちろん日本人と他の国の人々の歴史に対する見方は異なります。今までの授業では、そういった意見が必要な時も自分の思っていることを伝えずに、黙っていることが何度かありました。それは英語の発音や文法の間違いを気にしていたからです。春学期はオンライン授業で緊張しなかったというのもありますが、今までの授業の経験を通して、「この授業で静かにしていたら、日韓関係に背を向けることと同じではないか」と思うようになりました。自分が少しでも前向きに取り組めたからこそ、より多くの議論を繰り広げることができたのではないかと思っています。

暗い中にも明るさを
 コロナウイルスが蔓延する中、FLTAとして精神的な強さが求められました。カールトン大学には私も含め3人のFLTAがいましたが、それ以外に4人の言語アシスタントがいました。各々がコロナウイルスに対する不安でいっぱいで、今まで起こらなかった衝突も春休み以降幾度となくありました。そんな時に支えになるのが日本人の学生やクラスメート、日本からのFLTA達でした。休みの日は寮のキッチンでお菓子を作ったり近くの公園でピクニックをしたりなど、気持ちが落ち込んでいるときに少しでもポジティブになれるような生活を心がけました。

1年を振り返って
 FLTA としての一年はあっという間でした。新型コロナウイルスの影響により、帰国の姿は想像とはまったく違う形となりました。このレポートを書く際に、私はFLTAプログラムの志望動機を改めて読み直してみました。その中に、“I want to develop new skills and grow as a person, but also keep and value my own character.” という一文がありました。アメリカで長期滞在をしたことがない私は、アメリカの個性を尊重する教育制度や自由な生活など、良い面しか見ることができませんでした。しかし実際に生活をしていく中で、まだアメリカには黒人やアジア人に対する差別が根強く残っていることや教育格差の問題など自分が知らなかった点も見ることができました。時には大変なことや苦悩も待っていましたが、どんな時も自分の芯を曲げることはありませんでした。そして確実にFLTA参加以前よりも成長することができました。今後の人生の中で、理不尽なことやどうにもならないほどの困難に出会うこともあるでしょう。そんな時、FLTAプログラムで培った人間性や経験、それらが私を支えてくれるはずです。辛いなか支えてくれた家族、友人、日米教育委員会の皆様、本当にありがとうございました。

Thank you!

2. 藤井柊太郎 Calvin College, Grant Rapids, MI

中間レポート


International Passportのメンバーとの食事の写真 (International Passportとはカルビン大学の 留学生対象オリエンテーションのこと)
 ミシガン州グランドラピッズのカルビン大学に派遣されている藤井柊太郎です。ティーチング・アシスタント(TA)として、日本語クラスを履修している生徒へのチューターを主な仕事としながら、一方で各学期に2クラスずつ聴講として授業に参加しています。中間レポートでは、応募したきっかけから渡米までのこと、現地での主な仕事や授業について、その他8月から12月の5か月間で印象に残ったことについて触れたいと思います。

1.応募から渡米まで
 FLTAのプログラムを知ったのは、大学3年生の春に友達がたまたま聞いたのを私に知らせてくれたことがきっかけでした。大学入学前から英語教員として働きたいと思っておりましたが、大学卒業後、すぐに教員として働くのではなく、その前に英語の勉強をしたいとも考えていました。また高校1年生の10か月間、アメリカの家族にホームステイをしながら交換留学をしておりましたが、大学時代には留学する機会がなかったため、FLTAのプログラムを知った瞬間に、受けるしかないとすぐに決心したのを今でもよく覚えています。
 プログラムを知ってからすぐに説明会に参加し、応募要項やどのようなプログラムなのか実際に留学をした方からお話を伺いました。その結果やるべきことがより具体的に見えるようになりました。大学4年生で、周囲の人たちが就職活動をする中、FLTAという1つのプログラムに絞るべきなのか、それとも並行して就職活動をするべきなのか悩む部分もありました。9月に面接を終えて、最終的に派遣先大学が決まるのが翌年の4月なのでそれまで今後の進路が決まらないという不安は常にあったと思います。
 4月に派遣先大学が決まってからは、指定された書類の提出や、Visaの申請などやるべきことも多く、渡米前オリエンテーションを終えて、あっという間に8月の渡米の時期になりました。

2.TAの仕事&授業
TA
 カルビン大学では、日本語の授業が秋・春学期とも4クラスずつにレベル分けされています。1番上のクラス以外は、金曜日を除いて月から木曜日まで授業は毎日行われます。日本語の先生は、日本人の方で、既に20年以上アメリカに住んでいます。私のTAとしての主な仕事は、Drill SessionとCulture Sessionと大きく分けて2つあります。
 Drill Sessionは授業とは別に、授業内容の復習や授業中にわからなかったことを教えるなど、生徒をサポートしていくものです。下の2クラスは、複数人で行い、週に数回分けて、それぞれの都合の良い日に参加できます。上の2クラスは、個別に時間を決めて行い、授業以外のことでも基本的に日本語を使わせることを目的としています。全てのレベルに合わせて、日本語の先生にあらかじめ資料を用意していただき、毎週それらを使用します。プログラムが始まる前は、日本語を教えた経験がなかったので、どのようにTAの仕事をするのか想像がつきませんでした。Drill Sessionでは、教員として文法事項などを教えるのではなく、アクティビティーを通して日本語を話す機会を提供します。そのため、日本語指導の経験がなくても問題ないと思います。日本語のあいまいなニュアンスや表現は、英語に訳せないことが多く、それをどうやって英語で説明するのかが難しい時もありますが、私自身もとても勉強になります。
 Culture Sessionはサブカルチャーなども含めた日本に関連することを全般的に紹介する時間です。週2回ありますが、一週間に1つのテーマを取り扱います。今まで扱ったテーマには例えば、中学からずっと続けている「剣道」、日本文化の1つの「温泉・銭湯」「お弁当・おにぎり」、サブカルチャーでいえば「恋バナ」や「飲み会」などが挙げられます。個人的に同世代の学生に知ってほしい日本ならではのことを中心にテーマを選びます。週ごとに、パワーポイントやディスカッションなど授業準備をするのは大変ですが、私自身も日本について新たに知ることもたくさんあり、勉強になっております。また、学生が楽しく参加してくれることにとてもやりがいを感じています。
授業

11月Culture Session おにぎり編にて、
生徒とおにぎりを作った写真
 カルビン大学では、各セメスターに2クラスずつ聴講生として授業に参加します。聴講生であり成績がつかないため、日々の課題やレポートの提出,期末試験を受ける必要がなく、楽な気持ちで授業に参加できます。前期の授業では、「Introduction to Bilingual and ESL Education」と「Early America」を聴講しました。カルビン大学の学生数は4000人と他の大学と比べて少なく、大きな講堂で100人単位の一斉授業というよりは、20人前後の少人数制の授業が特徴的です。
 「ESL」では、移民など英語を第一言語としない人々が多いアメリカでの英語教育について学ぶ授業でした。日本とは異なり、バイリンガルの学生が多いアメリカで、2つの言語能力を維持しながらどのように数学、理科、社会などほかの教科を勉強するのか、日本にはないアメリカ特有の教育観がありとても興味深かったです。聴講生ではありましたが、数回グループでのプレゼンも行い良い経験になりました。
 「Early America」は、アメリカ史に関する授業で、アメリカ文化に関する授業を1つ履修するという、フルブライトの規定に沿って聴講しました。アメリカ大陸発見からヨーロッパ各国による植民地化、そしてアメリカ独立までを授業で取り上げました。毎週の課題として、指定された本の1チャプター分を読み、Moodleを通してインターネット上でのリアクションペーパーの提出が求められます。扱う内容、教材の英語のレベルが高いので、聴講生ではなく、単位を取得する学生の場合、中でも留学生など英語を母語としない人にとってはかなり大変な授業だったと思います。

3.その他
剣道
 中学時代から剣道を続けており、機会があれば留学先でも続けたいと考えていました。そのためミシガン州のグランドラピッズに留学先が決まると、すぐに剣道場の有無を調べました。幸いにも大学から車で1時間ほどのところに剣道場があったので、防具一式と剣道着を持参しました。道場の方に連絡を取り、10月頃から週に2回ほど練習に参加しています。剣道着は、剣道をするためのみならず、日本文化を学生や他のフルブライト奨学生に共有する際も、とても役立っています。実際に、8月のサマーオリエンテーション最終日にあるTraditional Clothesを着る際や、Culture Sessionの剣道紹介の際、実物を見せることができました。
Christmas International House (CIH)
 CIHとは、留学生を対象としたキリスト教会主催のプログラムです。12月の中旬からクリスマスにかけて、アメリカ文化を経験するという目的で、ホームステイやその土地の観光ができます。私はカンザス州でのプログラムに参加しました。このプログラムの参加者には私以外にも10人ほど留学生がおり、学部制に限らず中には修士、博士課程を取得しようとしている方もいました。高校生のときにホームステイを経験し、もう1度してみたいと思っていたので、このプログラムに応募しました。CIHをきっかけに合計で3家族のホームステイをすることができました。家庭料理や日々の家族との団らんなどを通じ、アメリカ文化、特にクリスマスという一大イベントを直に経験することができました。ホストファミリーの方々には、ホームステイを快く受け入れ、とても良く接していただきました。非常に感謝しております。人の温かさに触れた充実した12月でした。

8月サマーオリエンテーション最終日にてTraditional Clothesを着た写真

CIHにてホストマザーと他の留学生との写真


最終レポート


Traverse CityのSleeping Bear砂丘での写真
(帰国直前の春休みに友人と行きました)
 ミシガン州カルビン大学に派遣された藤井柊太郎です。新型コロナウイルスの影響で4月初旬に早期帰国しました。カルビン大学では、3月中旬頃から全ての授業がオンラインになり、留学生外のほとんどの学生が実家に帰る措置がとられました。予定した行事が全て中止され、日本語クラスの学生にお別れも言えず、学校内の人々があっという間にいなくなってしまいました。前期と比べて2か月という短い期間でプログラムを終了することになりましたが、その中でも大きく分けて2つの出来事に焦点を当てて述べたいと思います。

1.TAの仕事&授業
TA
 TAとしての仕事は前学期と同様、Drill SessionとCulture Sessionの2つです。Drill Sessionは、授業で扱ったことを学生と一緒に復習し、日本語を声に出し、書く、アウトプットを主に練習します。下の2クラスは集団授業で、上の2クラスはマンツーマンで行います。Culture Sessionは、週に2回、同じトピックで、私が日本の文化に関して1つ選び、それを紹介する授業です。
 カルビン大学の日本語専攻では、希望する学生は1学期間、日本に留学ができる制度があります。そのため、前の学期に留学をしていた学生が数人戻り、また新しく日本に留学する学生がいたため、学生の入れ替わりがありました。日本へ留学するためには下の2クラスを取り終える必要があります。留学をしていない学生に比べて約半年間日本語をみっちり勉強してきた学生たちは、話すときや書くときに積極的に伝えようとする姿勢が身についていると感じました。1対1で行うDrill Sessionでも英語を使わず日本語だけで活動ができるほどです。日本語力において大きな差があるというよりは、言語習得に大切な「間違えを恐れない」という姿勢が身に着いたのだと思います。半年という短い期間ではありますが、学生の大きな成長を感じられました。
 帰国する直前には、日本語クラスの学生と先生が私のお別れパーティーをオンラインで開いてくれました。最後にお世話になった学生たちと先生へ直接お礼を言えない悔しさはありましたが、オンラインでFarewell Partyという貴重な経験ができました。

授業
 春学期は、「Grammar for Teachers of ESL」と「Societal Structures and Education」という授業を聴講しました。
 「Grammar for Teachers of ESL」という授業は、前期に聴講したESLに関しての授業に似ており、英語文法にフォーカスした授業です。日本で英語を勉強するときに品詞を分けて、文構造をとるといった作業に似ています。英語で「自動詞」や「他動詞」などの専門用語がたくさんありましたが、日本語で理解していたので特に苦労することなく授業を受けることができました。一方で英語を母語とする学生たちが戸惑うこともあり、英語を第二言語として学んでいて役に立ったと感じました。
 「Societal Structures and Education」はタイトルだけではわかりづらいですが、コアカリキュラムといういわゆる一般教養の授業で、大学に入学して初めに履修する学生が多かったです。家庭の事情で教育を受けられなかった子どもやアメリカにいる貧困層について取り上げる内容の授業です。実際に授業の一環で、ホームレスの人々を支援し教育を受けさせるという特殊な施設に見学に行くこともありました。

2.Detroit Open Kendo Tournament

大会での集合写真
 2月に「Detroit Open Kendo Tournament」という大会に参加しました。デトロイトは日系の会社が多いことからアメリカ在住の日本人が多く、剣道が盛んな都市として有名です。1日目に愛知県警の近本巧先生による剣道セミナーが行われ、2日目に段位別の個人戦、団体戦というスケジュールでした。私が参加した4段の部個人戦では、ありがたいことに2位入賞という戦績を修めることができました。
 現在は3年に1度世界剣道選手権大会が開催されています。既に40か国ほどの国が参加し、日本発祥の剣道が世界に少しずつ広まっていることがわかります。アメリカで剣道をし、大会に参加したことからその事実を肌で実感することができ、一剣道をする者として心から嬉しく思いました。今回お会いした近本先生のような先生方がアメリカや海外で講演をすることにより、剣道が少しずつ認知されてきたのだと思います。

最後に...
 FLTAプログラムを通してたくさんの出会いがありました。オリエンテーション、カルビン大学、日本語クラス、CIH、剣道を通じて日本だけでは決して会えない人々と出会えることが出来ました。大学を卒業してからプログラムに参加するかどうか迷いましたが、今思うと、あの決断は間違いではなかったと断言できます。プログラムでの経験を活かして、これから英語教師として歩んでいきたいと思います。

最後に空港で撮った1枚

3. 星野真吾 Casper College, Casper, WY

中間レポート

 私はワイオミング州のCasper CollegeにPrimary Teacherとして派遣されています。この中間レポートでは、FLTAプログラム前半の経験を報告します。なお、ワイオミング州やキャスパーについては2009年、2012-15年、2018年に派遣された方々のレポートをご参照ください。

オリエンテーション
 今年度のFLTAの中では一番早い7月30日の渡米でした。私は、オハイオ州のThe Ohio State Universityで実質3日間のオリエンテーションを受けました。初日と最終日は移動日で、それを含めて5日間になります。実際、最終日8月3日は朝早い便でキャスパーに向かうことになっていたので、朝5時頃にはホテルを出ました。このオリエンテーションで他国のFLTA約50人と様々な講義を受けたり、15分の模擬授業をしたりしました。この期間はホテルに滞在し、他国のFLTAと2人部屋をルームシェアでした。また、朝食含めてNetworkingという時間が頻繁に取られていましたし、渡米初日からスマホは使えるようにしたほうが良いと思います。

キャスパーでの生活
 住まいは大学のキャンパス内にある寮で、アメリカ人の学生とルームシェアです。キッチン、冷蔵庫、洗濯機、バスルームは共用ですが、各々が使える部屋があり、そこにベッド、タンス、クローゼット、机があります。電波は弱いですが、Wi-Fiも通っています。乾燥機は寮の2階にあり全員で共用です。ほんの少しお金がかかります。調理器具、食器類や日用品は到着後に揃えることになると思います。
 食事については、学期中は3食とも支給されたミールチケットを使って、食堂や同じ建物の中にあるSubway + Starbucksのようなお店で取ることができます。ただ、週末になると食堂はbrunchとdinnerだけの提供ですし、祝祭日や長期休業中は両方とも閉まるので自分で用意する必要があります。水については、キャスパーのものは質が高いそうで、水道水をそのまま飲む人が多いようです。私はスーバーでボトルの水を買いだめしていますし、前述のお店でミールチケットを使うとボトルの水もついてくるので、水道水は飲んでいませんが。
 キャスパーは東京・埼玉に比べると寒くなるのがかなり早いです。今年度は10月初旬に雪が降りましたし、11月下旬にあるThanksgivingの次の日は雪が積もってしばらく寮から出られませんでした。また、夏が終わるとすぐに風が強くなり、冬はほぼ毎日強風で吹雪の中を歩くこともしばしばありました。秋学期は最高気温が-13℃という日もありましたが、日本よりも乾燥しているのでカラッとした日が多く、雪が降らない日の方が多かったので、かなり過ごしやすい気候だと感じています。
 今年度も日本人の先生も学生もキャンパス内にはいません。他の国からのFLTAもいません。ちなみに留学生も30名ほどなのでキャンパス内はほとんどがアメリカ人です。また、寮からダウンタウンまで私の足で35分ほどかかりますし、風が強いので車がないとキャンパス外に出るのはしんどいです。一方で、キャスパーの人たちは本当に親切で良い人ばかりです。先生方はスーパーに行きたいときに快く車を出してくれますし、冬が来る前に冬物の服を買ったほうがいいと言ってくれて、ショッピングモールやウォルマートまで車を出してくれた学生もいました。セキュリティスタッフがわざわざ寮まで来てくれて、マフラー、帽子、手袋などをプレゼントしてくれたこともありました。スーパーバイザー、学部の先生、学生チューターには頻繁に食事や家族の集まりに誘ってもらったり、Halloween、Thanksgiving、Christmasなどの季節のイベントも声をかけてもらったりしました。とにかく、人の温かみを感じる環境だと思います。

Primary Teacherとして
 過去にCasper Collegeに派遣された方々も書いていますが、シラバスと授業プランの作成、授業、宿題やテスト作り、成績処理まですべてを一任されます。
 今年度は大学全体の学期初めのセレモニーや学部群、学部単位のミーティングが8月14日にあり、授業は19日からでした。秋学期は初級クラス17人と中級クラス4人を担当しました。クラスサイズは20人までとなっていますし、中級クラスは少人数になることが多いようなので、その点では授業がしやすいと思います。授業時間は1コマ50分で、月曜から木曜の午前中に2コマずつ、合計で週に8コマ授業をしました。平日は午前中に日本語の授業をして、午後に学生として授業を受けて、次の日の授業準備をするとあっという間に1日が過ぎていくという感覚でした。教室環境については、教室にプロジェクターとスクリーンが備え付けられています。ネットに接続されているパソコンを貸してもらっていて毎回の授業で使っています。また、自分専用のオフィスを使うことができます。そこにはお借りしているものとは別のパソコンがあり、毎日それを使って授業準備をしています。キャンパス内は寮よりも強いWi-Fiが通っています。授業については、方針・構成やパワーポイントスライドはゼロから自分で考えたり用意したりしなければなりません。私は、授業アンケートを実施したり、学生たちの反応を見たりしながら軌道修正しました。裁量がとても大きいので言語教育について考えながら様々なことにトライできる環境だと思います。

その他
 学生としてはEnglishの授業を2つ取りました。日本語の授業のスケジュールが決まっているので、それ以外の時間帯の授業を取ることになります。当然ネイティブスピーカーと同じ内容や課題をこなすので大変なこともありましたが、コミュニティカレッジということもあり、他の派遣先の方が授業は大変かもしれないなと感じることもありました。概して、キャスパーは日本語の授業、学生として受ける授業、自身の英語力向上に集中できる環境が整っていると思います。

Supervisor と今年度の外国語学部のチューター

寮の一人スペース


最終レポート

 中間レポートでは2020-21年度以降Casper College に派遣される方に向けて、2019-20年時点でのCasperの生活環境を中心に記しました。この最終レポートでは、主にこれからFLTAプログラムに応募を考えている方々、特に公立学校の教員をされている方々に向けて書きたいと思います。何か参考になることがあれば幸いです。

応募にあたって
 FLTAプログラム応募から派遣先決定までの流れです。私は応募時点で埼玉県の公立高校で英語教員をしていました。2018年に県内でTOEFL iBTを使った教員研修に参加していました。それを何かほかのことに生かせないかと考えながらインターネット検索をしていたところ、その年の7月中旬にFLTAプログラムを見つけました。7月30日にFLTA説明会に参加して、2019年度FLTAに申し込めることがわかりました。教職についてからも自分なりに英語を学び続けていましたが、英語圏で英語を使った経験がなかったので、そういう欠損を埋めるチャンスだと思い、すぐに行動に移りました。もともと、一定期間働いたら休みを取って勉強したいという思いがあったので、埼玉県に自己啓発等休業という制度があるのは知っていました。自己啓発等休業は、公立学校職員という身分を残したまま休職できる制度です(休業期間中、給与は出ません)。すぐに学校長に報告、相談したところ、県に自己啓発等休業申出書・計画書、研修志望理由書を作成して、FLTAプログラム応募前に承認される必要があることが判明しました。応募書類はそれらと並行して作成しました。なんとか承認が間に合い、8月27日に応募書類をオンライン提出し、30日に郵送しました。応募書類一式を揃えるのに時間を使わざるを得ず、TOEFLはほとんどぶつけ本番で26日に受けました。その後、9月4日に面接審査の連絡、25日に面接審査、10月19日に国内選考通過の連絡、2019年3月6日にAIMSというFLTAマッチングシステムについて連絡が入り、3月25日の週にInvitationメールが届くと連絡を受け、28日にマッチングが始まりました、4月3日英文健康診断書に関する連絡、4月16日に派遣先決定という流れでした。FLTAプログラムは応募から派遣先決定までのプロセスが長いです。現職の教員の場合、次年度の校務分掌にも配慮していただく必要もあるはずです。私の場合、配慮していただいているにも関わらず、派遣先が決まらなかったら大変なことになるという思いが常にありました。当然、年度によって上記の日程は前後すると思いますし、まして今は新型コロナウィルスの影響で例年通りに行かないとは思います。それでも、こうした記録をこのレポートに残したほうが応募を考えている方、派遣先決定までのプロセスの最中にいる方の参考になるのではないかと思い、派遣先決定までのプロセスを詳細に記しました。
 また、私が応募時点で一抹の不安を覚えたのは自分の年齢です。FLTAは大学を出たばかりの20代前半の方や、中盤の方が多いという印象を説明会で受けたからです。私自身は応募時点で30歳でしたが、ふたを開けてみたら2019年度FLTA 6人のうち、自分を含めた3人は同年代の方々でした。30歳前後でしたら十分にチャンスはあると思います。

英語力
 プログラムを終えてしばらく時間が経った今、改めてFLTAプログラムで求められる英語力について振り返ります。まず、FLTAプログラムの選考を通過するということは、最低限の英語力があるということだとは思います。私自身、当時の英語力でFLTAプログラムに飛び込んで一連のことを体験するだけでもとても貴重な経験になりました。国際舞台で必要な英語力がどのようなレベルかを肌で感じることができましたし、FLTAとしての日々の生活も充実していました。しかし、渡米初日のオリエンテーションからプログラムの体験を満喫するためには、資格試験で測れる英語力とは次元の違う力が求められます。特にリスニング力の重要性を痛感しました。オリエンテーションで何本もの1時間単位の講義、世界各国のFLTAの流暢なノンネイティブの英語、ネイティブ同士のカジュアルな会話、をストレスなく理解することが必要だからです。自分自身これができていたら、一段上の充実度を感じることができたと思います。実際は、そうした場面でとても苦労して、これまでの英語学習を反省するばかりの時期もありました。渡米当初、もしくは渡米してなるべく早い時期に一段上の充実感を得るためには、TOEFLの基準を越えたらただちにNetflixやYouTubeで生の英語を多聴しながら句動詞や定型表現を中心に語彙力をつけて、最終的にはそれらを字幕なしでだいたいわかるくらいにしておくことが必要だったなと思います。実は、今でも学習者にとって容赦ないあらゆる場面の生の英語を100%理解することはできません。外国語を身に着けることがいかに大変かを痛感しましたが、これもいい経験になりました。

総括
 FLTAプログラムを満喫するための英語力について記しましたが、一方で、このプログラムで最も大切なことは英語力ではないように感じています。今振り返ると、Primary Teacherとしては外国語を学ぶ面白さ、大変さを等身大の言葉と全身を使って伝えるようにしていましたし、一人ひとりの学生をリスペクトし、一歩でも前進したら大げさくらいに褒めていました。個人としても、Supervisorを初めCasper Collegeの先生方や職員の方々にとてもお世話になりました。Casperでの生活に常に気をかけてくれたり、定期的に声をかけて食事や集まりに誘ってくれたり、自分の誕生日を学部の先生方と学生チューターに祝ってもらったりと心が温まる体験をさせてもらいました。異国にいるからか、そうしてもらうたびに心からの感謝が自然に湧き上がり、それを表現せずにはいられませんでした。また、気の合う学生や先生方とは主に教育、テクノロジーの影響、アメリカ社会と日本社会について意見を交わしてきました。何度も話をしてくれるということは、当然相手の関心は自分の英語力ではなく自分の意見にあるということだと思います。こうした経験を通して、その人なりの人柄や英語以外の興味関心や意見が異国で暮らす上で語学力以上に大きなウエートを占めることを体感しました。
 最後に、2019-20年度のFLTA生活は新型コロナウィルスの影響を受けることになりました。私自身も任期途中の4月5日に帰国しました。途中帰国に際しても、Casper Collegeには柔軟に対応していただき、春学期後半については帰国後にオンラインで学生対応させてもらいました。Supervisorにも全面的に帰国をバックアップしていただいたり、食堂の職員がマスクをくれたり、最後までCasperの方々には感謝の気持ちでいっぱいでした。こうしたかけがえのない経験をすることができたのも、日米教育委員会のスタッフ、Casperの方々、そして小さい子どもがいるにも関わらずアメリカに送り出してくれた理解ある妻と家族のおかげです。今回の経験を今後のキャリアに生かしたいと思います。ありがとうございました。

4. 中村信教 Ursinus College, Collegeville, PA

中間レポート

 私はペンシルベニア州のアーサイナス大学に派遣されている中村信教です。この中間レポートでは、アメリカでの衣食住や日本語指導、履修科目について、私の経験を紹介します。それを踏まえたうえでFLTAに、どのような力が求められているか。どのような準備が必要かについて述べたいと思います。

「衣」
 渡米前に、ペンシルベニア州の気候を調べると、積雪が多い地域だということだったので、日本でいろいろと購入し、アメリカに持ち込みました。しかし、寮からバスで20分ほど行ったところにペンシルベニア州最大級のアウトレットモールがあります。店舗数は150を超え、衣類品はここで大方購入できます。また、日本で購入するより、かなり格安で衣類が揃えられます。派遣前に、地図で近隣のショップを探すことをお勧めします。

「食」
 フルブライト奨学金には大学のミールプランが含まれています。長期休暇を除き、三食、食堂で食事がとれます。食堂には、日替わりのメインディッシュコーナーに加え、常設でバーガー、ピザ、パスタ、サラダ、フルーツなどのコーナーがあります。また、別の場所にフードコートのような場所があり、そこで食事もできます。初めのうちは、アメリカの食事を楽しんでいましたが、数週間経つと、夢で見るほど日本食が恋しくなるようになりました。今は、週に2回は寮のキッチンで料理をするようにしています。食材は、大学内にあるコンビニエンスストアで買ったり、徒歩20分ほどの大きなスーパーに行ったり、車を持つ学生にアジアンマーケットに連れて行ってもらったりして手に入れています。

「住」
 アーサイナス大学のFLTAは学生と一緒にMusser Hallという寮に住むことになっています。学生同士は相部屋ですが、FLTAは個室が与えられているので、一人で過ごす時間は確保できます。寮には、共用のラウンジ、キッチン、トイレ・シャワーがあります。道路を一つ挟んだところが学校で、立地もいいです。また、町の治安はかなりいいので安心して過ごせます。大学にはTA専用のオフィスがあります。私はそこで過ごすことが多いです。そこで他国のFLTAと情報交換したり、相談しあったりするので、なくてはならない場所の一つです。

日本語指導
 私の日本語教師としての仕事は大きく分けて、三つあります。一つ目は、週4回のティーチングアシスタントとしての授業参加です。スーパーバイザーの授業で、遅れている生徒や質問がある生徒に個別で対応します。この授業の中で、どのように日本語を教えるか、どのように第二言語をゼロの状態から教えるかということを学んで、後述の自身の日本語の授業に活かしています。 二つ目は、週5時間の1~4年生の授業です。この授業は、アシスタントとしてではなく、メインで授業をします。学生たちが今までに習った文法や語彙を、実践的に使う会話ベースの授業づくりを心がけています。多くの点で、学生たちの自主性、勤勉さ、そして優しさに助けられています。最後に、日本語テーブルの運営です。週に1時間、食堂で夕食を食べながら、日本語でおしゃべりをします。日本語の学生の参加人数は、他の言語テーブルに比べて圧倒的に多く、いつも大盛り上がりです。他国のFLTAから何をテーマに話しているのかなどアドバイスを求められるほどです。しかし、特にテーマを決めているわけでもなく、単に学生同士が仲がいいだけです。これも、スーパーバイザーが、授業内で生徒同士の横のつながりを作ってくれているおかげだと思います。

履修科目
「スペイン語」
 週に4時間の授業があります。私自身、スペイン語に触れるのは初めてで、予備知識なしのところからスタートしました。事情があり、1週間遅れて授業に参加したこともあり、初めのうちはかなり苦労しました。文法の説明は、英語で行われるため、英語を使った言語の指導の仕方は参考になります。また、授業は会話やワークをベースに進むので、自分の日本語のクラスに活かすこともできます。毎週、大きな宿題が出るのですが、その宿題がユニークで是非、日本に帰った後にも取り入れたいと思っています。一つ例を紹介します。スペインの旅行サイトを見て、スペイン旅行を計画します。その計画をパワーポイントにし、画面録画でのプレゼンテーション動画を教授に送信するというものです。このように、目的を達成するために、スペイン語を読み、聞き、書き、話すように導くような宿題がたくさん出ました。
「Pacific War Film」
 毎週、太平洋戦争に関する映画を観て、それに関連する論文などを読み、エッセイを書いて、ディスカッションをするクラスです。授業は、基本的に日本を中心に置き、太平洋戦争を文化的・思想的に読み解いていきます。テーマの中には「南京事件」や「慰安婦問題」など、難しいものも多く含んでいました。日本人は私一人しかいないので、クラスの内外で意見を求められることが多くありました。伝えたいことを英語で伝えられずに悔しい思いを何度もしました。また、自身の近現代の歴史についての知識不足から何も答えられないということも何度も経験しました。世界の中の日本人として、言語能力以外に何が必要なのかということを考えさせられました。

日本での準備
 まず、英語力に関して述べます。私は、大学で日本語と日本文学を専攻しました。英語は独学で、留学経験がありませんでした。そんな中、特に不足していると実感したのはリスニング能力です。試験やニュースの英語といった、はっきりした発音で話される英語ではなく、力を抜いた英語を聞き取る能力が求められると感じています。私は、授業中に教授の話す英語にはついていけますが、学生同士の議論についていくのには、かなり苦労しています。相手が話していることが分からないと、そもそもしゃべるチャンスが巡ってこないので、様々な種類の英語に触れておくことをお勧めします。次に、日本語と日本の文化・歴史についてです。日本語の教え方はスーパーバイザーのやり方をしっかり見せてもらえるので、心配することはないと思います。ただし、夏と冬のカンファレンスでは他国のFLTAから、日本語について「日本語には漢字と平仮名とカタカナがあるが、どのように使い分けるのか」などと質問を受けました。日本語に興味を持ってくれている外国人はことのほか多いので、基本的なことは英語で説明できるようにしておくといいと思います。日本の文化や歴史を英語で詳しく話せる力は、かなり必要だと感じています。日本の季節行事、宗教、日本人の精神性、歴史観について、多くの「Why」が学生・他国のFLTAから飛んできます。それに「I don’t know.」で答えるのではなく、自分なりの答えを持っておくべきだと常々と感じさせられています。

 先日までニューヨーク・カナダに行っていました。旅行から帰り、寮に戻ると「家」に帰ったような安心感を得られるほど、こちらの生活に慣れました。初めのうちの「慣れることに必死」という段階は終わりました。後半戦は、FLTAとして、アメリカの学生たちに貢献できるよう、いろいろなことに挑戦していきたいと思います。

アーサイナス大学の同僚たち

Musser Hall


最終レポート

はじめに
 日本に帰国し5カ月の時間が流れました。今でもふと、アメリカでの生活が思い出され、寂しいような、懐かしいような気持になることがあります。FLTAとしての後半戦は「想定外」の一言でした。新型コロナウイルスが発生し、私の住むペンシルベニア州はもとより、アメリカ全体が大混乱に陥りました。その大混乱を生き抜く中で、平時では味わえない経験をいくつもしました。今回は、そのような経験を共有するために、この報告書を書いていきます。新型コロナウイルスの発生前後で生活が大きく変化したので、二部構成となります。

【新型コロナウイルス発生前】
日本語指導
 秋学期と同じく、週4時間のチーム・ティーチングと週5時間の自身の日本語のクラスを担当しました。また、文法を会話形式の中で教えていくスタイルも変更しませんでした。しかし、会話の中で取り扱う内容を、より現実的かつ実用的なシチュエーションにするように強く意識しました。私たちは、単なる日本語教師ではなく、文化大使としてアメリカに来ています。日本の文化や生活様式を入り口に、言語を教えることで、その責務を果たしたいと考えました。実際に、生徒が日本で体験したいことをテーマに文法事項を教えたときは、今まで以上にやる気を出しているのを肌で感じました。その単元の会話のテストでは、かなり手の込んだパワーポイントを持参する学生が多かったです。学生たちが主体的な学習者になるためには、学生自身が日本の文化や言語が面白いと感じる必要があり、学生がそう感じるかどうかは、指導者の力量次第ということを痛感しました。

履修科目
「スペイン語」
 秋学期から引き続き、春学期にもスペイン語を受講しました。使える文法や語彙が増え、表現の幅がぐっと広がり始めました。日本で受けた第二言語の授業と大きく違ったのは、最終目標を「表現」に置いている点だったと思います。文法も語彙も、初めの段階では暗記が求められますが、最終的なゴールは「表現」なので、正しく聞き取り、正確に、よどみなく話せるかが評価されます。私はこのクラスを取ることで、第二言語学習初心者の気持ちを再確認できました。また、指導者がどこにゴールを置き、どのようにプロセスをデザインし、どのように評価するかによって、学生の取り組み方が変わるのだと体感しました。

「Education inequity」
 アメリカの教育における不平等を取り扱うクラスを選びました。私自身が、日本で児童相談所に勤めていた経緯があったため、教育格差の解消のヒントを得たいと思い受講を決心しました。まず初めに私たちは、アーサイナス大学周辺の高校の調査から始めました。アメリカには、高校の格付けウェブサイトが多数存在します。そのウェブサイトには、学業成績・男女比・人種比・卒業後の進路・教員の平均勤続年数や待遇などありとあらゆるデータが掲載されています。複数の学校のデータを比べて、何が学力に影響しているのかを分析し仮説を立てました。その仮説を検証する形で、様々な本や論文を読み、ディスカッションをして、仮説の内容を適宜変更していきました。何が教育の不平等を生み、何が教育の不平等を防ぐのかという学びは、国や文化を超え、今後の私の教育活動に示唆的なものになりました。

【新型コロナウイルス発生後】
 新型コロナウイルスの発生後、アメリカでの生活が一変しました。前述したようにアーサイナス大学はアメリカのペンシルベニア州にあります。隣がニューヨーク州ということもあり、かなり早い段階で新型コロナウイルスが蔓延しました。大学は2月中旬の連休後、キャンパスを1週間閉鎖し、その後すぐに全ての授業をオンラインに移行しました。私は3月いっぱいまでアメリカに残り、寮の部屋からオンライン授業をしました。しかし、4月に日本への帰国を決めました。当時、アメリカをはじめ、世界全体が、国と国との移動を制限しており、帰国ができなくなる可能性があったからです。これからは、新型コロナウイルスのパンデミックにより、どのように生活が変わったのかについて書いていきます。

日本語指導
 オンライン授業に移行が決まってから、スーパーバイザーと何度も打ち合わせを行いました。オンライン授業のソフトの基本的な使い方から、応用的な使い方まで学び、今までのクラス通りできること、できないことを徹底的にあぶりだしました。その結果、妥協するところもありましたが、それと同時に、オンライン授業だからできることを発見しました。日本語のクラスは比較的スムーズにオンライン移行ができたと思います。スーパーバイザーが「急激な社会の変化に対応する力も教育者の大切な資質のひとつ」と話されていたのをよく覚えています。スーパーバイザーの変化に果敢に挑み、成果を出していく姿勢と教育者としての矜持には感銘を受けました。4月から5月末までは、日本にいながらオンライン授業をしました。時差があったので、深夜に起きて日本語の授業をする生活が続きました。学生もパンデミックによるストレスを抱えながらの受講だったため、精神的なケアも含めて、いっそう注意深く授業に臨む必要がありました。

履修科目
 日本に帰国後は、二つのクラスの受講は断念しました。時差の関係で、日本時間の夕方や、早朝など開講時間が分散してしまい、日本語指導との両立が難しいと判断したためです。

最後に
 新型コロナウイルスのパンデミックにより、失ったものがいくつもあります。旅行の計画はすべてなくなり、学生との日本語イベントも中止になりました。正直に言うと、不完全燃焼になった部分が多くあります。しかし、このパンデミックの中、試行錯誤したことでICTを利用した教育や、混乱の中、同僚と協力し変化に挑むという経験ができました。また、このプログラムを通して、様々な出会いがかけがえのないものになったということには変わりありません。アーサイナス大学の学生たちは本当に勉強熱心で、愛らしかったです。今でもよく日本語でメッセージを送ってくれます。コロナウイルス終息後に、1日でも早く再会したいです。スーパーバイザーには私の教育者としての在り方が変わるほど影響を受けました。細かいテクニックから、教育者としての姿勢まで、1年間一緒に仕事ができたことは、本当に幸運なことでした。そして、アーサイナス大学でともに働いた4人のFLTAとの出会いは何にも代えられない財産になりました。彼らとは、授業の相談をし合ったり、休みの日は旅行をしたりと一番多くの時間を共有しました。これからの長い人生の中で、中国・スペイン・モロッコそしてフランスに旅行に行き彼らと再会することは私の人生における楽しみの一つです。
このプログラムを完遂できたのは、日米教育委員会・アメリカのIIEの方々、大学関係者のご協力のおかげです。この場をお借りして、改めてお礼申し上げます。

オンライン授業の様子

5. 大江彩水 Spelman College, Atlanta, GA

中間レポート

 スペルマン大学は全米にあるHBCU(Historically Black Colleges and Universities)と呼ばれる学校の一つで、女子大学です。近隣には同じくHBCUの男子大学であるモアハウス大学、共学のクラーク・アトランタ大学があり、三校でAUC(Atlanta University Consortium)という大学コミュニティを形成しています。”I have a dream”のスピーチで有名なキング牧師もモアハウスに籍を置き学んだコミュニティ/大学の出身です。同大学には日本人FLTAが毎年派遣されており、私で9人目です。 

TAの仕事
 秋学期の授業は週3日間、初級1、初級2、中級の計3レベルを各50分ずつ、指導教官とティームティーチングで指導を行いました。AUC大学間では自由にクラスを履修することが出来るシステムになっており、また日本語の講座はスペルマンにしかないため、モアハウスやクラークの学生も多く履修しています。基本的には指導教官がテキスト「げんき」及びプリントを使用しながら授業を進め、私はパソコン操作や日本の文化や生活に関する紹介などを行いました。その他必要に応じて文法説明の補足や、ポイントを板書するなどしました。指導教官は私の発案や実践を積極的に反映させて下さり、やりがいを感じながら指導の一端を担いました。授業時間外では週2時間のオフィスアワーを設け、補習や課題のサポートを行いました。
課外活動支援:Japan Club
 Japan Clubはスペルマン、モアハウス、クラーク大学3校の学生が集まり月2~3回活動が行われる、校内有数の人気のクラブです。毎回多くの学生が集まって日本関連のゲームをしたり日本の文化についてディスカッションしたりします。実際に今学期行った具体例としては、日本のアートを紹介した後書道体験をしたり、日本の観光地を紹介した後グループに分かれてそれぞれの町のリサーチをし、旅行プランを発表してもらったりしました。イベントの準備をする中でJapan Club役員とも知り合い、日本食レストランなどで一緒に食事をする機会もありました。11月半ばに学内で実施したInternational Education Weekでは、Japan Clubとして剣道の形(かた)や扇子を使った踊りを披露しました。中学時に自作した浴衣を着せてあげたのが予想以上に喜ばれました。

学生として履修した2つの授業
1.Survey of African-American Music
 アフリカン・アメリカン音楽発展の時代背景を学びました。ジャズ、ゴスペル、ヒップホップなど、馴染みのある音楽ジャンルはほぼ全てアフリカン・アメリカンの人々によって生み出されたことを学び、改めて文化の豊かさを感じました。教授は自身がミュージシャンであり同大学のゴスペル聖歌隊を率いています。その教授の薦めでジャズバンドに入りました。学期末のコンサートでは多くの観客が立ち見となるほど人気でした。唯一のアジア人である私がサックスを吹いたため、コンサートの後多くの人がキャンパスで声をかけてくれました。人種、国境を越える音楽の国際性を体感しました。
2.Educational Psychology
 教師を目指す学生が履修する授業です。教育の制度、歴史、哲学などについてディスカッションを中心に授業が進められました。積極的に発言する生徒に圧倒されながらもアフリカン・アメリカンの教育の歴史や現状について意見を聞けたことはHBCUならではの経験であり、とても貴重でした。

インターンシップの受け入れ
 日本人学生15人を2週間受け入れる際、オーガナイザーとして関わらせていただきました。指導教官と共にスペルマン学生との交流イベント運営、アトランタの観光、住まい(ホテル)の手配等を行いました。イベントを計画する際は、言語の壁があるなか、どうすれば現地の学生と交流がスムーズにいくか工夫しました。街中を案内するときは大人数で目立つこともあり、安全を第一に計画・行動するよう気を配りました。スペルマン大学として初めての試みであり大変なことも多くありましたが「素晴らしい国際交流の場を提供してくれた。毎年やってほしい」と評価いただき達成感を感じました。
生活
 アトランタはホームレスも犯罪も多く、危険が及ばないとは言い切れません。しかし危うきには近づかず、街での服装や振る舞い、表情や視線に隙を見せないよう気を付ければまず大丈夫です。住居や食事などは大学から提供されます。ダウンタウンに近いので、地下鉄を利用すれば 日常生活に不便はありません。

まとめ
 アトランタはアメリカ建国の歴史の中でも重要な役割を果たした都市であり、歴史的な観光地が多くあります。中でも公民権人権センターや、キング牧師の町パーク(生家、教会、ミュージアムなど)は時間をかけて見学しました。人種のるつぼと称される移民の国が現在の姿を取るまでに経た壮絶な試練を物語っています。ないがしろにされたり保証されたりと、人権が法律に翻弄された史実を目の当たりにしました。HBCUの今日的意味を考えずにはいられません。異なる価値観を顧みるにつけて、島国日本に暮らす私たちが掌ツールで得る情報は世界を判断するのに十分でない、という感覚があります。人が幸福を追求するために必要なものが何であり、何でないかということを立ち止まって真剣に議論することに大きな意義を感じます。



最終レポート

 新型コロナウイルスの影響で、残念ながら春学期はたったの2カ月で終了してしまいました。2カ月間という短い時間ではありましたが、メイン講師として教えた日本語クラス、質問が止まらない日本文化の授業、オンライン授業への移行など、大変貴重な経験をさせていただきました。この最終レポートではコロナ禍という特殊な環境での授業や生活についてと、その中で何を学んだかご報告します。

日本語の授業
 春学期が始まって1カ月半、やっと新しい授業に慣れてきたころ春休みに入りました。帰省する学生が多いため「あやみ先生よい春休みを~」と笑顔で別れた学生たちでしたが、休み中に授業が完全にオンライン化することが発表されました。そして直接会ってのお別れがかなわないまま帰国することとなりました。対面の授業からオンライン授業に移行するのも一苦労でした。大学としても初めての試みであるため、私を含む教授や大学関係者は前代未聞の対応に追われパニック状態でした。オンライン授業をするためのガイドラインは無く、誰もがどうなるのかわからないまま授業がスタートしました。スタートしてからはその場その場の対応に追われ、想像しなかった問題が多く発生しました。Zoomでなんとか授業ができたとしても、Wi-FiやPC環境がない学生へどのように支援すべきか。経済が落ち込み、生活のためにアルバイトを掛け持ちしなければならない学生がいました。そんな学生が授業を休んだ場合、問答無用で欠席の扱いにしてしまっていいのか。問題が発生するたびに指導教官に電話し、相談し、できる限り公平で柔軟に対応するよう努力しました。

生活
 激動の職責とは対照的に、誰もいなくなったキャンパスは毎日ひっそりとしていました。学食が止まり、食品を買う必要があったためスーパーに行って驚きました。買い占めにより品数がひどく減っていました。また、その時期は「中国からコロナが発生した」というニュースが飛び交っており、アジア人が諸外国で差別にあうことが報道されていました。私自身、電車に乗っていた際見知らぬ人から「こういう人たちが我々の国アメリカに菌を持ってきたんだ」と言われ、不快な思いをしました。
 アトランタ最終日、さよならを言える人もいないひっそりとしたキャンパスから空港へ向かいました。アメリカ南部では最も大きいアトランタの空港ですが、今回はお店もすべて閉店し、人もほとんど見当たりません。飛行機も空っぽでした。

「Black Lives Matter」デモ
 パンデミックと時期を同じくして“Black Lives Matter”の運動が起こりました。ジョージ・フロイドさんが白人警察官に殺害される事件が発端となり、人種差別を非難するデモが世界で広がりました。事件当日の様子がYouTubeにアップロードされていました。警察官に首を押さえつけられ、身動きが取れない状態のフロイドさんが ”I can’t breathe!” と訴えながら息絶えるところや、見るに見かねた通行人が止めるよう叫んでいる様子がとらえられています。アトランタでも大規模なデモが起こり、人種関係なく多くの人が参加しました。この世界規模のデモはしばしアトランタ出身であるキング牧師の“I have a dream”スピーチが行われたワシントン大行進のデモと比べられ、歴史に残る出来事として報道されました。I have a dreamのフレーズは有名ですが、同スピーチにこのような一文があります。

“we are not satisfied and will not be satisfied until justice rolls down like water and righteousness like a mighty stream.”
正義が河水のように流れ下り、公正が溢れんばかりに流れるまで、われわれは決して満足することはないだろう。


 この演説が行われたのが1963年であり、その5年後にキング牧師は演説中に暗殺されます。彼が「夢」を語ってからすでに50年以上の月日が流れました。その夢は少しでも実現できたのでしょうか。一見、アメリカのように人種が多様でない日本ではどうでしょうか。新型コロナウイルスに感染した人が近所から嫌がらせにあい、医療従事者やその家族がいじめにあうニュースを最近聞きます。また、急速に人口が減少し外国人労働者を迎え入れる必要性が迫られる中、働いてもらいやすい環境はどれほど整っているのでしょうか。今回の複合的な出来事は、差別の気持ちがいつまで経っても止まない私たちに警告を鳴らしているようにもみえます。

授業以外の活動
 さて、私のFLTAとしての経験ですが、悲しいことばかりではなく楽しいこともたくさんありました。中でも1番の思い出はバンド仲間と演奏したコンサートです。アフリカンアメリカンの音楽をモチーフとして、キャンパス内でコンサートをしました。コンサートに向け、毎週2回集まり仲間と練習しました。久しぶりにテナーサックスを毎日練習することとなり、高校生の吹奏楽部のことを思い出しました。驚いたのは同じ音楽でも練習のアプローチが全く異なることです。高校生の時はみんなと音を合わせるために極力ハーモニーを乱さず、ピッチがずれないようにすることで美しい演奏ができると考えていましたが、HBCUの学生たちは音楽に対して異なる価値観を持っているようでした。少々間違っていてもピッチがずれていてもそれは大した問題ではなく、一番大切なのは自分がどれだけ楽しめるかを基点としているようでした。私が練習の中でも特に楽しかったのは、新しい曲を練習し始める日です。楽譜を配られ、初見でシンガー達が歌い、私たちは楽器を演奏します。彼女らは初めてだからという理由で出し惜しみはしません。音楽教室中に響き渡る強く、美しい声を披露し、それに合わせてバックコーラスが盛り上げます。そんな楽しい練習の末、緊張して挑んだコンサートでしたが、当日会場は満員となり、立ち見の方も大勢いるほどでした。仲間たちはいつも以上の力を発揮してコンサートを盛り上げてくれ、観客は立ちあがって一緒に踊ったり、歌ったり、歓声をあげてくれました。

まとめ
 インターネットにより世界のニュースがリアルタイムに把握できる世の中ですが、実際に現地に赴き、音楽や教育などを通じて人と心を通わせてはじめてわかることがあると思います。J・ウィリアム・フルブライトさんは異文化交流を通じて世界平和を実現させようと本プログラムを創立されました。見た目やバックグラウンドが違う人と心を通わせる経験を持った人は、安易に人を差別したり、心無い言動をしたりすることはないのではないでしょうか。微力ではありますが私も彼の遺志を継ぎ、日本の英語教育に今後も携わっていきたいと思います。日本人の英語力向上に努めることで、一人でも多くの日本人が海外に進出するお力添えができれば幸いです。



6. 鳥越(北見)朋子 University of Montana, Missoula, MT

中間レポート

 2019年度、モンタナ大学にFLTAとして派遣されております鳥越朋子と申します。この中間レポートでは、応募から秋学期までを振り返り、これからの残りの期間をどう過ごしていきたいか記したいと思います。

応募から出発まで
 私は神奈川県の県立高校の教員として8年間働いてきました。これまで留学をした経験が無く、一度しっかり外国の環境で言語や文化を学びたいと思い、教育委員会や所属校の管理職の先生と相談し、自己啓発等休業制度を利用して、このプログラムに応募することにしました。前年度の8月に応募書類を提出し、9月に面接、10月に国内選考通過の連絡をいただき、3月に候補大学の希望順位を提出し、4月半ばに正式に派遣が決定しました。また、4月から新しい学校へ異動となり、新しい環境で仕事をしながら、健康診断や予防接種、ビザ等の書類の手続きをしたり、出発に向けての準備や引っ越しをしたりと出発前は非常に慌ただしかったです。7月20日から一年間の休業に入り、ニューヨーク州のシラキュースでオリエンテーションを受けるために8月11日に日本を出発しました。

モンタナ大学について
 モンタナ大学は、モンタナ州ミズーラにある州立大学です。ミズーラはモンタナ州では2番目に大きな街とされていますが、周りは山や川に囲まれており、自然豊かなとても綺麗な場所です。人が優しく、治安も良いので非常に住みやすい街だと思います。

日本語の授業について
 大学ではprimary teacherとして日本語の初級の授業を秋学期は3クラス、春学期は2クラス担当しています。初級の日本語は週5日クラスがありますが、アメリカ人の日本語の先生が火曜日と木曜日に文法説明を行うので、月・水・金曜日の私のクラスでは習った文法や会話を実際に使って練習したり、ペアやグループでのコミュニケーション活動を中心に行っています。日本語を選択している学生は、とても日本語の勉強に熱心で、大量の宿題やテストにもめげずに一生懸命勉強している姿を見ると、私もより良い授業をしなければといつも思います。

履修している授業について
 秋学期は”Educational Psychology and Measurement”と”Black: From Africa to Hip-Hop”という授業に聴講生として出席しました。どちらの授業も、私を除いて周りは英語母語話者のみでした。授業は一方的な講義ではなく、常に学生が先生に質問したり、学生同士で議論する形式でしたので、学期の始めの頃は授業についていくのに精一杯で、どう参加したらよいか大変悩みました。また、毎回のリーディングや課題も多く、家でも大学でも常に勉強をしないと間に合わないほど学期の間は忙しかったです。ただ、どちらの先生も人としても、教育者としても大変素晴らしい方々で、授業の内容はもちろん、進め方や課題の設定の仕方など、教員という視点でも大変参考になることが多かったです。

授業以外の活動
 授業以外では、Japanese Student Associationという日本に興味のあるアメリカの学生と、モンタナ大学に来ている日本人留学生のためのクラブに関わったり、International Students Associationという留学生のためのグループの活動に参加しています。活動の一環で、イエローストーン国立公園やグレイシャー国立公園を訪れたことはとても良い思い出です。
 また、モンタナ大学は常に大学内のいたるところで様々なセミナーやイベントが開催されています。教員向けの指導力向上に関わるワークショップや多文化共生に関わるレクチャーには可能な限りすべて参加するようにしています。また、ハロウィーンやホームカミングデーなどアメリカ文化を知るための催しや、大学外のボランティア活動、地域のイベントへの参加など、様々な人と関わり視野を広げる機会をたくさんいただいています。

派遣先大学のFLTA(日本・オーストリア・アイルランド2名)

モンタナ大学のMain Hall
残りの期間に向けて
 秋学期とフルブライトによるMid-Year Conferenceを終えて、派遣期間も残り半分を切ってしまいました。前半は慣れない環境や文化の違いに戸惑ったり、自分自身の英語力の無さに落ち込んだりと、苦戦しながらあっという間に時間が過ぎてしまった気がします。限られたこの期間をより充実したものにし、教員として、また学習者として成長するためにも、まずは大学の授業により力を入れて取り組んでいきたいと思います。課題や準備に十分な時間を費やすことは当然ながら、授業内でも失敗を恐れることなく意見を伝えたり、議論に関わっていきたいと思います。また授業外での人との関わりも今まで以上に積極的に行い、残された時間を一日一日大切に過ごしていきたいと思います。


最終レポート

 2019年8月11日にアメリカに渡り、約9ヵ月の滞在を経て、2020年5月17日に日本に帰国しました。この最終レポートでは、主に授業と大学内外での活動を振り返り、そこでの学びを報告します。

大学での授業
日本語の授業について
 中間レポートでも記述した通り、私はprimary teacherとして日本語の授業を担当しました。秋学期と同様、春学期でもアメリカ人の日本語の先生と曜日を分担し、私の担当部分では言語活動を多く取り入れ、コミュニケーションベースでの授業を行いました。
 アメリカの大学で指導した中で一番驚いたことは、課題に対する学生の取り組みです。日本語の授業は週5日ありますが、予習復習や宿題が毎日あり、学生はMoodleという学習管理システムで課題の確認をし、毎回提出をします。小テスト、文法テスト、単元テスト、中間・期末テスト、パフォーマンステスト等の評価の機会もとても頻繁にあります。なるべく早くフィードバックを学生に与えるために、課題のチェックや採点をすることは教員にとっても常に忙しかったのですが、その分学生の成長や指導の効果が目に見えるので、とても大切なことだと再確認しました。使用言語は可能な限り学習言語(日本語)を使うよう意識しました。しかし、時には細かい語法やニュアンスの違い、漢字の成り立ちなどを英語で説明する必要もありました。このように場面に応じた使用言語の選択や、授業の組み立て、活動のバリエーション、課題や評価の与え方など日本で今後英語を教える際にも必ず活きるであろう指導力を身につけることが出来たと実感しています。

履修していた授業について
 学生としては、春学期は “Introduction to International Relations”と“Race, Inequality, and Education”という授業を聴講しました。国際関係論は今まで日本でも勉強したことがなく、初めて学ぶ概念や聞いたことのない単語ばかりで当初は圧倒されました。毎回のリーディング課題も膨大でついていくのは大変でしたが、リアルタイムな話題が取り上げられることも多く、現在のアメリカや世界に対しての生の声を聞き、学ぶことができたのはとても価値のある経験であったと思います。
 “Race, Inequality, and Education”のクラスは学生が私を含めて6人のみで、事前に大量の本や論文を読んだり、映像資料を見た上で、ディスカッションやプロジェクトをベースに授業が進められました。授業は週に1回ですが、3時間通して行われ、教育における人種と平等性というアメリカだけでなく、今後日本を含めて全世界に共通した重要なテーマが扱われていました。アメリカと日本の教育や社会の成り立ちの違い、人種差別に関わる歴史的背景やイデオロギーについて知り、それらを議論することで、知識や英語力だけでなく、この世界に住む1人の人間として大きく成長することが出来たと思います。

新型コロナウイルスの影響
 モンタナ大学では3月23日から約7週間、すべての授業がZoomを使用したオンライン授業に切り替わりました。以前からZoom自体が大学に導入されていたこともありますが、3月の第2週に大学から正式に対面での授業がなくなることが発表されると、即座に教員向けのオンライン指導の講習が大学内で開かれました。同日に外国語学部の会議で動作確認をし、春休み明けからは全面的にオンラインに移行され、私もアメリカの自宅から教師として日本語の授業を行うとともに、学生として授業に参加しました。
 これまでオンラインで授業をしたことがなかったので初めは非常に不安でしたが、システム自体はとても使いやすく言語学習に向いている機能も多々あり、教師としての指導の幅を広げる良い機会になったと感じています。また、ほとんどの学生は問題なくオンラインで参加し、これまでと変わらず熱心に活動に取り組み、課題を提出して、日本語を習得していきました。オンライン指導における淡白さやコミュニケーションとしての物足りなさを感じたことがないとは言えませんが、このような事態におけるアメリカという国や人の対応の速さと柔軟性に大変感銘を受けました。

教室での授業風景

Zoomでの日本語のクラスの様子


Cultural Ambassadorとして
 私は学生時代から茶道を習っており、アメリカではぜひ茶道の紹介や茶道を通した交流がしたいと思い、日本から道具を一式持って行きました。アメリカ人の先生が担当している“Japanese Culture & Civilization”という授業で茶道についての講義をさせてもらったり、シラキュースでのオリエンテーションやワシントンD.C.でのMid-Year Conferenceの文化紹介でも、各国のFLTAのみなさんに抹茶をふるまい、とても喜んでもらえました。
日本語のクラスに加え、オフィスアワーが週に2回ありましたが、訪ねて来る学生に抹茶を点てて、お茶をきっかけにし、季節や着物、日本の行事、祭り、歴史について話をしたり、日本人の考え方を共有したりと日本のことをアメリカの学生にもっと知ってもらえる機会をたくさん作りました。Cultural Ambassadorとして日本文化を発信することは自分にとっても日本について学び、その良さや独自性を再発見することに繋がったと思います。

大学生による茶道体験

ニューヨーク国連本部


大学内外の活動
 授業以外の活動として、私は大学のStudent GroupのひとつであるPacific Islanders Clubというクラブに所属しました。アメリカ人の学生だけでなく、太平洋地域にルーツを持つミズーラ在住の人々も含めた地域のコミュニティを大切にしたクラブです。毎週日曜日、ダンスのレッスンを受けたり、季節の折々にポットラックパーティーをしたり、fundraisingのためのベイクセールを行ったりしました。とても温かく愛に満ちたクラブで、モンタナ大学で一番好きな場所のひとつです。
 また、アメリカの教育現場に興味があり訪問したいと思っていたので、知り合いの方を通じてアポイントメントを取り、小学校や高校の授業見学をする機会もいただきました。学校のスケジュールやセキュリティ、教室のレイアウト、生徒の授業への参加の仕方、教師との関わりなど、日本の学校にはない多くの工夫やアイディアが組み込まれていました。さらにモンタナ州のボーズマンで開かれたThe Montana Racial Equity Projectやニューヨークの国連本部で開かれたCommittee on Teaching About the United Nationsの国際学会にもFLTAとして出席させてもらいました。これらは、自身の教育観や世界観を広げる貴重な機会となりました。

最後に
 9ヵ月という短い期間ではありましたが、このプログラムを通じて数えきれないほどのことを学びました。何度も自分の能力の低さに落ち込み、ルームメイトと生活習慣が合わず、口論をしたり、解決方法を話し合ったりしました。世界中からのFLTAと出会い、生涯にわたる大切な人間関係を築くことが出来ました。たくさんの人々の心の広さと温かさにいつも助けられ、期待をはるかに超えた体験と学びを得ました。教師として、学生として、素晴らしい時間を過ごすことができ、アメリカに、そしてモンタナ大学に来ることができて本当に良かったと思っています。
 今回、自己啓発等休業の形で留学することを認めて下さった神奈川県と年度の途中にも関わらず快く見送ってくださった勤務校の先生、生徒のみなさん、そしてこの機会を与えてくださった日米教育委員会とフルブライトプログラムに関わる皆様に感謝申し上げます。