フルブライト奨学生が集うエンリッチメント・セミナーで、平和研究所(Institute of Peace)を訪れた=2017年4月
My Fulbright Story
Feeling the Strong Need to Nurture Sensitivity Towards Diversity Through Language Education
6年ほど前から、都立西高校で英語教諭として授業を担当してきた。授業で生徒が求めるレベルは高い。
「知的好奇心が強い生徒が多く、英語が流暢になるだけでなく、抽象的で複雑なテーマに関し英語で議論することを目指しています」
そのために必要な受信・発信力、論理的思考力、感受性を育てる新しい視点を学習内容に取り入れたい。そんな思いが年々強まり、留学を決めた。
教諭の籍を置いたままの留学は本来難しいが、フルブライト奨学生に選ばれた場合には、留学が認められると知っていた。迷わずフルブライトの大学院プログラムに応募し、合格した。University of Pennsylvania では、第二言語習得論、教授法、社会言語学などを学んだ。
大学院での研究・講義で得たことも大きかったが、講師として関わった英語教室は、研究テーマである CBI(内容中心教授法)の理論を実践に生かす最適の場だった。
講師をしたのは、3団体。その一つは、フィラデルフィア市や NGO が主催する難民向けの英語講座だった。生徒の中には中東・アフリカから数日前に米国に着いたばかりの人もいた。
ロースクールの学生と協働でカリキュラム作成に関わった。採用面接や給料交渉への臨み方から移民捜査局が自宅に来た場合の対応まで教え、保障されている権利にも踏み込んだ。「言葉が分からないと劣悪な条件で搾取されるなど、不利な状況に陥ってしまうからです」
英語講座での活動は、日本で英語教諭として取り組んできた言語指導とは全く違うものだった。「日本で高校生が学習する英語は、将来の仕事や教養のために学び、でも話す機会は少ない。対して、米国に逃れてきた難民の英語学習は生き抜くため、食べていくための英語でした。言語を学ぶ意味とは何か、考えずにはいられませんでした」
それまで抱いていた多様性の意味も大きく変わった。
講座には、宗教や国、習慣が異なるだけでなく、人身売買の被害者や、教育を受けた経験がなく「教科書」が何なのか分からない生徒もいた。そして講師の自分は日本出身。「全く違う背景の人がつきあうのが当たり前だった。だからこそ、言葉を使わないと理解し合えないし、常に相手の立場で考えるなど、多様性への感受性を高める必要性を痛感しました」
帰国後、新たな英語教育のかたちを模索している。「生徒が外で様々な人と出会い、試行錯誤しながら他者を理解する経験を積める機会を増やしたいと考えています」
米国での経験で、それまでの自分の中の「多様性」の定義が崩れました。多様性を尊重し、優れた知性と感性をもつ大きな器の英語話者を育てるために、米国で学んだことを生かしたいと考えています。