研究滞在先のSUNYでスポンサーになったマイケル・バーンハート教授夫妻と=2017年6月
My Fulbright Story
11 Years Since Last Living in the U.S., Gaining a New Perspective on Diversity
日米関係史の研究者として、米国各地の大学で長く教えてきた。その生活を終え日本に戻ったのが、2006年。「日本に帰ったら大変だよ、なんて日米の友人から脅されました。でも実際は、開放的で自由な職場でした」
帰国後も姉妹校に派遣されたり、学生とフィールドワークを行ったり、研究者を招いてシンポジウムを開催したりと、米国との接点は切れずに続いた。
だが、帰国して10年ほどたつと、「腰をすえてじっくり研究したい」という気持ちが強まり、研究員プログラムに応募した。学生時代に留学したときもフルブライト奨学金の支援を受けた。
「フルブライターだと、現地での信頼度がグッと増し、大学や研究機関が歓迎してくれるのがありがたいですね」
2017年3月から約半年間、ニューヨーク郊外で生活した。大学のキャンパスには、アジア系の学生たちが急増して、彼らは母国語を話しながら風を切って歩いていた。街のスーパーでレジを打つのはヒジャブを被った女性。アジア系の標準体形にあたる「プチサイズ」の商品が充実したデパート。
「アメリカを構成する人々の顔ぶれが大幅に様変わりしていました。異人種、異民族の間での恋愛や結婚も増え、異文化に対する社会の寛容度は以前よりずっと上がっているように思えました」
今後、米国はさらに多様化していくのだろうか、だとしたら「米国らしさ」をどのように定義していくのか。そうしてできた「米国らしさ」は、今後も世界のサブカルチャーを牽引していくのか。改めて考えさせられた。
研究面では、米国で新たな史料を発掘することができた。例えば1920年代からほぼ同時に始まった日米のテレビ開発の背景には、従来の研究で見落としてきた密接な技術交流があり、さらに日本人と米国人は、最先端テクノロジーに関して戦前から非常に似た価値観を抱いていた。
「少なくともテレビ開発の水準に関しては、戦前の両国はほぼ互角でした。両国の様々な人々は、やがてテクノロジーが可能にするグローバル・ライフスタイルなるものを同じように夢みていたようです。日本がアメリカを模倣しながら発展していった、という定説とは異なる側面を紹介できるのではと、ワクワクしています」
4月から、学部1年生の新たな必修科目「アメリカ史」を担当する。「偏見や常識で知ったつもりにならず、じっくり本を読み、実物のアメリカを学び理解することの大事さを伝えたいと思います」
「滞在」でなく「生活」することで見えてくる今のアメリカを体感し、新しい研究を進めていくための刺激も十分に受けました。できれば、また戻りたいですね。