My Fulbright Story

No.13 Horiguchi Akiyo

In the U.S. Classroom Teaching Students, a Sight Disability Is a Strength

ワシントンD.C.で開かれた Mid-year conference でフルブライター仲間たちと
担当していた「日本語会話テーブル (Japanese Language Table) 」の参加者と一緒に=University of Notre Dame

英語を学び始めたのは中学生の時。もともと人前で話すのは苦手だったが、英語だとなぜか自然に話すことができた。どんなに落ち込んでも、NHKラジオの英語番組を聞くと元気が出た。「英語とともに生きてきた。英語は人生そのもの」と話す。

青山学院大学で英米文学を学び、卒業後は英国の大学院で外国語としての英語教育などを研究した。ただ、他の学生は教員経験者ばかりだったのに対し、堀口さんは教えた経験がなかった。「消化不良に感じた。社会経験を経て、また留学したいと思った」

2008年、盲学校で英語教師として働き始め、7年後、雑誌で FLTA のことを知った。教員経験を経て留学したいと考えていた堀口さんはすぐに応募を決意した。米国の大学で日本語授業のアシスタントをしながら、文化や英語教授法の授業も受けられる奨学金プログラムはめずらしく「日本の学校での指導にも生かせる。次のステップとして最適だった」。

視覚障害者としてFLTAプログラムの日本人奨学生に選ばれたのは、堀口さんが初めてだった。

受け入れ先の大学の日本語授業では、視覚障害者である「強み」を生かし、視覚障害のスポーツやユニバーサルデザインの紹介をした。また、毎週学生70人ほどが書く日本語ブログに1件1件コメントも書き込んだ。

中・上級レベルの学生と一対一で20〜30分間話す「会話セッション」や、集まった人で会話を楽しむ「会話テーブル」も担当した。学生の成績につながる課題を任せてもらい「必要とされている気がしてうれしかった」。

大学での活動のほかに、近くの小学校で英語の点字を教えるようになった。3×2列の配列をしたマフィンの型にテニスボールを入れて点字を教えると、児童たちは興味津々だった。帰国前には「日本に帰らず点字を教えて欲しい」と言う子もいた。

米国では、他の先生や日本人留学生に協力してもらい、画像など視覚的な情報を見せれば、堀口さんは視覚障害のない生徒に対しても授業ができた。「米国では『方法を変えればできるんじゃないか』と前向きだった。ポジティブな文化の中にいて、心身ともに健康だった」と話す。見える人と見えない人、障害がある人とない人が「ギブアンドテイク」できるということを伝えていきたいと、より強く思うようになった。

次の目標もできた。今回の経験をきっかけに、外国人に対して日本語を教えたいという思いが強くなった。帰国後すぐ、通信教育で日本語教育を学び始めた。

英語によって夢を実現してきた堀口さんは今度、日本語で新たな夢に挑戦する。

I applied for the Fulbright Program because I thought this would be the chance of a lifetime. I kept this in mind and opened up myself to everything throughout the program. It was possible because people in the U.S. said, “You can do this if you like.” They never said, “You can't do this because you're blind.”