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フルブライト語学アシスタントプログラム(FLTA)

2014年度 参加者レポート

2014年度参加者 
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1. 大西 由紀 Casper College (Casper, WY)

中間レポート

私は2014年8月より、ワイオミング州のキャスパー大学へ派遣されています。FLTAとして渡米し早5ヶ月。教師としてアメリカの学生に日本語を教えたり、学生として授業を履修し学問を深めたり、ここワイオミングでしか体験することが出来ないような様々なアクティビティに参加したりするなど、日々沢山のことを学び、体験し、とても充実したアメリカの生活を満喫しています。ここで伝えたいことは色々ありますが、アメリカでの生活の一端を中間報告させて頂きます。

ワイオミング州は、アメリカ合衆国西部の山岳地域に位置し、人口約56万人、アメリカ合衆国の州では人口最小であり、人口密度ではアラスカ州についで少ない方から第2位となっています。「平等の州(Equality State)、「カウボーイ州(Cowboy state)」と州の愛称がついており、標高の高い平原地帯では牛やバッファロー、馬やその他、野生動物も沢山見ることができる他、カウボーイスタイルの人々や、ロデオショーも人気な州です。また、風の強い土地柄を生かした風力発電や、石炭・天然ガスなどの豊富な天然資源を持つなど、自然豊かな州です。私が今住んでいるキャスパーは、人口約7万人、キャスパー大学は、生徒数約4300人、教師数約160人で、外国語は、日本語、スペイン語、フランス語、ドイツ語、そしてロシア語があります。フルブライトから派遣されているのは私のみで、学校に日本人がいないことは勿論、キャスパーに住んでいる日本人も5人ほどしかいない環境なので、ここで出会った人はすぐに私のことを覚えてくれると同時に暖かく迎え入れてくれます。キャスパーの天候について、こちらに来てよく耳にしたのが、日本には春夏秋冬と4つの季節があるように、キャスパーにも季節が4つある、それは、”Almost winter, Winter, Still winter, and Road construction”。確かに、ここキャスパーで最初に雪が降ったのは9月、そして4月や5月まで雪を見ることがあるそうです。とは言っても、毎日雪が降っているわけではなく、雪が降った次の日にはとても過ごしやすい暖かい日が数日続いたり、3日間で気温差が約20度変わったりすることもあるなど、気温の差が大きいのも特徴です。銃を所持できるアメリカ社会では危険が多いとよく言われていますが、キャスパーの治安はとても良いです。秋学期には、キャンパス内でロックダウン(完全封鎖)が数回ありましたが、これはいずれも危険なことは全くありませんでした。ワイオミングには狩猟のシーズンがあり、ライフルを持って出かける人も多いようで、週末に狩猟をしてきたという友達の話を聞くことも多々ありました。

 日本語の授業に関してですが、Primary Teacherとして秋学期は、初級と上級の2クラスを担当し、1週間に8コマの授業を教えました。シラバス作成から授業内容、宿題、テスト、成績まで全てを一任されています。日々の授業では、試行錯誤しながらも、生徒ができる限り日本語を使ってものごとを表現できるよう工夫して沢山の活動をしました。ここで日本語の勉強をしている学生は全員アメリカ人で、とても素直な学生が多く、日本の文化やアニメ、伝統や歴史などに大変興味を持っていることがよく伝わってきます。中には日本の大学へ編入するつもりの生徒や、日本で働くつもりの生徒などもいました。また、週に5時間のオフィスアワーや、週に1回、日本語クラブを開催し、茶道や書道、折り紙や日本映画の上映、日本料理をみんなで作ったり、カラオケやヘキサゴン(クイズ大会)をしたりと毎回楽しく行うことができました。この他にも、日本食パーティーでは、巻き寿司や稲荷寿司、餃子や味噌汁を作り、学内にいるより多くの人に日本食を紹介したり、同僚の紹介を通して、地域の小学校を訪問し、日本に関するレクチャーをしたりするなど、様々な人と知り合う機会を持ちました。また、テキサス州で行われた全米の外国語教育者向けのカンファレンス(ACTFL)やキャスパーで行われた教育者向けのカンファレンス(WFLTA)、その他、コロラド州で行われた日本語教育者向けの講演等に参加するなど、自分の知識や教授法を広げるための機会も多くあり、それらに積極的に参加し、そこで得た情報を自分の授業に取り入れてみたりするなど、授業力を改善していくことができたように思います。1月後半から春学期の授業が始まりました。日本語クラスの生徒数も倍以上になり、そしてクラスの雰囲気もガラリと変わりましたが、秋学期に学んだことを生かして臨機応変に対応しながらより良い授業を作っていきたいと思います。

秋学期に私が履修した授業は、“Special Education”と“Quest for American Identity”です。“Special Education”のクラスでは、教師として、ADHDや自閉症、学習障害のある生徒に対する理解や対応、またアフリカ系アメリカ人公民権運動や人種差別の歴史などを勉強するなど、非常に興味深い授業でした。授業内では、文献を読んでプレゼンテーションをしたり、ビデオを見てディスカッションをしたり、授業の一環として近所のコミュニティーサービスに参加し、ハンディーキャップを持った子ども達が集まる施設でボランティア活動をしたり、特別養護施設で働いている方にインタビューしたりするなど、実際に自分の目で見て話を聞いて体験してみたりすることで、今まで気が付かなかったことや問題点なども知ることができました。“Quest for American Identity”のクラスでは、ディスカッション中心のクラスで、アメリカ人になるということは何を意味するのかを探究しました。4冊の本を通して様々なディスカッションが繰り広げられましたが、その内容の濃さにはいつも驚かされると同時に、大変勉強になりました。

12月にはワシントンD.C.でカンファレンスがあり、60ヵ国から約400名のFLTAが集まりました。8月にインディアナ州のノートルダム大学で事前オリエンテーションを共に受けた約60人の仲間とも再会することが出来ると同時に、FLTA自身の活動報告や、国務省の役員や大学の教授からの様々なレクチャーやワークショップに参加したり、ポスターショーでは、日本のブースを出して折り紙や書道、剣玉や浴衣の着付けなど日本文化を楽しく紹介したりすることもでき、本当に内容の濃い5日間を過ごしました。

新しいことに挑戦することが大好きな私にとって、ここでの経験は本当に面白く、学ぶことの多いとても充実した日々を送ることができています。このような貴重な機会を提供して頂いている日米教育委員会、IIEのスタッフの皆様、そしてアメリカで出会った素晴らしい友人や教授、その他私を支えてくださっているたくさんの人々に感謝の意を表すとともに、残り半年、アメリカでの限られた時間を大切に、そして、更に興味と関心を広げて様々なことを吸収していきたいと思います。


最終レポート

見渡す限りの大平原と青い空、どこまでも続く1本のハイウェイ、とてつもなく広大な牧場など、アメリカ内陸部にあるワイオミング州キャスパーでは、ニューヨークやロサンゼルスといった大都市では味わえないアメリカの大自然を肌で感じることができ、そのスケールの大きさに圧倒されることばかり、ある意味本当のアメリカンライフを、身をもって体験することができました。どんなことにもチャレンジしてみることが大好きな私にとって、ワイオミングでの生活は本当に興味深く、狩猟や射撃、また、厳しい冬の寒さにも負けない雪山での犬ぞり大会、春には西部劇に出てくるような迫力満載のロデオショーの見学や、雄大なアメリカの自然を馬にゆられて歩いたことなど、全てが大変貴重な経験となりました。さて、FLTAとして渡米し、様々なことを経験した約10ヶ月。この最終レポートでは、昨年のワシントンD.C.であったカンファレンス以降の出来事についてまとめたいと思います。

FLTAのprimary teacherとして最も時間をかけたことは、やはり、キャスパー大学での日本語授業の準備でした。春学期は、初級と中級クラスを担当しました。秋学期に学んだことを最大限に生かし、そして教科書の内容をベースにしつつも、実際に日本でよく使われている表現や文化、習慣等もしっかりと伝えられるよう工夫しながら、テンポ良く授業を展開していくようなレッスンプランを考えました。どんな授業が今の生徒にとってベストであるか頭を悩ますことも多々ありましたが、同僚からアドバイスを頂いたり、州で唯一日本語授業をしている高校の授業見学に度々行かせて頂き参考にしたりなど、日々試行錯誤しながらも楽しく授業をすることが出来たと思います。また、レベルや興味関心は十人十色でしたが、個々とのコミュニケーションを大事にし、細やかに学生へ向き合うよう努めました。4月には、コロラド州で行われた”ジャパンカップ”と言われる日本の文化や歴史、言語等の知識を競うクイズ大会に一泊二日で参加しました。その大会兼旅行を通して、教室内では普段見ることの出来なかったような生徒の新たな一面を発見することができ、また、生徒もキャスパーでは体験することが出来ない様々なことにチャレンジし日本文化をより理解するための良い経験になったと思います。授業最終日に生徒からサプライズでもらった手紙やプレゼントは本当に嬉しく、感動したのを今でもよく覚えています。

春学期に履修した授業は、”Education Psychology”と“Cinema History”です。”Education Psychology”のクラスでは、教育心理の理論や概念を学び、クラス運営や効果的な授業実践のために様々なディスカッションをしたり、プレゼンテーションをしたりと生徒が主体となる授業でした。課題やグループワークが多かったため、授業外でもクラスメイトと集まり準備をしなければならないこともありましたが、それが逆に内容の理解を深めるだけでなく、クラスメイトとの絆も深まったように思います。”Cinema History”のクラスでは、1800年代から現代に至るまでの映画を、当時の歴史や文化、製作技術、政治などがどのようにその映画に影響を及ぼしたのかを探求しました。学期中に2回、クラス全員で映画館にて映画を鑑賞し、その後ディスカッションをする等のユニークな授業スタイルも興味深かったです。また、新しい試みとして春から開講された中国語やロシア語のフリークラスにも参加しました。アメリカで外国語がどのように教えられているのかを知る良い経験にもなったと思います。授業の他にも、3月の休暇(Alternative Spring Break)には、10日間ニューメキシコ州を訪れ、干ばつのひどい地域に約400本もの木を植えたり、ホームレスの方々にご飯を作り提供したり、子ども施設へ行きフェンスにペンキで色を塗ったり等のコミュニティーサービスを、そして春学期の全授業終了後には、1週間サウスダコタ州のパインリッジ インディアン居留地(Pine Ridge Reservation)を訪れ、そこで家を建てるお手伝いや何もない平地に2メートル程の深い穴を掘りトイレを設置したり、トレーラーハウスに住まれている方々の家の補修作業をしたりするなど、様々なボランティアをしました。そこはとにかく広大な居留地で、誰もが息をのむような景観でありながらも、一族がこうむった歴史的悲劇を確認する記念館等もあり、現地を訪れる前にアメリカ先住民の深い歴史や現状をキャスパー大学で十分に学んでいたものの、そこで実際に先住民の方々から話を聞いたり、ありのままの現地の生活を目の当たりにしたりした経験から、アメリカにおける貧富の差や問題点等、様々なギャップを知り、考えさせられることも沢山ありました。

この10ヶ月、生活の最初から最後まで、本当に人の温かさ・優しさに支えられた日々だったと思います。また、慌ただしい日々の中にあっても、現地で働いて気付かされたことがあります。それは、どんな場所にいても、どんなに大変なことがあっても、人は人によって支えられているということです。言語や文化、そして今まで育った環境とは全く違う慣れない土地で新しい仕事にチャレンジすることは相当のエネルギーとチャレンジ精神が必要です。しかしそれ以上に得られることは多いです。私自身、この海外生活で様々な国籍・人種の友人ができ、それぞれの考え方や文化を知ることで、今までの固定概念が破壊されたように感じます。また、多種多様な価値観を知ることで、考え方の幅や視野が広がり、色々な人とのコミュニケーションもとりやすくなったように感じています。世界中から集まったFLTAが全米各地で活躍し、たくさんの経験を重ねるというこのプログラムに、日本人として参加することができたことや、素晴らしい方々との出会いに感謝し、これからも日本人としての誇りをもって自分の道を歩んでいきたいと思います。最後になりましたが、出発前から帰国後までいつも陰で支えて下さったIIEや日米教育委員会の方々をはじめ、この経験を支えて下さった全ての方々に感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。

2.清水昭宏 Pomona College (Claremont, CA)

中間レポート

2014年8月からアメリカに来て5ヶ月が過ぎました。今こうして振り返ってみると、早くもあるし、これだけのことをしてまだ半年もたっていないのか、という気もします。私にとってこのプログラムは、初めての海外長期滞在であり、ここアメリカで過ごした時間で、本当に多くのことを学びました。この中間レポートではその間経験したことを、できる限り詳しく伝えたいと思います。

私の派遣されたポモナ・カレッジは、1887年に創立された私立のリベラル・アーツ・カレッジです。アメリカ全体でみても屈指の名門校として知られています。たとえば、2013年度フォーブスの全米大学ランキングではアイビー・リーグの大学を抑えて、スタンフォードに次ぐ第二位にランクづけされたこともあります。在籍する学生たちも、自らの大学に誇りを持っているのがわかります。ポモナ・カレッジはカルフォルニア州ロサンゼルス郊外へ東に50キロほど離れたクレアモントという市に位置しています。クレアモントは、基本的には富裕層の多い閑静な街です。非常に安全で、夜に外を出歩いてもあまり危険を感じることはありません。また、このカリフォルニアという土地にはほんとうに多様な人々が住んでいます。英語以外の言語を聞かない日はありません。あたりまえのようにスペイン語や中国語がとびかい、スペイン語表記の商品も多くみうけられ、アメリカという一つの国のなかで多様な文化が混在しているのがわかります。しかし同時に、それぞれ人種や貧富ごとにある程度、明確に棲み分けられている感じもします。  また他方で、私の派遣されたポモナ大学も10分の1の学生は留学生ですので、大学に通っているだけで必然的にさまざまな国の人たちと知り合います。私はランゲージ・レジデント(以下LR)という役職で大学の寮に住み込みで働いていますが、他にもアルゼンチン、スペイン、中国、ドイツ、フランス、ロシアからの同僚がいます。そのうち二人が同じくFulbright FLTAです。当初、自分のまわりに、このようにさまざまな価値観や文化が混在する環境で生活することになかなか苦労しました?また改めて「日本は同質的な国だな」と強く感じさせられました。そういった環境は、つねに潜在的なある種の緊張感をもたらします。そして、嫌でも自分自身はアジア人、日本人として一般化されたりします。そうしたものから逸脱するよう意識していたつもりでしたが、それでも、自分が日本人だな、と思わずにはいられないときもありました。日本では経験できない貴重な体験です。アメリカに住み、大学で教え、学ぶということでいろいろな考え方に触れ、大きく視野が広がったように思います。

8月にフルブライトのオリエンテーションを終えて大学へ着くとすぐ、「ブートキャンプ」と称した2週間ほどの大学のオリエンテーションがありました。そこではその後任されることになる業務の内容確認をし、仕事に必要なスキルを叩き込まれました。実際、そのとき教えられたものはPCソフトの使い方など、日本でも経験したことのないことばかりでした。さらに困ったことは、直接英語で思考することの困難です。私は、英語圏の国での生活は初めてのことで、英語で話し、思考する回路ができていなかったのです。たとえば英語で話しているときは複雑なことが考えられなくなり、物覚えも悪くなります。したがってこの時期は、新たな環境で次々と新しいことが飛び出してきて、それをどうにか処理しようと、ただただ圧倒されていたというのが正直なところです。  さて、9月に入り本格的に秋学期が始まると、上級、中級の日本語会話クラスをそれぞれ2コマ、初級日本語を3コマ、あわせて7コマを1週間で受け持ちました。会話クラスは教科書もないので発案からすべて私に一任されています。そして毎週それらレッスンプランの提出が義務づけられています。上級クラスの生徒はみな日本語がとても上手く、日本の文化にも通じています。中級は、生徒の数も最大数おり、生徒間のレベルの差が大きくなかなか苦労しました。なるべくペアワークを取り入れて、生徒の発話できる機会を増やすよう心がけました。初級クラスはテキストが決まっており、私は毎週、日本語学科の先生とミーティングをして、どのように教えるかを相談します。月曜日から金曜日のお昼は、ランゲージ・テーブルといって学生と日本語で話しながら食事をとります。ここでは、私が実際に教えている生徒以外も来るので、日本語を学ぶいろいろな教授や学生と知り合うこともできました?日本から池上彰さんら東工大の教授が大学の視察に来て、学生と一緒にランチを取る機会もありました。授業のほかには、一学期につき14以上の日本語関連のイベントをオーガナイズし、そのためのポスター制作、学生への宣伝をします。具体的にはLAでの日本関係の展示会に学生を引率したり、たこやきの料理教室を開催したりしました。そして2週に1回ほどの頻度でスタッフミーティングがあり、また、毎日する業務としてはメールを捌くことなどがあります。LRは教授たちとも違う特殊な立場にあります。ですので、私は他の先生方よりも学生にとってより近い存在であろうと心がけて働きました。  しかし、この仕事は本当に忙しく、毎日が息つく暇もなく、毎週土日の空いた時間でなんとか一週間をリセットするという感じでした。そういうわけで、休暇期間以外はあまり出歩く時間もありません。とてもハードな毎日で、音をあげそうになる時もありますが、同時に、この仕事をやり遂げたら今後他の仕事をするときに必ず力になるだろうと思い、やりがいも感じ、自らを奮い立たせています。実際、これらの業務を一学期間続けてみて、英語力や仕事能力が成長した実感があります。仕事自体は簡単ではありませんが、このチャレンジングな環境は自分のためにとてもよかったと思っています。また上司、同僚、学生、前任者である安藤さんらの理解、支えも大きかったように思います。

学生としては、フランス語と、ポモナと隣接する大学のLR向けの教育学の授業を履修しました?ポモナ・カレッジのLRとして最初の一学期は後者の履修は義務づけられています。フランス語を履修したのは上司や同僚から、LRの仕事は比較的プレッシャーのかからない語学の授業と両立させるのがいい、とのすすめがあったためです。私の場合には、フランス語は日本にいた頃から勉強していたので仕事の負担にならないだろう、という訳です。実際、ほかにも語学の授業を履修している同僚は多くいます。また、自分が日本語を教える立場の人間として、アメリカの大学ではどのように外国語が教えられているのか実際にみて体験したい、という思いもありました。事実、授業はすべて対象言語でおこなわれ、宿題の量もたくさんあって大変でしたが、アメリカにいながらフランス語も上達させることができたので大変満足しています。教育学の授業では、同様の立場で外国語を教える仲間と教授法やさまざまな問題点をシェアしました。自分が日本語を教える上での授業のアイデアを授かることができ、大変有意義なものでした。

この冬休みは忙しい学期中とは打って変わって自分の時間を満喫しています。まずD. C. で開催されたConferenceへ出席し、夏のオリエンテーションで会った仲間に久々に再会しました。そしてその後は日本人FLTAで数日間旅行し、別れてからは別の友人とアメリカの南部を中心にたくさんの場所を観光しました。また、カリフォルニアの運転免許証を取得したりしました。こちらに来てから気づいたのですが、一部の地域を除いてアメリカは完全な車社会です。車を利用できるかできないかでまったく世界が変わります。今後は少しでも旅行のできそうな時間があれば、レンタカーを借りるなどして効率よくさまざまな場所に行ってみたいと思っています。初めは右も左もわからずまるで子どものようでしたが、最近では徐々にではありますが、アメリカの社会や環境といったものに順応しつつあります。しかし、そうしたころには折り返し地点を迎え、終わりが近づいているのに気づきます。残り短い滞在ではありますが、後悔のないよう存分に教え、学び、楽しみ、任務を全うできたらと考えています。


最終レポート

二年前の夏、私は必死になってFLTAプログラムの書類を揃えTOEFLの受験をしていました。修士論文のかたわらそれらの作業をすすめるのは、とにかく大変でした。しかし、こうして一年弱のFLTAとしての任務を終え最終レポートを書いていると、あのとき頑張っておいてよかったという気持ちでいっぱいです。それほどまでに充実した日々を送ることができました。ここでは春学期のことや前回触れられなかったことを中心に最終レポートとさせていただきます。

先学期は新しい環境に順応するのに精一杯でした。毎日新しいことが飛び込んできて、それらを処理しているうちに終わってしまったという印象です。しかし、後期になるとある程度アメリカでの生活に慣れて、余裕も出てきました。仕事のことでいえば、半年が過ぎたあたりで日本語教育に必要な知識も大分理解が深まりました。文法用語などはもちろんですが、どのような文化事象について学生が知っていて、何を知らないか把握できるようになりました。私の担当する会話クラスでは、教科書では学べないことに触れるよう心がけました。たとえば、財布を落としたらどうするか、髪を切るときどするかなど、日本で生活しているときに必要となることです。自分がアメリカで生活していて困ったことが授業のヒントになったこともあります。このような授業は会話のクラスの日本で働きたい、留学したいという生徒には好意をもって受け入れてもらえました。また前期よりより積極的に日本語関連イベントを企画し運営することができました。学外ではロサンゼルス郡立美術館での侍の甲冑を取り扱った特別展と、東京ローズを題材にしたやなぎみわの演劇『ゼロ・アワー』を生徒と一緒に観にいきました。

学生としては時間の都合上Intensive Spanishという初級スペイン語二学期分を一学期で学習するクラスを履修しました。前回のレポートでお伝えしたように、私は先学期フランス語の授業を取っていました。それでアメリカの大学の外国語教育をみたつもりでいましたが、今回スペイン語のクラスを取ってみて、先生によって教え方も大きく違うことがわかりました。もう一つ履修したのはIntroduction to American Cultureという授業です。アンドキュメンテッド・イミグラント、ラティーノ、アフリカ系アメリカ人、アジア人ら、いわゆるマイノリティーや周辺化された人々に焦点をあててアメリカを読み解くものです。クラスは宿題やディスカッションなど大変なこともありましたが、内容はとても興味が持てました。というのも、そこで取り上げられた問題は身近なものだったからです。たとえば、カリフォルニアでは、いわゆるブルーカラーや低所得労働者のほとんどが、ラティーノです。実際、学食で働いている人の大半はラティーノでした。あるいはこんなこともありました。私が冬休みに免許を取得しようとしたとき、免許センターが大変混雑していました。その話を上司にすると、ちょうどその頃カリフォルニアでもアンドキュメンテッド・イミグラントに免許の交付が許可されたのだ、とWeb上で新聞記事を見せてくれました。そしてまた、ご存知のようにカリフォルニアではかつて戦時中に日系人の強制収容がおこなわれました。LAには全米日系人博物館があり、生徒とともに訪れる機会もあり、東京ローズについても学びました。昨年は、アフリカ系アメリカ人の少年を射殺した警官が不起訴となり、大学から市役所まで大規模なデモが起きました。そのような環境で暮らしていたので、授業を通してよりアメリカに対する理解を深めることができました。また、授業に出席していて、このような問題について真っ向から白熱した議論を交わすことのできるアメリカという国には、底知れぬ強さを感じました。たしかに現在でもいろいろな問題があります。それでもそれを自由と平等の名のもとに改善しようという強い意志は、アメリカでつねに感じていました。

このプログラムを振り返ってみて、もっともよかったことはフルブライトの会議等で世界各国のFLTAと知り合いになれることです。アメリカに留学をするのだから、アメリカ人と触れ合うのはもちろんです。それに加えて世界中の人たちと触れ合うことができたというのはこのプログラムに参加したらではないでしょうか。またアメリカでの仕事経験をすることができました。休暇中は旅行を楽しむことができました。春休みには2000キロ近く車を運転し、グランドキャニオンをはじめとした有名なナショナル・パークを友人たちと周りました。アメリカでの壮大な自然のなかのドライブはとても気持ちがよかったです。旅行中、私は毎晩リビアからFLTAとしてきている友人と同じ部屋で過ごしました。リビアでは内戦が起き、非常に危険な状況が続いています。そのような国の状況を聞き、日本がどれだけ安全で過ごしやすい国なのかと実感しました。また、彼はムスリムです。「何でもわからないことはきいてくれていいよ」と言われ、イスラム教(国家)についてさまざま話しました。彼のような人と仲良くなりそんな話ができたのは、このプログラムに申し込んだからだと思います。他には、同僚と歩いて国境を渡りメキシコに行く機会もありました。その日は、陸や海に壁が張り巡らせてあるのを見て、友人たちと議論を交わしました。こうしてこのプログラム期間中さまざまな場所へ行き、たくさんの人たちに会い、大きく視野が広がったことを実感しています。

たった一年弱のことでしたが10年分くらいの経験することができました。とにかく濃い時間でした。それもIIEや日米教育委員会の理解と支援があったからだと思います。またFLTA同期のみなさんとは助け合いながらとても楽しい時間を過ごすことができました。今後は、このプログラムで培ったことを生かし、なんらかのかたちで社会に貢献することができたらと思っています。ありがとうございました。

3.田子季美江 Carleton College (Northfield, MN) 

中間レポート

私はミネソタ州ノースフィールドにあるカールトン大学で日本語LA(Language Associate)として派遣されています。ここノースフィールドは、人口2万人ほどの小さな町です。空港から高速道路で始めてこの町にくる途中、息をのむほど素晴らしい景色がどこまでも広がっていました。あの時の感動は今でも鮮明に憶えています。冬は寒さが厳しく、体感温度がマイナス30度近くなる日もありましたが、最近では氷点下零度を上回ると「暖かい」、そして零度を下回っても「今日はあまり寒くないな」などと感じるようになりました。また、ミネソタ人の性格を表す言葉に「ミネソタナイス(人種差別などをせず外国人を大事にするということ)」というものがあります。この言葉の通り町の至る所で人のあたたかさを感じ、寒さも和らぎます。

カールトン大学は国内でも有数のリベラル・アーツ大学です。すべての授業は少人数教育のもと学生と教授の距離がとても近く、授業外でも様々な教育支援システムが整っており、学生が勉強するうえで最高の環境といえます。そのため全米の教育熱心な大学ランキングでは1位に選ばれたこともあるそうです。学生は驚くほど勉強熱心で、平日の真夜中や休日でもキャンパス内は勉強する学生で賑わっています。しかし勉強だけではなく、大多数の学生はクラブ活動や課外活動にも参加しており、充実した学生生活を送っています。それに加えて各学期で大学独自の伝統的なイベントもあり、私自身も学生と一緒にカールトンでの生活を楽しんでいます。 日本語LAとしての仕事は大きく分けて2つあります。1つは日本語の授業の補佐です。日本語のクラスは初級、中級、上級の3つのレベルに分かれており、普段はそれぞれの授業にアシスタントとして参加しています。また、週に1度ランゲージ・ラボで発音や会話の練習をする授業を担当しています。授業以外には小テストの採点や作文の添削をしたり、各レベル数名ずつに分かれて学生と会話練習をしたり、オフィスアワーで学生の質問に答えたりしています。カールトン大学の日本語の授業はとてもレベルが高く、どの授業でも毎回学生の熱心さと成長の速さに圧倒されています。特に初級レベルの学生は、ゼロから日本語を学習する学生がほとんどであるにもかかわらず、数週間も経てば簡単な会話をすることができるレベルにまで達します。先生方の教授法はもちろん、学生の学習する姿勢からも学ぶべき点がたくさんあります。秋学期には何度か代講の授業をさせていただいただけでなく、指導教官のご好意で週に1度、授業の一部のドリルワークをする機会もいただきました。実際に教えることで改めて日本語の難しさを感じると同時に、今まで何気なく使っていた日本語をひとつの言語として客観的に考えるいい機会になりました。

2つ目は、日本語アクティビティの運営です。アクティビティは主にランゲージテーブル、映画の時間、お茶の時間の3つで、それぞれ週に1回ずつ行っています。ランゲージテーブルは日本語クラスの学生と一緒に昼食をとりながら日本語で会話するというもので、毎週席がいっぱいになるほど大盛況です。特に初級の学生達が授業で習った文法を使いながら一生懸命に話している姿はとても微笑ましいです。お茶の時間では、日本のお菓子を作ったり日本の昔遊びをしたりしながら日本の文化について学ぶことが目的です。お団子やおにぎり、たこ焼きなど外国人によく知られているメニューはもちろん、ぬれせんべいや八つ橋、わらびもちなど日本にいた時には自分で作る発想がなかったものにも挑戦しました。去年から引き続き参加してくれている学生もいるので、学生達により楽しんでもらえるよう、毎回基本的な味だけでなくアレンジを加えながら作るよう心がけました。(例えばたこ焼きの回では、チョコレートを入れて作ったスイーツたこ焼きは好評でした!)アクティビティは学生達の楽しそうな姿や学生同士の仲が深まっていく姿を見ると本当にやりがいを感じますし、日本語や日本文化が外国人の目にどう映っているのかということを知るいい機会でもあります。この他にもFacebookを使った日本語グループページの運営をしたり、不定期で日本料理や日本行事に関する行事を開催したりしています。

次に学生として受けた授業について紹介します。秋学期にはアメリカ史の授業を受講しました。写真などの資料や統計を見ながら事件の背景を分析し、なぜこの事件が起きたのか?この時代にこの人物はどんなことを考えていたのか?など史実の奥深くの部分まで議論する等学生が主体となる授業形式で、自分が日本で受けていた歴史の授業のイメージとは程遠いものでした。なにより毎回大量の読み物と課題提出があり、ただでさえ英語力もアメリカ史の背景知識も少ない私にとっては授業も課題も苦しいものでした。しかし冬休みの旅行で訪れた観光地の中には授業で学習したことにまつわる場所も多く、授業が終わった後でもアメリカに関する学習意欲がさらに湧き、学習することの意義を感じることができました。

この他にも8月にはアリゾナでのオリエンテーション、12月には51カ国からFLTAが集まったカンファレンス、そして6週間にわたる国内旅行など、ここには書ききれないほどたくさんのことがあり、たくさんのことを感じ、今でも折り返し地点に来てしまったことが信じられないくらいあっという間に時が過ぎてしまいました。それは充実した日々を過ごせているということかもしれませんが、その一方で自分がFLTAとしてここにいられる期間も限られているのだと寂しくも感じます。また、カールトンでのLAという立場は日本語の生徒にとっての先生でありながらも教授ではなく、そして時には学生にもなるという特殊な立場です。そのため、生徒との距離に戸惑うことや、自分はアシスタントとして何ができているのかと落ち込むことも何度もありました。それでも今では授業やアクティビティを通して生徒の学習に対するひたむきな姿勢や日本語が上達していく過程を教授よりも近く、そしてより多く感じられる素晴らしい役職なのだと感じています。今まで支えてくれたあたたかい学生、同僚、友達、そして指導教官等周りの全ての人への感謝の気持ちを胸に、今年度のLAとして少しでも多くのことを遺せるよう残りの滞在も1日1日を大切に過ごしていきたいと思います。


最終レポート

毎日のように「Time flies!」と感じた10ヶ月間。カールトンでの日々は充実しており、最後の最後までNorthfieldを離れたくないという気持ちでいっぱいでした。カールトンでのLA(ランゲージ・アソシエイト)としての仕事は、秋学期に引き続き授業の補佐、アクティビティの運営が中心でしたが、前回のレポートで書いた内容に加えてprimary teacherとして授業を教える機会も定期的にいただきました。時には授業準備のため夜中まで学校に残ったこともありましたが、生徒からのフィードバックを通して授業のやりがいや教えることの楽しさを身をもって感じることができました。日本語指導を通して、たとえ短い時間でも1回きりであっても一つ一つの仕事に真剣に向き合えば、生徒もそれにしっかり応えてくれるということを実感しました。この経験は日本で教える立場になっても活かしていこうと思います。
また、日本語アクティビティでは新たな試みとして日本語のラジオ番組を始めました。毎回日本文化に関するテーマを一つ決め、ゲストとテーマに沿った会話をしたり、音声動画を用いて日本文化を紹介したりしました。初級のクラスの学生にも理解できるように、話し方や語彙選択に注意しながらの会話は当初容易ではありませんでしたが、同じDJとして協力してくれた交換留学生とともに試行錯誤しながら楽しんで取り組めたのはとてもいい思い出です。また、より多くの学生が聞いてくれるようにと毎回最後にその回の内容に関するクイズを出題し、正解すると秋学期から配っているアクティビティカード(活動毎にシールが1枚もらえて一定数集めると景品がもらえる)のシールを1枚もらえるという取り組みも行いました。
日本語関連のイベントだけでなく、一年の最後の学期である春学期は学校全体としても一番行事が多いです。オーディションで勝ち抜いたバンドなどの演奏が一日中通して行われるスプリングコンサート、International Festivalなど毎週何かしらの行事が催され、学校全体が季節の移り変わりとともに活気づきました。また本校の卒業生でもある山田公使をお招きし、日米間の外交に関するお話を伺うなど貴重な機会にも恵まれました。
次に授業についてです。冬、春学期ともに言語学の授業を受講しました。最初は日本語指導に役立てられるかもしれない、という興味本位でしたが、言語学の奥深さと面白さにはまり、春学期も続けて言語学を受講しようと決めました。春学期に受講した歴史言語学の授業では、最終課題として課題研究のプレゼンテーションがありました。歴史言語学に関する好きなトピックについてまとめて発表するというもので、私は「日本語の西洋化とそれに伴う問題」というテーマを設定しました。現在日本ではいわゆる「外来語」やカタカナ表記が多用されており、それが日本人の外国語(英語)習得の障壁となる場合がある、としてまとめましたが、この研究を通して将来英語教師として教壇に立つ際自分自身が気をつけるべき点や、生徒に伝えられる点が多く発見できました。また、クラスメイトの発表にも圧倒され、刺激を受けました。いくら色々な考えを持っていてたくさんの経験があったとしても、それを伝えられる表現力がなければ成り立たない、というアウトプットの重要さを彼らから学び、この10ヶ月の経験も自分なりに表現していかないと意味がないということに気づかされました。春学期の授業に限らずどちらの授業でもたくさんのことを吸収でき、アメリカという地で勉強できる機会がいただけたことをありがたく感じました。更に勉強していきたいと思えるトピックを持ち帰ることができたのも、私自身の中で大きな収穫です。
私は以前から留学してみたい、海外で日本語を教えてみたいと思っており、大学に入ってからは多種多様な文化があるアメリカという国で勉強してみたいという気持ちも芽生えました。このプログラムのおかげでそういった夢を叶えることができ、同時にこの経験が私の更なる将来の夢への大きなステップとなり、新たな希望や目標がたくさんできました。たくさんの出会いや経験だけでなく、この10ヶ月を通して培えた自分自身の夢に対する強い気持ちが一番の収穫です。これからも更なる目標に向かって精進していく所存です。
最後になりましたが、改めて日米委員会様、IIEのスタッフの方々、FLTAの仲間、カールトン大学の友人、学生、そして指導教官等関わって下さった全ての人に感謝申し上げます。限られた時間ではありましたが、人のつながりの大切さ、温かさをこれほどまでに感じたことは今までありません。この恩をこれからの自分自身の行動で示すことで返していきたいと思っております。そして、これから先教師としてこの貴重な経験を生徒に伝えることで、より多くの日本の生徒に何かのきっかけや影響を与えられることを願います。

4.内田圭哉 Elms College (Chicopee, MA)

中間レポート

2014年度FLTAとしてElms Collegeに着任しました、内田圭哉です。Elms CollegeのあるChicopee Cityはマサチューセッツ州の南西部に位置し,コネチカット州にも近い場所にあります。大きな都市でいうとボストンへバスで2時間、ニューヨークへは3時間で行くことも可能ですが、Chicopee自体は5万6千人程の小さな町です。その為かElms Collegeも小規模なリベラル・アーツ・カレッジで、ひと授業につき生徒数が多くても25人というきめ細やかな教育を提供しています。なかでも専攻は看護学が人気で、もともと女子大学であったという背景も相まってか、女子生徒の割合が非常に高くなっています。

アメリカの中でも北東部のニューイングランド地方と呼ばれる地域だけあって、人種別にみるといわゆる白人系がほとんどを占め、Elmsに限るとアジア系の生徒は驚くほど少数です。それでも、約1,300人という少ない生徒数がアットホームな環境を創り出しています。「教職員も含めて皆がお互いに顔を知っていて、いつでも声を掛け合う。みんな家族みたいなんだ。だからElmsが好きなんだ。」との友人の一言には、私自身約4ヶ月のElmsでの生活を通して大きく頷けるものとなりました。大学側も学生の要求に対して非常に柔軟で、良く言えばリベラルな校風、悪く言えばゆるいといった印象です。そんな特徴に色づく長所も短所も、生徒、教職員問わず「これがElmsだから。」という一言で片付けてしまう、そんな一つのカルチャーが形成され、まかり通っています。私も秋学期を終え、それに染まりつつあります。

秋学期における私の職務内容としては、日本語の授業の提供、インターナショナルクラブの運営、他の授業での日本文化紹介があげられます。まず日本語の授業に関してですが、私は週に2回75分ずつの初級日本語を担当しました。Elmsでは日本語を担当する教員はおらず、日本語の授業はFLTAを採用する隔年にのみ開講されます。その為Elmsに派遣されるFLTAは単なるTAではなく、Primary Teacherとして赴任します。日本でいう非常勤講師のような感覚です。したがって、授業自体は私達FLTAに一任されており、自分の生徒が負担する授業料に見合う授業を一から自分の手で創り上げる必要があります。シラバスや定期試験の作成、成績評価など、ついこの間までそれらを受け取る側であった身としては貴重な経験になりました。
現在Elmsには正規入学の一年生1名と、Elmsと姉妹校提携を結んでいる高知県立大学の2名の留学生、計3名の日本人学生がおり、彼らに日本語の授業に参加してもらうことで密の濃い授業づくりに励んでいます。通常授業への参加が困難な生徒に対しても、別日程で授業をし、通常授業についていけるよう工夫しました。また一昨年の前任者の方が教えていた生徒2人に今学期はIndependent Studyとしてそれぞれに一対一の授業を行いました。1人はアニメもう1人は日本のマナーについてと自らテーマを設定し、ディスカッションを通して日本文化についての理解、また自分たちの考えを深めました。

インターナショナルクラブには留学生をはじめ、様々なバックグラウンドを持った学生が多数在籍し、2、3週間に1回イベントを行います。私は幹部の一員として企画、運営に携わりました。アクティビティ等を通して日本だけではなく各国の文化を学び合うことが出来ました。またクラブ運営に関しては、Elmsはクラブ運営費を賄うために各クラブの学生自ら募金活動を行わなければならないというルールを定めていて非常にアメリカらしい部分も垣間見ることが出来ました。その他の活動として、「Gender & Diversity」という授業を持つ教授から依頼を受け、その授業で日本文化についてプレゼンテーションをしました。そのうち2人の学生がその授業の課題で日本の社会をテーマにしたいとのことでインタビューを受けました。このように日本語の授業を履修している学生と違う一般の学生に日本社会について関心をもってもらえる機会を持つことができ、非常に有意義であったと感じています。

生徒としての授業は渡米前にスーパーバイザーに交渉していただき、ElmsのMBAコースの科目の一つである「Leadership & Teamwork」という授業に出席しました。授業を通して2冊の本と11本の記事を読みましたが、チームワークを構築する上で日本を良い例として取り上げているものも多く、日本の組織内の構造がどのように機能しているのか顧みるいい機会にもなりました。

フルブライトのプログラムとしては、Elmsへの派遣前にスタンフォード大学での研修、秋学期終了後にワシントンDCでのカンファレンスがありました。世界各国のFLTAと教育や各々の文化について議論を交わし、自分の視野が広がると同時に世界中にネットワークが広がりました。また各国の文化の相違を把握し、その独自性を実感することで日本人としての誇り、自信をつけることが出来ました。ここで学んだこと感じたことをElms College、また帰国後に日本で共有できたらと思っています。

春学期には姉妹校である高知県立大学の学生が2週間程Elmsを来訪し、Elmsの学生と異文化交流をするというプログラムがあります。それを上手く利用して少しでも多くのElmsの学生に日本文化に触れてもらえたらと考えています。また通常授業もおろそかにすることなく、自分はもちろん支えてくれているすべての人にどうしたらプラスになるかを常に模索し、残りの一日一日を噛み締めるよう過ごしていく所存です。


最終レポート

私のFLTAとしてのアメリカでの生活は、日米教育委員会の皆様や派遣先であるElms Collegeをはじめ、プログラム開始前からご支援頂いた所属大学、家族、友人など多くの方の支えあってこそのものだと改めて実感し、大変感謝致しております。帰国後自分の進路について模索し慌しく過ごす中、すっかりと日本の感覚に戻ってしまっていますが、長いようで短かった非日常を出来る限り丁寧に回顧し綴りたいと思います。

まずは春学期の活動についてご報告させて頂きたいと思います。私が担当した授業は、秋学期に引き続き初級日本語の授業と、短期留学者向けの日本文化の授業です。これまでELMSでの日本語の授業はこの春学期のみだったようですが、2014年度から秋学期も開講され年に2つの授業になりました。この授業数増加により、文化についても広く扱い、授業の中で10分ほど年中行事やサブカルチャーなどを紹介したり、1コマとって折り紙を扱ったり、手巻き寿司パーティーを開催したりしました。受講した学生のメンバーも秋学期とほぼ変わらず10名で、授業の流れも決まってきたので非常にやりやすかったです。春学期で特に悩まされたのは授業のスケジュールです。今年は北東部では豪雪が多く、私の授業でも3コマ程休講を強いられる状況でした。秋学期の反省を活かし、ゆとりをもってスケジュールを組んだものの、多少内容を縮小する形になってしまいました。私が受講していた授業の先生方は、休講を見越して計画されているのか、大きな変更なくスムーズに授業されていました。2月末には姉妹校である高知県立大学の学生がElmsに短期留学として来訪し、日本語の授業にも協力して頂きました。具体的には高知県立大学とElmsの学生半々でグループを作り、そのグループごとに友達同士で使うようなフレーズを用いてスキットを考え、発表してもらいました。楽しく実践的な授業が高知県立大学のお陰で出来ました。日本文化の授業は私のスーパーバイザーのJoyce Hampton先生がメインで担当しており、私は日本人の立場から一般的な日本人の思考や立ち振舞いを共有しました。日本への短期留学者向けの授業であるため、授業内で留学の手続きや準備の説明も並行して行いました。5月の留学に近づくにつれ、日本語の授業でも自然と学生達のモチベーションが上がり、これまで以上に真剣に授業を聞いてくれました。

学生としてはAmerican Foreign PolicyとInternational Marketingという授業を履修し、アメリカが他の国とどのように関わっているかを重点的に学びました。特にAmerican Foreign Policyで、私は最終プレゼンテーションでTPPをテーマとし、アメリカと日本とのやりとりを分析しました。日本に特別な関心を持っていない学生の前で、日本のことを話せる機会を得られてよかったです。インターナショナルクラブとしては、主に2月の終わりから3月にかけて高知県立大学のElmsへの短期留学のイベント開催に携わりました。高知の学生がアメリカの文化に触れ楽しんでもらうイベントはもちろんですが、カフェテリアでElmsの一般の学生に日本文化を体験してもらうイベントも催しました。高知県立大学の皆さんのお陰で日本の認知向上に貢献でき、FLTAとしてとても充実した2週間でした。

FLTAは教員と学生の狭間で孤独になりがちなポジションですが、スーパーバイザーのJoyce先生、同じFLTAとしてアイルランドから派遣されたVikki先生をはじめ、2014年度のFLTAの皆さん、授業でも協力して頂いた高知県立大学の交換留学生である出上凌さん、川本恵里奈さん、Elmsに入学された田中辰佑さんには精神的な支えになって頂き、無事責務を全うすることが出来ました。何度も相談にのって頂きありがとうございました。

どのFLTAも同じだと思いますが、平日はかなり忙しく休む暇もありません。私にとってそんな日頃の忙しさを忘れられるのが大学の近くのバーでした。そこでは現地の人とお酒を飲みながらダーツを楽しんだり、ときには酔っ払った人に人種差別について延々と語られることもありました。アメフトやボクシングなどのイベント時には、この小さな町にこんなに人がいるのかと思う程多くの人で溢れかえります。個人的には映画で見たことのあるような痛烈な野次が印象的でした。こうしてイメージ通りのアメリカが垣間見えたり、時にはそれが無残に壊されたり、無定形のものが徐々に輪郭を描いていく過程を楽しみました。現地の方とコミュニケーションによって、日本で出来る国際交流と差別化を図る上で非常に有意義な場所でもありました。また、春休みなど少しでも休みがあれば、旅行に行くように心掛けました。広大なアメリカは地域によって人種構成や影響を受けてきた文化が異なり、雰囲気がガラッと変わることもあり興味深かったです。旅行は派遣先が異なるFLTAと行くこともあり、私は学期修了後にSNSでやりとりをしたウルグアイとアルジェリアから来たFLTAと共に旅行し、それぞれの国について語り合いました。今後もFLTAのコミュニティを大切にしていきたいと思います。

FLTAの任期終了後にはなりますが、Elmsの日本への短期留学のプログラムに引率という形で参加しました。スーパーバイザーのJoyce先生が参加できなくなってしまい、日本人は私1人で京都での観光と高知県立大学まで送り届けられるか不安でしたが、なんとかスムーズに終える事が出来自信につながりました。また自分が教えた学生が懸命に日本語を使う姿を見ることができて幸せでした。

FLTAとしての成功は、アメリカでの9ヶ月ももちろんですが、帰国後の今後どう過ごすかで決まると思います。ご支援くださった方々への恩返しの意味も込め、FLTAとしての責任を果たして行けるよう精進したいと思います。

5.谷田部有紀 Spelman College (Atlanta, GA)

中間レポート

私は、ジョージア州アトランタにあるスペルマン大学に派遣されています。ジョージア州は、アメリカ東海岸最南端フロリダ州の上に位置しています。気候は日本と似ていて、とても過ごしやすいです。私の派遣されているスペルマン大学は、アフリカン・アメリカン系私立女子大学です。近隣には男子大学であるモアハウス大学、共学大学であるクラーク大学があります。この三つの大学間では、講義を履修したり、聴講したりすることができるので、私の大学内でも、他大学の学生を見かけたり、男子学生を見かけることが多くあります。なので、女子大といえども、共学のような雰囲気です。

スペルマン大学は、先ほど述べたように、アフリカン・アメリカン系の大学なので、教職員の方々もほとんどアフリカン・アメリカンの人々ばかりです。留学生も9割近くがアフリカからの留学生です。日本からの留学生が私のほかに1人います。そして、中国からのFLTAが一人、ブラジルからのFLTAが一人います。キャンパス内では目立つ存在なのか、皆、声をかけてくれたり、困っていると助けてくれたりします。陽気で明るく優しいというのがスペルマン大学の人々の印象です。

私はスペルマン大学にティ-チングアシスタントとして、派遣されています。秋学期は主に指導教官(中国出身)のアシスタントをしていました。クラスは、初級を1つ、中級を2つ、上級を1つと計4つのクラスを月、水、金、週3日、授業のアシスタントをしていました。生徒の数は、全クラス合計70人以上とかなりたくさんの生徒が日本語を学んでいます。しかし、この数の学生を確保するのは、大変苦労がありました。アメリカの学生にとって、アルファベットを用いず、そして、ひらがな、カタカナ、漢字の三種類の文字を使用し、英語と文法など完全に異なる日本語を学ぶのにはとても抵抗があるようです。そのため、日本語のクラスの広告を配ったり、スペルマン大学が持っている三週間の日本留学プログラムをいろいろな場所で宣伝したりしました。これが私のアメリカでの初めての仕事でした。 生徒のレベルは、同じクラスの中でも様々です。なので、クラス内で困っている生徒を授業中にフォローするのが秋学期の主な仕事でした。指導教官はとても忙しい方なので、時には私が前に立って、授業をすることもありました。特にゲームやワークショップの形のときには、私と日本からの留学生の子で授業案を考えて、授業をしました。いつもアシスタントをしているクラスで、授業をするのはとても新鮮で楽しかったです。

このレポートを書いている今は、一月の下旬で、ついこの前、春学期が始まりました。春学期の日本語のクラスは、秋学期と同様70人以上の生徒がいます。クラスは初級を二つ、中級を一つ、日本語と中国語のコンビネーションのビジネス(指導教官が中国語を教えられるため)のクラスが一つの計四つです。今学期は、初級のクラスをprimary teacher として、任されています。その他の三つのクラスには秋学期に引き続き、アシスタントとして補助をメインに参加しています。春学期が始まってから、二週間が経ち、一人で初級のクラスを担当することにも慣れてきました。最初は戸惑いがありましたが、一人で授業を任されている責任感と楽しさを持ちつつ、日々の授業をより良いものにするために奮闘しています。クラス内では、基礎を徹底させることと、単調になりがちな語学のクラスをいかに楽しく工夫して教えるかに重きを置いています。なので、カルタやビンゴゲームをしたり、歌を歌ったりと色々なアクティビティを取り入れています。他には、TAとしてというより、日本人としですが、大学の日本クラブで日本文化を紹介したり、日本の映画を見たり、日本文化を伝える活動を行っています。秋学期の大きな行事としては、校内の国際教育週間に、日本語の生徒をとともに、ソーラン節を披露しました。二か月前から毎週毎週練習を重ね、完成したソーラン節を見た時には、とても感動しました。生徒たちと達成感を味わうことができ、とても嬉しかったのは今でも覚えています。

上記で述べたのが、私のTAとしての活動です。学生としては、秋学期は”American Sign Language” と”Global Education”の二つのコースを取りました。この二つのコースはeducation departmentのコースだったので、教師として、参考になることばかりでとても為になりました。春学期の今は、”Argumentation”と“Intro to women studies”の二つのコースを取っています。”Argumentation”は、新聞、ニュース、ブログなどから筆者の主張を読み取り、それに対し自分がどのような意見を持つのか、どうやったら効果的に人を説得できるのかをデイスカッションなどを通して、学んでいます。もう一つのクラスは、女性学のクラスです。私は大学の時に、少し女性学を学んだのですが、違う国で、違う観点からまた学ぶのはとても興味深いです。これらのコースは、聴講ではなく、すべて成績や単位が出る形で受講しています。課題の量は日本の大学と比べ物にならないほど多く、TAとしての両立はとても大変です。

アメリカに来てから、もうすぐ6か月が経とうとしています。この6か月の間に、様々なことを見、聞き、学び、感じました。日本にいた時には深く考えたことのなかった人種差別問題、貧困が自分の身近で起こっていることを実感し、そして一人の日本人として、外から見た日本や日本人としての自分について考える機会が増えました。アメリカで経験していることのすべてが他には変えられないとても貴重な体験になっています。このような機会を与えてくださった日米教育委員会の皆様には感謝の気持ちでいっぱいです。また、応援してくれている家族や友達、他の日本人FLTAの仲間、親しくしてくれているこちらの方々、友達、すべての人に支えられて、私はここで頑張ることができています。残りの期間も、有意義に充実したものになるよう努力します。


最終レポート

帰国して早いもので、二か月がたちました。日本の生活に慣れてくると、アメリカで過ごした九か月は夢のように思うときもあります。しかし、アメリカで仲良くなった人々や学生、様々な国から参加していたFLTAの仲間たちから時折連絡をもらうと、アメリカでの九か月の出来事が思い出され、FLTAの任務を無事果たし、帰国したことを実感します。この前、中間レポートを書いてから、時間はあっという間に過ぎ去ったように感じます。後期は前期に比べ、とても忙しく、充実した日々だったと思います。
 私が派遣されていたスペルマン大学は、中間レポートにも書いた通り、アフリカンアメリカン系の私立女子大学です。スペルマン大学は南部ジョージア州のアトランタにあり、温暖な気候と同じように穏やかで陽気な人々に囲まれていました。

まずは日本語の授業について振り返りたいと思います。後期は日本語初級の101のクラスをprimary teacherとして、一人で担当させていただきました。このクラスは月、水、金と週三日の授業をすべて受け持ちました。クラスには10人ほどの学生がおり、ほとんどの学生が日本語を学ぶのが初めてでした。後期の初めのころは、朝8時から始まることもあってか、なかなか学生が授業に来ませんでした。そこで私は、「わかりやすく、楽しい」授業を心がけました。具体的には、学生がつまずきやすい文法事項などをパワーポイントでまとめたり、プリントにしたりしました。そして、ビンゴゲームやチーム対抗のカルタなどのゲームを積極的に取り入れたり、ペアになって会話の練習をしたり、一つの課題をグループで考える協同学習を行いました。また、日本文化に興味のある学生がたくさんいたので、日本の実物のお金を見せたり、浴衣の着方を教え実際にきてみたり、人気のアニメの紹介をしたりもしました。その結果、学生たちは生き生きと授業に取り組むようになり、初めは緊張していた学生も楽しく、打ち解けたようでした。失敗と研究を積み重ねた結果、学生たちは「いつも楽しい授業をありがとう。」「日本語がもっと好きになった!」と言ってくれるようになり、私が帰国する直前には素敵なメッセージカードをプレゼントしてくれました。未熟な私にたくさんのことを教えてくれた彼らには感謝の気持ちでいっぱいです。また、はじめての私のクラスの学生ということで思い入れも特別です。

この日本語の授業のほかに、私は三つの日本語の授業を同じく週三日、アシスタントをしていました。後期は前期に比べて、指導教官のアシスタントだけでなく、私が前に立って教える機会も多かったです。こちらのクラスでも私が授業を担当するときは、なるべく同じクラスの中でも異なる日本語レベルの学生が理解し、楽しめるような授業を心がけました。いつもは指導教官が担当していることの方が多いこの三つのクラスでは、教える人が異なることで、学生たちの雰囲気が変わったりと難しさも感じました。指導教官の教え方を見て、自分のクラスでうまくいかない点を改善するヒントを得たりと、前期とは違った視点で指導教官のアシスタントをすることができました。

そして、3月にはスぺルマン大学にある桜の木の開花に合わせ、「Japan Spring Festival」というお祭りをやらせていただきました。このお祭りは一日だけの開催でしたが、朝から夕方まで、指導教官と私、そして日本からの交換留学生の方と三人が中心になって、折り紙、書道、寿司のプレゼンテーション、学生たちとのソーラン節、浴衣の着付けなど様々な活動を盛り込み、実施しました。また、大学内に韓国の方が営む寿司のお店があったので、協力をいただき、昼食に来場者にすしを振舞いました。想像以上に祭りが盛り上がり、たくさんの人々に来ていただき、日本を知ってもらえる機会を得られたことをとてもうれしく思いました。私の派遣されていたジョージア州には、ほとんど日本人の方々のいないところだったので、そういった地で日本を紹介するイベントに関われたことは、日本と世界の架け橋になれたような気持ちになりました。

このように日本語を教えたり、日本文化を広めることを主にしながら、学生として二つの授業を履修しました。後期はArgumentation というどのように討論するのか、自分の意見を相手にわかりやすく、共感を得られるように伝えるかという授業と、女性学の授業を取りました。Argumentationはアメリカの学生との討論や話し合いなどが中心で、英語を母語とする人々とそういった活動をするのはとても難しく、はじめの頃は周りの議論についていけず、自身の英語力のなさに落ち込みました。しかし、このままではいけないと思い、わからない所は周りに聞くように努力しました。それでもうまくいかないことの方が多かったのですが、わからなくても聞き流してしまう自分の悪い癖をすこしは改善できたように思います。また、女性学の授業では、アメリカでのアフリカンアメリカン系の女性の立場、労働環境、他人種の人々との違いなどを学びました。アジア人の女性が取り上げられることも多く、授業内で日本の女性について話す機会がありました。この授業をきっかけに一人の日本人女性として、どう生きていくことが自分にとって生きやすいのか、日本独自の女性の立場や振る舞いなどが世界ではどのようにみられるのかなど、考えることが多くなりました。アメリカで自分とは異なる人々の中で、日本人として、日本人女性として自分のことを考えた経験はとても貴重でした。

振り返ってみるとFLTAとしての九か月はあっという間でした。この9か月は今までの人生の中で、一番濃く、充実した日々でした。私はこれから英語の教員になりますが、このFLTAの経験を活かし、アメリカで見、聞き、感じ、学んだことをこどもたちに伝えていきたいと思います。貧困や差別など、アメリカの目を背けたくなる事実も、自分で見て、考えたことを伝えていき、日本、そして世界の平和を構築していけるような教育をしていきたいです。私のアメリカ生活を支えてくださったすべての方々、そして出発の前から手厚くサポートしてくださり、なによりこのような素晴らしい機会を与えてくださった日米教育委員会の皆様、本当にありがとうございました。