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フルブライト語学アシスタントプログラム(FLTA)

2015年度 参加者レポート

2015年度参加者 
1   2   3   4   5   6   7   8   9   10  

1. 青野文 Antioch College (Yellow Springs, OH)

中間レポート

フルブライトFLTAとして米国に派遣され、約5ヶ月が経ちました。
派遣先Antioch Collegeは、オハイオ州のYellow Springsという小さな街にある極小のリベラルアーツカレッジです。開校は1850年、一時閉校したものの2011年に再度開校しました。歴史と新しさ、その両方を感じることができる大学です。
同大学はクォーター制を導入しており、年に1学期(3ヶ月間)は、Co-opという職業体験を行います。インターンシップと異なり給与が支給され働きます。米国内のみではなく日本を含め海外へ行く学生も多く、その内容は多岐にわたります。大学卒業後を見据えた実践的で非常にユニークなプログラムです。
語学のクラスは少人数制で、会話力に非常に力を入れています。1年間の語学学習は必須ですが、3年間学習を継続し、Co-opで海外へ行き身につけた語学力を実践するという大きな目標を持って取り組んでいる学生が多数です。Co-opで大学を離れている学生も、オンラインで語学学習を続けています。

Antioch Collegeではアシスタントとして、レベルの異なる授業を週2コマ担当しています。文法や語彙など新しい単元の導入はスーパーバイザーの先生が行い、私はテキストの練習問題やロールプレイなどで練習を重ね身につけるパートを主に担当しています。学生は日本について非常に興味があり、期待以上に意見や質問が出てきます。例えば日本の写真や硬貨を見せたり、お菓子を配るだけでも質問が止まりません。授業でもテキストだけでなく様々な教材を使ったり、毎回冒頭に日本の季節のイベントや文化的なことを紹介したりと、学生のモチベーションである日本への興味にも応えられるように心がけています。日々授業の中で学生に気づかせてもらうことがたくさんあり、今までと違った視点で日本について考えることができ、毎日新鮮な気持ちで取り組むことができています。 担当している授業以外では、Tutorとして学習のサポート、Language Tableではランチを食べながら、より上級者向けの会話練習や、かるた・すごろくなどの日本のゲームを行っています。映画鑑賞や俳句・詩の朗読などのイベントも各学期ごとに開催され、近隣在住の日本人の方や日本語が堪能な方々をお招きし食事をしたりと、学生と交流する機会も設けています。冬学期は、日本食を作ったり、習字や折り紙をする予定です。
学生としては、昨学期は南北戦争後のアメリカ現代史を学びました。史実背景を考え議論する授業に初めは少し苦労しましたが、歴史学習のおもしろさを実感することができました。今学期は言語学の授業を履修しています。日本語を例にとって解説する機会も設けていただき、興味のある分野を非常に楽しく学んでいます。

Yellow Springsは非常に小さな街であり、地域コミュニティのつながりが非常に重要です。
大学でのアシスタントとしての仕事とは別に、日本語を学んでいる学生を連れて、日本企業から英語を学習に来ている方々と週に1度お会いし、日本語・英語を練習する活動も行っています。初めて参加する学生は非常に緊張しているのですが、期待以上に楽しく、学んだことを実践できたという実感が学習のモチベーション向上につながっています。私自身も学生の上達の早さに驚かされます。非常にうれしい瞬間です。
生活面では、スペイン・フランスからのFLTAと助け合いながら毎日楽しく暮らしています。東京出身の私にとって交通の便がない小さな街での生活に苦労することもありますが、地元の方はとても親切で、家族のようにあたたかく迎えてくださいます。食事に招いてくださる方も多く、ハロウィーンやThanksgivingなど「アメリカ」を楽しむこともできています。

12月には、ワシントンDCでカンファレンスがあり、世界各国からのFLTA約400人が集まりました。言語、教育に関するレクチャーや異文化理解のワークショップなどFLTAならではの内容で、すばらしい学びの機会となりました。International Culture FairやTalent Showでは各国の文化を体験したり、多くのFLTAと交流することができ忘れられない激動の5日間でした。カンファレンス後は各地を旅し、行く先々でFLTAに会ったりと、かけがえのない貴重な経験をすることができました。

FLTAの活動も残り半分となりました。より充実した5ヶ月となるよう精一杯過ごしていきたいと思います。


最終レポート

9ヶ月のFLTAとしての任務を終えました。あっという間に過ぎてしまうだろうなと覚悟していたものの、本当に早く、日本に着いた瞬間「夢を見ていたのかな」と思うほどでした。

私が派遣されたAntioch Collegeは年4期のクォーター制を導入しており、1月から6月まで2学期を過ごしました。オハイオ州の冬はとても厳しいと聞いていたのでどんな寒さかと恐れていましたが、幸運なことに今年はとても穏やかな冬でした。(わたしには十二分の寒さでしたが…)
大学のキャンパスは緑に囲まれ、道路を挟んだすぐ隣には自然保護公園もあり、春にはリスや鹿、あらいぐまなどを見かけることもありました。私の出身の東京では考えられない自然豊かな環境で春・夏学期を過ごしました。

TAとしての役割は変わらず、週にレベルの異なる2クラスを担当し、その他にTutorとして学生のサポート、Language Tableなどを行いました。クラスで使用する日本語の割合を徐々に増やしていったり、特にクラス外ではより自然な日本語で学生と話す機会を持つようにしていました。また上級レベルの学生とは、教科書以外のマテリアルを多数使用し、時事問題や文化、学生の興味に応えられるよう準備を重ねました。
クラスやTAとしての任務以外では、折り紙や書道を行ったり、ジブリの映画鑑賞をしたりしました。学生との距離も近くなり、クラス外で過ごす時間がなにより楽しかったです。Antioch Collegeでは年に1ターム(3ヶ月)Co-opという職業体験を行います。Co-opで日本に行く学生と週に1回会い、挨拶や自己紹介の復習、方言の聞き比べ、簡単なビジネスルールやビジネスカジュアル・服装等、私自身の社会人経験を生かした活動もできました。毎回学生からの質問がたくさんあり、時間内に終わらないことばかりでした。
またフランス・スペインのTAと一緒にクッキングワークショップを行い、学生や大学のスタッフにお好み焼きを振る舞いました。学生にも焼く体験をしてもらい、不思議そうに見ていた学生も気に入って食べてくれ大盛況に終わりました。

Antioch CollegeのあるOhio州Yellow Springsはとても小さな街ですが、驚くことに日本人の方、日本に住んでいたことがある方など、日本につながりのある方がたくさんいらっしゃいました。4月にはAntioch Collegeと地元コミュニティ主催で「Ohayo Ohio」という日本文化に関する様々なイベントが開催されました。茶道、書道、草木染めや紙すきなど私も体験したことのないワークショップが多々ありました。一連のワークショップを見学したり、通訳として参加させていただきました。
http://www.yellow-springs-experience.org/ohayo/symposium-highlights/
http://www.yellow-springs-experience.org/ohayo/symposium-photos/
今年初めてのイベントにFLTAとして、日本人として携わることができ非常に幸運なことでした。このイベントを通してお会いした方がかけてくださった言葉が印象的でした。「何か困ったらいつでも連絡してね。私が日本にいた時、たくさんの人が助けてくれたから。」なにも特別なことではないかもしれませんが、こうして人がつながっていくのだと思います。

Antioch Collegeの卒業式にも参列しました。小さな大学なので、ひとりひとりに卒業証書が手渡されます。学生のスピーチではたくさんの思い出が語られ、9ヶ月しか過ごしていない私でも、数々のエピソードに目頭が熱くなる瞬間がたくさんありました。Antiochian(Antiochに関わる人たちが自身のことを呼びます)にとってどんなに特別な場所か、またなんてすばらしい時間を過ごすことができたのかと改めて実感することができました。卒業式の後家に帰ってくると、学生から手作りのメッセージカードが届いていました。私の宝物です。

Antioch College、Yellow Springsの方々はハートがあります。9ヶ月の間、どこへ行っても地元の方があたたかく、優しく迎えてくださいました。特に東京で生まれ育った私にとっては大きな家族ができたようで、ここへ来てよかったと心から思いました。渡米した直後は、小さな村での生活に戸惑うこともありましたが、日本への帰国日が迫るにつれ、「残りたい」という気持ちが芽生えてきました。学生や地元の方の中に、日本へは一時帰国すると思っていた方もいました。戻ってきてほしいと言っていただき、達成感でうれしい気持ちとさみしい気持ちとで胸がいっぱいでした。アメリカに帰る場所ができました。近い将来また訪れるのがいまからとても楽しみです。
この経験を支えてくださった方々に心から感謝の気持ちでいっぱいです。なにより9ヶ月ともに過ごしたフランス・スペインからのふたりのFLTAは私の人生で特別な存在です。
キャリアアップや教授経験、語学習得など、「経験」にはいろいろな目的・意味があると思います。学んだこと・習得したことはたくさんありますが、どんな人に出会ってどんなすばらしい瞬間を共有できるかが何にも代え難い特別なことだと思います。FLTAのプログラムを通して出会った方々、経験できたことは私の人生でかけがえのないものになりました。もしフルブライトFLTAの応募を迷っている方がいらっしゃったら、ぜひ、絶対に挑戦してください。

2. 淵田春香 Ursinus College (Collegeville, PA)

中間レポート

「Pennsylvaniaのどこで働いているの?」「Philadelphiaだよ。」「それはいいね!Phillyといえば・・・」実際には、私の派遣先のUrsinus CollegeはCollegevilleというPhiladelphiaから車で30分の小さな町にあります。正直に答えると、大抵は「どこ?」という困惑の表情が返ってくるので、ちょっとした罪悪感を感じつつも、そう答えるようになりました。Ursinusは「アーサイナス」と発音しますが、アメリカ人にも読むのが難しいようです。小さな大学ですが、構内は美しい木々で溢れ、四季折々の顔があります。リスがちょこちょこと走る姿も、日常の景色になりました。冬休みが終わる1月中旬頃に大雪が降り、あたり一面が真っ白でした。

 私は、このプログラムに参加するまでは、宮崎県の公立中学校の教員として働いていました。2015年の7月から自己啓発等休業を頂いています。手続き上は、休業する1ヶ月前までに書類を提出すればよいのですが、クラスや部活、休業する間に代行してくださる講師の先生のことなど、実際にはフルブライトの受験と同時進行で、1年前から手続きの準備をしてきました。学期途中からの休業ですので、学級担任や部活動顧問から外して頂いたりと、勤務先の学校の先生方の協力なしには私はここにはいられませんでした。本当に感謝しています。

 さて、派遣先大学ではTeaching Assistantとして日本語を教えています。基本的には日本語の教授が文法等を進めてくださり、一週間に1回、私のクラスで会話練習や復習、インタビューテストなどをします。日本人の教授が1、3、4年生を担当し、アメリカ人の教授が2年生の日本語と、日本映画などの教科を担当しています。私は日本語の全クラスを受け持つため、お二人とミーティングをして、クラスの進み具合に併せて授業内容を構成しています。また、授業の流れを知るために、できる限り授業にTAとして参加しています。私が一人で受け持ったクラスは、秋学期は1週間に50分を5コマです。(1年生のクラスの人数が多かったため2つに分けたので、1年生の授業が2コマ)また、どうしてもスケジュールが合わない学生のために、それ以外の時間で毎週マンツーマンでの授業と、毎週1回のLanguage Table、Tutoringを毎週平均3時間ほどしました。日本語を教えたことがないので、戸惑う事が山ほどあります。しかし、幸運にも日本語の教授の指導法が素晴らしく、TAとして授業に入った時によく観察して、その先生のやり方を真似をしながら進めていきました。ミーティングの時には、的確なアドバイスをくださったり、パワーポイントやプリントなども惜しまずにくださるので大変助かっています。また、言語を1から教えるという点では、中学校の授業の流し方や指導法にも通じるところがあり、自分の経験が生かせてよかったと思います。音声から入る指導、変化のある繰り返し、実生活に基づいた場面設定、テンポよく進めること、そしてたくさん褒めることなど、中学校でしていた事をそのまま日本語に変換して授業をしています。また、授業中はもちろんですが、教室以外でも学生とは習った日本語で話すように心がけています。学生達は、必ずお辞儀して挨拶してくれたり、日本語で話しかけてくれます。

 最初は教える対象の年齢が違うことを心配していましたが、ゲームやアクティビティなど、楽しみながら意欲的にやる姿を見て、学生がとても可愛く思えてきました。190cmもあるカメルーン出身の男の子の学生が、「こんにちは」と丁寧にお辞儀しながら挨拶してくる姿は毎回笑ってしまいます。Ursinusには FLTAは私を含め、スペイン人、フランス人の3人がいて、よく授業の話もするのですが、日本語をとる生徒は比較的真面目で素直な印象を受けます。そして文化面にも興味を示してくれる生徒が多いです。「日本クラブ」があり、秋学期は私もその一員として活動に参加しました。日本語をとっていない学生も所属しており、日本映画を見たり、日本料理を作って食べたりと、和気あいあいとした雰囲気の中でとても楽しみました。春学期はもっと活動を提案して、大勢を巻き込んでいけたらと思います。

 次に、TA以外の学生としての生活を報告します。授業は以前から興味があったスペイン語と、Introduction of American Culture をcredit で、Approaches and methods for teaching English Language Learnersをauditで履修しました。アメリカで驚いたことの一つに本当に多種多様な英語が交じり合っているということで、その中でもスペイン語を母語とする人の多さには驚きます。冬休み中に約1週間マイアミに滞在した時には、観光客意外はほぼ全員がスペイン語を話していました。アメリカでスペイン語ができると、役立つ機会が意外とたくさんあります。一から新しい言語を学ぶことは楽しいだけでなく、生徒の立場で物を考えられる良いきっかけにもなりました。春学期も続けてとるつもりです。また、授業、宿題、評価、全てがデジタルで進んでいくことにも最初は驚きました。例えばスペイン語の場合は、生徒が録画や録音したものを提出し、それに教授がアドバイスを録音して返す、などの課題が頻繁にあり、とても有意義だと感じました。

 しかし、この数年間「教える」ことが習慣だった私には、学生となり「学ぶ」ことは簡単ではありません。特に、Readingの仕方が本当に浅かったと痛感しました。これまで、IELTSなどテストのためのReadingが主だったため、与えられれたページを時間内に読んで内容を理解することがReadingでした。しかし、授業の中では内容を理解している事は大前提で、筆者の考えを「自分は」どう思うか、ディスカッションをしなければなりません。特に、教室でたった一人の日本人なので「日本ではどうか」などと聞かれた時に、何も意見が言えない時には自分で自分にがっかりしました。他の学生は、間違っているかいないかは問題ではなく、堂々と意見を述べ、それを押し通そうとする意欲があります。その中で、自分の単語力の乏しさ、知識、発信力など、足りない物が次から次にでてきました。

 学校外での生活も少し紹介したいと思います。私は共同バス、キッチン尽きの学生寮に住んでいます。ミールプランがついているので、食事は大学のダイニングホールでとります。TAでありながら、寮内では、学生に英語を教えてもらったり、バスのルートやお勧めのレストランを教えてもらったりと、助けてもらっています。日本語をとっていない学生にとっては、私は同じ学生でしかないので、夜中まで話したり、映画を見たりして一緒に学生生活を楽しんでいます。また、Collegeville は、Philadelphiaや New York、WashingtonD.C.などの大都市へのアクセスも良いところにあります。(しかし私は車がないので、Philadelphiaまで、バスと電車を乗り継いで約1時間半かけないといけません・・・。)時々、大学がツアーを組んでくれ、New Yorkツアーのときはバスで大学から3時間もかかりませんでした。私は、大学では、同じ境遇で年も近いTA達と仲良くなり、一緒に買い物に行ったり、旅行に行ったりと休日は色々なところに出かけています。冬休み中は、一生分の旅行をしている、というくらい 満喫しました。観光地も楽しみましたが、人権運動などの歴史ある場所に行く機会も頂き、アメリカを色々な側面から見ることができました。また、大統領選やテロが頻発するなど、大きな転換期にアメリカにいることで、周りの学生や大学の対応を通して日本との違いを考えられずにはいられない事もたくさんあります。本当に貴重な時間を頂いていると思います。

 紹介しきれませんでしたが、FLTAプログラム参加が実現するまで、たくさんの人に支えていただき、そして今、このアメリカでも、距離や国籍を越えて、人との繋がりに助けられる場面がたくさんあります。支えてくださる全ての人に心から感謝しています。この感謝に気持ちを自分の成長を通して返せるといいなと思います。そして、帰国後に自分の経験を子どもたちに還元できるといいです。この半年は、自分の足りないところばかりが浮き彫りになりました。春学期はそれを埋めるべく、楽しみつつも頑張ります!!


最終レポート

カラッと気持ち良く晴れたサンディエゴから、蒸し暑い梅雨の宮崎に降り立ち、早くもアメリカが恋しくなりました。しかし、それもつかの間、7月からは職場に復帰し、教員としての慌ただしい日々がまた始まりました。逆カルチャーショックが少しはあるかと思いましたが、あの1年間がまるで夢だったかのように、すっと元の生活へと順応しています。他のFLTAとも連絡を取り合っていますが、みんな同じような感覚を持っているようです。

12月のカンファレンスを終え、冬休みを満喫し、そして始まった春学期。ただただ、毎日時間が過ぎていくのが早く、あっという間に卒業式を迎えたという印象です。ここでは、1月以降の生活を、TAとしての業務、学生としての生活、そして休暇の過ごし方に分けて振り返りたいと思います。

Ursinus College ではLanguage requirementがあり、1年間はどの学生も第二言語を2学期履修しないといけません。その後は、専攻やマイナーに合わせて続けたい学生だけが履修していきます。日本語は、春学期もほとんどの学生が、どのレベルも続けて履修したため、大体中間レポートと同じようなスケジュールでした。文法が少し難しくなってきたのか、1年生のチュータリングが週3時間から4時間に増え、テスト前は更に増えました。スケジュール自体は前学期より忙しかったですが、学生のレベルや個性等、お互いの事を知っている分、秋学期よりスムーズにクラスを進められたと思います。春学期は前学期に習った事を生かして、日本人教授の計らいで、とても面白い取り組みができました。
1年生は、春学期の最後に、グループごとに自分達で日本語の劇を作りました。スクリプトは何度も一緒に訂正をして、見ている全員が分かるように、シンプルかつ面白くしていきました。授業やそれ以外の時間を使い、本格的に劇に仕上げていきます。学期の最後に、日本語を履修している学生全員でカレーパーティをするので、そのときの出し物として発表しました。シンプルなコント風のものや、時代劇、ミステリーなど、私も驚く程の出来で、本当にどれも面白かったです。撮影した劇をYou tubeにあげて、繰り返し学生達が見る事もできました。
2年生は、敬語や、「~してくれる」「~してあげる」など、日本語らしい表現がでてきます。そこで「結婚してくれませんか?」という例文が教科書にもあったため、それらの表現を使って、「お見合い」パーティをしました。アメリカにはない慣習なので面白がってやっていました。期末インタビューテストも、私とお見合いをするという設定にしました。2年生には日本に留学する予定の学生もたくさんいたので、日本語の歌を歌うなど、文化面も積極的に教えました。The tour of Asiaというイベントでは、2年生達が日本語の歌の発表もしました。
3年生、4年生は日本人留学生やお客さんを呼んで、学習した日本語を用いて、プレゼンをたくさんしました。そのための準備を、TAクラスで行ったりしました。4年生が最後にしたプレゼンは、オリジナル自動販売機を発明するというもので、観客が出資者と見立てて発表を行いました。太陽パネルとGPS機能を設置した遭難しないグッズ用自販機や、オリジナルジュースを作る自販機等、面白い商品がたくさんありました。
また、4月に誕生日を迎えた私のために、教授と学生達がサプライズを用意してくれました。教室に入ると、全学年の日本語の学生が待ち構えており、「お誕生日おめでとうございます!」と一斉に言ってくれました。ケーキや手作りのメッセージカードも頂き、本当に本当に嬉しかったです。学生達はとても可愛く、最後の授業は寂しい気持ちでいっぱいでした。教授の先生方もとても良くして下さり、このような幸せな環境で働けた事を本当に感謝しております。

学生としては、春学期も続けてスペイン語とStructure of English、Psychology of Educationを履修しました。特に、教員として一回働いた後だからこそ、Psychology of Educationの授業で得るものは大きかったです。生徒達のモチベーションをあげる指導、「学ぶ」事の本当の意味などを中心にアメリカの著書を中心に、ディスカッションをしながら考えていきました。教授が理解のある方で、私の現場での経験などもよく発言させてくれたりしました。毎回のリーディングやペーパーには大変苦労しましたが、この授業を通して、自分が約6年間してきた教育は本当に意義のあるものだったのかと、心底考えさせられました。
アメリカの大学生は本当によく勉強をします。そして、発言すること=参加することという意識があり、どんな場でも意欲的に発言をします。同時に、自分の意見に固執する姿勢はさほどなく、人の意見にもよく耳を傾けます。アメリカ人=自己主張のイメージがありますが、(私の少ない経験上では)自分の意見を否定されたり、直接的にNOと言われたりした事はほとんどありません。「文化」だけでは片付けられない、教育の中で育まれたものもあるはずです。自分が育ててきた中学校の生徒達が大人になって、同じ舞台で渡り歩いていけるだろうかと、考えられずにはいられませんでした。
また、「学ぶ」事に寛容な印象を受けました。卒業後に就職をしない学生は珍しくありません。大学院に進む学生や、もう少しアルバイトをしながら勉強をするという学生も多くいました。また、働き始めてから、また大学や大学院に行き直すという話もよく聞きました。日本では、働き始めてから留学するとなると、一大決心が必要で、周りへの迷惑などをつい考えてしまいます。しかし、彼らは、社員が学ぶことを逆に会社の利益と考えているようですし、採用側も新卒にはこだわりません。その風土は、うらやましく思いました。

同じ大学と寮で1年間を共にしたTA達とは大袈裟ではなく親友となりました。特にフランス人のジュリーといつも行動を共にし、2人で貧乏旅行もよくしました。フィラデルフィアの教授の家に2人で泊まりに行ったり、4月にはカナダドルの方が安いため、2人で格安のメガバスに11時間揺られ、トロントに行き、そこからナイアガラに行ったりしました。お互い第二言語での会話なのに「あうんの呼吸」で話せる、特別な関係となりました。来年、彼女は日本に来る予定です。お互いにさらに成長した姿で会いたいです。

最後は、可愛い学生達や、友達、教授、TA達と涙々の別れとなりました。大学に別れを告げ、約1ヶ月はアメリカを旅して回りました。西海岸を中心に観光をして、アンテロープキャニオン、グランドキャニオン、セドナのボルテックス巡りなど、アメリカならでは雄大な大自然を味わいました。女性の一人旅は十分に注意が必要ですが、幸運にも私の場合、日本人で、一人で旅して周っているというと、よくしてくれる人が多く、お得に旅ができました。セドナのジープツアーは、一人で申し込むとたいてい他のグループと乗り合わせになるのですが、1台のジープにガイドと私だけというプライベートツアーにしてくれました。その方は「この閒乗せた3人組の日本人の女の子達は英語ができなくて、身振り手振りでなんとかして大変だったよ!楽しかったけどね!」という話をされていました。英語科教員には耳が痛い話ですが、この手の話をよく聞くことがあり、こんなところでも日本の英語教育について考えさせられました・・・。

こうしてあっという間の私のアメリカの1年が終わりました。終わってみるとあまりにも早く、あと1年あればもっと学べるものがあったかもしれないと思わずにはいられませんでした。それでも、1回社会に出てからFLTAとなった事で、学生時代の留学とは比べものにならない程多くの事を得て、人脈を広げることができました。このような機会を与えてくださったIIE、日米教育委員会、Ursinus College、職場の先生方、そしていつでも無条件に応援してくれる家族に大変感謝しております。
教育の現場で、日々疑問に感じることや、自分の力不足を思い知ることは多々あります。これからの私の課題は、その中でも自分の学びを止めず、次なる目標を見つけ、そしてシンプルですが、自分のできる事を頑張るということです。
この1年間に多くの人から得た支援に応えられるよう、また、太陽輝く宮崎で頑張ります! 

3. 藤掛千絵 University of Scranton (Scranton, PA)

中間レポート

私は、ペンシルバニア州の北東に位置するスクラントン大学に派遣されております。カトリック系の私立大学で、約5000人の学生が所属しています。スクラントンは人口約75000人の街で、大学はダウンタウンのすぐ近く位置し、恵まれた環境にあります。治安も比較的良く、キャンパス内には寮、キャンパス外には学生用のシェアハウスが多く点在し、夜遅くまで図書館等で勉強する学生を多く見かけます。ニューヨークまでバスで約2時間、フィラデルフィアまでバスで約2時間半と、週末や連休を利用して旅行するにも好都合な場所です。
8月の最終週から秋学期が開講し、私は日本語初級と中級のクラスをプライマリーティーチャーとして受け持ちました。英語を教えた経験はあったものの、日本語を教えた経験はここへ来るまで全く無く、戸惑うことばかりで手探り状態の毎日でしたが、周囲からの助言を得ながら、少しずつ授業を改善していけたように思います。秋学期は第二言語教授法の授業を他のフルブライターと共に受講しました。そこで得たことを最大限に生かし、また時にはスーパーバイザーからの助言を得ながら、学生たちに楽しみながら活動的・意欲的に言語習得に励んでもらえるように授業のプランを日々立てました。初級のクラスでは16人、中級のクラスでは2人の学生を受け持ちました。日本語を選択する学生のほとんどは、日本という国自体や日本の文化に強い興味関心があり、私が授業で日本の主要都市や日本特有の文化などを紹介すると、とても楽しそうに、時には食い入るように授業に参加していました。
本校には日本人の留学生が秋学期に3名所属しており、週に一度、彼女たちを授業に招き、会話の練習の機会を作るようにしました。また、折り紙を折って動詞を学ぶ授業をした際も、彼女たちにサポート役として来てもらいました。このような、普段の授業とは異なるイベントを学生は特に好み、積極的に言語習得に励んでいました。
授業を組み立てる上で最も難しく感じた点は、言語自体を教えることと、日本の文化や社会、習慣を伝えることを1コマ50分という時間内で行うことです。第二言語教授法の授業では、言語習得は、その国自体を知ることと密接に関わるということを学びました。そのため、授業のプランを立てる際は、常に「日本をどう伝えるか」ということを念頭に置いていました。言語のトレーニングと、その国の背景を知ること、この二つは切り離してはいけませんが、どちらか片方に集中するほうが授業を準備する上ではより簡単で、効率的ではあると思います。しかし、切り離さないことによって、言語習得に対する学生のモチベーションを保てたことは確かだと感じています。時には寝る間もなくレッスンプランやパワーポイントの作成をし、決して楽だとは言えませんでしたが、苦労した分、学生からの「楽しかったです。来学期も楽しみです。」という反応が得られたことは、私自身の次へのモチベーションに繋がっています。
 今学期にはもうひとつ、第二言語教授法の授業に加えてPublic Speaking という授業を受講しました。この授業では、人前でいかに効果的なプレゼンテーションをするかというスキルを学べます。日本の大学ではあまり聞いたことのなかった授業ですが、アメリカの大学では、近年、コミュニケーションスキルの1つとして位置づけられ、よく知られるようになってきたようです。私は、フルブライターとしてアメリカの学生たちに日本語を教える上で、この授業が役立つと考え、受講しました。実際、2週間に一度のペースで、クラスメイトの前で5分から7分ほどのスピーチをしてきました。スクラントン大学は少人数制の授業にこだわっており、多くても30名ほどのクラスです。このクラスには20名ほどの学生がおり、私以外は全員アメリカ人の学部生でした。そのような環境で前に立ってスピーチをすることはとても勇気の要ることでしたが、何度もスピーチをする中で、自分の弱点をみつけたり、英語で堂々とスピーチをすることに慣れていったりと、緊張しながらも得ることの多い有意義な授業でした。また、学生たちのスピーチを聞き、ひとりひとりの個性やバックグラウンド、将来への展望などを知ることができ、興味深くもありました。
 日本を離れ、アメリカでこのプログラムに参加した上で、一番強く感じることは、何事も言葉で明確に意思表現することが求められるということです。日本で生活しているときは、周囲に対して自分の意思をすべて具体的に言葉にする必要はなかったように感じますが、いまは、自分の感じたこと、考えていることをできる限り表現するよう努力しています。日本で生活していた際は、言葉にしなくともお互いの気持ちを推し量る場面が多々あったように思いますし、それがコミュニケーション能力のひとつとして捉えられることもあったように感じます。一方で、ここではむしろ、自己表現を明確にすることが求められているように思います。これは私が感じた文化や習慣の違いのひとつの例で、実際には、日々さまざまな違いを感じるときがあります。12月にワシントンDCでフルブライトのカンファレンスに参加させていただいた際にも、どの国にも個性や独特の背景があることを実感しました。お互いをよく知り、学びあうことが、私自身の今後の国際理解につながっていくと思っています。これから始まる春学期においても、日本語を教え、また日本という国を伝えながら学生たちとかかわることで正しい相互理解に繋がるよう、励んでいきたいと思います。


最終レポート

スクラントン大学での後期における取り組みは、前期とは全く違ったものとなりました。日本語クラスを教えるにあたっては、教授にレッスンプランなどを逐一チェックしてもらうことなく自分の責任のもとで授業を進めることとなり、責任感がますます強まったと同時に、前期から継続して受講してくれる学生に授業をさらに楽しんでもらえるよう工夫を重ねていきました。後期の授業計画を前期のものから少し変え、プレゼンテーションと口頭試験を増やし、私自身が学生にプレゼンテーションをする機会をつくりました。
プレゼンテーションと口頭試験を増やしたねらいは、自分自身のことや自分が話したいことを話す機会を多く設けることです。特に学生たちが楽しんで取り組めたプレゼンテーションの課題は、「好きなアニメのキャラクターについて紹介する」です。各自でパワーポイントを用意し、授業で習った表現や文法を適切に用いて、クラスメートの前でプレゼンテーションをします。この課題に決めた理由は、一年を通して授業をする中で、学生は私が知る以上に多くの日本のアニメを知っていることがわかったからです。学生たちが、より積極的に楽しんで取り組めるような課題を見つけるように常に心がけていましたが、このプレゼンテーションにおいては特に、前日から「明日が楽しみです。」という学生が多くいたため、充実した取り組みとなり、当日は全員が楽しんで日本語を使っていました。

私自身がプレゼンテーションを正式に行ったのは、後期で二度でした。一度目はTA Talkという毎年恒例のフルブライトたち全員がひとりひとり母国について紹介するイベントで、大学の教授や関係者、学生など100名以上が集まりました。数週間前から教授と打ち合わせをしながら何度も練習や修正をし、限られた時間内で楽しみながら母国について知っていただけるよう準備をしました。私が特に丁寧に写真などを使って説明したことは、私や私の家族、友だちの普段の日常的な場面です。食文化ひとつとっても、「日本人はいつもたいてい寿司を食べている」と思っている外国人が私の身近でもよくいました。そう思っている日本語のクラスの学生も多かったです。そのように他国の人から抱かれがちなイメージを良い意味で壊すために、寿司以外にどのような食べ物を日常的に食べているのかを紹介しました。実際に日本の両親に写真で送ってもらったり、私が実際に日本で働いていた際、朝食、昼食、夕食に何を食べていたかを紹介したりと、もちろん食文化以外の観点においても、同様のねらいで紹介していきました。各国に対するイメージとは面白いものです。ドイツはソーセージにビール。アルゼンチンはタンゴ。エジプトはラクダ。しかし、そのイメージは、私たちがどこかでふと見聞きした情報や写真によって膨らんでしまったものに過ぎず、実際にその国に住む人に出会って、母国について話してもらうと、イメージとは全く異なったことを知ることになります。アメリカだけでなく、他のフルブライターの母国について知るという意味でも、非常に有意義な機会となりました。
もうひとつ私が行ったプレゼンテーションは、日本語クラスの学生向けで、授業時間を1コマつかって行いました。普段の授業内で、日本の習慣や文化に触れることは多々ありましたが、4月14日に起きた熊本地震をきっかけに、地震についてのプレゼンテーションをすることに決めました。日本という国が、地震という自然災害と常に隣り合わせであること、津波が起きた場合、どのような影響があるのか、地震対策など日常的に心がけていることや、地震が起きた時の行動など、具体的に私の経験をもとに説明しました。私は、地震の被害状況だけを伝えたかったのではなく、日本に住む私たちの生活に、地震というものがどれほど関わっているのかを知ってほしかったのです。プレゼンテーション後に、学生たちから、「とても印象深いプレゼンテーションでした。ありがとう。」という感想をもらえました。日本に興味があり、日本語を勉強していても、まだまだ知らないことが多くあるはずです。それは英語学習者にも同様のことが言えるはずです。英語で会話をする相手の国のことを、思い込みのイメージではなく知ることが、本当の理解につながると思います。

さらに、後期に学生たち中心に行ったイベントが「折り紙クラブ」です。これは、日本語の学生が、クラス外の学生を対象に折り紙を教えるというイベントでした。学生たちに、実際に教えたい折り紙をインターネットなどで検索して見つけるように伝えました。学生たちが見つけてきたものは、ピカチュウ、ライオン、フクロウなど、個性的なものでした。イベントのポスターや宣伝、会場の設営、音楽など、担当を割り振ってイベントを行いました。私が予想した以上に、学生がはりきっていたことが嬉しく、楽しくイベントに取り組んでいたことも印象的でした。日本の文化である折り紙を体験してもらうことがもちろん主な目的でしたが、私は、「学生たちが主体でやる」ことを一番大切にしたかったのです。私が日本語クラスの学生に伝えたことを、日本人でない彼らが他の誰かにまた伝えることで、さらに多くの人に、日本への関心を持ってもらえるのではないかと思ったからです。「日本っておもしろい。日本ってどんなところなんだろう。」と、日本語クラスの学生を通して他の誰かが興味をもってくれたら、それはとても嬉しいことです。当日は20人ほどがイベントにやってきました。ひとりひとりが会場に長くとどまって、いろいろな作品に挑戦していました。来てくれた学生が帰り際に、「折り紙を少しくれませんか?」と尋ねてきたので、このイベントを実施して良かったと感じました。
日本語クラスの学生たちの中で、日本への留学の相談をしてきた学生が数名いました。日本語を事前に熱心に勉強しなければいけないことはもちろんですが、実際に現地に行って学ぶことのほうがはるかに多いはずです。私がスクラントン大学で学ばせていただいたことは、日本にいては学べなかったことばかりでした。コミュニケーション方法の違いにおいても、文化や習慣の違いにおいても、事前の知識ではなくそこでの体験や実際に人から聞く話をもとに、日々学んでいました。帰国が迫ってくるにつれて強く感じたことは、母国日本について、そして世界各国について、より深く知りたいということです。多くを知ることによって広い視野をもち、他国の人々とのコミュニケーションにおいて、自分の英語力をよりよく生かすことができると感じたからです。この一年を通して経験できた多くのこと、そして得ることができた大切な今後の課題は、私にとってかけがえのないものとなりました。このような機会を与えてくださったIIEや日米教育委員会、その他支えてくださったすべての方々に感謝いたします。ありがとうございました。

4. 藤原涼 Xavier University (Cincinnati, OH)

中間レポート

8月に日本を発って以来、楽しいことや辛いことを含め、本当に多くのことを経験させていただいたこの秋学期は、これまでの人生の中でも最も密度の濃い時間だったかもしれない、とこのレポートを書くにあたり感じております。その多様でユニークな経験を可能な限りこのレポートを通してお伝えさせていただきます。

オハイオ州のシンシナティにあるXavier Universityでprimary teacherとして日本語を教え始めて約5ヶ月が経ちました。シンシナティはオハイオ州とケンタッキー州のほぼ州境に位置し、ダウンタウンからオハイオ川に架かる橋を歩いてケンタッキー州に行くこともできます。シンシナティのダウンタウン北東約8kmに位置している派遣先大学のXavier Universityはその校名からもわかるように、フランシスコ・ザビエルの名を冠しております。同学は1831年に創立されたリベラルアーツ系大学であり、全米で6番目の歴史を誇るカトリック系私立大学です。また同学は2016年版のUS News & World Report Educationでアメリカ北西部6位にランクし、現在は約4600名の学部生と約2000名の大学院生が在籍しております。

それではFLTAとしての活動について紹介していきます。まず派遣先大学に派遣される前に、インディアナ州のノートルダム大学にてオリエンテーションに参加し、他国のFLTAとの交流はもちろん、アメリカの大学教育、生活、その他にもFLTAに関するさまざまなレクチャーを受け、Fulbrighterとしてアメリカに来たことを改めて実感しました。5日間のオリエンテーションが無事に終わり、これから約10ヶ月のプログラムが始まることを想像して、胸を高鳴らせていたのが今ではとても昔のことのように感じます。

派遣先のXavier Universityに着いてからは、同学がFLTAを受け入れるのは3組目、日本人FLTAを受け入れるのは初めてのこともあり、予期せぬことが起き続ける忙しい毎日でした。その中でも印象的な出来事としては、前年度にそれまで長期間教えてこられた非常勤講師の方がお辞めになり、大学が代わりの講師を見つけて、その方と共に働く予定と伝えられておりましたが、残念ながらその方は労働許可の影響で秋学期は働くことができず、その結果、私が急遽、一人で日本語コースを担当することになると派遣先に着いてから伝えられ、2,3日でシラバスを作るように言われたことです。また、春学期についてはその講師のアシスタントになる予定と当初は伝えられておりましたが、11月下旬に突如、その方が教えないことが決定したので、続く春学期も私一人が担当することになりました。授業については、この秋学期は、週2回x 75分のElementary Japanese 101のコースを担当し、12人の学生に日本語を教えました。日本語教育が初めてだったことに加え、日本人講師が私一人だったため、初めは何をすれば効率良く教えられるのかもわからない状態で不安を抱えながら教えていました。しかし時間が経つにつれ、言語教育において自分が大切と思うことを織り込んで授業を行うことができ、次第に授業に行くことがとても楽しく感じるようになりました。また授業の準備に追われる毎日の中で、何か自分にしかできないことはないかと考え、課題のひとつにSkypeを用いたtele-collaborationを導入し、学生が授業で学んだことを定着させるために日本語母語話者との会話の機会を用意しました。半日以上の時差があり、忙しい中で快く協力してくださった元勤務校の卒業生には大変感謝しております。

今学期に履修した授業については、American Studiesの授業としてCultural Diversity in Education (undergraduate level)と外国語教授法の授業であるMethods/Curriculum/Assessment in Foreign Language (graduate level)を受講しました。Cultural Diversity in Educationの授業では、アメリカの教育における人種、文化、宗教、ジェンダー、言語の違いに加え、私自身は日本とアメリカの教育システムの比較を通して、それぞれのメリットとデメリットについて知ることできました。このような、日本ではなかなか学ぶことのできない多様性についての知識をアメリカで深めることができ、今後に大きく生きる貴重な経験となりました。外国語教育法の授業では、5Cs(Communication, Cultures, Connections, Comparisons, Communities)をテーマとし、21世紀の外国語教育者として知っておくべきこと、今後の英語教育に生きることなどを多く学びました。また、この授業内では私が唯一、アジアの言語を教えていたこともあり、改めて日本語が英語から最も離れた言語のひとつだということを、他の学生との意見交換や模擬授業を通して、身をもって感じました。また履修した授業とは別に、Xavier UniversityのESLプログラムを9月から毎日見学させていただき、日本語の授業のアイディアを得るだけでなく、将来の英語教育で役立つことを多く発見させていただきました。快く見学を受け入れてくださったESLの先生たちには本当に感謝しております。

秋学期の終了間近の12月には、ワシントンD.C.で行われたカンファレンスで約50カ国、約400人のFLTAが集結し、様々なイベントやレクチャーを通して多くのFulbrighterたちと親睦を深めました。また、Conferenceが開かれる約1ヶ月前に、タレントショーとプレゼンの計画書を出し、運良くどちらも採用してもらうことができたため、カンファレンス中はとても忙しく充実した日々を送ることができました。タレントショーでは、浴衣を着て盆踊りを説明し、実際に踊ることにより日本人らしい協調的な動きや和を示すことができたと思います。プレゼンについてはTeaching Techniqueのセッションにて、日本人FLTAの同僚である山本さんと協力し、他国のFLTAの前でTandem Language Learningを主題とした内容を話しました。私自身は授業課題として取り入れたSkypeを使った外国語教育についての内容をメインに、自分自身が理想とする持続可能な言語学習について話す機会をいただきました。私にとって、この年末のカンファレンスはまさに一期一会という言葉を表しており、一生忘れることのない貴重な経験となりました。

秋休みには同じオハイオ州にいるFLTAの同僚たちに会うために、自転車で100km以上を1日で旅し、冬休みには1週間で3000マイル以上の車旅を含め、約3週間でカナダを含め20近くの都市や街を周遊し、数え切れない貴重な経験をすることができました。関わってくださっている多くの方々への感謝の気持ちを忘れずに、残りの限られた時間を自分なりに精一杯過ごしていこうと思います。


最終レポート

長かったようで、終わってみるととても短く感じたアメリカでの10ヶ月間は、私の四半世紀の人生の中でまさにlife-changingな期間だったと帰国した今、実感しております。日本の日常では確実に経験できないことの連続が、ときには新鮮で楽しく、ときには理解し難く、そのような文化の違いに関する柔軟な考え方を、Fulbrighterとしての活動、そして日本語教育を通して養うことができ、大変幸せに思います。またMidwestの比較的東アジア人が少ないCincinnatiで過ごした時間によって、人種の違いへの理解をより一層深められただけではなく、minorityになることの大変さも学ぶことができ、とても価値のあるかけがえのない経験となりました。

それではまず始めに、春学期のXavier Universityでの日本語指導についてまとめさせていただきます。今学期は秋学期のElementary Japanese 101に引き続き、Elementary Japanese 102を担当し、7名の学生に日本語を教えさせていただきました。秋学期に引き続き、Skypeを用いたtele-collaborationの課題を出すなど、学生がより実践に近い形で学べる環境を用意しました。改めてこのレポートを通して、協力してくださった高校勤務時代の教え子の大学生たちに感謝の意を表したいと思います。また、Kahootやスマホを使ったアクティビティーも取り入れ、楽しく学ぶ時間を作り出す工夫もしました。例えば、形容詞を学び始めた頃に、形容詞を書いた小さな紙を数枚、各ペアに配布し、それを表すものを教室外に出て、スマホで写真を撮り、帰ってきてシェアするという活動は、学生たちのリアクションが面白く、楽しんでもらえたアクティビティーのひとつだったのではないかと思います。授業頻度が週2回と少なく、内容も徐々に複雑なものになっていく中で、最後のプロジェクトは、学生一人ひとりが理想の日本旅行についてのプレゼンを日本語で行い、1年間の成長を目の当たりにできた嬉しい時間となりました。そして何より、このアメリカの大学での日本語指導を通して、母国語と今まで以上に向き合い、英語と日本語の違いの理解を深めることができたこの経験は、今後の私の言語教育のmilestoneになると確信しております。

学生としては、Foundations of TESOL (Teaching English to Speakers of Other Languages)とInstructional Strategies for English Language Learners (ELLs)というgraduate levelのTESOLのコースを2つcreditで受講させていただきました。Foundations of TESOLでは文字通り、TESOLについての基礎的な知識や4技能+文法及び語彙の基本的な指導法についての内容を扱っており、それに加え、アメリカの州ごとのELLsの数や状況についても知ることができました。また、同じコースを受講していた人たちの中に、実際に小中学校レベルで指導している方などが数名いたので、現場で実際に起きている問題を共有していただき、大変有益な情報となりました。Instructional Strategies for ELLsでは、ELLsに教科を英語で指導するSIOP (The Sheltered Instruction Observation Protocol)の授業案を作りました。SIOPはcontent-based instructionsのようなものであり、私は中高の社会科の教員免許を所有しておりますので、時差や緯度と経度を扱う地理の授業案を作りました。この授業で、生徒のレベルを5段階(preproduction ~ advanced fluency)に細分化し、そのレベルに基づいて指導内容を区別するmatrixとBloom’s Taxonomy (remember. understand, apply, analyze, evaluate, create)を使った指導案の作成は、知識詰め込み教育が依然として主流の日本の教育とは大きく異なっていたため、特に難しく感じました。またどちらの授業においても、同じコースを受けている学生たちに少しでも、言語の違いや構造を考えてもらえるように、日本語と英語の言語の違いなどについてのプレゼンをさせていただきました。これらの授業によって疑いなく、私の英語教育に対する考え方もより柔軟となり、さらにアメリカの移民やheritage speakersに対する英語教育の重要性についても同時に深く考える貴重な機会となりました。

履修した授業に加え、今学期はAsia Under the Japanese Empireという授業を聴講させていただき、さらにInterpersonal Communicationというonline courseにTAという形で参加しました。Asia Under the Japanese Empireでは織田信長の時代から第二次世界大戦直後までの日本を扱っており、アメリカの歴史の授業でよく見受けるような議論が多い、参考となるスタイルの授業であり、そこでさらにアメリカの学生たちの率直な意見に耳を傾け、普段とは全く違った視点から自国の歴史を振り返ることができました。Interpersonal Communicationでは主に、日本人のコミュニケーションの取り方やアメリカの個人主義とは正反対の日本の集産主義についての考えを共有し、国籍、人種、文化、宗教、言語などによって、人間の意思疎通が如何に異なるかをさらに認識することができました。授業の参加を快諾してくださった各授業の担当教授には心より感謝致します。

授業外のイベントとしては、春学期のInternational Coffee Hourで炊き込みご飯おにぎり、お好み焼き、唐揚げを100人近くの人たちに提供しました。どれも人気ですぐになくなるのを見て、長時間かけて準備した甲斐があったと感じ、嬉しい気持ちになりました。また、折り紙と書道を体験してもらう機会を持つこともでき、少しは日本についての理解を深めて頂けたのではないかと思います。秋学期も含め、このようなイベントを厭わずに手伝ってくださったXavierのESLの留学生の隠岐裕希さん、藤井伶奈さん、正規学生の高橋花梨さんには感謝の気持ちでいっぱいです。さらに帰国前日にも、地域の図書館で1時間ほどの折り紙講座を6~10歳の子供たち30人以上を対象に進行することができ、私自身、cultural ambassadorとしての役目を少しは果たせたと信じております。

プログラム終了後の30日間のgrace periodでは、 New OrleansやTexas州を含む南部と、SeattleやSan Franciscoなどの西海岸をメインに旅をしました。そして大幅な遅延のせいもあり2回乗車合計60時間以上かけてAmtrakという列車で SacramentoからChicagoへ行き、そこからさらにバスでCincinnatiへ帰るなど、日本では経験し得ないことを経験することもできました。そして本当に中身の濃い30日間を過ごすことができたのは、道中でできた多くの友達や訪れた街や都市に偶然にも居合わせたFLTAの同僚たちと思い出を分かち合うことができたからであり、一生の思い出ができた大切な期間となりました。この10ヶ月の滞在を通して、30以上の主要都市を訪れ、アメリカ合衆国の大きさを肌で感じると共に、決してひとつにまとめることのできない多様な文化の存在を知り、日本の良いところ、アメリカの良いところを考察する有意義な期間になりました。

そして、Fulbrightのテーマのひとつでもある「相互理解の促進」に少しでも貢献するために、Fulbright FLTA 2015-2016の同僚たちの協力を要請し、それぞれの母国語でLove & Peaceを書いた写真を送ってもらい、それらをひとつにまとめた動画を作りました。(https://www.youtube.com/watch?v=PU0pH7TVlmE←著作権の関係によりパソコンのみ視聴可能) FLTA約400名全員からではないですが、100名を超える同僚に写真を送ってもらい、たとえ話す言語は異なっても、愛と平和を世界に発信したい思いはひとつであるという気持ちを伝える動画を作成できたことを嬉しく思います。このプロジェクトに率先して協力してくれたFLTA同期の山本大貴さんにもこの場を借りてお礼申し上げます。

自ら私のメンターになることを申し出てくださり、手厚くサポートしてくださった現シンシンナティ日米協会Executive DirectorのAnne Golden、同じ派遣先で唯一の同僚であり、多くの時間を共にしたスペイン人FLTAのMarta Fernandezを始め、日本国内、アメリカ国内の本当にたくさんの方々の心優しい協力があったからこそ、非常に価値のある10ヶ月間を過ごすことができたのだと思います。最後に、推薦者の菅井康祐先生、大橋千秋先生、Christopher Whitney先生、そして日米教育委員会、IIE、Senator James William Fulbrightが与えてくれた国際人として成長する機会に深謝すると共に、このレポートを締めくくりたいと思います。

5. 桑木梢 Carleton College (Northfield, MN)

中間レポート

私は、ミネソタ州ノースフィールドにあるカールトン大学に派遣されました、桑木梢です。-30℃!!の世界からお届けしています。

●大学
ノースフィールドは、ミネソタの中心地ミネアポリスから車で45分のとろにある、小さな大学都市です。私が派遣されているカールトン大学とセントオラフ大学がここにあります。 カールトン大学は、全校生徒2,000人ほどの小さい大学ですが、アメリカでは有数のリベラルアーツ大学です。カールトン大学は三学期制のため各学期10週間で終わり、冬休み6週間、春休み2週間が一学年中にあります。全米のリベラルアーツカレッジの中で常に上位10位以内に入る評価を得ているだけあり、学生たちの熱心な姿にはいつも驚かされています。また、学業だけでなく、クラブ活動などを並行してできる(そしてとても質がいい!!)能力にも感心しています。
こちらの冬は、冷蔵庫以下の気温です。購入した食べ物のパッケージが凍る程です。今年度は、11月初めに雪が少し降り始めましたが、一月近くになるまで本格的な雪には降られませんでした。いつもなら、白銀の世界の中冬休み(11月終わり)を迎えるそうです。 現在は雪に囲まれ、常にマイナスの世界ですが、今年の異常気象のお陰で凍える寒さではないそうです。(学生が言っていました。)

●仕事内容
日本語アクティビティ お茶の時間、映画の時間、ランゲージテーブル 各週1
フェイスブックの更新
日本語クラスのお手伝い 週5日、1コマ60分前後、会話練習
オフィスアワー 週5時間
まず、メインになるお仕事は日本語アクティビティの運営です。

・日本語アクティビティ
<お茶の時間>は、その名の通り緑茶を楽しむ時間ですが、日本のお菓子を作ったり、ゲームを行ったりして一時間ほど学生たちに日本文化の紹介をします。日本語を学んでいる学生が手伝ってくれますが、計画などはすべてLAが一任しています。特にこのプランニングが一番大変だったように思えます。カールトン大学は前任者もたくさんいらっしゃるため、学生が体験していない日本らしいことを限られた予算・アイテムで考えることには苦労しました。今年度は月見団子、大学芋、抹茶蒸しパンなどを作りました。
<映画の時間>は日本の映画を英語字幕で鑑賞するイベントです。大学の図書館からDVDを借りて見せています。図書館にある映画は限られており、そのほとんどが学生たちは既に観た事がある作品でした。最新のDVDを何作か持ってくればよかったと少し後悔しています。
上記以外にも、予算の許す限りイベントを行うことは可能です。新年の始まりにはお正月イベントをしました。これから、うどんを作ったり、日本食ディナーも行う予定です。

・フェイスブックの更新
学期中は週二~三回ほど更新しています。主にイベントの告知で使用しており、日時や内容を日本語と英語で投稿しています。また、日本の文化に関する情報も載せています。授業だけでなく、プラスアルファの情報を得られるように活用しています。

・日本語クラス
初級・中級・上級とあり、初級・中級は各二クラスずつあるので、一日で五クラスあります。(授業時間が重なっているところもあるので、全部参加ということはありません。)仕事内容は担当教授により異なりますが、採点や授業の補佐が主な仕事となります。代講する機会も何度か頂きました。
他には、週一回のラボ(パソコン室で発音などの練習)を任せていただき、その週に学んだところを、音声教材・パソコンを使用し復習します。そして、ライトボードという最先端の技術を使って漢字教材も作成しています。このデバイスは現在、全米で10校ほどしか持っていないそうです。
会話練習では、その週に学んだ文法や単語を私との会話で使えるようにしていきます。めきめきと上達していく姿には圧倒されました。
オフィスアワーは、基本的に教授が大学に不在の時間で学生たちの授業がない時間ということで、夜の時間帯に行います。


●授業 1term1course

授業の履修は、年度初めに一番悩んだのを覚えています。LAは学生の履修期間が終わってから授業を取ることが許され、また、日本語の授業に重ならないものでなければいけないため、自分の履修できる授業はかなり限られます。今年度は、私が興味のある分野の講義が休講だったりと、早々に落胆しました。結局、秋学期は週五日行われているドイツ語を取ることにしましたが、担当教授がとても素晴らしい方で言語面だけでなく、教え方の面でも大変勉強になりました。様々なアクティビティを取り入れて授業を進めていたので、学んでいるというよりも楽しんで話しているという印象の方が強かったです。アメリカでの言語授業はこういうものなのかと思いましたが、クラスメートがshe is the best teacherと言っていたので、彼女の教え方が素晴らしいのだと思います。教える側を目指している自分にとって、教えられる立場になることはとてもいい勉強になりました。今学期は、週3回の言語学の講義を受講していますが、周りの学生のレベルの高さに毎日悪戦苦闘しています。

もう、カールトンの一年は半分しか残っていませんので、これまで以上に充実した生活にしていきたいと思います。カールトンの学生たちがもっともっと日本語を好きになってくれるように、様々なアクティビティにも挑戦していく予定です。これからも、仕事・勉強ともに全力で挑んでいきます。


最終レポート

カールトン大学での仕事を終え、もうすぐ二か月が経とうとしています。振り返ると、カールトンでの思い出は九か月間で得たものとは思えない程あり、本当に濃い日々を送っていたのだと気づきました。
前回の中間レポートでは全体的なことと秋学期について書きましたので、このレポートでは、後半の冬学期、春学期についてと一年を通しての報告を致します。

(1)LAとして

前回に引き続き、各アクティビティ運営、facebook更新と日本語教授陣のお手伝いを致しました。
お茶の時間では日本の季節イベントに合わせ、手巻き寿司や豆まきなどをしました。お茶のお供に、日本のバラエティ番組やコマーシャルなどの映像コンテンツも見せましたが、これらは学生に大変好評でした。映画の時間は冬学期のみ行い、春学期には新たな試みとして「ドラマ&アニメの時間」を行いました。毎週ドラマを一話ずつ見ていき、学期を通して1シーズン全話を見ていくというものです。毎回参加出来ない学生も来れるように、色々なアニメの第一話を見るようにもしました。ドラマの取り組みは好評で、学生は毎回出席してくれました。しかし、ドラマを楽しみにしている学生以外の参加はありませんでした。原因は色々ありますが、このアクティビティを行っている時間帯にアニメクラブの活動があったことが主な理由だと思われます。前学期からの課題であったこのアクティビティでの参加率向上は、それほど改善できませんでしたが、学生が継続して参加してくれるようになったのでよかったです。その他の文化的イベントとして、ほうとううどんやお好み焼きなどを皆で作り食べました。また、年度末には流しそうめんを行いました。ほとんどの学生が初めてでしたが、とても上手に楽しそうにそうめんをすくっていたので、私も大変うれしくなりました。



この一年を通して私が行ったイベントはほとんど日本語を勉強している学生が対象でしたが、カールトン大学には日本から留学している学生らによる日本語サークルもあるので、彼らと協力して大きなイベントを行うこともできると思いました。近年、日本語受講学生が減少しているので、大きなイベントにより受講生増加の期待もできると思います。また、今回のドラマ&アニメの時間のようにアクティビティを変更・追加していくこともできるので、色々な行事を試せるところがカールトンのいいところです。学内には、ラジオなど様々な施設があるので、いろいろやってみるといいと思います。

<授業補佐>
各教授によってお手伝いすることは変わりますが、主に会話練習、クラスへの出席、ワークブック・クイズの丸付け、授業のお手伝い、オフィスアワーを行いました。
会話練習は、4人の学生と15分間会話の練習をするものです。初級クラスでは、その短い時間でも全員が文法項目を使った文を発言できるような資料を作り実践しました。中級クラスではメディアコンテンツを多用し、より文化面に特化した練習を行いました。短時間で効果的な練習ができるように工夫することがとても大変でしたが、回を重ねるごとに学生たちの伸びが見られることがとても嬉しかったです。
また前回のレポートでお伝えした仕事内容(週一回のラボ、ライトボード)に加え、初級クラスのエクササイズ授業を、各レッスン一回ずつ担当させてもらいました。早速、秋学期に受講したドイツ語のクラスで効果があると思ったエクササイズを実践することができました。言語の違い、授業進度の違いもあるため工夫が必要でしたが、活用できるもの、改善部分を明確に知ることができとてもいい機会になりました。

(2)学生として

冬学期にIntroduction to Linguistics、春学期にAmerican Studies とPrinciples of Psychologyと、異なる分野の授業を取りました。
Introduction to Linguisticsは初めての専門科目講義であり、まずは日本との課題量の差に驚かされました。毎回多くの課題が出ましたが、休日の課題として本が一冊出た時には何度もシラバスを確認しました…。講義中の学生の発言も専門的なものが多く、カールトンの学生の能力に再度驚かされました。この講義では、学期末にポスタープレゼンテーションの課題もあり、日本では経験できない事もたくさんできました。何よりも、言語について幅広い知識を身につけることができ、今後の勉強に繋がるとてもよい授業でした。冬学期は、Places and Identities というAmerican Studiesの講義 とPrinciples of Psychology を聴講で受けました。American Studies についての知識はほぼ皆無でしたが、日本では知ることができないような事をたくさん学べました。特に印象に残っているトピックはラテン系アメリカ人たちの境遇であり、メキシコとの国境に住んでいるラテン系の人たちは、歩いているだけでも頻繁にパスポートの提示を求められるということもあるそうです。実際にクラス内には、ラテン系アメリカ人の学生もおり、「生の声」を聴けるとても内容の濃いディスカッションが毎回行われていました。そしてPrinciples of Psychologyは、この一年を通して最もインパクトが強かった授業でした。教授のクラス進行・運営は他の教授と比べ物にならないほど素晴らしいものであり、多くのことを学びました。出来るだけ全学生が授業に参加できるように工夫するだけでなく、課題に対するアプローチも詳細に伝えていました。また、教えることに対して、心理学の面からの見方も得ることができ、LAの仕事に大いに活かすことができました。
カールトンでの講義はどれも素晴らしく、その専門分野について学べるだけでなく、教授達から教え方についても勉強することができました。

思い返すと本当に様々な経験をし、ここには書ききれないことがまだまだたくさんあります。LAという立場でカールトンに派遣されましたが、教えること以上に教えられる事がたくさんあり、自分の未熟さを知ることができました。このプログラムに参加できたことに感謝するとともに、ここで得た学びを無駄にすることなく今後に活かしていきたいと思います。最後になりますが、日米教育委員会をはじめIIE、カールトン大学など、プログラムを無事終えるまでお世話になりました全ての方に心より感謝いたします。誠にありがとうございました。

6. 笹岡祐 Pomona College (Claremont, CA)

中間レポート

 皆様はじめまして、今年度のフルブライトFLTAとしてポモナ大学に派遣されている笹岡です。2015年8月に派遣され、アメリカでの生活を始め半年が経ちました。あまりに毎日が早く過ぎる暮らしをしていますので、このレポートではこの半年間の間にFLTAとして体験したことや、アメリカで生活をして感じたことを振り返り、書き残したく思います。

 ポモナ大学は、先のレポートでも述べられているように、全米でトップクラスのリベラルアーツカレッジです。カリフォルニアのクレアモントという小さな町に位置しており、計6つの隣接した大学や大学院と共に独特なひとつのコミュニティを形成しています。優秀な学生が多く、またカリフォルニアという土地柄か学生の10%ほどを留学生が占めていることもあり、学生の国際的な意識も高いのが感じられます。日本への留学経験や日本や日本文化に対する興味を持つ学生も多く、ネイティブスピーカーとして言語を教えるのはとても充実感とやりがいを感じる環境です。

 具体的なTAとしての業務についてお話しします。担当する授業としては、週2コマの会話クラスを上級、中級の2つ、初級日本語クラスの授業3コマを持ち、またそれ以外にも毎昼食のランゲージテーブル、文化活動の企画、案内、実践などがあります。仕事の量は決して少なくはありませんが、ポモナ大学のTAにはテキスト、過去の教案、親切な教授など非常に多くのリソースが用意されており、すべてを手探りで行うというわけではありません。ですから、会話クラスにおいてチャレンジングなことは、いかに与えられた資源を有効活用できるか、どれだけ自分自身に厳しく、仕事に対しストイックになれるか、ということであるように思います。とりわけ、教える内容が明確に定められていないこのクラスでは、テーマの設定、教材の選定、実際の手順まですべて自分で考える必要があります。また、しっかり考えてから実践を行ってもその度にいくつもの反省点が見つかります。授業の結果に一喜一憂する生活は秋学期中続きましたが、吸収の良い学生達に言語を教えることは非常にやりがいがあり、経験という意味においても有意義な毎日だったと思います。初級日本語クラスの方は、週に5回授業が行われるうちの金曜日のコマを教えました。クラスには3つのセクションがありますので、同じ内容のものを3コマということになります。 会話クラスとは違い、学習歴ゼロの学生も含めて教えるこのクラスを持てたことが、日本語教育や日本語そのものの理解に非常に役立ちました。というのは、学生たちが質問すること、よく言うセンテンス、間違いなどを通して、学習者がどういったように日本語を理解しているか、母語を転移させているかがうかがえます。そうした関わりを初級、中級、上級すべての学生と持つことによって、日本語学習者の中に、日本語の理解がどう発展していくかを見ることができました。すると自然に、じゃあこのレベルではこういったことを教えてあげよう、このレベルではこの程度の複雑さを理解できるだろう、といったことが見えて来るのです。私自身としても、言語と言語習得は強い興味の対象ですから、体験を通してこれらのことを学べるのは非常に興味深く、有意義な経験でした。

 学生としては、ポモナ大学に隣接する大学での外国語教授法の授業と、同じくポモナ大学に隣接する大学院でのライティングの授業を履修しました。英語教育を専攻した私にとってはどちらも馴染みのある内容でしたが、アメリカのアカデミックアプローチで学ぶ授業はとても新鮮だったように感じます。クラスディスカションに十分に参加するためには、ただテキストを読むだけでなくそれを自分の言葉で捉え直し、?み砕き、分析することが必要で、はじめのうちは十分に発言することができず悔しい思いをすることもありました。しかしながら、時間が経つにつれ、教室文化にも馴れ、何かしら言ってみようとする中で、発言することに対して自信もついてきたように思います。

 冬休みは自由な時間が多く、学期中の日々とは大きく異なる生活を送りましたが、アメリカの多様性について理解を深める良い時間であったと思います。具体的にはまずにはワシントンDCでのフルブライターのオリエンテーションに参加し、他のFLTA 達と再会しました。異なる環境で十人十色の経験をした同志達で、それぞれの体験をシェアするのはとても恵まれた時間でした。他のFLTA達から聞いた「アメリカ」のイメージは自分が体験した「アメリカ」とはまた違うと感じる部分も多く、自分の体験はアメリカという大きな集合体の中の一部分なのだと改めて感じることが多かったです。その後はFLTAの友人達とアメリカ南東部を中心に車で旅行をしました。幾つもの街を回りましたが、普段自分が生活しているカリフォルニアやクレアモントとは大きく異なるような世界を実際に目にしました。自分が普段いる場所では見ないような 風景、話すことのない人々、考えることのない経済状況や社会状況、そういった様々なものを目にし、アメリカ文化、というものは決して一言では定義できないほどの多様性を内包していることを肌で感じました。以前から知識としては知っていたはずのことですが、それを実際に経験できているのは、1年間というまとまった期間であり、積極的な異文化体験を推奨するこのプログラムならではと思い、感謝させられています。

 この半年は本当にあっという間でのんびり息をつく時間もなかったように思いますが、それだけ多くのことを体験し吸収できたのだと思います。残された時間もできるいっぱい楽しみつつ学んでいきたいと思います。


最終レポート

 ポモナ大学に派遣された笹岡です。早いもので日本に帰国して1月が経ちました。帰国からある程度の期間をあけた後にプログラムを振り返るこの最終レポートでは、1年間ポモナ大学でFLTAとしての生活をした結果、こういったところが変わったなと思うところや、生活を通して得たものについて書きたいと思います。ポモナ大学でのFLTA経験がどんなものかという参考になれば、そしてポモナにおいてのFLTAプログラムへの参加を考える方への後押しになれば幸いです。
 まず、FLTAの大きな目的の一つである英語能力に関してです。世界中から優秀な学生が多く集まるポモナ大学で10か月間生活をすることは英語の学習という点でも大きなメリットだと感じました。周りにいるTAたちや留学生の英語力はとても高いために学ぶところは多く、留学生に対し知らない単語や表現を教えることに対しても抵抗が少なかったように思えました。また、大学において用いられる表現や語彙は高等なものからスラングを含めた日常的なものまで幅広く、言語を学ぶ立場にとっては良い環境だったのではないかと思います。その他にも、春学期に取ったクラスである社会学のクラスでは、一週間に一冊のペースで課題の本を読むなどリーディングのペースも期待されるところは高く、かなり鍛えられました。日常的に英語の使われる環境にいることが何よりの経験だと思いますが、その中でもポモナ大学はレベルの高さと留学生が多いという点で非常に良い環境だったと思います。
 さらに、FLTAならではの点として、生活の中で教える対象言語である日本語と、学ぶ対象言語である英語を往復することになりますので、必然的にそれぞれの言語について意識的に考える機会が多くあります。そのような生活の中で、「この表現はもう一方の言語でも使うことができるものだろうか」といったような単純な疑問から、「自分の母語が使う表現の特性は何だろうか」「この言語にはどういった特性があるだろうか」といったような抽象的なものまで、日常的によく考えていました。1年終えた今振り返ると、結果的に英語も日本語も上達し、より深く理解するようになったのではと思います。この経験が、のちに説明する自身のビジョンにも大きな影響を与えたと思っています。
 コミュニケーションの仕方も変わりました。まず、自分に必要な情報を自分で主体的に得るようになったと思います。ご存知のようにアメリカは自己責任の国です。わからないことがあればわからないということを表明し、必要な情報を自分の力で得なければいけません。渡米直後は右も左もわからない状況ですから、たくさんの疑問があったのはもちろんですが、それ以上に「こんな質問をしたら迷惑ではないか」「全体の進行を妨げるのでないか」といった考えがあり、積極的に質問や発言をすることに対し抵抗があったように思います。ですが、アメリカで生活をする中で、周囲の人が自分も疑問に思っていることを自信をもって質問し、必要な情報を積極的に得ている姿を見るうちに、この国の文化はこういうものなのだなと気付くことができました。1年間の生活ではありますが、今は自分が必要を感じるときに質問をすることやリクエストをすることに対し多少抵抗が少なくなった実感があります。
 とはいえ、アメリカ文化では相手のことを考えずにずけずけと何でも言ってよいということではもちろんありません。こと様々な人種が共存するカリフォルニアの中にある、多くの留学生を含む学生が学ぶポモナ大学においては、むしろ他者の文化や価値観を尊敬しつつ日常的なコミュニケーションを行っている様子を見ることが多々ありました。具体的に言えばポモナでは、PC (Politically Correct = 社会的適当)への意識が高く、学生やスタッフは異なるバックグラウンドを持つ人々を不当に傷つけないよう言葉を選んでいます。また、リクエストをする際にも相手の状況への理解を示した上で自分の要求を通す技術があり、想像していた以上に相手のことを気にかけている風にも思えました。
 私の中では、アメリカにいてコミュニケーションについて変わったこと気づいたことがその後のビジョンにも影響を与えました。先に、アメリカ文化の中で学んだことについて述べましたが、これは必ずしもアメリカの中だけで通じることではないと思います。質問を通して必要な情報を得ることは日本においても大切ですし、相手へ配慮した物言いをすることは、日本はもちろんさまざまなバックグラウンドを持つ人々の関わりでは不可欠なことです。私にとってFLTAとしての生活は、このように言語や文化を超えて共通するものに気づくことが多く、そのことから今は言語学へ強い興味を感じています。今後の展望としては大学院に進学し、日本語と英語とで共通している部分、特異な部分を詳しく調べていきたいと思っています。
 アメリカという異文化環境での10か月生活するという経験は、私にとっては初めてのことであり、当然ですが大きなインパクトがありました。私自身の考え方、価値観、将来の展望、それぞれ少なからず影響を受けたように思います。FLTAには教職経験を持って参加する人は多く、教職実践の経験がないためにアプライをためらう人もいるかと思いますが、ぜひそのような方もためらわずに踏み込んでみていただきたいと思います。
 最後にはなりますが、この10か月間を支えてくださった日米教育委員会の皆さま、IIEの皆さま、またともに同じ期間を過ごしたFLTAの同期たち、アメリカで出会った友達たちに感謝の言葉を述べさせていただきたいと思います。人生で最高の1年間でした!ありがとうございました!

7. 綱川陽香 St. Olaf College (Northfield, MN)

中間レポート

2015年8月、私にとって一年ぶりのアメリカでの生活が始まりました。 今、私はミネソタ州の小さな町、ノースフィールドにあるセントオラフ大学で、日本語のTeaching Assistantをしています。今回の渡米でアメリカ生活は二度目となりますが、ミネソタに来たのは今回が初めてでした。ミネソタに来る前の印象は、「カナダとの国境の州…きっと寒いのだろうな。」でした。そして、実際に住んでみて、やはり冬はとても厳しいと感じました。例年よりは暖かいよ、と周りの人は言っていましたが、私はミネソタに来て初めてスノーブーツを買い、そして初めてマイナス30度近い寒さを経験しました。しかし、最近は寒さにも慣れ、雪で覆われたキャンパスで毎日穏やかに生活しています。また、ミネソタに来てからは、多くの人から「ミネソタナイス」という言葉を聞きました。私はこの言葉を、ミネソタでは、差別をせず、外から来た人たちにも親切にする、というように捉えています 。そして、私が住んでいるノースフィールドは、アメリカの中でも、また日本と比べても、とても安全な街です。例えば、大学の学食の入口には棚がたくさんあって、学生たちはそこに自分の荷物を置いてから、学食に入ります。ここに来て間もない頃は、ここでは盗まれるという心配をしないのかとカルチャーショックをうけました。また、大学の学食については、米国内の大学学食ランキングでも上位になるくらい美味しく、長期休みでキャンパスにいない時には大学の食事が恋しくなるくらいでした。

大学についての印象ですが、まずキャンパスがとてもきれいです。秋には紅葉が楽しめ、冬は大学にある丘に積もった雪を利用してソリが楽しめます。また、学生数約3千人の中規模校ということもあり、多くの授業が少人数クラスで行われています。例えば、私が秋学期に取った授業は、一つが学生数約20名、そしてもう一つは学生数3名の授業でした。そして、教授や職員もとても親切です。私が主に関わるのは、職員として所属しているアジア研究学部と学生として授業を取っている教育学部ですが、どちらの学部も手厚いサポートをしてくれます。また、小さな街にある大学にもかかわらず、日本語を話す教授や職員が何人もいるのに驚きました。同僚にも上司にも恵まれ、良い環境の中で生活することができています。生活については、学内には大学の寮と家がありますが、私はシェアハウスをしています 。私が住んでいるのは日本語ハウスというところで、私は日本語を学んでいる学生3人と、日本からの留学生1人と一緒に暮らしています。家では日本語で話したり、日本食を作ったりもしています。また、大学の言語教育に関しての印象ですが、とてもきめ細かい指導と魅力的な授業カリキュラムだと感じました。日本語以外の言語教育も盛んですが、日本語教育に関していうと、まず一年生から四年生までのクラスがあります。そして、授業カリキュラムとしては内容重視での授業実践がされており、学生は日本文化を学ぶ中で文法を学んでいます。文法重視ではなく内容(文化)重視で言語を教えるということに関して、私も元々興味があったので、日本語の他の先生の授業を観察させていただいたり、自分でもそのカリキュラムのもと授業を作ったりと、とても充実しています。

大学での私のTAとしての仕事は大きく分けて三つです。一つ目はクラス単位で日本語を教える仕事です。秋学期は、日本語の一年生のラボのクラスと、語学としての日本語のクラスではないSurvival Japaneseというクラスを担当しました。ラボは通常の日本語クラスの復習の時間で、一週間に一回あります。このクラスでは、毎回習った文法を使った活動を行っていました。例えば、学期末には全員でかるたを作りました。Survival Japaneseでは、一月に一ヶ月間、授業で日本に行く学生用のクラスでした。大半が日本語を全く知らない学生だったので、彼らが日本に行った時に必要な日本語や日本の情報を教えました。二つ目はチュートリアルです。チュートリアルは1対1の個別の学習時間で、日本語の授業を取っている学生は全員、一週間に30分間のチュートリアルの時間が必須になっています。私は日本語の二年生のクラスの学生を8人担当しました。学生とは、その週によって違うトピックで、30分間ほぼ日本語で話します。私は1対1で学生と深く話すことのできる、このチュートリアルの時間がとても気に入っていました。三つ目は日本語の会話テーブルです。会話テーブルは週に一回あり、夕ご飯を食べながら日本語で話します。会話テーブルには、毎週来る学生もいれば、その週のトピックに興味があって来る学生もいます。この会話テーブルの時間をどううまく使っていくか、私は毎回試行錯誤していました。秋学期は主に、日本の年中行事などがある時期にはそれに関連したトピックを行いました。例えば、年賀状を紹介した時は、多くの学生が初めて年賀状を書きました。また、日本の歌を紹介してグループごとに歌詞を並び替えるゲームをした時は、学生も楽しそうに参加していました。また、これらの仕事以外にも、課題やテストの丸付けも行っていました。どの仕事においても、私のやりたいことを自由にさせて頂いたなあと思います。多くのアドバイスもいただき、試してはより良くなるように考え、改善をしていくことができました。

また、学生としては秋学期に二つ、そして一月にあった一ヶ月間の短い学期(Interim)では一つの授業を取りました。秋学期にはFoundations of U.S. EducationとTeaching World Languageという授業を取りました。どちらも教育学部の授業ですが、一つ目の授業ではアメリカの教育の歴史について、二つ目の授業ではどのように外国語を教えるかということについて学びました。私は特に二つ目の授業が好きで、スペイン語専攻の二人のクラスメイトと一緒に外国語教育について話したり、授業案について考えたりしました。また、どちらの授業でも観察実習があったので、それぞれ近くの小学校と、大学内の第二言語のクラスに行っていました。小学校での実習では授業をさせていただく機会もありました。そして、InterimにはUrban Schools and Communitiesというオフキャンパスでの授業を取りました。この授業では、大学から車で一時間ほど離れた街、ミネアポリスにあるコミュニティスクールで、二週間観察実習をさせていただきました。私はESLのクラスに配属されましたが、そのクラスは全員がソマリアから去年アメリカに来たばかりで、英語を学び始めたのもその時からという子ばかりでした。今まで私が観察したことのある、アメリカの学校とは異なる環境での実習や、難民やマイノリティ、貧困などについてのアメリカでの現状をクラスメイトと議論することで 、自分の生きてきた環境について考えることができました。

秋学期とInterimの間の冬休みでは、アメリカを旅行することもできました。ワシントンD.C.でのカンファレンスの後は、ニューヨークとケンタッキーに行きました。ニューヨークにはニューイヤーに行ったので、カウントダウンもしました。ケンタッキーでは、留学中に出会った友人と再び会うことができました。 私がFLTAプログラムに応募した理由の一つは、アメリカで何か自分のできることで恩返しがしたいという思いからでした。私は、大学在学中にアメリカのケンタッキー州に約10ヶ月間交換留学をしていました。その時に周りの人たちに支えられ、アメリカという国が好きになり、また来たいと考えるようになりました。そこで、 自分が今まで学んできたことを生かせる教育という現場で、アメリカでの外国語教育に貢献できる、FLTAへの応募を決めました。今、自分がTA、そして学生として、ここでしてきたことを振り返ると、私だからできることを、少しでもやってこられたのではないかと思います。そして自分にとって無理をしない範囲で、この経験を楽しんできたという気持ちもあります。しかし、私だからできることが、まだまだ何かあるのではないかという気持ちもあります。そこで、来学期からは新しい取り組みもしていこうと考えています。残りのアメリカ生活を、私にとって、そして私の周りの人にとってもより意味のあるものにしていくために、さらに挑戦をし続けていきたいと思います。


最終レポート

2016年6月、およそ9ヶ月間のFLTAプログラムを終えて、日本に帰ってきました。最近までアメリカにいたのが嘘の様に、帰ってきてしまうとすぐに日本の環境に順応している自分がいます。しかしながら、このプログラムに参加する前と後では、きっと自分の中でもいろいろな変化があったのだろうな、と改めて思う毎日です。
前回のレポートでは、プログラム前半の秋学期とInterimについてお話しさせていただいたので、今回は後半の春学期についてお話ししたいと思います。ミネソタの冬は長い…ということで、3月にも雪が降り、やっと暖かくなってきたというところで日本に帰ってきてしまいました。春になるとキャンパスにはリスやうさぎが姿を現し、緑や花がとてもきれいでした。また、今学期はアメリカ国内旅行も楽しむことができました。ミネソタ州内を始め、プログラム終了後には西海岸を旅行しました。ずっと行きたかったカリフォルニアのディズニーランドに一人で行ってみたり、グランドキャニオンの壮大な自然を体験したりしました。

さて、春学期の仕事は、1年生のラボ、2?4年生のチュートリアル、会話テーブル、1年生の課題の採点、漢字クイズの作成、そして合唱部の運営でした。秋学期に引き続き担当した1年生のラボでは、日本の文化にも触れてもらうために授業中に日本の歌を流したり、日本各地の旅行動画を見たりしました。雪が溶けて外が暖かくなった日は、外に出て授業をしました。チョークを使ってキャンパスの道に文字を書いて、グループに分かれてしりとり対決をしました。学生が授業で覚えた単語に混じって、「つながわ」という私の名字を使ってしりとりをつなげているのを見て、「ああ、私がここで1年間この子たちに日本語を教えたんだなあ。」と感慨深くなりました。また、七夕について学んだ後は、みんなで短冊にお願い事を書きました。チュートリアルでは、今学期は2?4年生まで担当しました。2年生では1年続けて担当している子も多く、成長が見られて良かったです。4年生では日本語についての質問もレベルが高くなってくるので、私の勉強にもなりました。会話テーブルも引き続き担当しました。冬休み明けには、1年生のラボで学生が作ったカルタをやったり、節分には豆まきをしたり、私が好きな日本のキャラクターの20周年をみんなで祝ったりしました。また、花札を紹介して、花札が出てくるアニメーション映画の上映会を行ったりもしました。1年生の課題の採点では、ワークブックの丸付けをする中で、学生がどんなところを苦手としているのかを知ることができました。また、1年生の漢字クイズを毎週作りました。できるだけ日常で使いそうな文を考えて、問題にしました。そして、今学期は日本語の合唱部を作りました。私が中学・高校・大学と合唱に関わっていて、歌うのが好きだったので、日本の歌や歌うことに興味のある学生向けに、合唱部を作ろうと冬休みから考えていました。週1回1時間の活動でしたが、毎週何の曲を歌うか、どんな風に練習するかを決めるのは大変でした。学生も勉強が大変なのに練習に来てくれていたので、 上手く時間を使えるようにしたいといつも考えていました 。合唱部の練習には、1年生から4年生まで参加してくれました。毎週、カラオケで人気の曲やアニメソング、日本の童謡まで、たくさんの曲を歌いました。学期末には、コンサートも行い、そこではあんみつも作って振るまいました。学生が日本や日本語について、音楽という面から何か学んで、楽しんでくれればいいなと思って始めた合唱部でした。毎週練習に来てくれた学生から、楽しかったという声が聞けて、やって良かったなあと思いました。
  

仕事以外にも、学内の他の団体と一緒にアジアウィークというイベントを作りました。アジアウィークは、その1週間で1日ごとに毎日、アジアの国の団体が何かイベントを行うという週です。日本は団体がなかったので、日本語プログラムとして参加しました。オープニングナイトではおにぎりを振る舞い、プログラムのイベントとしては浴衣の着付けを行いました。このイベントは、春学期に歌舞伎のクラスがあるのを知り、そこで浴衣を着ているという情報から、ダンスの学部から浴衣を借りられるか聞いて、準備をしました。このイベントは学生に好評でしたし、アメリカの学内で、たくさんの浴衣から学生が自分で選んで着られるという異文化体験イベントができて、良かったと思いました。また、日本語の4年生の授業で天ぷらうどんを作るのに参加したり、学期末には日本語プログラムのお疲れさま会でカレーやお好み焼きを作ったりと、アメリカにいながら日本の食文化を教えることのできる機会が多く、とても楽しかったです。

そして、春学期には英語の言語学の授業を、学生として取りました。FLTAは計4つの授業を取る必要がありますが、私は秋学期に2つ、Interimに1つ、春学期に1つとりました。Interimに授業を取っていたので、春学期は秋学期よりも余裕ができ、その結果イベントを作ったり、合唱部を作ったりすることができました。言語学の授業は大学でも取ったことがありましたが、この授業ではアメリカ内での地域による英語の違いを学べたのが面白かったです。授業外では、今学期も小学校での実習をさせていただきました。秋学期とは違う小学校で、2年生のクラスでリーディングの授業の手伝いをしました。この小学校はESLの児童が多いため、学期の後半からはESLの授業も観察させていただいていました。また、学期末には、おりがみで 浴衣を作り、そこに顔や体を描いて自分だけの紙人形を作る授業をしました。また、別の小学校でも異文化についての授業を頼まれたので、新聞紙でかぶと(Samurai Hat)を一緒に作りました。どちらの授業でも、日本の文化を子どもたちに楽しく伝えられ、何か形に残るものを作ることができました。子どもたちが楽しそうに授業に参加してくれて良かったです。

このフルブライトのプログラムに参加して、得たものはたくさんあります。もちろん悔しかったことや辛かったこともあります。 アメリカにもう一度行くと、自分で決めたくせに、FLTAとして自分がアメリカにいる意味について考えてしまったこともあります。しかし、私をTAとして選んでくださったセントオラフ大学での出会いは、素晴らしいものでした。本当に、人に恵まれたと思っています。自分が今までやってきたことを、自由に、そして私らしく生かすことのできた場所でした。FLTAとしてアメリカにいる間に経験したことや考えたことは、きっと意味があったと私は思っています。FLTAプログラムに興味のある方は、ぜひ挑戦してみてください。
最後になりますが、多くのサポートをしてくださった日米教育委員会の皆様、ありがとうございました。 今回はぜひ、写真をたくさん見てください!

8. 梅咲晃代 Spelman College (Atlanta, GA)

中間レポート

私はジョージア州アトランタにある、Spelman College(スペルマン大学)で2015年度のFLTAをしています。今回の中間レポートでは、FLTAプログラムでの私の経験・活動内容をご報告いたします。

1.夏のオリエンテーション(事前研修)

渡米後まず最初に、ペンシルバニア大学でのオリエンテーションがありました。他国からのFLTA約50名と共に、教授法やアメリカ文化などについて学びました。オリエンテーション最終日には、タレントショーというイベントで、各国の伝統文化やポップカルチャー紹介の機会があり、私はソーラン節を披露しました。3日間という短い期間でしたが、そこから約1年間、同じ時期に同じアメリカで頑張るFLTAの仲間がたくさんでき、とても中身の濃い、充実した時間でプログラムがスタートしました。

2.派遣先大学での経験

(1)アシスタントとして
日本語授業のアシスタント
派遣先であるスペルマン大学では、日本語の担当教官である劉先生のもと、日本語の授業のアシスタントをしています。日本語の授業は、初級・中級・上級・Special Topicの4クラスがFall Semester(秋学期)に開講されました。それぞれ、1クラス50分×週3回の授業です。スペルマン大学に隣接しているモアハウス大学、クラーク大学の学生も、一緒に日本語の授業を受講しています。最初の頃の授業では、私は主に発音練習や日本文化の説明を担当しました。授業が進むにつれて、学生のつまずいているポイントが私にもわかってきたので、文法事項についてもわかりやすくサポートできるようプリントなどを作りました。すると、劉先生がそれを授業の中でもどんどん試させて下さり、とてもやりがいがありました。私は大学時代に言語学を勉強しており、日本語と英語の違いを比較したり、言葉のルールを分析したりすることが好きなので、学生がどのような間違いをするかということからも学びがたくさんあり、興味深いです。

授業以外での語学アシスタント
授業でのアシスタントの他に、週1回のLanguage Tableで日本語を教えています。授業よりもリラックスした雰囲気で、お菓子なども食べながら、日本語で話す練習をしています。ここでは、授業とは違って、初級の学生も上級の学生も一緒に学ぶので、最初はレベル差をどうするかが難しかったですが、学生のレベルによって質問を変えたり、学生同士で助け合いながら文章を作ってもらったりすることで、違うレベルの学生たちが同時に学ぶ方法が見つかってきました。学生から「自分だけではなかなか考える機会がないから、こういうふうに練習できるとためになる」と言われ、学生のモチベーションの高さに感動しました。学生たちが大学内の至るところで、「あきよ先生!」「こんにちは!」と声をかけてくれるのも、とても嬉しいです。

日本文化紹介
スペルマン大学には、モアハウス大学・クラーク大学の学生と共同で運営している「日本クラブ」があり、そのミーティングにも参加しています。ミーティングでは、日本文化についてディスカッションをしたり、行事に合わせて日本の映画を見たりします。アニメ人気は想像通り根強く、ハロウィーンパーティで、日本のアニメのコスプレをしている学生もいました。11月にはInternational Education Weekというものがあり、日本クラブのメンバーと、日本語クラスの学生と一緒に、大学で盆踊りを披露しました。学生はみんなすぐに盆踊りの振り付けを覚えてしまい、さらには、アメリカの流行の曲に合わせて盆踊りを踊るというアレンジまで加え始めたので、驚きました。発表を見に来てくれていた人にも、途中から一緒に踊ってもらったりもしました。このイベントを通じて、普段は日本文化になかなか触れる機会のない方々にも日本文化を紹介することができました。

(2)学生として
履修授業
FLTAは、「語学アシスタント」であり、「学生」でもあります。学生としては、秋学期に2つの授業を履修しました。ひとつはOrientation to Educationという授業で、もうひとつはAmerican Sign Languageという授業です。Orientation to Educationは、将来教育に携わりたい学生が受講する授業です。ディスカッションやプレゼンテーションを通じて、教育に関する歴史・法律・組織などについて、そして、現代アメリカの学校や学生を取り巻く状況・問題について学びました。授業の課題の中にField Experience(課外実習)があり、私は近くの小学校での放課後ボランティアに参加しました。そこで小学生から、「どこから来たの?」「何語を話すの?」などいろいろな質問を受けました。大学以外でも、私を通じて、他の文化や言語に触れる機会を持ってもらうことに少しは貢献できたのではないかと思っています。American Sign Language(ASL)はアメリカ手話の授業です。授業の中で、実際にASLを使いながら学ぶスタイルで、中には、自分の手話をビデオで録画し、教授からフィードバックをいただくという課題もありました。さらに、「その言語が使われている文化を知らなければ、その言語を話せるようにならない」と教授がおっしゃっていた通り、ASLという言語を学ぶだけでなく、ASL話者の文化について学ぶ機会がカリキュラムに組み込まれていました。例えば、ASL話者としてお店に行き、どのような対応をされたのかについてレポートを書いたりしました。授業や課題を通して、学んだことがきちんと積み重なる感覚があり、自分が教える立場としても参考にしたいことがたくさんありました。

スペルマン大学の特色
スペルマン大学はHBCU(Historically Black Colleges and Universities)という、歴史的にも重要な大学です。女子大学であり、学生の9割以上がアフリカン・アメリカンという環境のため、私が受講した授業の中でも、「黒人」であること「女性」であることを意識した視点が多くありました。Orientation to Educationの授業で「黒人女性であるからこそ、『二重の差別』を乗り越えて、私たちが社会で活躍することにものすごく意義があるのだ」と教授がおっしゃっていたのが印象的でした。学生たちも、HBCUで学ぶことに誇りを持ち、社会での事象についても自分の意見をしっかり持っていました。その環境の中で、FLTAとして時間を共有できていることは、今後の自分の糧になると感じています。

3.FLTAカンファレンス(プログラム中間報告会)

秋学期の最後12月には、ワシントンDCでFLTA mid-year conferenceが行われました。世界中からのFLTA約400名が参加する、大規模のカンファレンスです。レクチャーを受けたり、文化交流をしたり、米国国務省の方々にお会いしたりと、このプログラムの壮大さを改めて感じました。私は派遣先のスペルマン大学での例をもとに、言語教授法についての発表をしました。他のFLTAからフィードバックをもらうこともでき、自分の成長に大きくつながる経験ができました。また、最終日にはタレントショーがあり、日本からの他のFLTAと共に盆踊りを披露しました。このカンファレンスでは、夏のオリエンテーションで一緒だったFLTAとも再び会うことができました。お互いに近況報告をする中でいい刺激を受け、プログラム後半もまた頑張ろうという気持ちになりました。このつながりや経験は、何ものにも変えられない、本当に貴重なものだと思います。

今、私がこうして充実した毎日を送れているのも、たくさんの方々のご理解、ご協力、ご支援があるからこそです。日々さまざまな経験ができるこの環境を与えてくださり、サポートしてくださり、本当にありがとうございます。来学期は、アシスタントとしてだけでなく、メイン講師としても授業を担当します。アメリカで実際に「教える」という経験を通じて、日米の相互理解・言語教育の発展に貢献できるよう、新たな取り組みにも積極的に挑戦していきたいと思います。


最終レポート

FLTAプログラムを終え帰国した今、出発前に期待していた以上に、自分の変化や成長を感じることができています。FLTAは、語学アシスタントであり学生であるという二重の立場だからこそ、様々な角度から人と関わり、学びや挑戦の機会をたくさんいただくことができました。中身の濃いとても充実した、夢のような、しかし確実に、これからの私につながっていく貴重な経験ができたことに感謝しています。この最終レポートでは、前回の中間レポート以後の春学期の取り組みとプログラム全体の振り返りをご報告いたします。

1.語学アシスタントとして

(1)メイン講師
秋学期はアシスタントとして日本語のクラスに入っていましたが、春学期にはElementary Japanese Iという初級クラスのメイン講師として、一人で授業を担当する機会もいただきました。過去最高人数である24名の担当となり、責任の範囲が増える分、やりがいも、学ぶことも増え、自分の成長につながるいい経験となりました。ねらい通りに学生が「わかった」「できた」「楽しい」となったときは、それまで以上にやりがいを感じました。一方、アシスタントの時にはわからなかった、メイン講師をする上で一番大変だったことは、学生のやる気を引き出し続けることでした。学期の初めは簡単なあいさつの表現などを扱うため、全員が「できた」という実感を持ちやすいのですが、内容が難しくなるにつれ、学生によって理解度とやる気に差が出てきました。担当教官から、学生は日本文化に興味を持っているので、文化にもっと触れるとよいとアドバイスを受け、授業の構成を変えていきました。さらに、授業で理解してほしい要点をそれまで以上に絞ることにしました。すると、授業中の学生からの発言や質問も増え、反応が良くなりました。文化の側面を増やしたことで、学生の日本と日本語への興味が高まり、学習意欲を取り戻しました。また、要点を絞ることで私自身にも余裕ができ、学生の反応をよく見ながら楽しく授業ができるようになりました。その後は、授業で書道をしたり、歌ったり、踊ったり、ゲームをしたりと、文化と融合させた様々なアクティビティを行いました。最後の授業で、「このクラスが大好きでした!」「来年も担当してほしい!」と学生から言葉をもらい、私だけでなく学生にとっても心に残る授業となったようでとても嬉しい気持ちになりました。担当教官の劉先生のもと、文化の要素をたくさん取り入れた、学生が楽しみながら学ぶ授業は、今後、日本での英語教育にも取り入れていきたいと思っています。

(2)日本文化紹介
授業以外にも、春学期は秋学期以上に様々な文化紹介の機会をいただきました。スペルマン大学では、キャンパス内の桜開花の時期に合わせた「桜祭り(Cherry Blossom Festival)」という日本文化体験イベントが行われます。例年の実施内容を参考にしながら、日本クラブ、現地の日本人会の方々と協力して作り上げていきました。今年は、折り紙、墨の代わりに水を使った書道、日本の習慣ミニ講座、お寿司作り、踊り、剣道模擬体験、カラオケを行いました。日本語を履修している学生の他にも、日本語を履修していない学生、大学スタッフの方々、地域のインターナショナルスクールの小学生など、たくさんの方が参加してくださいました。日本文化の良さをより多くの人に知ってもらうことができ、達成感がありました。その他の日本文化紹介としては、日本クラブの活動の中でおにぎりパーティを行いました。最初は難しいと言っていた学生もいましたが、最後にはみんな笑顔で自分の作ったおにぎりを食べていました。クッキングとなると大変ですが、おにぎり作りは取り組みやすく、全員で出来るアクティビティとしておすすめです。

   

(3)学外での学び
派遣先大学以外でも、高校や他大学の授業見学、弁論大会でのボランティア、日本語教師カンファレンス参加、インターナショナルスクール授業見学など、FLTAとしてアメリカにいたからこそできた経験がたくさんありました。特に、アメリカにおける言語教育実践の場を数多く見学できたことが、私にとって大きかったです。レベルや背景、履修動機の異なる様々な場で、あらゆる授業実践例や工夫を学ぶことができました。授業見学をしたいという私の思いを応援して、協力してくださった方々に本当に感謝しています。高校で授業見学をした際には、ゲストスピーカーとして、日本とアメリカの学校の違いについて話す機会をいただき、相互文化理解の場も作ってくださいました。さらにアトランタには、日本語と中国語のイマージョン教育(その言語で他の科目も学ぶ)が行われているインターナショナルスクールがあり、そこで学生たちがいきいきと学んでいる姿を見て、さらなる言語教育の可能性を感じました。また、直接先生方とお話をする中で、今後につながるアイデアもいただくことができました。FLTAとしての滞在期間が限られていたからこそ、「今この場所だからできることは何か」ということを常に考えていました。そして、とにかく何か行動に移してみるということを心掛けていました。そうすることで、いろいろな挑戦の機会を得ることができ、貴重な経験や学びが得られました。

2.学生として

(1)履修授業
春学期はGrammar and StyleとAmerican Sign Language IIという2つの授業を履修しました。Grammar and Styleは、アメリカで教員を目指す学生向けのライティングの授業です。一人一人が書いたレポートをクラス全体で読み、内容や構成、使われている文法のルールについて意見を出し合い、校正をしていくというワークショップ型の授業です。アメリカの大学生が書く文章を読むことで、私自身の表現の幅が広がりました。また、この授業のスタイルは、日本での英語ライティング指導にも応用できそうな点がいくつもありました。American Sign Language IIは、秋学期に履修していたアメリカ手話(ASL)の応用クラスです。より多くの単語や表現法を学び、実際にASL話者のいるコミュニティに行き、直接交流する中で文化を学ぶという機会もありました。自分の手話が相手に通じ、相手の手話を理解できた時はとても嬉しかったです。言語教育において、実際のコミュニケーション環境に学習者を飛び込ませる大切さを実感しました。学ぶ立場として履修した授業から、教える立場に立つときに生かせる考え方やクラス活動のアイデアをたくさん学ぶことができました。

(2)リサーチデイ
スペルマン大学は女子大学ということもあり、女性が社会で活躍できるための様々な取り組みが行われています。そのひとつであるResearch Dayという学内の研究発表イベントで、私は文化を取り入れた言語教育の実践例として、スペルマン大学での日本語の授業の取り組みを発表しました。担当教官から、理論面の強化や見せ方についてのアドバイスをいただき、発表に臨んだ結果、カテゴリー内1位を受賞しました。この発表を通じて、スペルマン大学での日本語プログラムを他学部の学生や先生方に紹介することができ、そこから新たなつながりも生まれました。担当教官をはじめ、たくさんの方々のご協力のおかげで、日本語プログラムの発展につながる、とても意義のある発表を作り上げることができました。

(3)スペルマン大学だからこそ感じられたこと
中間レポートでも述べましたが、スペルマン大学はHBCU(Historically Black Colleges and Universities)というアフリカンアメリカン大学であり、さらに女子大学という、アメリカの中でも重要な位置づけの大学です。「黒人」や「女性」がどのように見られているのかという視点を、先生や学生が常に持っているということが授業や普段の会話の中から感じられました。実際に聞くと本当に辛い、想像もできないような経験をしてきたからこそ、自分の力を正しく認められ、社会にどう影響を与えていくかを考えられるスペルマン大学の環境に感謝している学生がたくさんいました。スペルマン大学での授業や交流を通じて、今回FLTAとして派遣されるまでは知らなかった現実を知り、同時に、そのような困難を乗り越えて、優しく接してきてくれる人々の温かさを感じました。私もスペルマン大学で学んだ一人として、人と人との交流を通じてより素敵な世界を作っていけるよう、スペルマン大学のスローガン“A Choice to Change the World”をこれからも大事にしていきたいと思っています。

3.FLTAプログラム全体を振り返って

私は、これまでに日本で英語を教える中で感じたジレンマや、より良くしたいという思いからFLTAプログラムに応募しました。プログラムを終えて改めて振り返って、本当にこのプログラムに参加できて良かったと思います。語学アシスタントとしてアメリカの学生に関われたこと、教えるという経験ができたことで、日本の英語教育において変えていきたい部分が明確になってきました。また、日本語や日本文化を伝えることでのやりがいも感じることができました。そして何よりも、このプログラムを通じて人と人のつながりの大切さを感じました。教育においても、本質は人と人との関わりであり、学習者のことをよく知った上でこそ、教授法やアイデアが生かされると実感することができました。FLTAとしてアメリカで過ごした一瞬一瞬、すべての出会い、経験が、私にとってかけがえのない宝物となっています。

これから、日本の英語教育をより良くしたいという私の夢を実現するために、さらに必要な知識や経験を身につけ、長期的には、日本の英語教育現場をサポートする仕組みを構築していきたいと考えています。そして、FLTAとして経験したこと、学んだことをしっかり還元し、日本の英語教育に貢献していきたいです。

たくさんの方々のおかげで、このような素晴らしい経験をすることができました。派遣先大学で出会った学生や友人、先生、スタッフの方々、約400名の世界中からのFLTA、アメリカの中で、日本から、いつも私を見守り支えてくださった皆様、日米教育委員会、IIEの方々に、感謝の気持ちでいっぱいです。FLTAプログラムでの経験が、これからも私の人生に、そして、私が関わっていく世界にプラスの影響を与え続けてくれると確信しています。本当にありがとうございました。

9. 山本大貴 Casper College (Casper, WY)

中間レポート

2015年8月より、ワイオミング州のCasper Collegeで日本語を教えている山本大貴です。

Fulbright FLTAプログラムに出願し、9月末頃行われる面接に合格して最終候補者に残ると、翌年の3月頃に赴任を希望する大学をいくつかの候補の中から選ぶことができます。(希望通りに派遣されるとは限りませんが。) 言うまでもなくその選択は、FLTAとして過ごす約10か月間の生活を大きく左右する重要なものです。今回は、このレポートが派遣先大学の希望を出す際の助けになることを願い、Casper CollegeでのFLTA生活の特徴について書いていこうと思います。(より具体的な体験談を知りたい方は、2014年度にCasper Collegeに赴任された大西由紀さんの中間レポートが参考になるかと思います。)

Casper CollegeでのFLTA生活の最大の特徴は、その責任の重さです。日本語教員はキャンパスに自分1人です。授業計画から成績評価まで、自分で責任をもって行うことが求められます。担当する授業は週8コマ(週200分の授業を2種類担当)で、他大学のFLTAと比べるとやや多めなので、授業準備は大変です。もちろん、同僚の先生からアドバイスはいただけますし、近くの高校の大変優秀な日本語の先生から話を伺うこともできますが、授業に関してプレッシャーを感じることは多いかもしれません。さらに、日本人の先生も自分以外にいなければ、日本人学生も2015年現在一人もいません。(そもそも、アメリカ人以外の学生をほとんど見かけません。) よって多くの学生は、私以外の日本人をほとんど知りません。これは、自分の行動次第で彼らの日本人全体に対するステレオタイプが決まる可能性が高いということを意味しており、常に気が抜けません。
しかし考え方によっては、これは素晴らしい環境であるとも言えます。大学に日本語教師一人ということは、授業を自分の信念に従い、自由に計画できるということです。これは20代ではなかなかできない大変貴重な経験です。言語教育に対して理想をお持ちの方には、それを実践するこれ以上ない機会だと思います。また、日本人がキャンパスに一人だということも、「自分が周りから尊敬されるような行動をとりさえすれば、学生が日本人に対して良い印象を持ってくれる」と考えれば、やりがいを感じられます。さらに、唯一の日本人、また数少ない外国人ということで周りから興味を持ってもらえ、食事等いろいろと誘っていただけます。「せっかく留学に来たのに日本人とばかり行動していた」というようなよくある失敗は起きない、ということも利点であると考えられます。

 つぎに、学生として履修する授業に関する特徴をご紹介します。Casper Collegeは、2年制のコミュニティカレッジです。そのため、大学1、2年生が履修することを想定したレベルの授業がほとんどで、基礎的な内容のものが多く、大学院レベルの授業をとっている他大学のFLTAと比べれば課題等は少ないかもしれません。その分日本語の授業準備にかける時間が確保できるとも言えますが、専門性の高いハイレベルな授業を履修することを一番の目的にFLTAプログラムに応募した方にとっては、その点がネックとなる可能性がります。また、言語教育に関する授業は現在のところありません。
 一方、少人数の授業が多いという点は、Casper Collegeの強みだと思います。私は秋学期、African American StudiesとGender, Communication, and Cultureという2つの授業を履修しましたが、どちらも履修者は10人未満でした。そのため、私のように英語にあまり自信がない人でも、比較的容易に発言ができ、授業に貢献することができます。また、先生と親密な関係を築きやすく、質問等は躊躇なくできます。フレンドリーな雰囲気のインタラクティブな授業を楽しみたい方には強くお勧めです。尚、授業に関して詳しく知りたい方は以下のサイトをご覧ください。
http://www.caspercollege.edu/class-schedules

 最後に、キャスパーという町、またキャンパスの特徴についてです。キャスパーは、ワイオミング州中央やや東に位置します。ワイオミング州はアメリカ50州の中で人口が一番少なく、アメリカ人から「ど田舎」というイメージを持たれているところです。イエローストーン国立公園(キャスパー大学から車で5時間)などの緑豊かな場所もありますが、とても乾燥しており、ほとんど砂漠のような状態になっている地域が大半です。多くの動物を身近に見ることができ、キャンパス内でもアンテロープ、鹿、鷹、七面鳥、リスなどと出会うことがあります。また、夜には星がとてもきれいに見えます。
 キャスパーの人口は約5万5000人で、極端に小さいというわけではありません。アジア系のレストラン、映画館、ウォルマートなど、最低限あってほしいものはそろっています。キャンパスから徒歩15分のところにスーパーもあります。ただし、一番近い大規模都市のコロラド州デンバーまで車で約4時間、飛行機で約1時間かかります。また、電車はなく、バスの本数も少ないので、必要な時には上司や友人にお願いし、車を出してもらうようにしています。
 住まいは、キャンパスの敷地内にあるアパートです。キッチン、冷蔵庫、洗濯機、シャワー室などはルームメートとシェアする必要がありますが、自分1人で使える部屋があり、大変快適に生活できます。ただし、Wi-Fiは通っていないため、インターネットを使う際には有線接続になります。尚、授業をする教室の近くに自分専用の立派なオフィスもあり、好きな時に好きなだけ使うことができます。キャンパス内の多くの場所でWi-Fiが利用できます。教室ではスクリーンにスライドを映したり、Youtubeのビデオを見せたりと、テクノロジーを駆使した授業ができます。食事は、全てキャンパス内のダイニングホールでとることができます。 冬は寒さが厳しいです。11月の時点で、夜は-10度以下になることもありました。1月、2月はさらに寒くなる可能性が高いそうです。また風も強いので、積もった雪が顔に激しく当たってくるなど、外を歩くのが辛い日もあります。ただ、夏は過ごしやすく、ピクニック、カヌー、ハイキング、サイクリングなどを楽しめます。
 そして何より、人がとにかく優しいです。アメリカというと人種差別を想像する方もいらっしゃるかもしれませんが、そのような経験をしたことは一度もありません。スーパーバイザーを始め、同じ学部の先生方は皆とても親切です。一人友達ができると、その友達や家族を紹介してもらえ、どんどん友人の輪が広がっていきます。どこに行っても温かく迎えてくださいます。何かお願いした時にも、嫌な顔一つせず、喜んで協力してくださる人ばかりです。

 個人的には、ここでの生活がとても気に入っており、キャスパー大学に赴任できて幸せだったと心から思っています。このレポートが、赴任先の希望を考える際に参考になれば幸いです。尚、ここで紹介させていただいた内容は2015年度現在のことですので、今後変更になる可能性があることをご了承いただければと思います。


最終レポート

ワイオミング州にあるキャスパー大学に派遣されておりました山本大貴です。2016年5月22日に日本に帰国し、現在は就職活動の真っ最中です。素晴らしい学生、同僚、友人に囲まれて過ごした9ヶ月は、あまりにあっという間で、夢だったのではないかと疑いたくなるほどです。大変充実した日々でした。日米教育委員会の皆様を始め、私を応援し、支えて下さった全ての方々に、心よりお礼申し上げます。

中間レポートにも書きましたが、キャスパー大学でのFLTA生活に関しては、過去数名の先輩方が報告して下さっています。私のキャスパーでの経験を書いても、過去のレポートとの内容の重複が多くなってしまうと思います。そこで今回は、私の個人的な体験について紹介するのではなく、多くのFLTAプログラム参加希望者が気になっているであろう「アメリカで日本語を教えるために高い英語力が必要か」という問題について、私の意見を述べさせていただきます。このレポートの読者の中には、英語力に自信が無く、プログラムに応募するかどうか迷っているという方もいらっしゃるのではないでしょうか。実際、私も出国前は「この英語力でFLTAとしての務めを果たせるのだろうか」と不安に感じていました。しかし、結論から言うと、その不安は全く必要のないものでした。むしろ、あまり英語が出来なくてよかったとすら考えています。その理由を三つ挙げさせていただきます。

 一つ目の理由は、アメリカ人大学生にとって、非英語母語話者と英語でコミュニケーションをとる練習は、将来国際人として活躍するために大変重要だからです。日本語クラスにいるアメリカ人学生が将来話しをする外国人は、日本人だけではありません。中国人、インドネシア人、エジプト人、ロシア人、ブラジル人などなど、いろいろな国の人々と接していくことになると考えられます。その際に使われる言語はおそらく英語でしょう。私の学生には、「現在、世界中で多くの非英語母語話者が英語の習得を目指して頑張っている。その分英語母語話者は、学習者の拙い英語を理解したり、学習者にも分かりやすい英語を話したりする能力を身に付けなければならない。」と繰り返し言ってきましたが、その能力を磨くためには練習が必要です。学生たちは、私の間違いだらけで日本語訛りの英語を一生懸命聞き、私の言いたいことを理解しようと努力していました。また、私が彼らの英語が分からず“Pardon?”などと聞き返すたびに、彼らはより簡単な言い方を考え再チャレンジしてくれました。きっと私の学生は、英語が苦手な私と苦労しながらコミュニケーションをとった経験を活かし、非英語母語話者を優しく適切にサポートできるアメリカ人になってくれると思います。

 二つ目の理由は、学生と「助け合い」の関係が築けるからです。人には、「新しいことを学びたい」という欲求だけでなく、「自分の知識や経験を他人に伝えたい」という欲求もあると思います。特にFLTAのような比較的若い先生とは、一方的に助けられる(教えられる)関係よりもお互いに助け合える(教え合える)関係を築きたいと考える学生も多いと思います。私は、日本語の授業中にときどき学生に英語についての質問をしていました。これは、「お互い助け合って言語学習を頑張り、共に成長していきたい」という私のメッセージを伝え、また学生に活躍の機会を与えるのに役立ったと思います。春学期終了後、学生とは仲の良い友人になることができましたが、もし一方的に日本語を教えるだけだったとしたら学生との心理的距離が縮まらず、そのような親密な関係が築けなかったかもしれません。

 三つ目の理由は、「たとえ下手でも、外国語を堂々と話していいんだ!」と学生に伝えることができるからです。英語を勉強し始めた時、失敗するのではないかと不安で、なかなか英語を話せなかったという方も多いのではないでしょうか。アメリカ人の学生の多くも、そのような不安を抱えながら日本語を勉強しています。その不安を少しでも軽減するために、決して完璧でない英語を学生の前で楽しく堂々と話してきました。このことを通して、間違いを恐れずに外国語を話せる雰囲気を作ることができたと考えています。その効果かどうかはわかりませんが、私の学生の多くが授業内外で積極的に日本語を使っていたように思います。

 もちろん、最低限の英語力がないとFLTAプログラムに出願ができません。また、英語を学び続けるという姿勢を学生に見せ、良い言語学習者のモデルを身をもって示すことは言語教師の使命だと言えます。よって、留学前も後も英語力向上を目指して努力していくことは非常に重要です。しかし、FLTAプログラムの参加に、英語圏の国に長年住んでいた帰国子女のようなハイレベルな英語力が必要だとは思いません。むしろ上述した通り、英語ができないことが武器になることすらあります。実際2015年度のFLTAで、驚くほど英語ができるという方は数人しかいなかったように思えますが、皆それぞれの大学で立派に活躍されていました。

 FLTAにとって一番重要なことは英語力ではありません。効果的な授業ができる先生になれるよう、また尊敬される日本人になれるよう努力できる方であれば、出願時点での英語力が低くても、十分FLTAとして活躍できます。このプログラムでは、一生の思い出になる貴重な経験がたくさんできます。たとえ英語力に自信が無くても、ぜひ積極的に挑戦していただければと思います。

10. 吉田綾 Lincoln University (Lincoln University, PA)

中間レポート

私が派遣されたリンカーン大学は、ペンシルバニア州のフィラデルフィアから車で約一時間の場所にある大学です。リンカーン大学はコーン畑と豊かな緑に囲まれています。初めてここに来たとき、アーミッシュという伝統的な生活を送る人々が馬車で移動する姿を見て、のどかな風景に感動したのを覚えています。今思うと、その思い出が5カ月前のこととは思えないくらい、昔のことに感じられます。

リンカーン大学は、伝統的にアフリカンアメリカン、つまり黒人の学生が90%以上を占める大学です。さらに、日本人は私一人、アジア人は私の他に中国人TAが一名というかなり特殊な環境でもあります。大学が小さく、どこに行っても目立つので、知らない学生に声をかけられたり、食堂や職員、教授や講師の方にすぐに顔を覚えてもらったりと嬉しい出会いのきっかけをもらいました。

仕事は、日本語の授業を週9コマ、オフィスアワーを6コマ、日本語クラブを週一回担当しました。日本語の授業は、初級8名、中級2名、上級1名と少数ですが、難しい日本語を選んでくれただけあって、学生一人一人が協力的で、私の説明が至らない時にも、学生同士で助け合い、また積極的に授業に参加してくれました。また、学生は一方的に授業を聞くよりも、自分から話し、そしてコミュニケーションを楽しむという傾向が大変強いことにも気づきました。そのため、授業はコミュニケーション活動を重視して、学生が自己表現をし、互いに日本語でコミュニケーションし合えるような授業作りを心がけました。私の説明不足でうまくいかないこともありましたが、学生が趣旨を理解してくれた時は、持ち前に積極性でジョークを言ったりして授業を大いに盛り上げてくれました。日本語クラブでは、日本の映画を見たり、日本料理、秋学期はお月見のおもち、カレー、手巻きずしをつくったり、茶道、書道、折り紙、フルーツバスケットをしたりしました。授業では伝えられない生の日本文化に学生が触れられたこと願っています。またオフィスアワーは日本語に関して質問にくる学生に対応するという時間でしたが、日本に留学した学生と日本語と英語でラングエッジエクスチェンジを週に1時間していました。日本語を取る学生は真面目で、また大変フレンドリーで、授業外でもご飯を一緒に食べたり、秋休み明けに感謝祭の料理やお菓子を持ってきてくれたり、一緒に日本のドラマをみたり、学生に支えられたもらった面が多くあります。

自身が履修する授業では、African America ExperienceとIntegrated Reading and Writingを履修しました。秋学期は9コマ、50分換算だと10コマ教えたためその準備と授業に追われ、履修する授業に力をあまり注げなかったのは事実だと思います。しかし、授業に参加すること、その課題をこなすことだけでも十分に多くのものを得ることができました。African American Experienceの授業では、African Americanの故郷、アフリカの歴史、奴隷貿易、アメリカでのAfrican Americaの歴史、現代のAfrican Americanについて広く学びました。また授業中に学生が自身の体験を話し、彼らが今、アメリカの社会で何を感じ、どのような体験をし、何を考えているのか知ることができました。日本でAfrican Americanに会う機会がほとんどなかった私にとって、リンカーン大学に来て、この授業に出会い、学生の体験に触れたことは私の人種に対する考え方に大きな変化を生みました。また、Integrated Reading and Writingでは、大学の授業の英語の基礎を学びました。論文の読み方、それからのエッセイ・レポートの書き方について、さらには文法について、一から英語を勉強し直せたことは、春学期に履修する授業の土台を築いてくれたと考えています。

余暇に関しては、あまり余暇がなかったというのが正直な気持ちです。週末の土日一日は必ず授業の準備に追われていました。しかし、同じ家にフランス、アルゼンチン、スペインのFLTAと4人で住んでおり、みんなで車を借りて近くの街のきのこ祭りやハロウィーンのイベントに行ったり、フィラデルフィアやワシントンまで車で遊びに行って観光したりして、一緒に思い出を作る機会に恵まれました。また近くの街で知り合った友人とバーに行ったり、ホストファミリーの方に夕食に招待してもらう等、現地の優しい人たちとも時間を過ごすことができました。秋休みには同じ日本人TAの方とボストンへ旅行に、冬休みには昔のホストファミリーを訪ねてカナダでクリスマスを過ごし、また年越しは知り合いのアメリカ人の方のご家庭にお邪魔して心温まる時間を過ごさせていただきました。

アメリカに来た当初は、英語力不足と、新しいことへの緊張で、小さなことがスムーズに進まず、ストレスが溜まっていました。例えば事務の方の英語が聞き取れず、後で友人に内容を確認したり、コピー機の調子がおかしくて修理のセンターに電話しても音質が悪く聞き取れなかったり、調子がどう悪いのかうまく伝えられなかったり、教室のプロジェクターが故障して修理を頼んだのに何回も忘れられてしまったり。他のTAとの同居も、掃除、買い物、音楽の音、来客など、一緒に生活するうえで生活習慣の違いや文化の違いで摩擦も幾度となく起きました。また、日本人一人、そしてアジア人ほぼ一人の環境で、自分の文化と学生や他のTAとの文化の違い、自分の文化を理解してもらえないことのストレスも少なからずありました。おそらく、日本にいたら感じることないものだった思います。しかしそれがあったからこそ、前にはなかった強さが、少しですが付き、また自身の人間性に変化が生まれました。また、大変だからこそ、周りで支えてくれる学生や友人、ホストファミリーの方、遠くで支えてくれる家族や友人に感謝する気持ちが強くなりました。

後期は、日本語の授業以外にも、もっと現地のコミュニティー活動に参加し、現地の人と交流していくことを目標にしていきたいと思います。


最終レポート

5月半ばの帰国から、このレポートを書いている現在まで約1か月が経ちました。今でも同じ大学で働いていたTAやアメリカで知り合った友人と連絡を取ってはいますが、まるでアメリカでの9か月間の生活が夢の様に遠くに感じます。しかし、日本の生活に慣れた今でも、FLTAとしてアメリカにいた時間は、確実に私の人生の見方を変えたと日々感じています。

1月半ばから始まった春学期は、環境に慣れ、また担当する授業数も減ったため心身ともに余裕ができた期間でした。そのため、教える授業の他に多くの時間を割けるようになり、秋学期とはまた違う発見がありました。 まず、日本語の授業は、初級と中級の2クラス、秋学期の週10コマから週7コマに減りました。また学生の人数も1クラス各3名と大幅に減り、同時に授業準備なども慣れて効率化できたため、学生の反応を見て授業計画を調整したり、新しい文法と既習の内容を織り込んだアクティビティを作ったり、口頭試験を録音形式からインタビュー形式にしたりしました。確かに秋学期では、日本人教師が私一人で、全てを背負うことを大きな負担に感じていましたが、おかげで自分なりの授業計画やタスクを行わせていただき、本当に教員として多くの経験をさせていただきました。期末試験の筆記の日、学生に会うのが最後で、答案を私に持って来てくれた学生を見て思わず涙ぐんでしまいました。また別れを惜しんでくれる学生もいて、本当にこの学生達と会えてよかったと感じました。

春学期に履修した授業は、Communication TheoryとMass media and Societyです。Communication Theoryでは、Communication理論の概要、研究の考え方、論文の読み方・まとめ方まで研究の基本を丁寧に学びました。またMass media and Societyでは、マスメディアの情報の選び方、報道の仕方、それによる私たちの世界の認識を、オリエンタリズム、ヒップホップにおけるAfrican Americanのfeminismとmasculinity, スポーツにおけるmasculinity等を通して、幅広く学びました。特に印象的だったのが、ある一つのニュースを、テレビや新聞等の色々な媒体・会社がどう報道しているか比較・分析するメディアリテラシーの課題でした。特にアメリカ大統領選挙が近くなり、様々な情報がSNS,新聞、TVニュースで流れる中、それぞれの違いを把握し、客観的に情報を得ることに大変感銘を受けました。

プライベートでは、週一日平日に休みができたため、近くの教会にボランティアに行きました。Family Shelterといい、家のない家族を支援する施設で、教会を、寝泊り・求職活動・普段生活する場所として提供するというものです。私はそこで、子ども達と遊んだり、寄付された衣服を洗って畳んだり、物を分類したりする仕事をしていました。この施設を利用する家族は総じて中米・南米出身の方、またシングルマザーの方が多く、移民の多いアメリカの雰囲気を肌で感じました。また緊張が続くアメリカ生活の中で、施設の職員の方や施設を利用している方と話したり、大学の中では学べないことを知り、また子ども達と遊んだりして、心が癒されたのを覚えています。

ちょっとしたときに心が癒されたのは、他にもあります、2月の春休みにはNYに日本の知り合いを尋ね暖かい時間を過ごさせていただきました。また、一年を通して、ホストファミリーの方々と食事に行き、まるで本当の両親の様に優しくしていただきました。ハウスシェアリングをした他のTAとも、時間が経つにつれて段々とカルチャーショックも薄れ、お互いを知るにつれ、自分の国の話、家族・友人の話、想い出、また本当に些細なことまで話したことを覚えています。彼女たちと話すことで、常に物事に対して敏感であり、また当たり前を当たり前で済まさないために、常に自分の頭で考えることの大切さを学びました。

今振り返っても、アメリカでの9か月間は、大変濃縮された1年でした。そのため、帰国して日が経った今でも、確実に自分の考え方・感じ方に深い影響を残しています。アメリカに行く前、私は、自分が日本のことを知り、また日本の外で起きている出来事や情勢に関心を払っていると思っていました。しかし、FLTAプログラムに参加してまず初めに感じたのが、自分が、日本の文化や政治について何も考えていない、世界で起きていることに何も言うことがないことでした。考えていないというよりも、それを言葉にすることに慣れていなかったのかもしれません。しかし9か月を通して、様々な国々の異なる背景の人と出会い、彼らの考え方・宗教・生活習慣・文化に触れることによって、大げさではありますが、グローバルな視点を養えたような気がします。そして、今では私なりに世の中に流れに敏感でありたい、常に考え意見を持って、それを表したいと考えるようになりました。また、日本という国を客観的に、自分の故郷を、これまでよりももっと大切に思えるようになりました。このような経験を、どう還元していくかが、私のこれからの課題です。

改めて、9か月間支えてくれた家族、友人、このような貴重な機会を下さったFulbrightのスタッフの皆様に、この場を借りてお礼を申し上げたいと思います。また、これからFLTAとしてアメリカに派遣される方々が、安全で充実した経験をされますことを、心よりお祈りしております。